信濃の風景

2009年1月16日 (金曜日)

みすずかる信濃の空は広くして

これは私が出た小学校の校歌のサビの部分の歌詞である。
学制によってできた小学校で、私が入学した年に百周年の記念式典が催されたくらい古く、その校歌も文語調で小学生の分際にはよく分からない言葉が羅列されているのだった。

さて、冒頭の「みすずかる」であるが、これは古文で習うところの枕詞である。
枕詞とは、要するに、この言葉はこの言葉の修飾語として使うものだぞよ、という決まり事であろう。だから「たらちねの」とくれば「母」と続くし、「ちはやぶる」とくれば「神」と自動的に続く。
「みすずかる」は「信濃」にかかる。もちろん現役小学生でこの校歌を歌っていたときにはそんなことは露知らず、枕詞だと気づいたのはだいぶ後になってからのことである(百人一首にこの枕詞を使った和歌があったら、分かったかも知れないが、ない)。

2009年1月 8日 (木曜日)

ごく一部にしか分からないであろうための記録。

奥のほうから、エベレスト、樹氷の家、みはらや、ベルガヒュッテ、白樺ヒュッテ、中倉ヒュッテ、ふじか荘。

下から見上げて、右手に第2、左手に第1と後に第3。第2が一番上まで行って、そこから林のなかを右手に突っ切っると比較的なだらかなファミリーゲレンデの上部に出る。第2からそのまま下ると最も急な「林間コース?」

記憶では、1975か76年当時、「ロープ」が稼動していた。

2009年1月現在、リフトは一部支柱を除いて完全に撤去されていた。
天然のハープパイプのごとき「林間コース」には細いながらも新しい木立が育ち始めていて、そのままではゲレンデとしての使用は不可能っぽかった。
特徴的な「トロイカ」のみが運行している(記憶では定かでないのだが、これは一番昔からあったそうだ)。

冒頭記したなかでも、営業しているのは半分ほどであろう。一番よく行ったエベレストももう閉められているようだ。

最後に検索キーワードのためのテキストを置いておく。山田温泉スキー場。

2009年1月 2日 (金曜日)

うちの子は都会っ子だなぁ…と思うことがあった。

首都圏においてC葉市が都会かどうかは議論のあるところだろうが、私の実家の辺りからすると、C葉市に住んでいるのは都会っ子なのである。

年末年始に、病院で当直をしながら年を越す奥さんを独り残して、子供と帰省した。
翌朝うっすらと雪が積もっていた。積雪1cmほど、日が射せばあっという間に溶けてしまうくらい。

それでも子供はきゃっきゃと大喜びをする。

(これが都会っ子だと改めて思った点では、まだない)

朝ごはんも早々に、子供は一人庭に飛び出していった。
手袋も帽子もせずに行ったので、中から渡してやる。子供は一人雪で遊んでいた。

気がつくと、子供は雪玉をまるめて地面をコロコロ転がしている。
うっすらとしか積もっていないので、雪玉はなかなか大きくならない。
子供は庭の雪を一片も残さないかの勢いで、根気よく雪玉を転がし、積もった雪を貼り付けていく。

そして、確かに、小ぶりながら、雪だるまは完成した。
20071231_yukidaruma

弟も雪だるまを見て驚いていた。
「あれ? どうやって作ったんだ?」

私(たち)が驚いたのは、根性入れて雪だるまを作り上げたことではなく、そもそもあれくらいしか雪が降っていないときに、雪だるまを作ろうなどと発想したことに対してなのである。
たぶん、この辺の人たちなら雪だるまを作ることを頭に浮かべもしない積雪1cm。

何cm積もれば雪だるまを作ろうと思うかというと難しいが、10cmくらいからではなかろうか。
カマクラを作ろうと思うには、50cmは必要であろう。

うちの子は都会っ子だなあ、と思った所以である。

2008年10月15日 (水曜日)

ブランドに関する一考察。

蕎麦どころ信州などと言われるが、蕎麦粉の生産量が最も多いのはどこだかご存じだろうか?

答えは、北海道である。

まあ、米の生産量が一番多いのも、米どころ新潟秋田山形などをさしおいて北海道であるから、これはそうおかしなことではない。なにしろ、広さが違う。
とはいえ、日本の蕎麦の生産量の半分近くを北海道が占める。

しかし、蕎麦粉生産量第2位に長野県が続くかというと、これが違う。

茨城県らしい。

もっとも日本全国合わせても、他の食料同様、蕎麦の自給率もそう高いものではなく、だいたい20%弱といったところのようだ。

それから考えると、国内の蕎麦のうち、信州産の蕎麦は、2%にも満たないのであった。
にもかかわらず、世の中の蕎麦屋で、「信州」だとか「更科」だとか謳っているものは多かろう。

どこまで商標登録なりしているのか調べてもいないけど。

2008年10月 4日 (土曜日)

法事のため移動。
最近は子供まで私の嫌いなキャスターつきバッグをガラガラ引いているのか。嘆かわしい。

電車の吊り革の、とある使い方を目撃。

弓道の弓を立てておくホルダーというかスタンドに使う。このようにしておくと、手で支えておかずとも、弓がそのまま立っている。
ただ、同じ車輛に乗り合わせた弓道部員のグループのうちで、吊り革に弓を差し込んでいたのは、一つの高校だけであった。
ほかのグループのうち、ひとつは網棚の上に横たわらせ、もうひとつは普通に立てかけて手で押さえていた。

さて、吊り革に差し込むという技を見せた人たちのジャージの背には、S坂高校の文字が……

うむむ。

2008年8月25日 (月曜日)


お墓参り。

その隣りの観光地も訪なう。
長野に生まれて41年、初めて真暗闇のお戒壇めぐりにもぐる。
漆黒の完全に視界を封じた空間を手探りで歩かすそれは、一種のアトラクションなのであろうな。

そののち、中華にチャレンジ。

2008年4月19日 (土曜日)

私は長野市で生まれた。生家は祖父母の家(当時)で、最寄りの駅は善光寺下という所である。

その名の通り、善光寺の下の方にある。

善光寺は、長野駅からすると斜めに延びる長い門前町を緩やかに上がった先にある。立派な山門を潜った先に本堂が鎮座まします。京都あたりの寺と違って、拝観料はないので、境内には出入り自由である。

善光寺の横から、いささか急な坂道になっている方を降りると、そこが善光寺下駅(長野電鉄線)である。
だから、生家から善光寺に行くのは、ちょっと裏山に登るという感じだった。

来週、その善光寺から聖火リレーがされる予定だった。

世界各地でチベット問題に関して中国政府に対する抗議の目的から聖火リレーが妨害されたりしたため、長野でもコースの見直しなどが迫られているようだ。

しかし、聖火リレーの妨害や厳重な警戒の様子の報道を見ていると、思い起こす言葉がある。

荒らしは放置。

当局が厳重な警戒体制を敷いたり、コース変更や時間を非公開にしたりという対応を取れば取るほど、抗議側(本来のチベット政策に対する抗議を主意にしている人の割合がどれほどかということは措いておく)は行動を激しくしていくのは、ある意味当たり前である。そしてそれが世界各地で報道されるとなれば、嫌がおうでもエスカレートするだろう。

妨害されたら、そこで終わればいいじゃん。

そうすれば、妨害側が悪者になるだろう。

「○○国××市での聖火リレーは、妨害にあって途中で消えてしまったので、中止となりました」

で、当局はしらっとした対応をしていたのなら、そんなにヒートアップせずにいたと思う。報道だって、絵にならなければそうそう流さない。

抗議する方は上手い時期に上手いところに目をつけたものである。
来年になっていたら、こんなに報道されることはなかっただろう。

オリンピックはスポーツの祭典というのは嘘っぱちで、政治的プロパガンダを繰り広げる場なのである。
その証拠に、国別対抗戦になっている。チーム競技など、わざわざ国別に組み合わせることもないと思うのだが、それを疑う人はあまりいない。「がんばれ日本」と応援し、日本人選手がメダルを取ると喜ぶ人たちは、オリンピックを政治の場としている。別にそれを否定するものでもないし、私自身もそういう「愛国心」がないわけではない。

以前よりもオリンピックの政治化は進んでいるようで、チベット問題に関して、各国首脳が開会式に出席する/しないが取りざたされているようだが、選手の参加をボイコットするというところは今のところないようだ。

オリンピックをボイコットという話になると、「それを目標にやってきた選手がかわいそう」という意見が必ず出されるが、前述したようにオリンピックは政治の場なので、そういう可能性は必ずある。そして「日の丸を背負っているので負けられません」などとコメントする選手がいたとしたら、その人はボイコットという事態になったとしても甘んじるべきである。何故なら、自らオリンピックを政治化していると言えるのだから(ただ、ボイコットする目的、ボイコットという手段が効果的かどうかについて批判することはできよう)。

しかし、昨今はオリンピックをボイコットすると決めたら、その方が国内での世論の反動が大きくなるという判断であろう、今回も選手団をボイコットすると言う人はいないようだ。

オリンピックでも、開会式は特に政治的色彩が強い。サルコジさんがいなかろうが、ブッシュさんがいなかろうが、競技には何の関係もないが、それが重用視されるのは政治的意味合いが極めて大きいからである。

そもそも、開会式は選手が国別に入場することからして政治的である。
人類がその限界を競い合うというのならば、各競技別に入場すればいいのに。
そうすれば世界の人たちは、それぞれの分野でのトップの人たちを見て、気力を高めることができる。
「最初に陸上、短距離走の人たちです。世界で一番速く走るのはこの人たちです」
「次も陸上、高飛びの選手団です。世界で最も高く飛ぶのはこの人たちです」
「重量挙げ。最もマッチョな人たち」
 …
その後のスケジュールも同じ人たちだから、効率もいいのではなかろうか。

でもそうはならずに、国別に入場し、その映像が世界各国で視聴されるのは、オリンピックが政治的プロパガンダの場であるからだと思う。

東京にまたオリンピックを招致しようと音頭を取っているのは、ほら政治家ではないか。

話は戻って長野での聖火リレーだが、入学早々子供の学校の運動会なので、見に行けない(運動会でなくても別に見に行かないけど)。

2008年4月15日 (火曜日)

松本城は烏城と呼ばれる名刹である。
烏という俗称の通り、外観は黒い。それはそうとして、このお城は小っちゃいのではなかろうか、と最近思う。
姫路城、熊本城、彦根城などと比べて、小っちゃいような気がする。これらの城の印象は、とにかくまず、観光で訪れた者を圧倒的に威圧する石垣である。これは、後から再建された大阪城なんかでもそうである。

しかし、松本城にはそのイメージがない。小っちゃいお城が、堀のなかにポツンと建っている印象だ。

2008年1月 3日 (木曜日)


今まで上ったステージで最も印象的なものの一つは、ある養護学校で冬にブラスアンサンブルをやったときの「雪のステージ」である。

それは高校生のときであった。どのような経緯だったのか定かでないが、冬に地元の養護学校の催し物があって、そこでブラスアンサンブルの演奏をすることになった。もしかしたら、木管のアンサンブルなども一緒に行ったかも知れない。

庭にパイプ椅子が並べられ、その向かい側に雪でステージがしつらえてあった。考えるとかなりの量の雪である。今では確かめようがないが、高さは1mくらいあったし、広さは8重奏か10重奏かが座って乗れるくらいはあったと記憶している。北の方の豪雪地帯だったと思う。
何をやったか解らないが、何となくクラーケンはやった気がする。
雪がちらつくなか、雪のステージに上って我々はラッパを吹いたのであった(そう考えると、サックスならともかくクラリネットとかは厳しいか)。

ステージは養護学校の人たちの手作りだったらしい。なかなか素敵な舞台だった。

演奏のことだけ考えると、屋外、それも冬にというのは、悪条件極まるわけだが、若さは寒さをものともしなかったのだろう。

もう一度、このような雪の屋外でやるのも悪くないかも知れない。

2007年12月30日 (日曜日)

20071230_ohaduke これは「お葉漬け」である。

標準語的には、野沢菜漬けと呼ばれる。
お葉漬けと言いながら、主に食すのは茎の部分であると昔から思ってきた。せいぜい葉は1/3くらいである。
ただ、そう見えるのは漬け上がった姿であって、漬ける前の野沢菜というものは、旺盛に葉を拡げて生えているのであろう。でもやっぱり食べるのは茎だ。ちなみに、写真左の白っぽい部分も同じ漬物の一部である。普通は出回っていない根の部分(らしい。うちで漬けているわけでなくもらい物だし、私はよく知らない)。

さて、北信地方ではお葉漬けはドドンと山盛り出す。嗚呼かなり塩辛いものをこんなパクパク食べて塩分の取り過ぎは大丈夫か?とも思うのだが、平均寿命男性日本一は長野県、いいことにしよう。

このように冬になると北信地方ではお葉漬けを山盛り出すわけだが、青森に行って驚いたのは、ナマコを丼一杯出されたことである。ナコではなく、ナコ。それも一人一丼。いや、ご馳走になったそのお宅だけなのかも知れないけど。いやはや何とも豪勢な。

2007年12月23日 (日曜日)

私の育った須坂市には、中学校が4つある。私立などもちろんないし、電車で2駅か3駅行けば附属中学があったのだけれど、そこへ行く人は周囲にはいなかった。全須坂市の中学生は、この4つの学校のどれかに通うのであった。
須坂市の面積は、約145k㎡。その半分以上が山岳地帯とは言え、菅平でホテルをやっている人の子供とかもいるわけで(多分)、この4つの中学でカバーするのであるから、1校当たり36k㎡。縦6km、横6kmの四角に相当する。四角の真ん中に中学があるとすると、遠い人のところからは3km。これは、私の通学時間の徒歩30分と相応する。私の家は、市の境界部、千曲川の川沿いの地区なのである。

一方、現在住んでいるところ(C葉市I区)の通学区の中学は、うちからだいたい2kmくらいの距離にある。
I区の面積は、21k㎡。中学校は7つあるらしい。私立はないが、C葉大があるのでその附属中学がある。
1校当たりカバーする面積は、3k㎡。1.7km×1.7kmくらい。すると、一番遠い人でも、学校までは1kmなくて然るべきである。しかし、上述の通り、通学区の中学はその倍以上も遠い。
実は、最寄りの中学校は別にあって、それは数百メートルの近さなのだが、国道を隔てた隣の区なのである。
そう思って地図をよくよく見てみると、附属や隣の区も含めれば、通学区の中学より近い中学は4つもあるのであった。

2007年2月 4日 (日曜日)


病棟からの眺めシリーズ(5)
北アルプスの山々とその手前は長野市街。

じいじ(義父)がわざわざ見舞いに来てくれる。かたじけなし。

子供と一緒に院内を探検。だが子供は図書コーナーで見つけた『コボちゃん』に釘づけ。結局全部読むまで気が済まないのであった。

妻子の弁当は本日はおにぎり。一つもらう。食欲はステロイドの作用で旺盛。お腹もこれだけステロイドを入れているとほぼ最良の状態である。

子供、帰り際不機嫌になる。父(私)と離れがたいのか?
じいじ、妻と共に親子孫の3代で帰千。

FMでN響ほかの人たちからなるトーキョー・ブラス・シンフォニーの演奏を聞く。トロンボーンはまんまジパング。
NHKは時折こういう番組をやる。ずっと昔に、日本人オールキャストによるブラスの祭典みたいな番組があったのを思い出した。今日のの感想と併せてそのうち書くかも。

2007年2月 3日 (土曜日)


久々、病棟からの眺めシリーズ(4)
須坂市。
例によってよく分からない画像だが、手前に見える住宅群はまだ長野市である。その向こうに川が流れていて(千曲川―県境を越えると信濃川と名を変える)、それを渡った先が須坂市になる。
臥竜山が写っているので、あるいはうちの高校も見えるのかも知れない。
それにしても平成大合併の昨今、よく合併せずにそのままいるよなぁと思わされるくらい近しい範囲にいくつかの市町村が並んでいるのがこの病棟の窓から一望できる。もちろん私はここの住人でないので、合併に関して可も不可もないのだけど。

甘酒開封。とても旨い。
またまた妻子来てくれたので、みんなで飲む。
ちょっと子供には濃いか。明日は水割りにしてみよう。

体重増加がこの数日頭打ち。地道に筋トレしていくしかないか。現在BMI=16.6(身長は1.85m)。

2007年1月31日 (水曜日)


この辺の人が新聞を読むといったら、それは信毎である。信毎、信濃毎日新聞。けっして毎日新聞の長野県版ではない。れっきとした地元の地方紙である。
病院でもみんなこればかり読んでいる。あとはスポーツ新聞。売店ではほかの全国紙も売っているのだが、読んでいる人をぜんぜん見かけない。
内容はある意味長野県本位にできている。誇張して言うと、世界は長野県を中心に回っているかのような作りだ。つまり記事の軽重が長野県優先なのである。といってそれなりの総合紙なので1面トップは全国紙と変わらないことが多いのだが、一通り目を通すと政治、経済、社会の各面にわたって国の(東京中心の)記事は一回り遠く配置されていることが判る。長野との関わりが強い場合のみ大きく扱われる。

逆に言えば、長野県に住んでいてこんな便利な新聞はない。全国紙に地方面が1〜2頁挟まれる程度ではとても追いつかないのである。
信毎さえ読んでいればこの地において日本人で長野県民として不自由なく暮らしていける。わざわざ全国紙を読んで広範囲の情勢を確かめなくても、信毎は長野県的に咀嚼しておいてくれている。しかも地元で欠くべからざる身近な話題はばっちり押さえてある。長野県内の学校の情報なんて、これは信毎の独壇場だ。

↑ちょっとナショナリズムに走って大袈裟だったかな。実際は全国紙に比べて読むところが少ないといえば少なく感じる。

八戸ではデーリー東北だったなあ。信毎よりもう少し薄っぺらい感じだったし、それだけではちょっと足りない感じだった。あくまで地元の情報を得るための新聞という感じ。

千葉にも確か千葉日報というのがあって、駅でも売っていると思うのだが、読んでいる人はほんの珠にしか見かけない。首都圏ということなのだろう。

2006年10月21日 (土曜日)

実家へ行きがてらこれこれを見てみたかったのだが、この体調では無理である。

某高校の先輩がゲスト出演するというからだけではない。
実は、この方々は私にとってのブラスアンサンブルの原点的存在であるのだ。ディスク(LP)や放送(FM)ではいくつかあったわけだが、ブラスアンサンブルの生音で圧倒されたというのは、この方々が私にとって最初であった。そう、某SVBEより早いのであった。

HPを見て改めて知ったが、第1回演奏会をやった時には、既に私は東京に出て来ていたようだ。しかし、その以前、彼らの演奏はいろいろなところで耳にしていた。第1回の演奏会を開く前にも、随所で活躍していたのである。1980年代前半のこと。
探せば出てくると思うのだが、私の手許には彼らの録音もある。
生ピッコロトランペットを初めて見聞したのも彼らの演奏によると思った。たしかK井先生(高校の教諭なのである)。

地元ブラスアンサンブル小僧の憧れの団体、それがアンサンブル・シュムックであった。

2006年9月 1日 (金曜日)

私の実家のある須坂市というのは、長野市の東隣りに位置するのだが、この須坂市の東側の境界線は県境とも重なっている。そしてこの県境線は奥深い山の中を走っている。
つまり、須坂市というのは、東側一帯にすべて山がそびえ立っている。と言うか、典型的な扇状地なので、東側に向かってひたすら標高が上がっていくのだ。一番標高が低いところ(私の実家もその辺り)は330mなのだが(それでも十分高い)、そこから市境=県境にある山々は何と2000m級。たいして広くもない市でこの標高差。

本当にたいして広くもないのである。縦十数キロ×横十数キロくらい。県境まではわずか十数キロなれど、2000mの壁は高い。
小さい頃から地図を見ているが、この壁を直接乗り越えて県境を抜けられる道がないのだ。須坂市から境を接する嬬恋村に行くためには、北東の高山村もしくは南の真田町(現上田市真田)を迂回しなければならない。
須坂市内から何本かの道が東の山へ向かって伸びているのだが、途中で消えてしまうのである。

さて、その県境の先には何があるかと言うと、当たり前だが群馬県である。
群馬県嬬恋村。高原野菜の産地として著名だ。

そして、この「つまごい」という響き、中学高校の頃はポプコンの会場として、時折ラジオから流れてくるのであった。いわゆるニューミュージック全盛の頃である。

で、私はつい最近まで、夏にポプコンが行われていたのは、お隣の嬬恋村と信じて疑わなかった。レタス畑のなかに特設野外ステージが設けられ、そこに大勢の観客が詰めかけているものと思っていたのである。山の向こうには、若きバンドの登竜門がある。そう信じていたのであった。

この誤解を長引かせたのは、私が東京に出て来てほどなくしてポプコンが終わったからであろう。本当につい最近まで、お隣の嬬恋村はニューミュージックのメッカだと思い込んでいた。

違うのね。ヤ○ハだもんね。静岡県だよね。

2006年8月 9日 (水曜日)

反応系その3。

昨日何か忘れたと思っていたら、スーパーピアノレッスン見るの忘れてた。

と思いきや、甲子園の試合が延びて、放映は先送りになったらしい。
松代高校は延長戦になっていたらしいし、第4試合はC葉県代表校の試合ではないか。
世の中には怒髪天をつく方もいらっしゃったはずなので、ここはC葉県民を代表して謝っておこう。って、ぜんぜん見てもいないんだけど。
ちなみにこのC葉代表の高校は、私の今住む市の同じ区にあるらしい。場所的にも自転車で15分くらいではなかろうか。つまりまったくもって地元の高校なのである。
しかし・・・・、ぜんぜん盛り上がっているようには感じられないのであった。これが長野の田舎だったら、商店街を挙げて応援の幟を立てたり盛り上がっていると思われるのだが。
まあ、どうでもいいんだけど。負けちゃったみたいだし。
ただ、高校野球というと、楽器を吹いて応援をした日々が懐かしく思い出されるのではあった。

2006年8月 8日 (火曜日)

通院。石を提出。
破片でなく、そのまま固まりで出たことに驚かれる。「痛かったでしょう」
痛くないことはなかったのだが、思ったほど痛くなかったのではある。出た後、こんな大きいのか!?と絶句した。

消化器も受診。血液検査。CRP=0.2。久々に正常なCRPを見たと言われる。
帰宅後よく見たら、肝臓関係悪化。やはりステロイド服用だと影響が出る。

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ところで最近ほとんど興味がないので知らなかったのだが、病院のロビーで流れていたTVをふと見ると、甲子園に出場している長野県代表は何と松代高校ではないか。
うちに近いというくらいで、あと、弟の奥さんの実家が松代というくらいで、特に縁があるわけではないが、「ほぅ、そうかぁ、松代高校が甲子園に出る時代になったんだ」という一種の感慨があった。
こう言っては失礼だが、何と言うことのない地元の普通の高校である。松代高校が出るなら、我が須坂高校が出る日が来ても不思議ではない、という感じだ。
ただ、松代は真田の殿様が上田から移封されたところであり、昭和40年代には松代群発地震が発生したところである。また、終戦間際、ここに大防空壕を掘り大本営を移して本土決戦に備えるという動きもなされたところでもあり、須坂よりは何かとネームバリューがある地だ。とは言え、現地は鄙びた山国の小さな町ではある。

しかし、NHKのアナウンサーの言う「マツシロ」、イントネーションが違うように聞こえる。

そう言えば、私の名前も、こちら(関東)の人は違うイントネーションで発音することが多い。ピストンの人なんて、みんな違うイントネーションで私の名字を呼んでいる(笑)。

つまり、私はグチというのだが、けっこう皆さん、と呼ぶのである。まぁいいけど、東京に出てきたばかりの頃は違和感があった。