業務終了後、神保町経由でカザルスへ。
神保町では、現在古本まつりが開催中だった。
つられて歩道の露店の書棚を覗きながらふらふらと通りを歩いていたら、「直進方向=新宿」の道路案内標識。
あれっ、逆だったと回れ右して、文庫川村で現在品切重版未定の岩波新書黄版176を見つけて買う。
そののちカザルスへ。
生黒金さんを初めて目の当たりにする。噂通りの巧さだった。
業務終了後、神保町経由でカザルスへ。
神保町では、現在古本まつりが開催中だった。
つられて歩道の露店の書棚を覗きながらふらふらと通りを歩いていたら、「直進方向=新宿」の道路案内標識。
あれっ、逆だったと回れ右して、文庫川村で現在品切重版未定の岩波新書黄版176を見つけて買う。
そののちカザルスへ。
生黒金さんを初めて目の当たりにする。噂通りの巧さだった。
『ひと呼んでミツコ』が古本屋にあるのを見つけたので、既読にかかわらずゲットする。コレクターの世界だな、これは。だが、図書館で読んだ単行本にはなかった文庫あとがきがあるので、それだけで価値があるといえよう、230円くらいだったし。
青柳いづみこさんの話を聞きにいく。
会社のあるビルの隣のビルの一角にKEWOODのショールームのようなものがあるのは前から知っていた。
昼休みなど、サラリーマン(って私もそうだが)がこのショールームのオーディオ装置の前で腕組みして座っている図をガラス越しに見てはいたのだが、今まではいったことはなかった。
何しろ丸の内界隈の通りに面した1Fの店舗はいずれも敷居が高く、なかなか足を入れがたいところばかりである。もっとも、KENWOODのここは、ブランド・ショップを呼び込んで丸の内を改造し始める以前あった記憶があるし、周りと比べて恐ろしげな印象はない。
そのショールームを使って行われたのが、『アッシャー家の崩壊』プレイベントであった。
ドビュッシーの未完のオペラ(原作はポー)を来月浜離宮で青柳さんのプロディース(もちろん演奏もあり)でやるということで、その宣伝も兼ねたというイベント。
こじんまりとしたところなので、30人も入れば満杯で肩を寄せあう状態。出演者とも2~3mの至近距離。
なにしろ、会社の隣で入場無料なので、「生」青柳いづみこを見られる貴重な機会とばかり出かけた。というか、隣のビルに行った。
要はトークショー+サイン会なのであるが、なかなか面白かった。
トークの相方として登場していたのが、ジャズ評論家の岩浪洋三さんであった。
氏は名前だけは存じているが、未読である。
ご本人の風貌が誰かに似ているなあとずっと感じていたのだけど、翌日思い当たった。
自動車評論家の三本さんである。何となく似ている気がする。酒井法子と長山洋子並みに似ているような気がする。
私は根はミーハーなのに、有名人のサインをもらうということに対して「けっ」とひねた態度をとってしまう癖があって、今まで誰かにサインをもらったということがない。あのPJ様のサインもけっきょくいただかなかった(一緒に写っている写真は宝物であるが)。
ということで、サインをいただくのは初めて。
そのために、昼休みに丸善まで回って講談社エッセイ賞受賞作(何と交通会館の三省堂では品切れだった)とその隣にあった最新刊を買っていったのだが、あの手のサイン会というのはその場で著作を求めてサインをしてもらうというのが普通なのであろうか。
最新刊(『指先から感じるドビュッシー』春秋社)のほうは譜例も満載でかなりマニアックな内容っぽく、今後文庫本になることはなさそうだったので単行本で買うことに問題はないのだが、講談社エッセイ賞受賞作(『六本指のゴルトベルク』岩波書店)はそのうちどこかが文庫で出してくれる可能性も感じられるので、普段の私のポリシーからすると単行本を買うことは我慢するのだけれども、サインをもらうという「特別な事情」があるので買ってもよいと自分を納得させた。
しかし結局その場で買った本にサインをもらうのが礼儀なのかも知らないと、まだ手に入れてなかった『翼のはえた指 評伝安川加壽子』(白水社)を買ってサインしてもらった。
トークのなかで、岩浪氏が『ショパンに飽きたら、ミステリー』(東京創元社)に言及しており、青柳さんが「絶版じゃないんだけれど、なかなか置いてない」とおっしゃっていた。
当日持ち込まれたいくつかの著書のなかにも、これは含まれていなかった。
ということで、持参した『ショパン~』にもサインをしていただいた。第1刷。
トークのなかで私的に大いに受けたのは、「講談社エッセイ賞の賞金は、今度の公演のために右から左に流れることになった」というくだり----青柳さんが金銭の話はからりとしていて素晴らしいと感じる----と、「『ショパン~』に比べて『六本指~』は岩波だからハイブロウ」というギャグである。
歌謡番組に見入ってしまった。
いくつかの条件が重なったことによる。1)奥さんが当直で不在だった。2)休日前だったので酒を飲む練習をしていて、いい気分になっていた。
しかし、ニュースに続いて出てきた映像に惹かれたことが大きい。
何故なら、そこに写っていたのは、大阪シンフォニカーが演奏する姿であり(あっ、oboe見るの忘れてしまった)、ポイントは指揮棒を振っている人であった。藤野浩一。
実は、不勉強な私は氏の名前を知ったのは昨日のことであった。たまたま読了した本が宮川泰さんの本で、そこに文を寄せている一人に藤野氏がいたのであった。
これぞ、まさしくシンクロニシティ。
その本では、藤野氏は、宮川泰のスコアコピーをこっそりとゴミ箱から拾い出して、それを見てテクニックを盗み取ろうとするという、高級料理店の厨房もかくやという印象的なエピソードを描いているのであった。
藤野氏の伝では、日本中のアレンジャーの憧れは、前田憲男、服部克久そして宮川泰となっていて、なるほどと思うわけである。
NHKの番組は、近年あまり見られなくなった(と思われる-何しろあんまりTVを見ないので)正統派音楽バラエティであって、生オケで歌伴をするというそのスタイルも、今ではのど自慢でかろうじて見られるというものの、フルオケがやるというのはそうなく、とても興味深いのであった。
近年の傾向かどうか知らないが、番組ではちゃんとアレンジャーの名前もクレジットされていた。昔はこんなのなかったと思う。
「8時だよ、全員集合」」の盆周りなどが、たかしまあきひこさんの手によるものだと私が知ったのは、インターネット時代になってからである。
それでも、番組中、ちょっとした音楽(宮川大助・花子の登場のBGM)や、コントでやった六甲おろしのいろいろなバージョンは、これこそおそらくは藤野氏のアレンジだと思うのだが、クレジットはなかった。
でも、どう考えても、全編中これが一番面白かったわいな、私には。
まあ、アレンジとしては、極めて真っ当な普通のアレンジだったとは思うけど。
でも、映像で見られるというのは貴重だ。
文庫に落ちるのを待って本を買うのが常のところ、今般は姫野カオルコ『コルセット』を買う傍らにいよいよ噂の京大四畳半文学の『夜は短し~』が文庫に落ちているのを発見した(*1)ので、そのほか数冊と一緒にがばっと入手(*2)。
そうして、今の今まですっかりと勘違いしていたことを発見した。
森見登美彦『夜は短し恋せよ乙女』ではなかった。
「歩けよ」だったらしい。
(追記:註)
(*1) と思ったら、もう4刷を重ねているらしい。
(*2) 多田富雄『生命の木の下で』
山本渚『吉野北高校図書委員会2』
読書感想文なるものが苦手である。
しかし世の中には、ものの見事な読書感想文を書く人がいて、感嘆することもある。
サリンジャー作品のなかでは、私は『フラニーとゾーイー』が一番好きである。
『フラニーとゾーイー』自体、生涯で読んだ本のベスト10を挙げろといったら、入ってくるかも知れない。翻訳作品で10挙げろといわれたら、間違いなく入るだろう。
このたび、『フラニーとゾーイー』の卓越した読書感想文を目にして、感嘆した。
ここで挙げられているレビューの、「グラース家のフラニー(末っ子)とゾーイ(下から2番目)の話。」で始まる一文は、逸品だ。ウェブ上でさらっと書いただけという雰囲気なのだが、もし本当にこんなのがさらっと書けるなら、その才能が誠にうらやましい。
著作権表示はされていないのだが、どのような人なのであろう。
読書感想文というと、真っ先に思い出すのは、佐藤由美『シューベルトさまこんにちは』に収められた感想文である。
本日詳細を記すことは控えるが、現在絶版のこの新潮文庫は、私にとっては本当にベスト10に入る本の一冊に違いない。
文才というのは、どうあがいても得られない天賦の才の部分があるのではないか。
その感想文(本人が中一のときに書いたそうだ)は、あまりの見事さに、それまで私が抱いていた読書感想文というものの概念を突き崩し、私に文才のなさをまざまざと知らしめたのであった。
池波正太郎作品は、ある意味男尊女卑的な面もあるのだが、あの読みやすさは至芸であり、数えたら私は文庫で120冊以上は読んでいるようである。
あるエッセイで、池波さんがポチ袋について言及しているものがあって、いわく、常にポチ袋を用意しているというのである。それはチップをあげるためのものであり、日本男児のダンディズムとしてはチップを丸裸でやるわけにはいかず、ポチ袋に入れるのである。
池波さんは、例えばそれを酒食をした店の仲居さんにやったりしている。
彼は、それを気持ちのいい運転をしてくれたタクシーの運転手さんにもあげるという。
「釣りはいいよ」と言うことによって、日本社会では例外的にチップをあげやすい状況にあると思われるタクシーにおいて、ポチ袋を使うのは、池波さんのダンディズムというか、ダンディズムを自慢したい気持ちの表れなのだと邪推してしまうが、それが嫌味にならない下町気質ともいうべき気風を持ち合せていたのが池波正太郎なのだと思う。
それはそうと、池波さんがタクシーの運転手にチップをあげる効用として書いていたことがある。
それは、気持ちのいい運転をしてくれた運転手に、それをチップという形にしてねぎらってあげることで、自分を降ろしたあとも安全運転を心がけ、次の客にも気持よく接していこうとすることが期待されるから、というのである。
ダンディズムの言い訳と穿って見ることもできようが、素直にそのような人と人の繋がりということを肌に感じて生きていたのが、ある時代までの日本人の典型で、それを文章として体現していた一人が池波正太郎なのではないかと、若輩者ながら私は考えている。
朝の通勤電車というのは、殺伐としているものである。
妻との間でさえそうはないくらいの長い時間、まったくの他人と至近距離で押し合いへしあいしている状況では、お互い無関心を気どっていなければやり切れまい。結果、全体として殺伐とした雰囲気が流れる。
会う人会う人みんなに「お早うございます」と挨拶してるわけにはいかないではないか!
それが通常となり、他人のことには無関心となるのが都会生活というものである。
今朝の電車で、途中の駅に止まってドアが開いたすぐあとに何かが落ちた音がした。
音のしたほうに何人かが目をやった。私も、ウイルスか何かが原因で赤くなった目をそちらのほうに虚ろに向けた。
後から頭を整理して分かったのだが、うつらうつらとしていたある乗客が、降りなきゃいけない駅だとハッと気づいて急いで降りたときに、携帯電話を落してしまって立てた音だった。
乗客は慌てているので、落したことに気づかずホームに出ていった。近くにいた別の乗客が、携帯電話を拾ってドアのところから携帯を掲げて大きな声で呼びかけた。
「ケータイ(あなたのと)違いますか!」
(あなたをカッコ内に入れたのは、その人はその言葉は発しなかったからである。ただし、文脈的にはこのようなことを言ったのだった。)
携帯を落とした乗客は、気づいて受け取ったようだった。
私はそれを虚ろな目で眺めたいた。ほかの乗客も無関心な様子だった。
携帯を拾ってもらった乗客もよほど慌てていたのか、ちゃんとした礼をするのもそこそこに去っていった感じだった。そもそもラッシュ時なので、乗客が電車から乗り降りするだけで目一杯の時間しかない。
虚ろな目で眺めていた私は、再びドアが閉まって何事もなかったかのように電車が走り出した頃、だんだんと後悔の念が沸いてきた。
それは、携帯電話を落としていったことに逸早く気づいて、すかさず拾い上げ明瞭な仕草とよく通る大きな声でその携帯電話を速やかに持ち主の手に戻した乗客(中年男性)の手際の鮮やかさがあらためて心に染み入ってきたからであり、果たして自分だったらあれほどまで鮮やかに咄嗟の動作ができたか心もとなくなった(彼は、いささかなりとも発車を遅滞させることがなかったばかりか、その駅での他の乗客の乗降にもほとんど影響を与えなかったのである)ためであり、なによりそれほどまで鮮やかな動作を行ったことに自分が気づいたのが、かなり遅くなってからと認識したためであった。
私は心のなかで秘かに携帯電話を拾いあげた彼にブラボーを送った。
そしてまた後悔した。
彼が携帯を持ち主に手渡して車内に一歩引っ込んだその瞬間に、なぜ小声で「ブラボー」と言えなかったのかということに対してである。
ある人が素晴らしいことをしたら、賞讃の意を素直に顕すべきではなかろうか。それがたとえ赤の他人であっても。
池波正太郎は、タクシーの運転手の気持ちのいい運転に、形に現わして応える効能を説いた。それは、ほかの人達にもよい方向での連鎖を生んでくるのだと。それが社会というものだと。
私が電車のなかで突如「ブラボー」と言ったら、たしかに変な人に思われるかも知れない。もっとスマートな賞讃の意の表わし方はあるであろう。
だがしかし、そのように気持ちを無理にでも表わしていくことは、他人に無関心といわれる都会生活のなかで大切なような気がしている今日この頃なのである。
明らかに高校生と分かる人間が煙草をこれ見よがしに煙草を吸っているのを注意できるか?
申し訳ないが、私にはなかなか注意する勇気は出ないだろう。何度も見て見ぬ振りをしてきている。今後もそうだろう。往年のオヤジのような勇気はないのだ。
そういうことが、社会をダメにしているという論はよく聞く。そのとおりだと思う。
だから、できることから、気持ちを現わしていくことも、少しは社会がいい方向にいく要素になるのではなかろうかとも思いたいのである。
赤の他人でも、「おお、これは素晴らしい」と思ったら、率直に賞讃の意を表わすのはどうだろうか。
悪いことを抑制することも世の中を良くするのにつながるだろうが、それが出来ないからといって諦めてしまうことはない。良いことを奨励することだって、より良い世の中を作っていく力となるであろう。
電車の例でいえば、「これは本当に座らせてあげた方がいいだろう」という人にちゃんと席を譲ってあげた人に、小声で「ブラボー」。当人からは怪訝な目で見られるかも知れないけれど。
今の世の中、悪事を咎めたらとばっちりを食う恐れはあるかも知れないので、なかなかそれはしがたいかも知れないけど、良い事をする人は、おそらくは良い人なので、不審がられたり無視されたりすることはあっても、怪我をさせられるようなことはないと安心できよう。
たぶん、無関心を装う都会の人たちだって、本当に無関心というわけでなく、気づいてはいるのである。ただ、下手に反応をするとどんな目にあうか分からないという用心から、無関心を装うのである。
ただ、装っているうちにそれに慣れきってしまい、いざというときに反応できなくなるのではなかろうか。
洒落た感じでできれば理想なのだろうけど、そうでなくたって、これは素晴らしいと思ったら素直に賞讃の意を表わしていくことは、気持ちの好い社会を作っていくためにはプラスになると信じたい。
というわけで、今朝の電車のおじさん(私もオジサンだけど)、ブラボーでした。
今度同じような場面に出会ったら、すかさず小声でブラーヴォと言えるだけの反応力を身につけたいと強く思う。
書店の料理本の並べ方は鬼門である。
文庫のように著者名順に並んでいるわけではなく、かと言って必ずしも内容順(和食、おかず、お弁当、イタリアンetc.etc)に並んでいるわけでもない。
強いていえば、人気著者の場合は著者名順に、そうでない著者の場合には内容順にという感じで並んでいる。
これは料理本にはムック形式の物が多いため、仕方のないことかも知れない。
しかし、ちょっとマイナーだけどこの人の本を探している、という私のような偏屈者にとっては、書店の料理本コーナーは雑然とした無整理状態以外の何ものでもない。古本屋の1冊50円均一平台だって、もう少し規則性があると感じられるほどだ。
小幡績著『ネット株の心理学』を読んでみる。
行動ファイナンス論の立場から証券市場について論じたもので、著者は自ら実践的に投資活動もする行動派経済学者として知られている。らしい。
さて、この本では、デイトレーディングが推奨されている。
デイトレは、実はとてもリスクコントロールがしやすいという。
リスクを抑えることの出来る一番のメリットは、場が開いている間にほんの短時間しか株式を保有せず、「宵越しの株」は持たないため、そのことによるリスクを負わずに済むところにあるという。ある意味、今まであまり考えてこなかった、一理ある指摘である。
ただ、この本が上梓されたのが2006年6月。
ネットを通じたデイトレが一般的に普及したのは2003年ころといわれている。
そりゃ、市場がこういう動きなら、多くの人がデイトレで利益を出せるわけである。
録画したSONGSを観る。
矢野顕子と大貫妙子のデュエットのとこだけは正座して観る。あとは日和って、せいぜいストレッチ。
自分が大変な誤解をしていたことに気づく。
まあ、そういう人も世の中にはたくさんいるようなのだが、ずーーーーっとの間、春の神戸に遊びに行こうよ、という歌だと、ネタでなく、思っていた、春咲小紅。
録画した七瀬ふたたびを観る。
しかし、もう第6回らしい。途中からなので、飛ばし観。原作よりだいぶ膨らませてありそうだが、まあもう観なくてもいいかという感じ。
ところで、『七瀬ふたたび』のドラマ化は2度目なのだが、このタイトルについて。
七瀬というのはヒロインの名前だが、これが「ふたたび」なのは、これに先立つ第一作があるからである。
その作品を、『家族八景』という。
これは私にとって大傑作小説であって、今まで読んだすべての本から10冊挙げろと言われたら、間違いなくランクインする。
今まで読んだ一番「怖い」話は? という問いがあっても、これが真っ先に思い浮かぶ(ほど、怖い場面があったのだ)。
また、たいへんにエロティックな場面もあって、青少年読者の想像をいたくかきたてるのであった。
そういう前作があるから、『七瀬ふたたび』なのである。
つまりは、『帰ってきたウルトラマン』と一緒と言えよう。
ちなみに、筒井さんの七瀬は三部作で、このあと『エディプスの恋人』へと続く。
でも、とにかく『家族八景』の衝撃が私には強烈であった。
思ったよりも入院期間は短くて済んだのだけれども、とりあえず布袋一杯に入れていった未読本は、あらかた読み終えることができてしまった。
もっとも、ベル・ジャー(原書、といってもペーパーバックだが)は手つかずだった。ここを逃したので、また長いこと手つかずとなるだろう。
しかし、そうして帰ってきて、ツンドクの未読在庫が枯渇しかかっていることに気づいたときに、湧きあがってきたのは、恐怖にも似た感情だった。
読む物がないことに対する恐怖が、私にはあるらしい。
冷静に考えれば、奥さんからいつも(理不尽な)文句を言われているように、本は家にいくらでも転がっているのであり、昔読んだからとは言え、その内容はほとんど覚えていないはずだ。
本屋でも図書館でも、行くといつも嘆息するのは、一生かかっても読める本の量なんてのは知れていて、まあ、そこらにある棚1つ分くらいにすぎないということである。
(1日1冊読んだって、40年で14,600冊。1冊1cmの厚さとして、14,600cm=146m。10段の棚としたら、14.6m幅。たかだかそんなもんであるし、そもそも1日1冊は読めない)
たまたま手許にツンドク在庫が減ったからといって、そんな恐怖を感じるのは不合理である。
でも、たぶん、本屋がなかったら、生きてるかいはないと思うんだろうな、オレ。
(承前)
残された謎[1]については、比較的簡単に答えが出せる。
ヒントは、今のビックコミックスピリッツで考えてはいけない、ということだ。
ビックコミックスピリッツは、今でこそ週刊誌であるが、創刊されたのは、1980年10月。最初は月刊誌だった。
その後、1981年6月に月2回の隔週刊となり、現在のように週刊誌になったのは、1986年4月である。
これを、先に判明した軽SYNの連載時期と重ねると、連載開催時には月刊誌で、終了時は隔週刊だったことが分かる。
だから、初めが1月号で、終りがただの18号なのである。
決してミスプリではなく、かえって誌実とも整合し、信憑性の高い記載と言えよう。
なお、この1981年という時代がどのようなものだったかを示す一端として、同じ年に連載が開始されたマンガ作品で、現在も人口に膾炙していると考えられるものを2点挙げておこう。後者などは、連載期間もほぼ軽SYNと重なり、そう考えると感慨深い向きもいるかも知れない。
高橋陽一『キャプテン翼』
あだち充『タッチ』
最後に残された謎[2]について。
作者たがみ氏は、このスコラ社の文庫本にあとがきを寄せており、その日付は1994.12.26となっている。
軽SYN連載終了から10年ほど経た後のことである。
そのあとがきに曰く。
「色々なコミックス等の「あとがき」などですでに幾度も書いていることだが、私には過去の出来事を、順序立て、系統立てて、記憶しておく能力が、ほとんど欠落しているのである。
したがって「軽井沢シンドローム」と云うまんがを描いた記憶はあるのだが、それが幾つの時から描き始め、何年続けたのやらもよく覚えていないと云う、情けない現実にぶちあたり、唖然として、その場に佇むのが常である(かなり大ゲサだ)」
ほかのあとがきでも、たしかにそのような旨を述べているのを読んだことがある気がする。
本人も「大ゲサ」と書いているので、話半分だとしても、何時にどうしたというのを覚えておくことのは苦手だというのは本当なのだろう。
だから、何年かして書誌学的に振り返ろうとしたとき、年数などが違ってきて、こんなもんだったかなあというのが独り歩きすることもあるのではなかろうか。
なんとなれば、最初に示した「名鑑500」、あれは各漫画家が自分でプロフィールを書いたのを寄せ集めてまとめたような作りと見受けられるからだ。
たがみ氏が、名鑑500の原稿を書くときに、いい加減な記憶で書いた「昭和60年」という数字がこの書物に記載され、数年後にスコラ社が文庫版を編纂したときに、それを見て著者プロフィールをつけた、というのは大いに考えられる事態ではないか。
なお、軽SYNや、たがみ氏の兄の小山田いく作品で私が好むものに、長野県オチというものがある。
くだんのあとがきにはこうある。
「・・・・軽井沢の姿もずいぶん変わった。
駅前の風景はスッキリとしとし、旧道あたりの店の名前は、かなり変わった。(中略)高速が開通し、新幹線もそのうち走る・・・・・・・・。」
このあとがきを書いた時点では、新幹線はまだ走っていなかった。長野に行くときは「小諸」を必ず通っていた時代であった。
なお、知らなかったが、たがみ氏は、2002年から2006年にかけて『軽井沢シンドロームSPROUT』という次世代の続編を描いているらしい。
ウェブ上の感想をちらと見た限りでは、前作とは雰囲気もだいぶ異なるらしい。
1994 12/26 と日付のはいったあとがきでは、たがみ氏は最後にこう書いていたのである。
「私もずいぶん歳をくったらしい。
耕平や純生は幾つになったのだろう。
「軽SYN2(ツー)」は描かないほうが、賢明かも知れない」
(了)
(承前)
インターネット全盛の現在、軽SYNの連載時期なんて、検索すれば一発だろう。
こう思ってやってみると、さらに謎は深まる。
この手のものなら、まずはWikipediaである。
ちゃんと、「軽井沢シンドローム」でも「たがみよしひさ」でも項目が立っている。
しかし、2008年7月1日現在、以下のようになっている。
(1) 軽井沢シンドロームの項目には、連載時期の記載はない。
(2) たがみよしひさの項目には、単行本:1982年 -1985年とある。
(2)はかなり正しそうだ。記述者は、単行本の奥付に当たったのだろう。惜しむらくは、最終ページの欄外に記載されていると思われる、掲載雑誌の年度号数を書いておいてもらいたかった。
平成4年の名鑑500から、10年余りを経て、『漫画家人名辞典』というものが編まれた。
これによると、軽井沢シンドロームは、1981年から1985年に「ビックコミックスピリッツ」に連載した、とされる。
おお! どうやら正解に近づいてきたようだ。
もう1冊。小学館から『現代漫画博物館1945~2005』。
お膝元の小学館、これならバッチリだろう。こうある。
初出「ビックコミックスピリッツ」(小学館)'81年1月号~'85年18号
これだろう。
軽SYN第1話は、冬の軽井沢へ耕平と純生がやってくるところから始まる。季節的にも合う。
そして、連載は私が高校生だった期間ををまるまるカバーする感じで、おぼろげな記憶とも符合する。
こうなれば、残された謎は些細なものである。
残された謎[1]
よくよく見ると、上の記述は'81年1月号~'85年18号となっている。
連載開始の方だけ「月」がついている。このチグハグは、もしかしてこの記述もミスプリだという可能性を残さないか?
残された謎[2]
そもそも、どうして一時期、軽SYNの連載は「昭和60年から」という誤った記載が散見されることになったのか?
(続く)
軽SYNの謎。
たがみよしひさの『軽井沢シンドローム』というマンガは印象に強く残っている。
ただ、このマンガはたがみ氏の独特の文法----同じキャラクターが、二等身のギャグ調と八等身のシリアス調で2通りに描かれる手法----が難しく、雑誌連載時にリアルタイムで読んでいたものではない。
(というか、どんな種類の雑誌であれ、毎号欠かさずに読むという習慣がないため、マンガは基本的にはコミックスになったものを読む)
そして、私が読んだのはずいぶん後になってからである。同じ作者の同系統の作品『我が名は狼』はほぼ同時期にオリジナルのコミックスで読んでいたのだが、軽SYNは読み損ねていた。まとめて読んだのは、スコラ社から文庫になって出たものであった。そいつの刊行が、1994(平成7)年。
そこに記された著者プロフィールに、こうあった。
昭和60年から「ビックコミックスピリッツ」にて「軽井沢シンドローム」を連載。
何気なく見過ごしていたが、あれそうだっけ?と思い返す。
昭和60年から連載ということは、このマンガは私が大学生のときに描かれていたことになる。いや、そんなはずはない。高校生のときだったような気がするぞ、見たのは。と、思うわけである。
たぶん、ミスプリだろうな、おそらく昭和60年じゃなくて、1980年ととっ散らかっているんだろうな、たしかそのころだし、とずっと思っていた。
この話の第1話では、1ページ目の2コマ目にいきなり主人公の耕平が立ち小便をしている姿を、後ろからでなく前から描くという大胆不敵な構図が置かれていて、印象的なのだが、それは措いておいて、この第1話に次のようなシーンがある。
耕平の友達の純生が、500円札を握りしめて、喫茶店に行く。
そう、500円札が現役だった時代の話なのだ、これは。
500円札が廃止され、500円玉が発行されたのは、1982(昭和57年)のことである。発行後、500円札は急速に姿を消していったはずだ。
連載開始が昭和60年だとすると、間尺が合わない。
そんなこともあって、スコラ社文庫版の記載は、ミスプリだろうなと思っていたのである。
ところが、ここに1冊の辞典が登場する。
その名も『日本漫画家名鑑500』という。
これは、石ノ森章太郎を委員長として組織された「日本漫画家名鑑500編集委員会」というところが1992(平成4)年に編んだもので、一般には手にはいらず、限定5000部として出版社や図書館へ無料で配布された、由緒正しげなものである。
意外なことに、その時まで漫画家を一覧する適当なものがなかったらしい。
この名鑑500には、たがみよしひさの軽井沢シンドロームについて、こうある。
昭和60年からビックコミックスピリッツで連載され・・・
ぜんぜん別のとこでも昭和60年になっている。これって、やっぱり軽SYNは昭和60年から描かれたもの?
軽SYNに対して、あらためて謎が湧いてくるのであった。
(続く)
最相葉月著『絶対音感』という本がある。1998年にベストセラーになった本で、その存在はそのころから知っていたが、このたび初めて読んだ。
ベストセラー嫌いなもので----単に流行物についていけてないだけなのだが----当時は著者の名前も知らなかったし、単なる英才教育礼讃物なのかとも思いそのまま手にも取らなかったのだが、その後の著者の多方面での活躍を見聞きするに及び、10年目にして一度読んでみようと手にした。
たいへんな力作・労作であった。とても興味深い。
もっとも感嘆させられたのは、多方面に渡るインタビューの量である。絶対音感というテーマに絡めて、音楽家のみならず(音楽家のジャンルもプレーヤー、教育者その他、広い範囲に渡る)音響関係の研究者に渡ってインタビューしている。その取材範囲が圧巻である。
インタビューが広範囲に及んでいることは、巻末の「取材協力者一覧」に表れている。3ページ(文庫版)にわたって氏名と肩書きが羅列されているだけなのだが、五十音順に並べられているのが読んでいて楽しい。財津和夫(ミュージシャン)の後ろに三枝成彰(作曲家)と続いていたりする。
この一覧に、森金のうち曽我部さん、花坂さん、杉山さんの3人が掲載されているのが発見であった。
なにしろ五十音順なので、曽我部さんの名は千住真理子と園田高弘の間に挟まれている。何となくメジャー。
やはりママンと鼻母音がはいらないと、それっぽくないと感じてしまう。
"余所者"をいつ読んだかは定かでないし、話の筋もすっかり頭になく、ただ虚無的な雰囲気を覚えているだけである。
その頃は仏語に関する知識もなかったので、鼻母音なんてものも知らなかったし、そもそも、「きょう、ママンが死んだ」のママンとは、いったいぜんたい人の名か? などと思うくらいロマンス語音痴であった。それでもこのフレーズは随所で引用されていて独り歩きしている感があり、あるいは原典を読む前にここだけを見聞きしていたのかも知れない。もし「きょう、母さんが死んだ」だったとしたら、この冒頭部がこれほどまで有名になることはなかったのではなかろうか。
最近、過去の名作の「新訳」が話題になる。村上春樹のライ麦畑や、カラマーゾフの兄弟なんかも評判のようだ。いずれも新訳を読んではおらず、むろん原文を見てもいないのだが、なかなか新訳を手に取る気にはならない。
おそらく新訳の方が読みやすくスリリングなのだとは思うが、現代の語法で語ってしまうことによって、時代性が薄くなってしまうような気がする。"余所者"は1942年の作だし、ライ麦畑は1951年らしい。ただちに邦訳されたわけではないが、現在も出回っている訳(私もそれで読んだ)は1960年代になされている。
おそらく'60年代の空気は、原作が出されたころとつながっていたと思われる。その時代になされた訳は、当時の空気を存分に伝えているのではなかろうか。一方、半世紀を経てなされる翻訳は、多分に現代の目から見た訳にならざるを得ないと思う。それを否定するわけではないが、違うものになっている部分が大きいかも知れない。
つまり、新訳によって新しい衣を着せると、そのことによって新鮮に見えてしまうのではなかろうか、ということなのだ。中身は相応に時代的なのに、見かけに惑わされる恐れがあるのではなかろうか。新訳が実は現代語訳の役割も負っていて、その功罪もあるだろうということである。
などと屁理屈を捏ねたのは、村上訳のタイトルが「キャッチャー・イン・ザ・ライ」になってしまったからである。確かに「ライ麦畑でつかまえて」は反則技だが、ものの見事に決まっているので村上新訳時に苦慮したであろうことは想像に難くないが、そのまま片仮名にするなら原題通り「ザ・キャッチャー・イン・ザ・ライ」としなかったのがよく判らない。要するに、私には「ライ麦畑でつかまえて」であまりに馴染んでいるので、新訳のタイトルには違和感が強いということである。
そういう点では、『異邦人』という訳も趣があると感じる。
ところでそれと同タイトルの歌に関してであるが、私はあのように短調が同主長調に転調する曲が好きである。正確に言えば、その長調に転調する瞬間を偏愛している。
今ではすっかり見かけなくなったが、昔の本の奥付には著者検印がなされていて、判子がぺたんと捺されていた。
そして奥付には著者紹介が掲載されていることがあって、そのような体裁は今でも変わらないのだが、記載事項に現在では考えられない記載がされていることがある。
それは何かというと、著者の「現住所」というやつである。
しかもこの現住所、著者の「自宅」の住所と思しきものが、何丁目何番地まで記載されている。
古き良き時代、ということなのであろう。
何でもかんでも「個人情報」と称して、その実、膨大な情報量のほとんどすべては何の意味も有さず(悪用すらされないということだ)流れ消え去っていく今日この頃、検印といい著者現住所といい、1冊の本の持つ重みは桁違いに大きかったのだろう。
ところで、昨今の個人情報保護ブームと関連しているのだろうが、TV報道において、自動車のナンバープレートにボカシを入れることがある。「個人的な車」などを映す場合には、ナンバーの部分にボカシがはいる。
あれはいったいどういう意味があるのだろう?
そりゃ陸運局に行けば、ナンバーから所有者の住所氏名を調べることはできるのかも知れないが(やったことはない)、調べられては困ることなのだろうか?
言い方が足りないかも知れないが、陸運局の登録情報は、今のところインターネットでちょいちょいと調べられるものでもないらしいし、陸運局に足を運んで手数料を払う必要があるみたいだし、実際に調べてみようとする者はかなり限られるのではなかろうか。
そして、調べられることは住所と氏名だけである。生年月日が解るかどうかは知らない。要するに、個人を特定する最低限の情報しか解らないのである。
それ以前に根本的な問題として、調べられては困るのだろうか。いや、困るという人もいるのかも知れないが、自動車のナンバーというのは、登記情報と同じで、公開すべき情報なのである。不動産の地番同様、所有者などを調べることができるようにするための物である。
まあ、車のナンバーを暗証番号にしている人もいるかもしれないけど、だからと言って、TV報道でボカすまでのことがあるのだろうか。
よく顔を隠したり、声を変えたりして、報道する場合があり、それは個人を特定されないようにするためと考えられ、理解できないことはない。
だが、「被害者の○○さんのお父さんの△△さん」などということまで露わにしておいて、自動車のナンバーだけを隠すという報道姿勢が理解できないのである。
ただ、個人情報保護法がある現在、個人が特定できてしまう----できなきゃ意味ないのだが----情報なので、垂れ流すわけにはいかないということなのだろうか。マスコミとしては、事なかれ主義になるだろうし。
悪用するため調べようと思えば、ほかの手段もあるのだろうが、そのキッカケにしたくないということなのだろうが。
でも、何となく納得しがたいものがある。
何度も書いているように、私に決定的に欠けている文化的素養に「映画」と「ゲーム」があるわけだが、大々的に宣伝しているようなので、最近の映画『チーム・バチスタの栄光』はその映像の断片を目にしたことがある。
その映像には、必ず竹内結子と阿部寛の両優が登場する。
何の気なしにふーんと思っていたのだけれど、内容をちょっとだけ紹介する映像を見て驚いた。
何と、主人公の田口の役は竹内結子なのではあるまいか。そりゃよく考えたら、彼女は主役級ではあろう。すると何だ、阿部寛はまさか白鳥の役か?
原作をお読みの方はお判りだろうが、主人公田口は、本来男性である。
そして、後から登場する厚労省技官の白鳥は、優雅なその名字に反してメタボ体型の醜男のはずである(これが実は無類の切れ者だったというところが、この話の妙の一つ)。
つまり、竹内結子が男で阿部寛がデブの役なわけで、これはやはり無理があるのではなかろうか、と驚いたわけである。
阿部寛が白鳥役をやるのは、しかし肯けないことはない。
ストーリーにおいて、白鳥はもう一人の主役と言って差し支えない。嫌味な性格で破天荒に病院内を引っ掻き回す白鳥だが、最後に真実を突き止めていくのは彼である。映像化作品において、そのような重要な役を見栄良い俳優が演ずるのは、あながち異なことではなかろう。
しかし、男の田口が女になってしまうのは・・・。
最初、竹内結子が出ているのを見て、大友看護師の役かと思っていたのである。よく考えたら、普通の白衣姿だった。
しかし、この配役を見て、なるほどなぁとも思った。
原作を一読して感じるのだが、登場人物に女性が少ないのである。原作に登場する女性は3人だが、そのうち一番若くてぴちぴちの美女に描かれているのは、作中リアルタイムでは登場しない星野看護師。あとはちょっとトウが立った大友看護師と、定年後再雇用大ベテランでお局さまを通り越えみんなの相談相手横丁のご隠居役の藤原看護師。
田口役を女にして、男女が絡むほうが話に華が出てくる。なるほど、と思う所以である。
だがしかし、今これを書いていて初めてサイトを見たわけだが、キャラクター付けやお話もけっこういじって変えているように思われる。
原作者が認めていて、面白くなっていればかまわないということか。
原作では、各登場人物のキャラがみんな立っていて、かなり面白くできていると感じた。
映画化の方は、主役には美男美女を配すなど、定型化されていて、分かりやすくなっていると予想される。
遅ればせながらで、慣れない芸能話題を記してしまったが、たぶん、まあ、見ないと思われる。映画。

分子生物学者の福岡伸一氏による話題のベストセラー『生物と無生物のあいだ』。
この前読んだが、文系の私にも、ページを手繰る手を止めさせない面白さ。惹きつけてやまない語り口は見事なものだと思った。
それが右側の新書。装丁の大幅フェイスリフト(というか、フェイスダウン)後、初めて許せる講談社現代新書。
ところで偶然実家の本棚で発見したのが左側。写真では分かりにくいと思うが、川喜田愛郎著『生物と無生物の間』という岩波新書である。昭和31年(1956年)刊行で価格は100円。
こちらの方も読んだのだが、50余年の時の隔たりも大きいだろうが、文系の私を惹きつけてやまない、というわけにはいかないのだった。
それはさておき、こちらの著者の川喜田愛郎という人のことを調べようとした場合、ウェブはあまり役に立たないのである。
著者は明治42年東京生まれ。この年代の人は、著しくメジャーで誰もが名前を知っているような人でないと、ウェブ上の情報は甚だ貧困である。川喜田氏は、千葉大の学長も務めたほどの人である。現在の千葉大の学長が誰だかは知らないが、今ここをご覧の皆さんが、このまま学長の名を突き止めどんな人なのか調べるのは、それほど難しくはないと考えられる。しかし、ちょと前(と言っても数十年前だが)の学長まで務めた人の情報は希薄なのだ。おそらく川喜田氏に師事したりで直接知っている人はまだまだ多いはずなのだが。
私の祖父母の世代ということですな。
八丈島が流刑地として使われるようになったのは、そんなに古いことではなく今から400年ほど前であるが、流刑人として有名なのが宇喜多秀家である、というのをある本で読んだ。
「ほう、関ヶ原で家康に内応して東軍に勝利をもたらした裏切者と言われているあの人は、最後八丈島に流されたのかいな」
そう思って本をよく見ると、興味深いことが書いてある。彼は34歳で島に流され83歳までそこに留められたそうだ。実に50年もの間、島にいた。戦国大名として歴史物で語られる彼の姿は関ヶ原までの34年、そのあとの半世紀にもわたる長い期間彼は八丈島にいた。いったい島での日々はどうだったのだろうか。関ヶ原から50年と言えば、大阪の陣はおろか、家光の治世がまるまる収まるくらいだ、松尾芭蕉も生まれてしまっている、どこまで江戸の情報は耳にはいったのだろうか、やっぱり元大名だからそれなりに話を聞くルートはあったのではなかろうか、島の人たちからは実は愛されていたとか、などといろいろ想像がふくらむ。
…はい、日本史に詳しい方(詳しくなくても岡山県辺りの方)なら、ぷぷぷ、こいつ間違えているよ、とお分かりであろう。
そう、間違えていた。
関ヶ原で家康に内応し、一説によると、内応を約しながらなかなか山を降りていかないので、家康が業を煮やして山に向けて発砲したら、驚いて山を降りて西軍に襲いかかったと言われる、裏切者呼ばわりされている武将、それは宇喜多秀家ではなく、小早川秀秋であった。
(どちらも姓が漢字3文字で、名に秀の字がはいっているので、取り違えてしまったよ。って、この時代のこのあたりの武将は、豊臣秀吉旗下の者が多かったわけで、秀の字を与えられている人は多いのであった。)
あらためて小早川秀秋について調べると、関ヶ原の(裏切りの)功で大幅加増されたがすぐ1602年に死んでいる。彼は1582年生まれ、ということは関ヶ原のときは18歳である。この時代には、ほかの者もみなこの歳なら立派な戦国武将ということであろうが、裏切者というイメージからはもっと中年の人間かと思っていた。18歳の若者というイメージを前面に出すなら、古狸の家康(関ヶ原当時58歳くらい)によって、手玉をとるように扱われていたという見方もできるのではなかろうか。
宇喜多秀家は関ヶ原当時27歳くらい。五大老として重要なポストについていた。関ヶ原では毛利とともに西軍の有力者であったのね。関ヶ原で「負けた」のはこの宇喜多氏たちである。負けて逃亡したわけで、最後は八丈島に流されたということらしい。
小早川秀秋は、関ヶ原の功で宇喜多氏の持っていた領地を与えられたそうだ。よって、岡山城の領主は、宇喜多秀家のあと小早川秀秋が襲っているらしい。ちなみに、手元にある高校の日本史の教科書(山川)の索引には、宇喜多秀家は載っていたが、小早川秀秋は載っていない。
奥さんにクイズ型式について訊いてみる。
関ヶ原で東軍に内応し裏切者と言われるのは次のうち誰か?
(1) 小早川秀秋
(2) 宇喜多秀家
(3) 前田利家
奥さんの答え、不正解の極み。(3)の方は関ヶ原の合戦の前に死んでいる。
それにしても、八丈島に流されたあとの宇喜多秀家が気になる。歴史の表舞台では34歳で流されるまでしか光が当てられないのだが、彼の人生的にはそのあとの八丈島時代の方がずっと長いわけである。どんな気持ちだったのであろうか。
八丈島には行ったことはないが、團伊玖磨氏が晩年暮らしたところ。だから引っかかる。八丈島では宇喜多秀家は実は尊敬されている英雄とか、そんなことはないのだろうか。
図書館で、貸し出しの人気ランキングの上位にあるのは、流行の新刊本であるらしい。
ということは、そういう本は近くの本屋に行っても、もっとも目立つところに何冊も並べられているということである。
カッコをつけるわけだが、基本的にあまり図書館には行かない私は、行ってもそういう本は借りない。
図書館に行く目的は、今では絶版や品切れになってなかなか入手できない本を探したり、あまりに高くて(その割には使用頻度が低く)、自分ではおいそれとは買いがたい専門書などを探したり、雑誌のバックナンバーを探したりと、そういうことである。
流行の本なら、買えばいいじゃん。今しか売っていないんだし、と思う。
カッコつけているのではあるが。
いや、合理的だと思いますよ。
流行の本というのは、今読むのが旬なわけだし、かといって自分のうちに置いておくのは場所を取るし、一回読めばいいんだし、だったら何もわざわざ買わなくたって、図書館で借りて読めばいいじゃん。
その通り。
でも、図書館に置いてある本で、例えば10年くらい前に刊行された本を手にとって裏表紙の内側あたりにある貸し出し履歴を見たりしてみると、刊行された直後の10年くらい前の日付がいくつか並び、あとはパッタリというものも多い。
ちょっと悲しい気がする。
図書館は、世俗からちょっと距離を置いた、膨大なる時間のストックという夢がある場所だと思う。
筑摩書房から昔、「ちくま日本文学全集」が刊行された。全50巻。文庫大ながらハードカバーな作りが特徴的だった。
コンパクトなボディに選りすぐりの作品群、ルビや注記をわざわざ薄く印刷して目に障らないようにした工夫、安野光雅氏の表紙絵、凝った作りながら他の文庫並みの1冊1000円という価格設定など、とても素敵な企画であった。
当時は地方の本屋であっても、文庫のコーナーにこの全集が並べられていて、いつでも手に取れるという気安さが何よりよかった。
しかし、これはやはり「全集」なのであった。予定されていた部数が発行されたら終わり。いつしか見なくなったなあ、と思っていたら、すでに版元にも在庫がないらしい。
全巻揃えようなどという気はなかったが、なくなってみると寂しい。そんな声に応えるのかどうか知らないが、筑摩書房では新たに「ちくま日本文学」を出し始める。全30巻。さすがに以前のような凝った作りはせず、普通のちくま文庫と同じ装丁だが、内容は「全集」の方を引き写してきているらしい。
さて、全集は50巻。今回は30巻。
ということは、振り落とされた人がいるはずである。
根が嫌らしい私は、誰が振り落とされたのか気になり、調べてみた。
結果:振り落とされた人。
正岡子規、寺田寅彦、島崎藤村、中勘助、石川啄木、荻原朔太郎、夢野久作、岡本かの子、白井喬二、佐藤春夫、金子光晴、大仏次郎、石川淳、海音寺潮五郎、中野重治、堀辰雄、木山捷平、長谷川四郎、大岡昇平、武田泰淳、梅崎春生、島尾敏雄、福永武彦。
数える人はいないと思うので、数えた結果を書くが、上は23人である。
ということは、単純に20人振り落としたわけではないようだ。
では誰か新たに食い込んだのであろうか。それは次のとおりである。
結果:食い込んできた人
幸田文、宮本常一、折口信夫。
誰がはいり続けているのかはいちいち書かないが(版元のサイト参照)、幸田露伴はそのなかに含まれているのである。全体の巻数が絞られたのにかかわらず、父娘ではいる幸田家。さすがである。読んだことないけど。
振り落とされた人のリストでは、個人的には夢野久作が惜しい。私は買ってあったからいいけど。
まだ買っていないという点で言えば、寺田寅彦、佐藤春夫あたりはこの全集で軽く当たりをつけようかと思っていたこともあり、惜しい。
郵便受けに書籍のようなものが届いていた。送り主はNHK出版であった。
何だこれ? と思い部屋に持ち帰る。
先月のスペイン語講座のテキストの5名さまにプレゼント企画の抽選に当たったらしい。
すっかり忘れていた。
恩田陸さんの文が収められているということで、万一当たったら儲けものという気持ちで応募しておいたのだが、本当に当たったらしい。
しかし、ネットに掲載中の恩田さんの紀行文は、今ひとつそそらなかったりしたこともあって、すっかり忘れていたのであった。
本人の思い入れとは裏腹に、西語関係はツイているのかも知れない。
白水社の本では図書カードもらったし、西語検定は一応受かったし、今度はNHK出版である。西語は、忘れてもいいやくらいのつもりでしか取り組んでいないのだけどなあ。
ちなみに、思い入れ度はこんな感じだと思われる。
仏・伊・独>英>葡・西
建物の上から、下に駐車してある車を見下ろすと、妙に細長く感じるかも知れない。
つまり、車って、思っているよりも前後の長さの比率が大きいということなのである。
あるとき、社宅のベランダから下に停まっている車を見てこのことに気づいたのだけど、どうしてそう思うのかの謎を解いてくれたのが、『田宮模型の仕事』(田宮俊作著)であった。
日本一、否、世界に誇る模型メーカーであるこの会社の創業者が書いた本である。ビジネスにおける成功した経営者の自慢ストーリーなのであるが、やはり個性的な経営者の話は、本田宗一郎とかビル・ゲイツとか、鼻に障っても、面白いものである(読んだことないけど)。しかし田宮模型のこの本は、ビジネス成功譚などではなく、どんな模型をどうやって作るかという、模型についての滅法面白い話が満載されたものである。
で、そこに書いてあったことなのだが、車のプラモデルを作るとき、実寸どおりの縮尺にすると、車が人々が思っているよりも細長く見えてしまうので、少し幅を広げた(全長を縮めた)ディメンションにしたということである。人は普段は地上1~1.5mくらいの目線から車を見ているので、長さをそんなに感じていないということなのであった。なるほどと思うとともに、子供のころ親しんだ車のプラモデルは、縮尺がディフォルメされてそれっぽく見えるようにされていたことを明かされ、驚いたのであった。
ハリー・ポッター最終巻ようやく読み終わる。
通院。プロジェクト始動か? とりあえず話を聞く。
検査なんぞもしてみる。呼吸機能の検査では、再トライを求められちょっとがっかり。
子供と帰るとき、ピン留めを買おうと探したのだが、見つからず、途中にワゴンセールしていた「えにっき帳」を欲しがったので、買って帰る。
子供は、言われたわけではないのに、ときどき「にっき」を書いていたのである。メモに使っているA6大に切った譜面コピーの裏紙に書いたりしている。
ひとつ、本人に無断だが、引き写してみよう。
2007.7/19 にっき. のぐちあいね
おかあさんがかえってこない.
の口あい音
FSCというものがある。
私がその存在を知った当初は、それが果たしてポピュラリティを獲得できるかはなはだ怪しいと思ったのだが、それはまったく私の浅はかさであった。
ようやく入手したHarry Potterの最新刊(にして最終巻)には、ついにFSCのマークが付けられているではないか。前はそんなのなかったのに。
中世から近世にかけて、ヨーロッパでは何か病気があるとすぐ「瀉血」する描写が出てくる。高名な作曲家の履歴を見ても、みんな瀉血されている。
血を抜くというのは、患者の血液の中に病気があるのでそれを抜くという考えからだそうだ。しかし、長い間ずっとそう考えられ瀉血という方法が採られてきたというのは、どのような感覚によるものだろうか?
効果があると思われたからこそ、広範に瀉血という「治療」が行われてきたと考えられるのだが、効果はあったのだろうか?
これが瀉血の描写を見るたびに疑問に思うことなのである。
喉が痛くなる。ピンチ。うがいをして寝る。治る。セーフ。
ちょっと外を長く歩いてみる。道の様子がずいぶんと変っている。
チャイコフスキーの小伝を舊字體の岩波靑版で読む。
某バストロの名手には及びもつかない私だが、私もT大オケにいたくせに(?)チャイコフスキーの交響曲はその後も含めて一つも吹いたことがない。ブラームスは20代とはいかなかったが33歳の時に制覇(というのはおこがましい言い様だが)させていただいた。ベートーヴェンはその10年くらい前に制覇してたかも。3曲しかないけど。
それは措いておいて、チャイコフスキーって何となくもっと昔の人かと思っていたことに気づく。生まれは1840年というから日本だと江戸時代ではあるのだが、例えばW大学の祖である大隈重信(1838年生)より若いのだ。
我ながら驚いたのだが、《悲愴》の初演と《春の祭典》の初演との間がわずかに20年しか離れていないことに気づいたのである。イメージ的に悲愴も含めてチャイコフスキーの曲はもっと「前」の時代と思い込んでいた。今さら何を莫迦なこと言ってるのかと思われようが、チャイコフスキーのシンフォニーをやったことないもんで。許して。
ボランティアの組織によるものだと思われるが、病院の一角でささやかな貸本コーナーが隔日で開かれる。
密かに探していた『なんて素敵にジャパネスク』シリーズがそこに一揃いあるのを発見。今週一気に読んだ。マンガ化された方でなく原作のコバルト文庫。15年くらい前までは街の小さい本屋さんでもどこでも置いてあったのに、最近はとんと見つからないのであった。
まあ、四十にならんとしている男(まだ30代だが)が、なしてまたそんなもんをと思われようが、20代のころから気になっていたのに何となく気恥ずかしくて読み損ねていたわけである。
ライト・ノヴェルはやはり速く読める。さすがライト。何時からこういうジャンル名が使われてるんだっけ? 別にけなしているわけではないので。ライトに書くというのはかなりの技が要る。池波正太郎だって同じくらい速く読める。一文を短くして全部改行すれば、取りあえず速く読める文章になろう。それが読みやすいかどうかについては力量の問題だけど。
それにしてもそのころ文庫本は安かったのね。現在は倍とは言わないが8割増しくらいになってないか?
ちなみに紙の価格はそう変わってないはずだ。むしろ下がっているかも知れん。
従姉妹のN子ちゃんがY子ちゃんと来てくれる。

病棟からの眺めシリーズ(7)
窓。
私の外界の時間は大晦日で止まっているんである。なにしろ元旦から発熱してくたばって3日間寝込み、その後病院に来てそのまま入院となり今日に至っている。外に出たのは病院までの15分の車中だけ。最初はベッド回りしか動けなかったから時間の感覚はどんどん失われていくのだった。
しかも、この暖冬。外の景色はほとんど変わらない。一月半の間に雪景色になったのは1回だけではなかろうか。雨も降らず極めて変化に乏しい。窓からの景色もずっとこんな感じだ。飽きる。
やっつけてる源氏物語中では、季節描写が濃厚で天候もさまざま。現実世界とのギャップに目眩く。
ようやく雲隠(なのに60頁も本文がある)までいった。あとはおまけ?
堀江被告は数ヶ月の拘置所生活で300冊の本を読んだというし、ヴァン・ダインは2年間の療養生活中に2000冊の推理小説を読んだという。どちらもペースとしては1日3冊くらい読まないと追いつかない計算になる。
今の私のダメ人間生活ならそれが可能かというと、とてもじゃないが出来ない。どんなにペースを上げても1日1冊がマキシマムである。
単純に読む速度が遅いのに加えて、情報処理のキャパが1日1冊がせいぜいだ。2冊3冊読んだとしても、先に読んだものの印象が処理しきれずに消えていってしまう。
学生の頃は講義にも出ずに部屋に寝っ転がって日に文庫本の2冊でも3冊でも読んでいたような気がするが、やはり情報処理能力が落ちているのかも。もっとも、例えば大藪春彦をまとめて何冊も読むというようなものだから、スピードだけなら今でも可能そうだが、おそらく飽きてしまって1日何冊も読めないんだろうな。とすると、衰えたのは情報処理能力だけでなく、探求心とか好奇心とか集中力なのか。うう‥悲しい。
この入院は思ったより脱出まで日がかかりそうなので、司馬遼太郎の長いのを2つばかし読んだりし、現在、源氏物語をやっつけようと取りかかっている。もっとも私には原文で読む能力はないので、谷崎あたりで現代語訳を読もうと思っていたのだが、実家には橋本治(1991)しかないとのことでこれを読んでいる。全14巻らしい。
何とも生産性ゼロで大消費一方の昨今であることよ。
トランペットってやっぱりポピュラーな楽器なのだと思う。
このような本を発見。監修が何とK村G三先生だ!
自由現代社という出版社のこのシリーズは、ギターやキーボードやDTMの教則本がメインのようである。でも同列にトランペットは並べられるのである。ポピュラーだ。
しかも、同じような作りの音友の「うまくなろう」シリーズのトロンボーンの巻の著者がO田桐H之氏なのに対し、それ以上のビッグネームのK村G三氏だ!(って言ったら、O田桐さんに怒られるか? 歳の差から大丈夫であろう)。
でも、監修って何をしたんだろう。パラパラと見た限りでは、少なくとも文章はライターの人が書いているとしか思えないし。
音友とかの本とは違う若者口調での書き下し文だった。
最後に譜例がいくつか載っているのだけど、「編曲:K村G三」のクレジットが。しかし、メロディーを記しているだけだし、編曲って言うのか何て言うのか。ヴォランタリーはBdurだし(たぶん in Bb 譜だと思う)。
まあ、気にしないでおこう。自分が買ったわけではない。
と、改めてサイト上の目次を見返してみると、意外とまともかも知れないと思いだした。
金融工学によると、インサイダー情報がない限り、ファンドがべらぼうな運用益を上げることはできないらしい。小さい金額で短期的になら博打のごとき一発勝負で何倍にもなることもあるのだろうが、継続的にべらぼうな運用益を上げ続けるのは無理らしい。
いかん、発熱してきた。
入院当初は状態が悪いので、鎖骨の下の静脈にIVHを入れられて、トイレとの戦い以外は何も出来ずに過ごすのだが、数日してステロイドが効いて落ち着いてくると、とっても暇になる。食事が出来ればまだ生活にリズムが出てくるのだが、最初のうちは腸に刺激を与えないよう高カロリー輸液の点滴だけで生きながらえているわけだ。昨年の入院では3週間、今回の入院でも2週間の絶食期間があった。
それはさておき、手術をするわけでもないので、入院生活は基本的に暇である。そのための暇つぶしをいろいろ考えることは別項に記したが、読書も進むものである。
読み終えた本のひとつに、アンソニー・ベインズ著(福井一訳)『金管楽器とその歴史』がある。いろいろと面白い記述があり、詳しくは別に書いているが、ひとつ挙げてみる。
「ヴァルヴトロンボーンの存在意義は、狭いオケピットで便利というところにある」
音楽的機動性ではないらしい。
別の何かの本では、軍楽で騎乗での演奏に便利だからというのを見たような記憶もあるのだが、定かではない。
しかし、狭いところでスライドは不便なのでヴァルヴトロンボーンが使われるとというのは、なるほどと思う。何故ヴェルディなどのオペラのトロンボーンはヴァルヴだったのか、よく判る。
あくまで音楽的要求(低い金管楽器の音による素早いパッセージが欲しい、というような)ではないところが笑う。しかし本当なのか?