房総の根元

2009年9月12日 (土曜日)

TTC合宿。

N田に行くのは5年ぶりだった。
ETCもカーナビもついていないので、うろ覚えのまま走行。
館山道のインターの名前はどれも同じような感じで、「えい、ままよ」とばかりに降りたところが当たっていた。飯を食ってから、何となくの映像的記憶を頼りに進み、めでたく到着。
うちから電車で駒場まで練習に行くより、車でN田まで行くほうが遥かに早いことが判明した。
昼飯を頼んでいなかったので、インターを降りた後食っていったのだが、ストレートに行ったら1時間ちょっとで着いちゃうみたい。恐るべし、高速道路。

アンコール・ピース用に用意した譜面を音出ししていただく。多謝。

しかし、朝昼晩とN田の食事をして、夜の宴会であの鍋。そんなに食えんぞ。若者はすごいね。

2009年6月19日 (金曜日)

(続き)

「こういっては失礼だがいかにも場末のスナック」の入口は、燃えた後のくすぶった煙の臭いと、消火器の粉でモクモクとしてしていた。

Y先生がなにやら中と話している。

どうやら、人がいるらしい。

おじいさんが一人出てきた。

「お店の人ですか?」
「いいや、違う。なに、なんなの、これ?」

どうやら、朝から(か昼からか、は知らないが)聞し召しており、カラオケなんぞも歌っていたそうで、夕方のその時間おじいさんは酔っぱらって店で寝ていて、店の人はお客を残して帰ってしまったらしく、酔っ払いで事情のよく掴めないおじいさんは呆然としていた。

通報者ということで、私は何人もの警察や消防の人に入れ替わり立ち替わり話を訊かれた。

そして知ったのだが、あの人たちが人の身元を訊くとき、名前の次に生年月日を訊くのね。
あと、住所と電話番号。
会社の名前とかは訊かない。

結局小一時間ばかりも足止めを食い、子供たちもトイレにも行けず隣のアパートの駐車場に待機させられ、最後に救急の人に軽い問診と酸素濃度の測定をされて、ようやく帰宅と相成ったのであった。
帰宅途上、あいちゃんと、明日学校や会社に行って自慢しようという話をして、他愛もなくひとしきり盛り上がった。

翌日に聞いたところによると、学童保育の先生は、なお足止めをされ、あのおじいさんの身許が分かるまではいてくださいと警察に頼まれたらしい。
そんなこといったって、隣の店で酔っ払って寝ていたという、なんの関係もないおじいさんのために、まあ災難なことであった。

当日の帰宅後も消防から一件電話があった。訊いてくることは一緒だった。

で、思ったのである。

第一発見者を疑え、というではないか。

火事の出火原因の第一は放火である。
放火犯の心情は、猥褻犯ほど理解することが私には適わないが、それでも一種の愉快犯であると想像される。
すると、火をつけただけでは満足をせず、それが騒ぎを起こすことが目的であるようにも考えられる。

ならば、自分で火をつけて自分で通報するという輩が、世の中には少なからずいるのではなかろうか。

現に私も通報後しばらくして消防車が四方からやってくるのにびっくりしたし(火は消えたのに)。

警察の聴取の常套テクニックだとは思うが、いろいろな人が入れ替わり同じことを訊いてくる。
おじさんだったり若者だったり綺麗なおねえさんだったりと多彩である。

これは、やはり何かボロを出さないか、ということをチェックしているのではなかろうか。

まあそれでも、結果的にいわゆるボヤで済んだ案件であっても、あれだけの消防と警察が瞬時にして動員されるのを見ると、日本の公共インフラはたいしたものだと思う。

出火の原因などは、今もって聞いていない。

(了)

2009年6月18日 (木曜日)

火事発見。

いつものように子供を学童保育に迎えに行き、ルームを出て帰路についたところ、ルームの隣の、こういっては失礼だがいかにも場末のスナックの店のなかが何かチラチラしている。
最初は、店のなかで七輪でも使っているのかと思ったが、それにしては炎が大きい。
何というか、店のなかで焚き火をしている感じなのだが、後から考えたら、家のなかで焚き火をするわけはないわな。
お腹も空いていたので見て見ぬふりをして帰ろうかとも思ったが、そういうわけにもいかない。

「あいちゃん、火事じゃないか?」
「えー、そうかなあ」

道を渡って見に行く。
外から店のなかに向かって「すいませーん」と声をかけたが、なんの返事もない。
戸を開けて見ると、確かに何かが燃えて炎があがっている。

これは火事ではないか!!

どうしようか迷う。消せばまだ消えそうな感じだ。どうしよう。
やはり人間そういうときには慌てるもののようで、取りあえず通報しようと、携帯電話で119を押すも、最初は間違って通話ボタンの代わりに電源ボタンを押してしまいリセット。
あらためて119につなぐ。
生まれて初めて119番通報をした。

「火事ですか、救急ですか?」(反対だったかも知れないが)

これが、119番通報をしたときに、最初に訊かれることということを知る。

「火事です」

状況と場所を訊かれたので答えるが、普段通っている所でも、正確な住所など知らない(住宅街なので、とりわけ目立つ物が隣近所にはないのである)。
目についた電信柱の住所を読みあげるが、それが手間取る原因となった。
というのは、ちょっと大きな通りの向こう側の電信柱の住所を読んだため、隣の地名であったのだ。いろいろとやりとりをしているうちに、すぐ近くの電信柱に別の地名があるのを発見し、それを言うと、ようやく向こうでも確認できたようだ。

最後に名前を訊かれたので、答える。

私が通報に手間取っている間に、子供はトコトコと学童保育ルームに「火事かも知れない」と伝えに戻っていたようだ。いいぞ、あいちゃん。使える子に育つのだぞよ。
ルームのY先生が見に行って、うわっ大変とばかりに消火器を持って取って返し、既に天井のほうにまで燃え拡がんとしてた火をプシューっと消してくれた。

という光景は、私が通報してる間に繰り広げられていたものである。

後から見ると、携帯電話の発信記録によれば私が電話したのが6時37分で、消防の方の通報記録が6時42分だったそうなので、消防の方の記録というのは、話を聞き終えて受けつけた時刻なのだとすれば(*)、通報には4~5分の時間を要したことになる。

なにしろ、ビル的には同じ建物なので、まだ残っていたルームの子供たちは、もう一人のD先生に連れられて避難し、そうこうしているうちにパトカーがやってきて、すぐ後には消防車が4~5台もやってきて、辺りは騒然としてきたのであった。

(続く)

2009年2月 9日 (月曜日)

子供をルーム(*)に迎えにいった帰り道、「今日、紅白帽がはいってなかったよ」と文句をいわれたので、「気がついたら用意してあげるけど、最終的には自分で用意して確認するのよ」といったら、ぶちゃむくれてた。
それはいいのだが、はて紅白帽、確か洗ってランドセルに入れてあげたと思ったけど、どこへいったのかと、帰宅後さがす。

ない。

結局見つかったのは………ランドセルの奥底だった。

子供は自分の間抜けさ加減に号泣。

そういうこともあるよ。

(*)学童保育の通称をこの辺ではこういう。イントネーションは平坦に、るーむ。るにアクセントが来てむが下がる伝統的イントネーションとは違う。
次の喩えが誰か伝わる人がいるか怪しいものだが、Aっきーさんの奥さんのるーさんのるーであって、ルー大柴のルーではないところのるー。

2008年10月18日 (土曜日)

バザー。

私が小学生のときには、PTAがバザーを開催して、子供たちがそれを楽しみにして群がってくるという文化はなかったような気がするのだが、この地域の文化なのか?

2008年8月29日 (金曜日)

ディズニーランドや成田空港ほどではないが、C葉県にも目立たないながら観光名所のようなものはある。

そのひとつ。
Kasamorikannon
これは二代広重が描いた諸国名所百景のひとつで、笠森寺である。
C葉県のなかほどには、これが現存する。

飛び降りたつもりで有名な京都の清水寺は、崖のうえにやぐら(?)を組んで、その上の舞台があるわけだが、この笠森寺の観音堂は、清水寺のように一面だけ崖のうえに組んでいるのではなく、四面すべてをそのようにしている、四方懸造という日本でも珍しいものだそうだ。

言うならば、山の上の険しく巨大な岩石の上にやぐら(?)を組んで、そのうえに無理やりにお堂を載せているのである。

そんな奇怪な様子が、上の絵ではよく描かれている。現物から受ける感じは、まさにこの絵の通りである。

「どうしてそんなところに、無理して建てなきゃいけないの?」という疑問がぬぐえない。

現物の写真では、そういう面妖な様子はうまく表れてこない。
Kasamoridera_3

2008年8月28日 (木曜日)

C葉県で最も集客力のあるといったら何であろうか?

東京ディズニーリゾートかな。ここはだいたい年間2500万人ほども集めるらしい。行ったことのない私は非国民。
だが、それ以上に集客力のある施設があった。年間3500万人ほども集める。というか、利用する施設。それは成田国際空港。

2008年8月15日 (金曜日)

私がUCで通院している病院は、C葉県の佐倉市にある。

昨年帰省したときに、心臓病で倒れかけて入院した地元の病院で説明した際、このような問答があった。

「潰瘍性大腸炎は、どこで診てもらっているんですか?」
「T邦佐倉です」
「佐倉って、えっと、あの長嶋茂雄さんの?」
「そうですそうです、その佐倉です」
「へえ、T邦って、そこに病院があるんですか」

注記しておくと、T邦は医学部のキャンパスが大森にあり、そこに病院があるほか、大橋の病院も昔からある。大橋の病院というのは、私も聞いたことがあったが、今場所を調べて初めて分かる。大橋とは、池尻大橋のことであった。駒場エミナースより先(T大から見て)へ行ったところらしい。
で、佐倉の病院というのは、平成になってから新しくできたもので、医療関係者にもまだまだ知られていない。

ところで、上の会話を交わしたのはN野県内においてである。
佐倉という地名は、N野県においては、必ずしも著名ではない。しかし、長嶋茂雄さんを知らない人は、まあ、一定年齢以上の人なら、まずはいない。そして、佐倉といってまず思い出すのは、佐倉宗吾でも津田梅子でもなく、長嶋茂雄であることは、まったく自然なことと思われる。

ところがである、当の佐倉市に何度も通い、入院も数回に渡り延べ滞在日数は数ヶ月にも及んでいるのであるが、当の佐倉市民から長嶋茂雄氏の話がでたことは一度もないのである。

まあ、それが当たり前なのかも知れないが、一人くらいは「オレの従兄の同級生に長嶋茂雄がいたんだよ」とかいうような自慢をする入院患者がいてもいいんじゃないかと思ったのだが。

少なくとも、現在までのところ、佐倉を訪れて長嶋茂雄氏の影を感じたことは、一度もないのであった。

余談だが、佐倉市にある歴博は案外と使えるかも知れない。

2008年8月 4日 (月曜日)

「どさ」「ゆさ」は、東北弁では言葉を短くするという例として挙げられる有名なものである。

「どこへ行くの?」
「湯だよ」
の意である、念のため。
一説には、寒く厳しい気候の下、なるべく口を開かなくて済むようにこうなったとされる。

しかし、気候が温順とされる房総の根元でも、地名の読み方を見ていると、省略傾向があるように窺える。

以前にも書いたことがあるが、五反田登戸という地名がこの辺りにもある。
ごたんだのぼりと、と読むのが一般的ではあるまいか(関東近辺)。
これが、ごただのぶと、になる。

江戸時代の地図では、この辺は検見川と記されている。

この地名は現存する。
東大のグラウンドがあって、大賀ハスが掘り出されたりした場所である。
これは、けみがわである。ははいらない。
もっともこれは検見という言葉から来ているのだろうが。検非違使とかも、だし。

2008年5月15日 (木曜日)

C葉には五叉路が多い。
前からこのような気がしていた。そういう統計があるのか知らないが、こちらに来てから妙に五叉路に出くわすように思う。

車社会になって主要交差点に信号機が設置される現在において、五叉路はたいへんに不合理なものとなっている。1本道が多い分待ち時間が長くなる。

それにしても、五叉路というのはどのようにしてできるのであろうか?

2008年5月 4日 (日曜日)


駅前の高層マンションの建設がいよいよ本格的に開始された。これまでは整地と基礎工事が行われていたようで、駅前の決して広くはない道を場違いな大型ダンプが行き来し始めていたのだが、今後は資材の運び込みがより頻繁となるだろう。
ここは保育園への行き帰りに通っていた道で、昨年度はその安全性を危惧したものだが、工事のペースは思ったよりもゆっくりで、そう厳しいことはなかった。

うちはもうそちらの方に毎日通うことはないので、離れたところからマンションが伸びるのを観察していればいいのだが、その先にあるこれまた大型のマンション(その昔、Q氏たちが住んでいた)の子が大変そうである。就学児童分布の関係と思われるが、そのマンションだけ陸の孤島のようにうちと同じ通学圏になっていて、おかげでうちの子は保育園時代からの友達が同じ学校にたくさんいるのだが、そこの子たちは工事現場の隣りを道を通って来ざるを得ないのだった。

うちからするとこの高層マンションとは反対側の国道の対面にもマンション建設中で、微妙に視界が遮られそうだ。7年前にここに来たときと比べたら、かなりマンションだらけになっている。多分、人口増加地域。

2008年4月 6日 (日曜日)

埼玉からほんの一瞬(*1)だけ東京を通って千葉にはいる道は、このところ通るたびに変化している。数年前に比べると、ずいぶんストレートに通れるようになった。
ほんの一瞬の東京の部分など、以前は変な左右折をしなくてはならず、車線標識の早期発見および何度かの信号待ちを強いられたものだが、今日ではずどんと突き抜かれ、その勢いは矢切の渡し付近まで及んでいる。
その分、旧来の道が塗りつぶされるように消されていて、趣を欠く。

〜〜〜〜

ウィンドウを白片流れ春はいく

何ちゃって。

(*)時間にして約1分。以前は十数分ないし数十分かかっていたような気が。

2008年3月 2日 (日曜日)

そういえば館山道はつながっていたんだ。つながって以降行ったわけではないが、こうなると家からN田までドア・トゥ・ドアで2時間かからないと思われる。

昨日から久々にしゃばしゃばが続き、歩くのも難儀する時間帯がある。ピュッと出る瞬間は、思わず真っ直ぐ立っておられず、呻き声を漏らしたのち、気がつくと息を止めているのであった。血圧が高かったら、身体に良くなさそう。

2008年2月10日 (日曜日)


高層マンションは、たまに訪ねる友人宅などなら、見晴らしもよくて楽しいが、住むとなるとかなり怖そう。平均より背が高く、相対的に手すりが低くなるので、何かの拍子に落ちそうに感じる。特に酔っ払って記憶が定かでないときなど危ない。もっともこの数年1滴も飲んでないので、そのような状態にはなっていないけど。

2008年2月 3日 (日曜日)

ABSを試す。
何しろ、去年も一昨年もこの時期は入院していたため、首都圏のC葉で雪が積もっているところに出るのは、久々である。
買い物に行くのに車を出して、周囲の安全を確かめてから、ブレーキをガンと踏んでどのくらい滑るか確かめる。タイヤは普通タイヤである。でも、この雪ではせいぜい時速30kmくらいしか出さないので、あまり滑らないみたい。一瞬タイヤがロックする感じはあるのだけど、そんなに滑らないで止まる。何度か試したけれど、ABSのランプは灯らない。今までこれが光るのを見たことはないのだが。幸い、そんなにパニックブレーキを踏まなければいけない目には遭っていないので、こんな時でもなければ確かめられないかなあと思っていた。もしかして、壊れているのか?
まあ、油断せず、車間距離をひたすら開けて、買い物を済ませる。

しかし、明朝気温が下がって路面が凍結するようだったら、ツルツルかも知れない。

ところで、派手なエアロパーツをつけた、いわゆるVIP仕様というのか、そういうヤンキー車がこの天候にかかわらず走っていた。車高も落としているので、普段わずかな段差を越えるときにも、フロントのエアロパーツを擦らないために大回りをする迷惑な類いの車である。しかしそんな迷惑車も、今日みたいな日には、その自慢のフロントスポイラーが除雪車のように雪を掻き分けていってくれる。意外なところで社会貢献(でも、あの手の車は大抵FRでないかな。もう少し路面が滑る状態だと、なかなか真直ぐ進まないかも。あっ、除雪車だからその方がいいのか)。

2008年1月17日 (木曜日)

品川駅が品川区にないというのは、比較的有名な話である。
歴史的には、文明開化の時代、新たに鉄道駅を作るのに古くからの地元では反対が強くそれを避ける傾向にあったとされる。

なお、自分が忘れないため書いておくと、昨日の地名の読み方は、「しすい(酒々井)」と「そうさ(匝瑳)」である。

では、マイナーな内容ながら、C葉の地名でちょっと不思議に見えるものを。
本日書くのは、津田沼周辺の事柄。津田沼駅は、総武線沿線では主要ステーションであろう。
ここには習志野文化会館があり、また大学オケで同期のトロンボーンのW氏の実家もあったりして、私にとってはC葉のなかでは、比較的古くから馴染みのあるところ。

伝統的なC葉の車のナンバーに「袖ヶ浦」がある。いよいよ内房、外房の観光地然としたところへ足を踏み入れると、これになる。
ところで、津田沼周辺にも袖ヶ浦という地名がある。習志野市袖ヶ浦。陸運局がここにあって習志野ナンバーと袖ヶ浦ナンバーを使い分けている、わけではなく、袖ヶ浦ナンバーは袖ケ浦市の方にある陸運局の管轄であろう。

津田沼駅は習志野市と船橋市にまたがって位置しているらしい。
20080115_105501_2 駅前の案内地図には両市の地図が分かれがたく一体となって掲載されている。
ところで、習志野市とは別に、船橋市の方にも習志野という地名があってややこしい。船橋市習志野。そればかりか船橋市には習志野台や西習志野という地名すらある。船橋市習志野台、船橋市西習志野。
これに対して当の習志野市が有しているのは東習志野のみである。
船橋市は習志野を飲み込もうとしているように見える。
習志野市、不思議だ。習志野と言えば思い浮かべる陸上自衛隊習志野駐屯地や演習場も、習志野市ではなく、隣の八千代市などになっている。
このような施設があることからも推察されるが、この辺は昔は軍事施設があった。そもそも習志野という地名自体が、そこから由来するものらしい。

故あって房総学検定公式テキストブックなるものを手にしてしまったため、ちょっと研究中。

2008年1月16日 (水曜日)

結婚して1年ほどしてから、C葉に越してきて、現在に至っている。
こちら来たとき、見たことある地名なのに、おっとこちらでは読み方が違うのか、と思ったものがいくつかあった。

例えば、登戸。
江戸時代の房総の地図を見ると、検見川、登戸という記載があり、それらは古くからの由緒ある地名であることが分かる。で、登戸だが、私はO田急沿線に住んでいたこともあり、なによりI先生宅でのレッスンもしくは飲み会には、O田急に乗って多摩川を渡って行くわけで、登戸という地名は「のぼりと」であった。
C葉に来て、登戸は「のぶと」になった。

五反田。
品質管理オケ、もとい、S川区民オケに乗っていたころは、毎週土曜はS川区内で練習だった。当時私が住んでいたのは寅さんの家があるK飾区だった。都心を抜けS川区に通っていた。五反田はときどき練習で行くことがあった。オケを降りたのちも、トロンボーンアンサンブルの練習でよく使った。ちなみに、品川駅というのはS区にはなく、港区にある。だからS川区は品川駅よりも南西の部分というイメージである。
C葉に来て、五反田は「ごただ」になった。これは登戸よりもマイナー地名であろうが。

C葉県の地名では、未だに読めないものがある。
酒々井。私はいつも「ささい」と読んでしまって、妻に訂正される。
匝瑳。合併前は八日市場市と呼んでいた辺り。何となく「いびさ」と読んでしまう。

2008年1月 8日 (火曜日)

なるほどC葉県は河川と海で県境を隔てられた島であったか。

離島で思い出したが、一説によると海ほたるの住所は木更津市になるらしい(きちんと確かめてはいない)。そうするとあれはかなり離島ではなかろうか。

2008年1月 7日 (月曜日)

奥さんの研修、今月は「地域医療」の番とのこと。
地域の開業医か、保健所か、離島での研修から選ぶらしい。
ということで、今月は近所のスーパーの上にある診療所で研修。土日もやる代わり、平日に休みがあるそうだ。

ところで、C葉県には離島ってあるんだっけ?

2007年8月23日 (木曜日)

がんばれ、外環。
延びろ、外環。

2007年8月 4日 (土曜日)

20070804_hanabi_3 
歩道橋の上より花火を望む。

2007年7月21日 (土曜日)

奥さんは病院。

子供を久しぶりに音楽教室に連れていき、帰りにいつものように近所のスーパーのうどん屋に寄ろうとすると、フロアで催し物が行われていた。
スペシャルゲスト=嘉門達夫。 ♪チャラリー、鼻から牛乳〜と、ギター1本で歌っている。
おお、本物ではないか。
私は、連れていた子供に「あの人はすごい人なんだよ」(←あら、すごいって言っちゃった)と教えてあげた。
子供は「普通のおじさんじゃん」と言っていた。髪は金髪だし、サングラスで目線は隠れているし、そんなに普通ではないような気もするが・・・

うどんを食べながらライブの音が耳にはいってきていたのだが、子供は嘉門氏がパロディにしている元ネタを知らないので、さすがにその面白さが分からないようだった。
しかし、踊るポンポコリンのところをしばらく聞いて、一言。

「この人ねえ、ちがう歌(詞)にしてうたってるんだよ〜」

替え歌の人ということは理解したらしい。

アコースティック・ギターを手に歌う嘉門氏の前には、譜面台が1本立っていた。
譜面台には、クリアフォルダに何やら紙が収めてある。一緒じゃんと思った。
紙には、歌詞だけが書いてあるようだ。ワープロ打ちであった。
手書きの赤ペンで何やら書き加えている曲もある。
何とか近寄って、何が書いてあるのか見た。コードネームだった。
エスカレーターに乗ると後ろから覗き込めるというような、スーパーでの催し物ならではのチェックができたのであった。

なるほど、カンペはああなっているのか。

2007年7月16日 (月曜日)

ヤンキー文化と言えば、土曜の夜に練習などを終え、車でK葉道路を帰ってM張PAなどに寄ったりすると、そこはある種の統一性あるスタイルに身を固めた若者ならびに異形の車で満ちあふれていたりする。

Pの間に地震。当初、長野県北部でも震度6強という。実家に電話してみたが、しばらくつながらなかった。

2007年7月15日 (日曜日)

地元の神社のお祭りなんである、この時期。
日にちは毎年一緒(のはず)。昨日と今日。

颱風がやって来ているのは全国各地と同様であった。けれども思ったより天候は荒れ模様というわけではなく、何より子供が前から期するものがある様子で風雨を突いて行くと言い張るので、昨日今日と出かける。

昨日の方が雨がざんざか降っていて大変だった。いつもは頃合になると道には浴衣を着た人たちがぞろぞろと歩いているものだが、そのような気配はまったくなかった。果たしてやっているのだろうか?という不安を抱えつつ神社の敷地内にはいっていくと、いつもより少ない感じがするも露店の灯りが。
人出も激少ながら、露店の集まっている「中心街」へ行くとそれなりの密集度。
子供は一通り露店を見て歩いたあと、チョコバナナとスーパーボールすくい。結局去年と一緒じゃん!

颱風が最も近づいてきたはずの本日午後、目に入ったわけでもないのに晴れ間も出たりの天気。
で、出かける。傘を持って行ったが、ほとんど差さずに済んだ。子供は今日はカキ氷を堪能。
人出はそれなりでお祭りっぽい。

心なしか、女性の方がたくさん来ている気がする。特に雨がざあざあ降りだった昨日などは、よりいっそう女性比率が高かったのではなかろうか。
行った時間帯によるのかも知れんが、小学生や中学生や高校生は女子の方が根性がはいっているように思われる。出会いを求める積極性は女子の方が強いということか。
そりゃ確かに「子育て・安産」祈願の神社だそうだが、小学生や中学生や高校生だからなあ・・・・・・

子供は、怪しげな露店がたくさん出て、ある意味ヤンキーな雰囲気もあるお祭りが大好きのようだ。
C葉県民なのだから、ヤンキー文化にも親しんでおかないと(偏見か?)。
ヤンキーというのは、生命力に富み、評価すべきところもあるのだと思われる。

2007年6月 3日 (日曜日)

土地バブルである。都心から離れたこの辺りでもマンションラッシュ。
引越してきた6年前に比べてもずいぶんと新しいマンションが建った。畑を潰したり企業の社宅等を潰してデベロッパーに売ったところが多いようだ。

そしてまた今度、駅前にマンションが建つらしい。
かなりの高層建築。37階だそうだ。
もともとそんなに高い建物はないところである。建設予定地のすぐ奥に以前某トロンボーン奏者夫妻が住んでいた巨大マンションがあるが、37階と言えばそれより高い。東京駅前の新丸ビル(38階)並みか?

ちなみに同じデベロッパーが建てた同じようなマンションが海の方の駅にある。こんな感じ。

こちらはけっこう広い土地、何しろもともと埋め立て地だったところに建ててあるのだが、それでも私のうちからの富士山の眺望を妨げる存在だったりする(別に怒っているわけではない)。
今度建つやつはそんなに広くもない土地で線路に隣接している。万一倒れたら、総武線はしばらく不通となって成田エクスプレスは走れなくなるわけだ。
それにビル風がひどくなることが予想される。

なにより、建設予定地の脇の路地は子供の保育園への通路なのである。工事用車両の増加、通園の不便が危ぶまれる。

2006年9月26日 (火曜日)

房総半島=C葉県といっても過言ではないと思うが、たいへんに平坦な県である。
最高の標高は408m(調べるまで、鋸山の頂上が一番高いと思っていたのだが、どうやら違うらしい。C葉県で一番高い部分は、半島の先の方にある愛宕山という山らしい)。

そして標高500mを超える地点がない県というのは、C葉県だけらしい。

昔、「房総半島:紀伊半島近似説」を考えたが、紀伊半島には2000m級の山もそびえる。へろーっと長閑に拡がった房総半島とはちと違うのかも。20060925_kaitaijou_1

もしかすると、ここが解体場。トイレピンチにより詳しく検分できず。

2006年8月13日 (日曜日)

夕立。

2006年8月 5日 (土曜日)

ピストンの練習があるのだが、お休み。
重要な親族会議があるらしい。しかし一説では、ただの花火鑑賞だそうだ。人それぞれ。すれ違う思い。というほど深刻なことは、少なくとも表面上なく、穏やかに宴が運ばれるのであった。しかし私は飲めない。酒飲みだった記憶があると、飲まずに食べる料理は、心の底からは旨く感じないもんである。20060805_hanabi

花火大会(約8000発)を某ホテルの部屋から鑑賞。
私は理事会のため、最初30分くらいで中座。
先月のときに、この週は都合が悪いので次の週にしませんかと言ったのだが、次の週はお盆にかかるので、ということでこの日になったもの。って、この花火、私の住んでいる集合住宅の海に面している方の部屋からは見えるのではないだろうか。みんなぞろぞろと花火の見える橋の上とかに出て行ったりしているのだが、いいのか? 参加しなくて、という気もする。

子供は浴衣に着替えて、盆踊りをしていた。

2006年4月 1日 (土曜日)

花見。
どこに行こうかと考え、区役所の隣にある公園に徒歩&自転車で行くことにする。
子供が今くらいの歳だと、花を見て飲み食いするだけでは飽き足らず何か遊ぶところがないと機嫌を損ねるので、遊具があるところが候補となるのである。

公園は比較的穴場っぽく空いていた。
キャッチボールや野球ごっこをしている組みが目立つ。家族連れ、子供同士、高校生っぽい連中など。
家族連れでは父親だけでなく母親もグラブを手に子供にボールを投げていた。野球ブームか?
ちょっと前までは野球ごっこよりサッカー遊びをしている人たちの方が多かったと思うのだが。
ワールドカップの年だというのに…。
原因に関する仮説:
(1)これはやはりワールド何とかの影響か。
(2)土地柄か? 昨年優勝したマリーンズの地元だし。
(3)他の公園だと野球ごっこは禁止されているから。