普段はまず買わないのだけれど、この方がおっしゃるのなら(万一)騙されても悔いはないという個人的事情のもと、「週間エコノミスト」11月16日号を買ってみる。
普通の週間エコノミストではなく、臨時増刊週間エコノミストだった。壱千円也。普通の週間エコノミストよりずっと高い。
それはともかく、くだんの記事を読んでみる。別にFXに手を染めているわけでも、手を染めようとしているわけでもないので、単なる興味本位である。
一番印象的だったのは、現代は、人工知能を使ったアルゴリズム・トレーディング・システムなるものが開発・導入されていて、例えばある経済指標の発表があると0.0何秒後には機械的に取引がされているということであった。
別に調べたところによると、アルゴリズム取引はもともと大口の投資家が自動的に取引を分散するための仕組みから始まったらしく、その段階なら理解できなくもないような気がする。だが、アルゴリズム取引の別名はロボ・トレードというらしく、そうなるとこの言葉から直感的に連想されるのは、「ロボットのような人工知能が勝手に取引してくれる。しかも24時間不眠不休でやってくれるすごいやつ」と、だんだんと人間離れしてくる。
もうこうなってくると、取引の「実感」などはほとんど失せてくるのではなかろうか。
そして、私が想像したのは、そのような実感の失せた取引において、取引者が拠出する「お金」「貨幣」「通貨」といったものについても、実感が失せてくるのではなかろうか、ということである。
聞いただけだが、FXなどでは最初に証拠金を拠出して取引に入るらしい。あとはポジションをどう持っているか、というような、いわばゲーム感覚になるのだと想像される。
これまたよく分からないが、いちいちオーダーを自分で出したり、それをパソコンでピコピコやっているうちは、ポジションの推移がまだ実感として金額換算され、ぬか喜びしたり悲嘆にくれたり真っ青になったりするのだと思われる。
だけれども、それがロボにお任せ、というような状況になった場合、いつまでこの実感を持ち続けることができるのだろうか。
さらに(私にとっては恐ろしさがあるのだが、実はそうでもないのかも知れない)想像される事態として、そもそもの「お金」に対する実感が薄れてくることがある。
私が言っているのは、いわゆる「金銭感覚が麻痺した」というような話ではなく、金銭に対する実感が薄れてくるという事態である。
ここで私がいつも感ずる、そもそもお金とは何ぞや? という命題につながってくるのだが、そんなロボットが0.00何秒かのうちに取引をして増えたり減ったりするものに、ほんとに価値なんかあるの? という疑念が蔓延したりしないのだろうか。
くだんの命題に対しては、個人的にはお金とは共同幻想であると理解しているので、このように思うのだろう。
つまり、今ここに北朝鮮ウォン紙幣があってもほとんど役に立たず、米ドル紙幣とどっち取るといわれたら多分米ドルを取る(レートはそれなりとする)と思われ、今ここで一番使い勝手がいいのは円紙幣であるのはどうしてかという理由を追究すると、それは国家制度や通貨制度という名の共同幻想があるから、という答えになると考えるのである。
だって、たぶんサルから見たら、北朝鮮ウォン紙幣も米ドル紙幣も一万円札も区別つかない。
ここに挙げた例は、まだ地域間の移動をすればそれなりの価値があるといえるが、時間相が違う場合を考えると、一万円札を石器時代に持っていってもおそらくマンモスの肉と取り替えてもらうことはできないわけで(至極世俗的ティピカルなイメージで恐縮だが)、何故お金というものにそんなに価値をおいているかといえば、それは共同幻想だからというのが、今のところの私の考えだ。
その共同幻想を化生したのが、「お金」という名の紙や金属片などである。
カード取引や口座振替が普及した現代日本では、お金はそればかりではなく、コンピュータ・システム上に記録された電子情報が大きなウェイトを占めている。
でも、あるとき、そんな目に見えない電子情報がくその役にも立たない事態になったとしたら……
たぶん、目端が利いて運がいい少数の者があまった既得権益を次なるメディアとして保有することに成功し、大多数の者はリセットされるのではなかろうか。
などと愚にもつかないことばかり考えているので、「お金の研究」と銘打たれた臨時増刊号の記事をパラパラしても、お金の増やし方や運用の仕方なんかを書いているだけで、お金って何? という私のいつも思う疑問にはなかなか答えてくれないのであった。





