記憶力は怪しく、記録は気まぐれなうえに散逸してしまうのが私の性向なので、ホームページを開設したのちは、聴きにいった演奏会の覚書をホームページに記すことにしてみた。
「してみた」といったが、もうかれこれ7年分くらいはたまってきた。
ところで、先々週に行ったバレンタイン(SVBE)の感想文をいまだアップできずにいる(ここでいうアップには、書き上げるという意味と、アップロードの意味の2つがある)。
一番大きな理由は、N村さんのページに前史から始まるバレンタイン大河物語1Q××シリーズが連載中ということである。
思わずこれを読みふけってしまい、また数々の新発見があり、バレンタインに関して書こうとするとこれを避けて通るわけにはいかず、怖いもの知らずで勝手な戯言を並べるのが甚だ難しくなっているからである。
しかし、いつまでもそうこういってられず、次のKlangも聴いてしまったばかりなので、早いとこアップしようと思う。
記録文化のアングロサクソンもかくやというN村さんの詳細な記録が、当時の自分の記憶を掘り起こし、たいへんに興味深く、また郷愁すら誘う。
それによると、私が最初にSVBEの演奏を聴いたのは、1986年6月8日(日)であったらしい。
大友直人さんの指揮で『展覧会の絵』がメイン。その曲の前には『王宮の花火』。おぉぅ、そんなすごいプログラムだったのか!
そう、大友直人さんが振るという光景は覚えている。田舎からぽっと出の青年(私)にとって、そんなメジャーな指揮者と一緒に演奏するなんて、と、バレンタインの偉大さをまざまざと見せつけられた日であった。
演奏曲目ばかりか出演者もしっかりと記録されているN村さんの綴るバレンタイン1Q××シリーズには、なんとうちの奥さんの名も登場しているのであった(1990年6月17日(日))。トラでパーカッションをしたのだろう。
その記載の続きによると、バレンタインは1990年6月23日(土)には、日本橋三越本店で山形物産展の余興演奏をしていることになっている。
これって、もしかして私も演奏にご一緒させてもらったものかしら。
「山形物産展」だったというのは初めて知ったが、日本橋三越で吹いた記憶は、たしかにある。
何しろ当時は、S田さんかS村さんあたりから、「今度の○曜の×時、△△(場所)へ来て。必修」とかいわれて、「はい、分かりました」というのが当然の姿であった。多少の誇張はあるが。
だから、三越でSVBEに混ぜてもらって吹いた記憶はあるが、それが山形物産展だとは知らされてはいなかったし、当日もほとんど初見の譜面を追うのが精一杯で、周囲の状況を見る余裕など何もなかったということしか憶えていない。
このたびのN村さんの記録を見ると、この三越営業はバレンタインの定期の翌週(というか、日曜本番のその週の土曜)のことであり、そのための練習をやっていたとは思われず、私は、営業慣れしたSVBEの方々の手馴れた演奏のなかで一人足を引っ張っていたのであろうと、まったく冷や汗が止まらない。
遡って、1987年11月3日(火・祝)。
第1回日本アマチュアブラスアンサンブルフェスティバル。
NABEOである。
いかなる事情でこれが発足することになったかという経緯も、1Q××シリーズを読んでいると浮かんでくる(つまり、前年のバレンタイン&大阪んのジョイントコンサートがきっかけになったということらしい)。
ところで私個人もこの第1回のNABEOには関係させてもらった。
といっても、出演したわけでもなく、サントリー小ホールに聴きにいったわけでもない(たぶんそうなのだ。その記憶がないから)。
何かというと、Y本さんからいわれて、NABEO打ち上げのセッティング等の下働きとして働いたということである。
これもN村さんの記載によると幹事団体はフェスタということであるから、もしそうならフェスタの誰かからいわれたのかも知れないが、いずれにしろY本さんの「部下」であったことは一緒であるから、たいした問題ではない。
NABEO第1回は、サントリーの小ホールで華々しく開催された。
時は1987年。歴史の教科書的にはバブル時代である。
打ち上げも、さぞ華々しく、赤坂か六本木で豪勢に行われたとお思いだろうか?
ぜんぜん違う。
第1回NABEOの打ち上げは、駒場東大の学生食堂において、とにかくローコストで執り行われた。
今は知らんが、当時、学生食堂を借りてコンパをすることができた。
場所代はなしで、飲食はほぼ原価。持ち込み何でもOK。とか、そんな感じだった。
その代わり、机や椅子を並べたり、食べ物や飲み物を並べたりするのは、ぜんぶ自前でやる、とそういう場所だった。
なんの遠慮もなしに楽器が吹ける、というのも特筆すべき特長だろう。
で、生協に予約をしたり、人足をしたり、会計をしたり、みたいな下働きを現役生が担当し、東大だけでなく近郊の他大学からも駆り出されて来ていたのであった。
それが私とNABEOの最初の出会いであった。







