病気の真相

2009年10月29日 (木曜日)

だるい。

下痢の状態なのは変わらないのだが、その程度が今週はじめころから悪化し、久々に便意スイッチの周りが荒れたようだ。

回数も増え、ちょっとUC再燃期の気分を思い出した。
決定的に違うのは、「お腹が痛い」というのは今ではもうなく、便意はお尻に感じ、痛いのはお尻ということである。

こんな感じの時期がときどきやってくるのである。

便意(お尻)→ぐっと我慢→ぐるぐるとお腹が鳴る(たぶんJパウチが動く)→すうっと便意が引く

なお、UCが酷くなるとこの第2段階が我慢できなくなる。

ちなみに現在発熱はない。

2009年10月26日 (月曜日)

UCは(まだ)特定疾患であり、特定疾患医療受給者票をもらうと、医療費の免除(正確には所得に応じた限度額以上の医療費の自己負担の免除)を受けることができる。
受給者票の期限は1年で、毎年10月1日から翌年9月30日となっている。
例年、8月末までに医療機関の証明書や所得に関する書類を集めて、これを提出すると、9月の終わりころ新しい受給者票が送られてくるのが常であった。

今年は様相が変わり、いつもの書類を集めて送ったら、数日して手紙がやってきた。

特定疾患の継続の書類をおあずかりしました。今回の更新より、制度改正に伴い、保険者への適用区分の確認が必要となった為、大変申し訳ございませんが、現在お持ちの受給者票の有効期限(平成20年9月30日)までに、新しい受給者票をお届けする事が出来なくなってしまいました。10月1日以降、受給者票が届くまでの間に、受診あるいは調剤されてお支払いいただいた、対象疾患に関する保険診療分の医療費につきましては、差額を保健所へご請求いただけますので、必ず領収証(レシート)を保管しておいて下さい。療養費の申請書等は、受給者票と一緒にお送りいたします。

なんだか分からないが、受給者票の発行が遅くなるらしい。

たしかに10月にはいっても受給者票は送られて来ず、その間1回UCの受診があり、いつもよりはその時点での出費がかさみ、数日して新しい受給者票とともに、手紙が送られてきた。

日ごろより、特定疾患治療研究事業につきましては、御理解・御協力をいただき感謝申し上げます。
別添のとおり受給者票を送付致します。
受給者票の送付が大変遅れましたことをお詫び申し上げます。

そして、10月1日以降受給者票が届く前に受診した分の費用がある場合には、同封の書類で申請することを要請していた。

問題はその申請に必要な書類である。20091022_tokutei_3  

領収書(レシート)、送金依頼書は仕方ないだろう。振込口座の通帳のコピーも、癪ではあるが、このご時勢だから確認のために許そう。健康の保険証のコピーの誤植と思しきも許そう。

釈然としないのは、特定疾患療養費申請書である。
これには、医療機関に書いてもらう部分がある。
医療機関によって異なるが、発行する証明書に1通数千円の費用がかかることが多い。
UCの受給者票の更新のための書類についても、この費用をかけて取得しているのである。
指定されたとおりの期限までに提出しているのにかかわらず、一方的に発行が遅れるといってきて、おまけにその間に立て替た分を返してもらうためには、さらに1枚の書類を書いてもらわなければならないのである。この書類、費用だけでなく手間もかかる。

医療機関の証明を得なくてはならないのは理解はできるのよね、でないと立て替えたのが本当にその病気のための医療費なのかチェックができないから。

で、訊いてみた。

発行が遅れた期間の受診費用のための書類にかかる費用はどうすればいいのかを。

答えは、それについては規定がないのでそれは自己負担になる、とのことだった。

てめえの不手際で遅れたんだろうが! それでいてその間のフォローをする手間をこちとらにかけさせるばかりか、金までかけさせるってのか!

っていうのが素直な利用者感情ではなかろうか。

もっとも、予想された答えではある。
公平性に重きを置く観点からあまり知恵を絞らず考えるなら、普通に達する結論である。

しかし、そもそもはそちらの都合で生じた不利益である。こちらに落ち度はない(はずだ)。その費用負担をこちらに負っつけてそれでいいのか。それは公平性を欠くだろう。

行政として、というかサービス機関としてのあるべき対応は、次のようなものはなかろうか。

(1)「お手紙」にはもっと丁重に謝罪の姿勢を示す。
(2)書類の費用については、特別に予算を計上して、領収証とともに請求してくる場合には全額負担する。

前例がないからといって、(2)を怠るのは許せない。財源がないから(2)をあきらめるというのならまだ理解できる。

まあ、文句をいいたい気分ではあるのだが、電話をした先でお答えくださった担当の方の対応が本当に申し訳なさそうな様子(演技であっても可)だったので、何もいわずに引き下がってみた。

見方を変えれば、特定疾患というエコヒイキを受けている身であるから、お前なにわがままいってんだ、そのくらいいいだろ、という方々もたくさんいらっしゃるはずである。

いずれにせよ、私の感情を収めてくれたのは、電話でお答えくださった担当の方だった。最後は人である(などと、エラそうに言えた義理ではないのだが、最近なにかとそう思う)。

2009年10月23日 (金曜日)

石が出た。
今度のは、5mm径ほどの大きさ。
何だか分からないが、わが腎臓(?)は順調に結石を作り続けているらしい。

2009年7月24日 (金曜日)

病院。久々激混み、2.5hr待ち。

午後学校。子供の個人面談。

夜子供は保育園へ。合宿。

2009年4月17日 (金曜日)

ようやく治験の結果を知る。
もっとも治験といっても、本当なら全部で10回のところ、2回やったところで心筋炎のため中断してしまったものだけれど。

プラセボだったそうだ。

これで、少なくとも心筋炎がレミケードに起因するものではなかったということは分かった。

2009年3月21日 (土曜日)

外食をあまり気にせずどこででも出来るようになったのが、手術後の大きな成果である。

子供が生まれる前に、生まれたら外食が出来なくなるから今のうちに連れてってあげなさい、という同期のJ様の忠告を受けて行って以来のもんじゃ焼き屋を、一家で訪なう。ということは、7年半振り。

2009年2月16日 (月曜日)

結石が何ヵ月おきかに出る。
最近は、慣れてしまったのか、「おっ、来るな」というのが分かるようになってきた。
もっと言えば、今どの辺にあるのか、分かる気さえする。
つまり、腎臓と膀胱の間の尿管だとか、膀胱に落ちているとか、膀胱から出たとか。
ものすごく痛くなる人もいるようだが、私の場合はせいぜい腰が重いなあ、とか、背中がちょっと痛いなあ、くらいの感じである。

このたび出たのは、ちょっと大きかった。直径5mmくらい。
20090215_kesseki_2

これが直径10mmくらいになると、なかなか出ない。7万円くらいかけて、週1で10週くらい病院に通って衝撃波を当てないと出ない(前回実績)。

2008年12月31日 (水曜日)

「おなら」をするためには、完全に床に横にならなくてもよいらしい。

車のシートで思いきりリクライニングして仮眠体勢となるくらいの姿勢までいけば、おならが出来る。

普通のイスに腰かけた姿勢だと難しい。
ありがちな「極端に横柄な姿勢」、すなわち、イスに尻を置いたまま、足を机のうえに投げ出して、(葉巻なんぞを咥えている)という例のあの姿勢になれば、おならが出来るかも知れない。

だがしかし、机のうえに足を投げ出すあの姿勢(もちろん靴は履いたままだ)、実は結構腹筋に力を入れないとならないような気がする。力を入れると、おならが上手く出来ない。

かくして2008年も更けてゆく。

2008年12月30日 (火曜日)

立ったまま、あるいは座ったまま「おなら」が出来ないのである。

いきなり尾籠な話で申し訳ない。

ちょっと調子が悪いときには、これが大変に具合が悪い。
調子が悪いというのは、便のまとまりが悪いときである。大腸がないので、常に下痢の状態であることは変わらないのだが、下痢状態にもレンジがあるわけだ。お尻が荒れ気味になっているときには、便意に敏感になる。

この便意というやつ、何なんだろうね? 下腹部の圧力が高まったときに感じるものだろうか。
今の感覚だと、お尻のほうに「便意スイッチ」のような部分があって、そこに圧力がかかると、脳に便意信号が走るという感じなのである。

そこをぐっと我慢すると、やがて便意スイッチを押していた何かが去り、便意が遠のく。
便が液状に近いようなときには、ご丁寧にグルグルと音がしたりする。

健常時、おならが普通に出来るときには、おならをすることによって腹内圧力を下げ、便意を逃がしていたと思うのだが、今それをしようと思うと、仰向けに横たわらないと出来ない。

不便だ。

2008年12月25日 (木曜日)

久々に8回。
24hr÷8回=3hr/回。
ともあれ、我慢できるようになったのが楽ちんである。手術した人の多くがそう言うみたいだけど。

2008年11月13日 (木曜日)

某UCブログにあった言葉。

夜中は漏らしてもい~んです!

けだし、名言なり。

2008年11月 9日 (日曜日)

数ヶ月来、目覚めたとき手指が強張って動かなくなるのは、やはりリウマチなのだろうか。

あれもまた自己免疫系の治らない病気なので嫌だなあ。

と思い、いろいろ調べてもらったのだが、とりあえず、明瞭なリウマチ因子は見つからず、少なくとも治療を要する段階ではないようだ。
よくは分からないが、ステロイド離脱の影響か何かかも知れないね、ということになった。

2008年10月24日 (金曜日)

ストーマを閉じた傷口から血が噴き出してきた。乾燥して割れた?
消毒してガーゼをあてる。

2008年9月30日 (火曜日)

尾篭トーク。

前にUCにおける好調時のメルクマールとして「おなら」を挙げたが、実はもうひとつある。

それは、「おしっこ」である。正確に言うと、「おしっこだけをする」である。

下痢が続き便の回数が1日10回くらいのが続くと、その際におしっこも出るので、「おしっこだけをする」ということがないのである。
加えて下痢なので、おしっこ自体の量も減ってくる。刺激になるのが怖いので、水分の摂取も消極的になる。こうなると、ますますおしっこが出なくなるのだが、こんなことをしていると脱水になってしまう。

ストーマ閉鎖手術後も、便の頻度が2~3hrごとなので、おしっこもそのときにしてしまうことになっている。
また、便を出すために下腹部を緩めるため、そのときに図らずもおしっこがでてきてしまう。
逆に、お尻を拭くのが面倒なので、おしっこだけをしようと思っても、緩めたときにお尻からも出てきてしまうのであった。

ところがこのところ何回か、おしっこだけが出来たのである。
これは進歩と言えよう。

まだ、立ちしょんはしていない。つまり、ストーマ閉鎖後、個室で座ってしかおしっこをしていないのである。今度、挑戦してみよう。

2008年9月24日 (水曜日)

最長不便記録9h20m達成。
記録忘れか? いや、そんなことはない。

とはいえ、そのあとがインターバル短し。2hとか1hとか。
結果、アベレージはいつもと同じ、3hくらい。

2008年9月12日 (金曜日)

通院。アウトプットが、うちに帰って改めて見たら、項目が足りないではないか。
勝手にレイアウトで省略しているのか。
覚えているうちに朧気な記憶を記しておくと、RAPAが40で、IgGが基準内で1300くらい?

ちなみに今日のガンマは22。

2008年9月 8日 (月曜日)

やはり6時間我慢するというのは至難のわざだ。
この1週間の最長不倒記録は5h20mが2回。平均2h15m。

2008年9月 5日 (金曜日)

血液検査にたどりつく。体感CRPは4と見たが、8だとさ。

危うくヘパロックしたラインを取るのを忘れて、そのまま帰るところだった。

2008年9月 4日 (木曜日)

溜めようと思っても、なかなか6時間には届かない。たいてい、3時間くらいでへたる。

6時間溜める計画のために、ひたすら我慢するというと、本人にとっては悲愴、傍から見ると滑稽な感じがするに違いない。
そこで、もう少し科学的に考察をしてみたい。

うまく我慢して溜めるためにポイントとなるのは、いかにうまく「ガス抜き」をするかである、と最近感じるようになった。

有り体に言えば、どうやってうまくオナラをするか、の問題である。

オナラなど、UCになる前は、何も考えることなくしていたものである。
しかし、UCになってからは、これが何とも難しいものになるのである。別に私の場合だけではなく、多くのUC患者が共通すると思われることは、ウェブ上でもUC関係のサイトや掲示板での発言を見れば、察せられる。

何が難しいかというと、オナラだけを出すのが難しいのだ。
大腸がついていたころは、ステロイドで緩解して調子が良くなってきたとき、医師にはメルクマールとして便の回数や形状を聞かれるのだが、個人的に良くなったと感じる最も端的な点は、「オナラが出る」ということであった。

大腸全摘をして、ストーマ生活をしてきたときは、当然のことながら、お尻からはオナラは出ない。おならは、お腹の袋に溜まっていくものであった。別に出すのに意識も苦労もない。

再びお尻につなげた現在、これがまたオナラをするのが難しい。

とある手術経験者サイトによると、立ったり座ったりしたままオナラができるようになったら、上級者とのことである。実感である。

現在の私のレベルだと、立ったり座ったりしたままオナラ(だけを)することは、ほとんどできない。オナラだか便だか区別がつかない。
これが不思議なことに、寝転がった姿勢だと、オナラを盛大にすることができるのである。
いったいいかなるメカニズムによるものか?
(私見では、健常人がおならを上手くできるのは、S状結腸があるためと踏んでいるのだが、そんな説を唱えているのは私だけである)

トイレに行く回数が多いのは、便意を感じるがためであり、それは腸のなかでガスが増えて腹圧を高めるためだと考えられる。だから、オナラをすれば、腹圧は下がり、便意は収まる。

しかし、当たり前のことであるが、親も学校も、オナラの仕方というのは教えてくれないのであった。

2008年9月 1日 (月曜日)

溜める練習をすることにする。

現在の便回数は、9.7回/日。これが何を意味するかというと、2時間半ごとにトイレに行っていることになる。
もちろん、この2時間半が伸びたり縮んだりする。
そう思って、う○ちノートを手繰って、術後最長のインターバルを調べてみると、初期のころ1回だけ7時間というのがあった。本当に1回だけで、その後は長くても4時間くらいが限度である。

そこで、6時間溜める計画というのを発動することにした。
仮に6時間ごとにトイレに行くので済むとなると、1日に行く回数は4回で済む。おお、これは素晴らしい。夜も6時間連続で眠れれば、とっても安眠ではないか。

では、溜めるために、具体的に何をするかと言えば、ひたすら我慢するのである。うむ、苦しい。

2008年8月30日 (土曜日)

夜中に2〜3回は起きてしまう。これがただ目覚めるだけなら、そのまままた寝てしまえば何でもないのだが、そのたび、フラフラとトイレまで行って用を足し、お尻を洗わなければならない。そうしていると、かなり覚醒してしまい、また眠りにはいるのに手間取る。疲労が蓄積している気がする。

せめて夜中の排便が1回で済めばかなり楽だと思うのだが、手術後1ヶ月、1日とてそういう日はない。

頻尿ならぬ頻便(←やはり変換しない)。

2008年8月26日 (火曜日)

以前、迷惑に感じていたことに、洋式便器のフタを閉めておくという行為がある。
洋式の便器は、一般的に上げ下げできる部分が2つ付いていて、1つはUまたはO字型の座椅子の部分であり、もう1つが穴全体を覆うフタの部分である。

ある病院に入院したとき、トイレを使用するたびこのフタを律義に閉めている人がいた。おそらくたいへんに丁寧な性格の方で、その人からすればフタがある以上閉めるのがエチケットで、開けっ放しなのは許せないのであろう。

しかし、当時、私にとってこの好意とも言える行為は、たいへんに腹立たしいものだった。
何となれば、UC再燃期においては、最も著しい症状というのが、便を我慢できないことなのである。

「む、これはいかん!」
という気配を感じたら、すぐにトイレに向かわなければいけない。
そうして一刻を争う状態で駆け込んだトイレにおいて、ご丁寧にフタをしてあったときに感じる憤りといったらない。

けれどもこれは、他人にすれば理不尽な怒りであろう。
フタを開ける手間くらい何だというのだ、と思われよう。

しかし、信じてもらえるかは分からないが、UC再燃期においては、この1秒が明暗を分けるのだ。この1秒が間に合わず、涙を流したことは(まあ、涙というよりはう○ちだが)一度や二度ではない。

そもそもあのフタにはどんな意味があるのだろうか?

汲み取り式のトイレなら理解できるのだが、その名残であろうか?
不浄の面を隠すためか。

だが、男性小便用便器にいちいち開閉するフタがついていたとしたら、みな怒ると思うけどな。

2008年8月24日 (日曜日)

寝ているときに便が漏れるのが難儀だ。

2008年8月22日 (金曜日)

(承前)

外科は、毎日回診がある。手術をした傷の消毒やらなんやら、しなければならない処置がたくさんあるからである。

その日の回診担当の医師が何人かでチームを組んで、ガラガラと道具を積んだトレイ車を押しながら、にぎやかに各部屋を回る。

患者のほうにしても、これによって、体に差し込まれていたドレンを取ってもらえたり、食事開始の許可が出たり、抜針したりなど、回復のための処置が行われるため、回診を心待ちにしているのである。

加えて性格的に外科の医師の方が開けっぴろげなところがある。じっくりと回復を待つ家康タイプが内科医だとしたら、悪いところは切っちまえという信長タイプが外科医である。
であるからして、外科の回診は雰囲気がにぎやかである。

外科にも教授回診の日がある。
これが何とも内科とは雰囲気が違って笑えた。

患者がずいぶんと回復しているならばともかく、手術して直後はそんなにしゃべれないし、外科が回診でやることは、傷を確認し消毒しなど、いろいろある。

するとどうなるかと言うと、いきおい偉い先生は手持無沙汰になるのである。

若い者たちがテキパキと処置を進めているのを邪魔しないように、遠くから見ている。

こんな感じであると言ってもそう間違いではない。

だから回診の行列も、若い人たちのあとから偉い先生がこっそりついていくような雰囲気がある。

(了)

2008年8月21日 (木曜日)

大学病院なので、回診というものがあった。

典型的な回診のイメージは、偉い教授が何人もをぞろぞろと従えて病棟を歩きまわるという、大名行列のごとき姿であろう。

最初のころにかかっていた内科の回診は、週に一回だったが、まさにこのイメージに違わないものだった。

部屋の入口に一団が集まってゴニョゴニョやっている。
その病室にいる患者の担当医が、教授に対して病状治療経過などを説明しているのである。一通り終わると、一団はぞろぞろと部屋にはいってきて、教授が一人一人と簡単にお話をする。
それを後ろに控えた若い医師たちは神妙に拝聴している。担当医は、教授に何か聞かれたらすぐに答えられるよう、ピリピリと待ち構えている。
終わると一団はまたぞろぞろと部屋から出ていく。
自分の患者がその部屋にいる担当医は、さりげなく列の後ろに回り、自分の患者と目配せなり軽く言葉を交わすなりして、「おつかれさまでした」という雰囲気を表す。
回診が終わると、そんな義理はないのにもかかわらず、患者のほうもホッと緊張が解ける気分になる。

まあ、こんな感じである。大名行列とは、よく言ったものよ。

しかし、内科で入院していた当時から感じていたのだが、外科の回診はまるで雰囲気が違うのである。

(続く)

2008年8月19日 (火曜日)

お腹の袋が取れたのは、やはり身軽である。風呂にはいる際、特にその恩恵は大きい。

ストーマ装具をつけていても、温泉だってはいれますし、水泳だってできますよ、と言われていたが、温泉はともかく、水泳は難しそうな気がする。

温泉、というか共同浴場は1回だけはいった。ただし、早朝だったので、誰もおらず実質貸切状態だったので、他者の目を気にするということはなかった。
まあ、入れないことはないのだが、湯船に使ったとき、袋は浮き袋のように上へあがってくるので、どうしたって気になる。もちろん、漏れやしないかも気になる。
実際、朝入浴したあと、夕方には予定外に早く剥がれてしまった。
少なくとも、私は、実質上、ストーマ状態では入浴には支障があった。

それが取れた現在、それは身軽である。

子供は私のお腹を見て、言う。

「お父さんのお腹、落書きしてあるみたい」

こんな感じ。
Onaka_20080819_3 傷は縦横それぞれ1本ずつなのだが、ストーマ装具がついていた痕が三日月型に残っている。 

2008年8月18日 (月曜日)

仮説は続く。

思い返せばUC再燃期にもそんなことがあったかも知れないが、現在不便なのが、「トイレ2度行き」である。
どういうことかと言うと、一度トイレにいって、スッキリしたと思って、お尻もきれいに洗って出てきて、手を洗って拭いて、さて、といったくらいのタイミングで、再び便意がやってくることなのである。

そこで立てた仮説が、Jパウチに溜められていた内容物が出されることによって、そこにマージンが生じ、排便後の一連の動作(立ったり手を洗ったり座ったり)によって、その上の部分が刺激され、そこに納められていた物が動いて、便意を催させる、といったものである。

これには根拠があって、以前にバリウムでこの部分を検査したときに、ストーマからお尻までが一直線ではなく、途中でぐるりんと小腸の部分が残っていたのを、写真でみたことがある。

模式図としては、こんな感じ。青色の丸のところが、元ストーマ。
J_pauch_3

この部分は小腸なのだが、久しく食物は通っていないため、機能が衰えていると考えられる。グルリンととぐろを巻いているため、なまなかには内容物が通過せず、その先のJパウチが空になってのち、少々身体が運動することによって、その内容物が先に送られるのではなかろうか。
そうして、内容物が便意スイッチのところまで進むと、便意を感じると。

トイレから出た直後にもう一度はいるのは面倒なので、トイレの中でしばらく待ってみたりとか、体操してみたりとかしているのだが、なかなか上手くいかない。

2008年8月17日 (日曜日)

仮説。

前提:お尻で便意を感じた際に、グッと締めてしばらく我慢していると、すうっと便意が消えていくという感覚が、最近観察される。そのときお腹の下というかお尻の上辺りで、ギュルギュルというような音がする。

状況:小腸回腸部を折り曲げて、Jパウチをお腹のなかに作り、肛門と接合するという手術をしている。
J_pauch_1_3   
点線で示したのは小腸の壁で、パウチの内部にくる部分は切り取られるらしい。

仮説:Jパウチは、その末端部分に穴を開け、肛門と接合するのだが、私の場合、接合部分が少々内側に寄っていて、Jパウチの先っぽがお腹の中にあまっている状況にある。

J_pauch_2_3

内容物(う○こ)が上から下りてきて、肛門との接合部を通過する際に、便意が電気信号となってシグナルを発する。ここで、グッと我慢していると、内容物はその先のJパウチの先まで押しやられ、便意が消える。その押しやられるときに、ギュルギュルと鳴る。

おそらく、パウチといっても、空のときはがらんどうの空間になっているわけではなく、腹圧がかかっているので、風船がしぼんだときのように、つぶれた状態になっているのではなかろうか。だから、内容物がくると、その風船が膨らむように広がっていくというイメージ。

仮説は、肛門との接合部が、ちょいとばかり手前にあるのではなかろうか、というものである。

あまりに頻繁に便意が知覚されるので、このような想像をしてみた。

2008年8月12日 (火曜日)

「出ないよりもずっといいですよ」とは、お腹が動き出して腸液がピューピュー出始めたころに回診に来た外科の某医師が言ったことであるが。

過ぎたるは及ばざるがごとしといった心境でもある。

2008年8月11日 (月曜日)

人間の感覚は不思議なものである。
視覚や聴覚、味覚や触覚などを、幸いにも普通に享受しているわけだが、実に奇跡的であると感じる。

さて、尾籠な話。

最近不思議に思っている感覚は、便意である。

便意とは、有り体に言えば「うんちをしたい」と思う感覚である。
あれはいったい、どのような感覚なのだろう?

下腹がなんとなく痛く感じる。

まあ、こんなところではあるまいか。

大腸を全部取ったあとは、この便意というものを感じなかった。
大腸とそれに通じる神経も全部取っ払われたはずなので、感覚はまったく変わるものだと思っていた。
つなげたあと、もしかしたら便意が分からず、知らずのうちに出てしまっているのではなかろうか、とか、便意が分からないので、時間を見て定時的にトイレにいかなければならないのだろうか、とか心配していた。

杞憂であった。

便意は感じる。感じすぎると言っても、今のところ間違いではない。
夜寝ている間にも感じるため、3~4回は目覚めてトイレに立つ。UCの再燃期とやっていることは一緒である。
もしかしたら、大腸を取る前に感じていた便意とは違うものなのかも知れないが、感覚としては似たようなものである。

便意は肛門(の奥の方)で感じるものなのだろうか?

2008年8月10日 (日曜日)

点滴も外れたし、病院にいても特別にすることもないので、退院をする。
人工肛門を閉じて、普通に口から物を食べてお尻から出すという生活に戻る。

小腸を折り返して袋状にしたJパウチ部に物が通るのは初めてで、慣れないためなのか、頻繁に便が出る。
術後すぐに腸が動き出したときは、物を食べているわけでもないのに、刺激かなにかで腸液がピューピュー出てきた。(トイレ回数:37回/日)
食べるようになったら、徐々にまとまってきて(同:20回/日)、一週間ほどしたら落ち着いた(同:10回弱/日)。

しかし、お尻が慣れていないのか、常にトイレのことが気にかかり、夜中にも何度か起きてトイレに行く。かなりの時間一人でトイレを占拠する今日この頃である。
この状態だけからすると、初めに大腸を取る手術をする前の状態に、まだ逆戻りしたという感じ。

だんだんと慣れてくるらしい、という風評を信じるしかない。奥さんによると、半年くらいなのだそうだ。

2008年8月 9日 (土曜日)

退院。

2008年8月 8日 (金曜日)

大腸全摘手術は内視鏡でもできるのか。知らんかった。
でもまあ、その辺りの術式云々はお任せする類いのものだろうし、むしろ選択するのは、どの医療機関でやってもらうかだからなあ、ぜんぜんリサーチしてなかった。

漏れ聞こえるところでは、穴から大腸を一気にズルズルと引き出すらしい。それはまるでウナギみたいなのだそうだ。

ただ、内視鏡であれ何であれ、外科ではせっかく長々と丸ごと一本で取り出した物を----自然薯を掘り出すようなものか?----病理ではバラバラに取り分けてしまうため、我々患者が後日見ることができるのは(写真だが)部位ごとに無惨にも分解された姿なのであった。

2008年8月 6日 (水曜日)

150回。
これは、この一週間のトイレ回数である。

奥さんは、昼飯どころかトイレに行く暇もないという日もある昨今、なんとも贅沢をさせてもらって恐縮である。

術後、2日後くらいから腸が動き始め、次第に元気づき、ピューピュー出始めた。
150を7で割ると、おのずと1日の回数が出るわけだが、まあしんどい回数である。睡眠中も合わせて、大略1時間ごとに行く計算だ。
ただし、上の150回は漸減傾向にはあり、口から食べ始めたら、だんだんとまとまってきた。
とりあえずギリ2桁/日が目処か。

尾籠な話は続く。
最近の疑問。おならは、どうやったらガスだけを排出できるのか。
微細なセンサーと絶妙の筋肉コントロールがないとできないのでは?
ト○タとかホ○ダとかソ○ーとかの技術力をもってすれば、簡単にできるのだろうか、おならロボット。

2008年7月29日 (火曜日)

カテーテルを抜く。
歩く。

2008年7月28日 (月曜日)

全身麻酔して、ストーマくんとの別れ。9ヶ月間、どうもありがとう。

2008年7月27日 (日曜日)

手術の説明のため奥さん来るも、呼び出しがかかって逆戻り。
朝から呼び出されてラジオ体操(最終日)にも行けなかったらしいし、ご苦労さまです。

明日の手術。人工肛門閉鎖。

さて、この「+」が今日この場で初めて聞いたのであった。

「自然肛門を調べたら、普通よりちょっと小さいみたいなので、明日麻酔がかかっているときに、ちょっと拡げるのも一緒にやろうと思います。拡げるといっても、こうぐいーっと」

と言って手で風船の口でも広げるような仕草をするのであった。

出口が閉まらないのも困るが、出口がないのはもっと困るという理論らしい。そりゃそうだが、自然の創造物って、なんとも絶妙である。

麻酔が効いてないと、痛そう。当たり前か。

2008年7月25日 (金曜日)

入院。

これで、最後という希望的見込みをもって、病院へ行く。
初めて入院したのは3年前だったが、そのころに比べると、だいぶ熟練したと言えよう。
すなわち、入院時の体調は、今回が最もよろしい。手術用品や術後ケア用品の用意もバッチリだ(前回の使いまわし)。

当初希望の病棟が空いていないということで、初めての病棟。
はいっている患者の科が見慣れぬ人たちで、そうすると回診してくる医師や、病棟付の看護師も見慣れぬ方々で、ある意味、新鮮。

何しろ、小児科も隣接しているので、今これを打っている共用PCがおいてある食堂に、赤ん坊の泣き声が聞こえてくる。

2008年7月19日 (土曜日)

手術セット(腹帯や浴衣やフンドシみたいなの)を発掘する。

2008年5月30日 (金曜日)

ステロイドの副作用には、じつにさまざまなものがある。

そのなかでも、肝障害、顔が膨れる、抵抗力不足、不眠、等々が私のなったもの。医学的に認められているわけではないらしいが、歯の知覚過敏も、ステロイド副作用の一つだと思う。私も服用量が多いときなりがちだった。

離脱して2ヶ月あまり、最近ようやく「ステロイドが抜けてきた」という感触がある。「抜ける」というものではないのだろうけど。
マスクなしで外を歩いていても、耐えられるような感じになってきた。

20080527_tume

これもステロイドの副作用なのか分からないが、足の親指の爪がひび割れている。真ん中あたりで、ひび割れは消え、根元にかけてはきれいな状態になっている(被写体自体がきれいかどうかは問わないとして)。

いわば、年輪のようになっているこの状態、ステロイド服用期間と、離脱後を顕わしていると考えているのだが、いかがか?

2008年5月27日 (火曜日)

ラキソベロンという薬がある。下剤である。

腸の検査のため、腸内をきれいにするという場合、これを飲むことが多い。

一般的には、便秘の薬である。私の知る限り、これを愛用している入院患者も多かった。
便秘にはなったことのない私には、信じられない話であるが。

腸をきれいにする場合には、ラキソベロンで排便を促し、マグコロールのようなマグネシウム系の薬で流す。

手術の前の晩にも、それをしたのだが、結局よーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーく効いて、30糞に1回くらいトイレに起きてしまったものである。あっ、誤変換が大変にお下劣なことになってしまった。陳謝。

それにしてもこの薬、この前の検査のときも飲んだのだが、基本的には大腸にて作用するというものらしい。私が飲んでもちょっとは効くのであろうか、と思った次第。

2008年5月22日 (木曜日)

ストーマ用品は、病院から紹介してもらった会社に電話で注文すると、宅配便で届けてくれるのだが、いつもその辺にあるような段ボールに詰め合わせて送ってくれる。

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今回届いた箱にはカゴメトマトジュースと書いてあったが、中身は面板とパウチである。

2008年5月21日 (水曜日)

注腸検査で心配だったのは、Jパウチ(小腸を折り曲げて作った大腸代替部--今のところ、お腹のストーマとお尻の肛門の間を結んでいる部分)にバリウムを入れるのだが、昨日も書いたとおり、ここは食物や飲み物が通るわけではないので、バリウムが流れず固まってしまうのではないか、ということだった。

検査のとき担当の看護師さんに訊いたのだが、看護師さんもいろいろ確認してくれたところによると、普通は自然に流れ出て来るものらしい。
ということで、特に何もしなかったのだが、分泌する腸液とともに白い物はだいたい出切ったようである。

しかし、昨日、普通の食事に戻してから、妙にお腹が痛んで困った。
それがバリウムのはいったJパウチなのか、普通の小腸の部分なのか、胃なのか、判然としない。
ストーマからは茶色い水がバンバン出続けている。

が、気づいた。水しか出てこない。昼から普通に食っているのに、中身はどこへ行ったのか?

記憶が一気に昨年の手術前日に遡る。

腹膜を開けて腸をいじる手術をした人は、腸閉塞になる可能性があります。忘れたころ、20年経って初めてなるということもあります。

こう執刀医に事前説明を受けたことが思い出される。

術後、詰まるような気配はまったくなかったので忘れていたが、もしや今日の検査で腸の動きを抑える注射をしたし、そのせいで詰まったのかも。

こう疑うと、いっそう苦しい感じが増す。

でも、胃が気持ち悪いときと同じ感触でもある。
珍しく早く帰った奥さんと話し、気休めに胃薬を飲んで、寝る。

朝、お腹の袋をみると、いつもと同じように中身がたまっていた。お腹の気持ち悪さも消え、一安心。

2008年5月20日 (火曜日)

注腸検査。

結論から言うと、昨日、検査食を食し、就寝前に下剤を飲んだのは、意味がなかったのではとの疑いを濃厚にしたのであった。

検査の説明を看護師さんから受けたときに、再三確認をしたつもりだったのだが・・・・

検査食や下剤は、検査をする腸に食物滓が残らぬよう、きれいにするためのものである。
しかし、私の腸は、大腸はすでに取り払われており、残る小腸はいわば2つに分かれている。すなわち、口からお腹のストーマ(人工肛門)に通じる部分と、ストーマからお尻の肛門に通じる部分とである。ストーマが2つあるわけだ。いつも食物は、口から入ってお腹から出ている。いくら、低残渣食と下剤を駆使しても、きれいになるのは、人工肛門から上の部分だけだ。下の部分は、もともと何も通らないので、きれいなものである。
と思っていたので、本当に下剤を飲むのか何度も確認したのであるが。

ところで、注腸とは、腸にバリウムを入れてレントゲン撮影をするものである。胃のバリウム検査と原理は同じ。

普通は、お尻からバリウムを入れて、胃のバリウム検査のときと同じように、台の上でゴロゴロ転がっていろいろな角度から撮影をする。

上述のとおり、腸をきれいにしろということだったので、バリウムはストーマから入れるのだと思っていた。今日の担当の看護師さんもそう思っていた。

しかし、検査では、お尻から管を入れて、ドルドルドルっとバリウムが注入されたのであった。
説明書きによると、バリウムと一緒に空気を入れると書いてあり、空気を入れるといえば大腸カメラを彷彿とさせ、もっと苦しいかと思ったのだが、そうでもなかった。大腸カメラはほとんど耐えがたい苦しみがあったが----UCでボロボロだったからとも思われる。健常な人の場合、大腸カメラがそれほど苦しいことは稀だと考えられる----今回の注腸は十分耐えられるものであった。

ドルドルドルっとはいってきて、しばらくするとストーマからボコボコボコっとバリウムが出てきた音がした。

検査は予定どおり20分ほどで終了。
最初に立って1枚撮ったあと、横になってバリウムを注入し、左向き、右向き、うつ伏せを1枚ずつ撮るという感じ。

病院というのは、傑出した医師がいれば良い病院というわけではなく、医師、看護師のみならず、薬剤師とか栄養士とか臨床工学士とか事務方その他、関係者の総合力というか、バランスが取れていることが求められる。

メカを使う医療の場合、臨床工学士の人がモノが分かっている人で、スムーズに進むことがある。
私の場合、グルグル(一般にはGCAPと言う)もそうだったっけ。

2008年5月19日 (月曜日)

20080519注腸の検査を明日に控え、本日の食事は検査食にしなくてはならない。

その名は、ダルムスペース リッチIII

販売元=ハウス食品(株)、総発売元=(株)カイゲン

謎の食品である。本日現在、上の商品名での公式な商品案内をウェブ上で見つけることはできなかった。

見つかったのは、この検査食の使用を綴った私的ページばかりである。
注腸検査は初めてなので、こいつの存在は今まで知らなかったのだが、注腸や大腸カメラなどの検査をする場合に、腸内をきれいにするために使う低残渣食である。

言われるがまま病院の売店で買ってきたのだが、中身が何かと言うと、特別なものではなかった。

朝食:和風がゆ(レトルト)、みそ汁(粉末)
昼食:中華がゆ(レトルト)、すまし汁(粉末)
夕食:コーンポタージュ(レトルト)
間食:ジュース2種(粉末)、クッキー

これが1箱にパックされている。

ダルムスペース リッチIIIという商品名について、完全にパッキングされた食品の形態から、スペースは宇宙を意味しているのでは?という説を展開しているサイトがあり、なかなか感服したのだが、私もネーミングの意味を考えてみたので、以下に述べる。

ダルム=darm=腸(ドイツ語)
スペース=space=空間(英語)
リッチ=rich=豪華(英語)
III=3(ローマ数字)=三食

つまり、「腸をきれいにして空間を作る食事だけれども、3食分豪華に用意して、いわゆる病院検査食から想像される貧弱な感じは与えませんよ」ということなのではなかろうか?

味のほうだが、私には十分おいしく感じる。ただし、すべて摂取しても、総カロリーは1162kcalなので、圧倒的に足りず、すぐにお腹が減る。しかし、1日くらいなら問題なかろう。絶食1週間とか2週間に比べたら容易い。

ところで、これを税込\1,575-で買った。
前述のとおり、中身は通常のレトルト食品などと変わらないので、同じ物をスーパーマーケットで揃えるのは、さほど難しいことではなかろう。費用的に半分程度でも収まると思われる。定期的に検査をするような身になれば、慣れてそのようにするだろうが、まあ、1回目はこんなものかな。

謎なのは、販売元総販売元の違いである。パッケージのどこを見ても、原材料表示はあるものの、製造者の記載はない。

2008年5月11日 (日曜日)


サージカルテープ・ランキング。
第1位=ニッコーヤクヒン:これがベストなのだが、自分で買っているはずなのに、どこで買った物かが分からない。再び入手したいと巻芯をとってあるのだが、そこにNIKKO YAKUHINとあるだけで、それがこの会社なのかも不明(社章が違うような感じ)。近所のドラッグストアを端から見て回っているのだが、見つからない。
同点1位=白十字(株):とは言え、ほぼ同等のクオリティを持った物がこの会社のクイックナースという製品なので、これをメインに使用している。
第2位=祐徳薬品工業:ユートクサープという製品。紙テープなので、不織布に比べて硬いところが次点となった理由。

以上が及第点の製品。
以下はそれに至らない物。基本的にはもう使わないと思われる。
第3位=3M:マイクロポアなる製品名だが、糊が強すぎで、剥がしたあとも糊のベトベトがなかなか取れない。その割に水にあまり強くない。
第4位=日東電工(株):病院でもらったのだが、粘着力が弱く、普段はいいのだが、濡れるととたんに弱点を露呈する。
第5位=ニチバン:製品の種類は豊富らしいが、強力すぎたり硬すぎたり、私の用途に合う物が見つからない。

冒頭あまり美しいとは言えない画像を掲載して申し訳ないが、サージカルテープは面板の固定の補強に使っている。
たぶん、スト−マ一般の人に比べて、漏れやすいほうだと思われる。何年もの間1回も漏れたことない人もいるみたいだし。私は日常茶飯事に近い。イレオストミーなので仕方がないのかも知れない。面板は、それのみでも強力な接着力を有するのだが、試行錯誤の結果、全辺をサージカルテープで貼って補強してやるのが有効であることが分かっている。危険が増した時には、さらに斜め方向に増強することもある。

使用するサージカルテープは、25mm幅で、だいたい一巻9Mで売っている。単価は400〜500円。けっこう高い。これを毎日貼り替えるので、一巻は2週間くらい保つ。

ランキングはもちろん私的ランキングであって、他の人のほかの用途について当てはまる保証はなにもない。

2008年4月14日 (月曜日)

大ピンチである。

夜中の2時過ぎに目覚める。お腹の袋がたっぷんしているので、トイレに捨てに行く。
夜中に1回くらいトイレのため目が覚めるのは別に構わない。UCの手術する前には2〜3回は普通だった。
布団に戻ってもう一度眠ろうと試みる。
1時間ほどしてウトウトとしてきたころ、お腹に厭な予感が。手で探ると、ぬるっとした厭な感触。
しまった〜! 漏れたか。風呂場まで行き灯りを点けて確認する。やはりたいへんなことになっている。
面板をカットし取り替えの準備をして処理をする。汚れ物も洗濯機に漬ける。夜が明けてきた。

しかし、ここまでなら、ないことはない。ちょっと早いが今日取り替えてもおかしくないインターバルだった。

ピンチはこの後やって来た。
取り替え12時間後。
ふと袋に手をやると、またまたぬるっとした厭な感触。
見ると、はぁ、また完全に漏れている。
朝方取り替えたばかりなので、過去の経験からいくと浸潤液が漏れているくらいなら、ガチガチにテーピングすればそのあと標準日数くらい保つのだけれど、しっかりと内容物まで漏れ出しているので、これはもう取り替えなくてはならない。泣く泣く風呂場に行って交換。
しかし、一度漏れ出すと周囲の皮膚がジュクジュクになって、なかなか上手くいかない。再び漏れ出す恐れに怯える今日この頃である。
敗因を探るが、歩行運動で発汗したからかも知れない。うむむ、やっかいな。

何がピンチって、以前も書いたがストーマ用品代は1回約\1,500-である。標準では3日、上手くいけば4〜5日保つので、1月あたりでは\15,000-弱。しかし、1日2回交換となると……計算するだに恐ろしい。それに加え、電話で注文してから届くのは2日後。土日が挟まるともっと延びる。在庫が薄いときにこの状態がやってくると、一日中風呂場にいなくてはならないのかも知れない。

2008年4月 7日 (月曜日)

水が抜ける〜〜。

2008年3月29日 (土曜日)

UC(潰瘍性大腸炎)は食事が原因ではないというのが最近の学説という話もある一方、禁忌とされる食物もあり、一度なってしまった身には、増悪させる食物もあると言われ、結果としてかなり制限的な食事をしていた。けれども、実感としては「良いときは何を食べても大丈夫だし、悪いときには何を食べてもダメ」というのが正直なところである。ただ、私は、大腸があったときは、良い状態が長く続くことはなかったため、食べる物で増悪するかどうか本当には解らない。ペンタサなどで何ヶ月何年と緩解維持できる人だと、また別なのかも知れない。
大腸切除後は、そのような制限が外れたので、とても解放感があるのだが、ノン・アルコールは続いている。
最近はもっぱら炭酸水を飲んでアルコール飲料の代わりにしている。

以前は、例えば鮨を食べるときには、お酒とともにいただかなくては、お鮨の神さまに申し訳が立たない、などと思ったものだが、今ではだいぶストイックに我慢できるようになった。

飲まなくなって感じるようになったことは、ソフトドリンクが充実した飲み屋さんというのは、かなり少ないということである(「お酒」を飲ませる店ということだからなのだろうが)。
酒類の銘柄やカクテルのレパートリーを豊富に揃え、食べる物をバラエティ豊かに供する店でも、ソフトドリンクはほんの僅かしか用意していないところが多い。
という気がする。ほとんど外で飲み食いすることがなくなっているので、何となくの印象論だが。

ただ、炭酸水はもっと置いてあると嬉しい。あれはかなりの程度ビールの代わりになる。運転しなければならないので飲めないという状況にありながら、お昼にまあ軽くビール1杯だけ、というシチュエーション(よく知らないがゴルフとかですな)において、飲酒運転が厳罰化されている今日、炭酸水はけっこうお勧めではなかろうか。
ともかく渇いたのどに流し込んで、ぷっはーっというのは味わえる。
ビール・テイストのノン・アルコール飲料もあるが(実は飲んだことない)、へたにビールの味がする分、酔いの感触を得られないのが許せないのかも知れない。しかし、炭酸水はもともと水である。水だと思えば怒らない。
また、水の良い点は、ジュースなどと違って、食べ物の味を邪魔しない点である。

2008年3月 3日 (月曜日)

水分が身体から抜けると、立ちくらみが激しくなるのであった。
これは危険か、と思って、薬屋に駆け込んで血圧を図る。まだ普通だった。上は90代。

2008年2月22日 (金曜日)


ストーマ用道具箱。

今まで30回ほど交換してきて、この形に落ち着いてくる。

セット内容。
潤滑剤(サニーナ)、
パウダー(専用品)、
ペースト(専用品)、
はさみ(大・少)、
マジックペン、
サージカルテープ(プラ製・不織布製)、
クッキングタオル、
ビニール袋、
面板の型(専用品)。

病院にて交換の日。
このセットを持って行く。
大学病院だからか、ストーマ外来というのは珍しいのか、はたまた人気があるのか、それとも担当者が優秀なためなのか、いつも見学の人がいる。今日はネパールから研修に来たという人だった。
今こそ役立つか? アジア語楽紀行……のはずがないのであった。こういうところに研修で来るような人は、多分お国の看護師のなかでもエリートで、コミュニケーションは英語で図られるのであった。
しかも私は英語もろくに話せないので、「ああ、(小腸からの)イレオストミーだから、すぐに(便が)出てきてしまうので、先に(面板を)カットしておくのですね」と言われたのに対して、That's right.と返しただけであった。

2008年2月15日 (金曜日)

保育園の行事、卒園親子遠足。

大腸がある状態だったら、このような屋外の団体行動には適応できなかったろうと思われる。
まず、電車に乗れない、というか、電車の駅までバスで行くというルートだったので、その時点で既にアウトっぽい。う〜ん、トイレが我慢できるというのは、たいへん楽だ。正確に言えば、しょっちゅう行かなくて済んで、しかも思い立ってからトイレに行くまで数十分、場合によっては1時間以上を我慢できるという状態は、たいへん楽だ。

この状態に慣れてしまうと、ストーマを閉じたあと耐えられるかどうか一抹の不安があるな。
閉じた当初は慣れないので、一日20回くらいトイレに行くけど、数ヶ月すると落ち着いてきて、最終的には一日5〜6回におさまるというのが、手術前に聞いた話である。そのときは、「一日20回なんて再燃したら今でもそうだし、それが5〜6回で済んで、しかもある程度我慢できるようになるらしいから、もしそうなれるのなら、すっげー楽ちんだろうなあ」と思った次第である。ポイントは、ホントにそう上手くいくのかどうか、特に、実際にどの程度我慢できるようになるのか、だな。まあ、最悪の場合には、また今の状態に戻してもらえばいいわけである。
いずれにしても、常にトイレの位置の確認から始まるという状態は変わりそうもない。

2008年2月13日 (水曜日)

ステロイドを切っていくのには、楽でないこともあるのだった。2年ほどもずっと使い続けていたので、我が副腎はホルモンを自ら作り出していないのではないかと疑われる。
最近マシになってきたが、脱力感はきついものがある。ステロイド注入時はとても元気になるので、その反動。
また、皮膚の荒れはなかなか酷い。もともとアトピー性皮膚炎の気があり、成人後は冬の乾燥期に手のひらなどがひび割れたりしていた。これらの症状に対して、ステロイド系塗り薬はよく効いた。UC発症後はステロイドをたらふく摂取したので、副作用(副効果と言うべきか)で皮膚はつるつるに保たれた。内服でも抜群の効果があった。
しかし、ステロイドを減らしてくるとその効果はなくなり、空気が乾燥するこの時期であることも重なって、全身が痒くて仕方ない。顔の皮はボロボロに剥がれ、手のひらや足の指の間がひび割れ、なかなかつらい状態が続いたのだが、このごろ少しは落ち着いてきたかも知れない。手術後は便意で夜中に起きてしまうことはなくなったのだが、かゆくて起きてしまうのであった。以前はそれが一晩で数回あったが、今は0〜1回に減っている。入浴後(と言っても、ストーマで湯舟に浸かるのは勇気がいるので----大丈夫と言われているけれど----基本的にはシャワーを浴びるだけだが)にすかさず乳液とクリームを全身に塗らなくてはならない。

2008年2月12日 (火曜日)

さすがに今度はようやくステロイド漬けから脱却できそうだ。今、1mgだから、飲み切ったら終わるだけである。
大腸がついていた頃は、ステロイドを減らすと、じわじわと嫌な予兆があって、ブワーッと再燃したものだが、それが取り去られた現在、そのようなことはなく、トイレピンチがなくなって楽ちんである。
抑制されていた免疫も徐々に復活しつつあるのか(笑)、久しぶりに発熱。免疫機能が戦っていると言えよう。ただし、何で戦っているのかが問題。私は風邪(気管支方面)だと思っているのだが、奥さんは「結石では」といい加減なことを言う。昨年はそういうことを言い合っていたら、心筋心膜炎だったという、恐ろしい事態であった。さすがにそれはないだろうと高を括っている。

本日の交換は、剥がして洗っている間ストーマから何も出てこない非活動期だったので、これは楽勝と思って進めていたら、よし貼ろうとパウダーを振るときになって、活動を始めやがった。しかも止まらない。ぜんぜん止まらない。いつもはある程度経つと、1〜2分は活動を止める時間があるのに、それがない。困った。ふき取りふき取りしつつ、何とか装着したが、ティッシュとウェットティッシュを合せて50枚くらい使った。しかも上手くパウダーが振れなかったらしく、しばらくしたら痛くなってきた。滲みている。うむむ。

ちなみに、装着の手順。
シャワーサニーナを使って面板を剥がす洗浄ティッシュ等で水分をよくふき取るクッキングペーパーにより押さえる穴の大きさ・形調整ペーストによる土手作製パウダー振り面板装着パウチ(袋)装着

2008年2月 1日 (金曜日)

この前貼ったストーマは、貼った直後は「おお、これはずいぶん上手く貼れたんじゃないの」とその首尾に満足したのもつかの間、爛れた皮膚からの浸潤液のせいか、はたまたそれをケアするためのパウダーのせいか、直後に剥がれかけてきて、うわあ、もう貼り直さなきゃダメなのか、嗚呼\2,000-があっという間に無駄に……と思い、とりあえずテープで貼って固めて夜まで保たせようと、ガチガチにテーピングした。

結果、規定日数保った。
テーピングのノウハウをまた一つ心得た気がする。

2008年1月30日 (水曜日)

先週爆発した耳たぶは、そのためだいぶ腫れは小さくなった。昨晩は奥さんにギュッと押して中身を押し出してもらう。痛い。だが、まだジュクジュクと出てくるので、奥さんに言われもう一度皮膚科に。看護師さんにギュッと中身を押し出される。再び痛い。が、かなり治まったと思われる。

2008年1月23日 (水曜日)


耳たぶが異様に腫れ上がってきた。腫れは引かず膨れる一方だった。
鏡で自分の顔を見ると、左右の耳たぶの大きさが大きく違ってびっくりする。奥さんに診てもらう。奥さんが現在研修中のところへ行けば、抗生剤を処方してくれると言う。でも本当は皮膚科に行った方がよいと言う。
ということで、皮膚科に行く。おばさんがやっているところが近くにあるのだけれど、本日は休診のようなので、そのおばさんが「切開するときはここにお願いする」という近所の医院に行く。奥さんの研修先の1階下。
粉瘤と言われた。化膿しているようなので、抗生物質の処方を受ける。どうでもいいが、初診のとき書く既往や服用中の薬の欄が、最近書くことが多すぎて面倒である。

そうこうしているうちに、耳が爆発
噴火口は耳の裏側なので、背中のときと一緒で自分では見えないのが厄介。

2008年1月18日 (金曜日)

病院でノロ対策のためのおふれが出ていたそうな。
(1)うがい・手洗い励行
(2)生物は極力食べない。特に貝類。
(3)食べるとき、食物に手で触らないようにする

(1)は、医療機関ならノロ対策以前の基本であろう。スタッフ向けにあらためてこういうおふれを出していたのかどうだかは知らないが、彼らが患者に対してまず勧めるのはこれである。

(2)に関しては、貝類を扱っている方々には申し訳ないが、生の貝はリスクが高いような気がしてしまう。ただし、うちでも特に牡蠣は好きなので、一冬に何度もいただく。熱を通して。

(3)が凄まじい。一般的な職場なら、注意喚起は(1)(2)までだろう。
にぎり寿司ならともかく、サンドイッチ、おにぎり、せんべい等を食べるのが甚だ困難になる。
私の知る限り、一般に病院勤務者の食事時間は十分に確保されているとは思えず、簡単に摘める物をかき込んで済ませることも少なくないと思われる。手で持ってならないとすれば、カップ麺しか残されてはいない。おやつも食べられないではないか。

〜 〜 〜 〜
あら、会見してたのか。
リリース、文脈が解らない一般向けには謎では? と思ったが、本日付けで一通りまとめたリリースをしていたのね。

2008年1月13日 (日曜日)

今月密かに恐れていることは、また突然に入院という事態になりはしないか、ということである。
何となれば、過去2年、1月にはその気もなかったのにかかわらず、突如入院という羽目に陥っているからである。
したがって、最も厳寒期となるこれからの時節をこのところ経験していはいないのだ。つまり、病院にいて、外出禁止どころか、安静度もかなり高いレベルであったため、ほとんど動けず、温度湿度管理の行き届いた病棟で過ごしていたからである。
にっきを見ると、1年前の今ごろは上半身の筋肉がげっそりとそげ落ちて、起き上がって物を食べるのもつらい状況だったではないか。たいへんだったのう。

2008年1月11日 (金曜日)

一緒に入院していた人で、ストーマにするというおじさんが、ストーマにするとジーンズが履けなくなるかも知れないのが嫌だなあと言っていた。
必ずしも履けなくなるわけではないと思うが、開ける位置によってはちょうど当たるので履きにくいかも知れないし、フィットした形のものは難しいかも知れない。

私は別に着るものには頓着しないので、あまり考えたことはなく、いろいろあるんだなあと思ったものである。

どうやら、ストーマにしてもいろいろ出来ますよ、という医療機関の営業トークは現に存在しており、そのうち有力なひとつに、「ゴルフも出来る」というのがある。
私はゴルフをしないので、どうでもいいのだが、世の中にはゴルフが出来るのが重大な事柄である人も多いらしい。
やったことがないので定かでないが、確かにゴルフのような動きであれば、ストーマの袋がついていてもあまり支障はないかも知れない。

しかし、走るのは難しい気がする。
袋が空ならば、あまり気にならないが、中にある程度(100ccくらい)でも内容物がたまると、けっこう重量感を覚え、歩くならともかく、走るという動きだと袋をつけた腹が突っ張らかってめちゃくちゃ気になるし支障がある。
他人は知らないが、私は小腸ストーマでもあり、ストーマからほとんど常時出続けていて----精密に言うと、出てくるのは数分おきだが、何時間も出るのが休むということは、ほとんどない----マラソンなどした日にゃ、スタート前に袋を空にしておいても数キロも走ればたっぷんたっぷんになってしまうと考えられる。

2007年12月21日 (金曜日)

外科外来およびストーマ外来。

医療用麻薬は、麻「薬」と書くだけあって、有用な薬のようで、私にとっては腸の働きを抑えて便をまとめる作用があるみたい。腸、といっても私には小腸までしかないわけだが、こいつが動き過ぎると、口にした物があっと言う間にストーマから出てくる。納豆など食べると、速いときは本当に30分くらいで出てくることがある。5mくらいあるんじゃないのか? 時速10m。

しかし、医療用麻薬は麻薬だけあって、1回に処方できるのは2週間分までらしい。そのため、ちびちび飲んで保たすのわけだ。そんなことでいいのか。

1日1回くらいは液状化現象が起きて、腸液がバンバン出てくる。ひどいときは、ヒリヒリと皮膚が痛んで歩くのも難儀する。
ストーマ外来はさすがプロで、今日も一つ使えそうな技を教わった。

ステロイド漬けからは離脱していけそうだが、まあやっかいなのを患ってしまったものよ。
ストーマ用品のカタログを見ていると、子供用というものもある。う〜ん、それは大変だと拝察される。私は、今のところ半年のストーマ生活だと思えばこそ平静でいられるのだが、これが一生続くとしたら、手術は躊躇したし、かなりショックを受けると思う。
でも、元の肛門に戻すのがうまく行かずにそうなる可能性も残っている。その場合であっても、今まで40年、それなりの享楽があったし、まあ仕方ないかとも諦められるとは考えている。10年20年前ならそう簡単に割り切れなかったとは思う。
人間は、残された時間を計算する生き物だなあ。

2007年12月16日 (日曜日)

UCの大腸を抱えていたときには避けていたものが、口にできるようになり、その瞬間は楽しい。
カレーなどは2年ぶりに食べたし、ポテトチップスなどもそうである。食堂でラーメンライスを頼んで食べたときには感激した。…とまあ、キッチュな味覚である。
本日は、2年半ぶりくらいにコーヒーを口にした。う〜ん、苦い。

ただし、口にしてから数分もしくは数時間後に、ストーマからどのような状態になって出てくるかは、やってみないと分からない。あまり水っぽくなるものだと、ちょっとつらい。カレーやシチューみたいなのは、存外に便がまとまるようである。逆に和物が水っぽさを誘発する気がするのが意外。今後も観察を続ける必要がある。

2007年12月14日 (金曜日)

また尿管結石ができていた模様。
2週間ほど前、病院に連れていってもらうため車に乗っている間に、妙な残尿感を覚える。
これは昔工場勤務のとき病院にかつぎ込まれたことが1回あって「よく分からないけど胃腸炎でしょう」と言われた際の感じと似ているぞ、もしくはすわ前立腺に異常かなどと思ったが、よく考えるとと車に乗っている途中から起こったもので振動があると不快感が増す、そういえば入院してるとき夜背中が妙に痛くなったことがあった、もしかしたら結石か、と思い当たる。努めて水分を摂取し、おしっこを多くする。
すると、違和感を覚えてから4回目に、出た。

その後何回か結石が出る。本日は2回も大物が出た。大物と言っても、昨年夏の、直径1cmにもならんとする超弩級には及びもつかないが。

心臓の受診。アーチストを勘弁してもらう。

子供の勉強を見ていて、生まれて40年目にして初めて知る。「た」の書き順。

2007年12月 7日 (金曜日)

ストーマの扱いについては、最初はいろいろと失敗することもあるだろうと覚悟はしていた。
一番ありがちなのは、貼っているの(面板という)が段々溶けてきて、隙間から漏れてくるというものである。これは入院中から何回も経験した事態で、こうなったら貼り替えることになる。現在も研究中だが、ペーストの使い方とか、パウダーのはたき方とか、テープ補修の仕方とかで、これを防ぐよう工夫を重ねている。しかし、貼り替えには、何だかんだで1時間近くかかる。不意に発生すると、なかなか辛いものがある。
しかも、まだこれまでは家にいての事故である。今後外出先での事故にも対処していかなくてはならない。これはまだ自信がない。一応、応急対処グッズは用意してカバンに入れてはいるのだが。
この前は、貼り替えたばかりなのに漏れてきていて、貼るのに失敗したかと思って確かめたが、はがれてきている気配はない。よくみると、袋をはめるところがちゃんとはまっていなかったらしく、その隙間から漏れていた。ティッシュで拭きつつ、はめ直すことで解決。
しかし、今朝未明、恐ろしい事態が発生。たまらず奥さんも起きてしまい、ヘルプをお願いしてしまった。
どのような事態か、あまりに恐ろしくてつまびらかにできないが、内容物をたらふく溜め込んだ袋が、パコっとはずれてしまった、ということである。惨状という言葉を使いたくなった。
しかし、よくよく考えたら、パコっとはずれただけなので、洗ってパコッとはめ直せばよいのではあった。そこに至るまでが大変であったけど。

2007年11月28日 (水曜日)

退院時に渡し忘れていたという薬を取りに行く。例の、あまりに不味い医療用阿片。

郵便局(って今でも言うのか?)に行き、ストーマ代金を送金する。何点か揃えなくてはいけないのだが、だいたい1回¥2,000-くらい。これが、当面3日に1回程度。

サスペンダーを試してみる。いいかも。

2007年11月26日 (月曜日)

太陽が眩しい。
しかし、カミュではないので、ママンを殺したりしない。
って言うか、貧血か、低血圧か?

入院時の元気さは今までで一番上だったが(なにしろ今までは、具合が悪くて病院に行ったらそのまま入院というのばかりだった。用意もしていないのに)、退院時の元気さは一番下である。
原因は分かっていて、今まではステロイドを投入して20mgくらいまで減らしたところで退院というパターンだったため、退院時は相当ドーピングが利いた状態であった(通常副腎で自然に作っているのは5mg程度らしい)。しかし、今回はそのドーピング状態のハイな気分にはない。むしろ反動でドヨヨンとしているわけだ。地道に回復に努める所存。

2007年11月22日 (木曜日)

私は、極めて速くストーマの扱いを習得したらしい。

そうかあ、みんなそんなに時間がかかるのか。

お年寄りとかなら大変だろうな、とか思っていたが、そうではなくても、手術が終わっていきなり人工肛門がお腹にぴょこっとできていて、うんちがそこから出てくるという状況には、なかなか向き合うのが難しいらしい。
そりゃ、難しいわな。

管庵さんにはこの前お会いしたとき話したのだが、今後半年の私の密かな課題は、人工肛門で楽器が吹けるか? というものである。数日前から呼吸および運指訓練(エアラッパ状態)をしているのだが、いけるのではないかという感触を持っている。

2007年11月21日 (水曜日)

病院の個室というのは、他人に煩わされたくない人がはいるところとされている。財力が必要ではある。ちなみに今いる病院の個室は、部屋によっても違うが、3日間くらいいると10万円くらいになるという、まあけっこう良いホテル並み。緊急入院だと、個室しか空いてなくて、最初の数日そこにはいり、後で大部屋に移るというパターンの人も多い。

しかし、病院の個室というのは、他人を煩わせる迷惑な人を隔離するところでもある。

病棟には、病室の平安を保つため、いろいろなテクニックが存在する。
何度かそれとなく注意をされても一向に気がつかない人は、いきなり緊急手術が必要と言われ、それにかこつけて個室に移されてしまうのである。

恐ろしい。

もちろん冗談である。

本日、私のいる部屋が急に静かになった。

2007年11月16日 (金曜日)

食べ物の枷が外れたと言えば、カップラーメンである。

嘘か本当か知らないが、カップ麺などに使われる添加剤がUCに悪いという説があり、これを食べない方がよいと言う人がいる。
消化がよいものでもないし、この2年以上カップ麺を食べていない。
そもそも麺類は消化に悪いという説があり、十割ソバなどはいざ知らず、ウドンなんかはそんなことないだろうと思うのだが、日本人は麺類を食べるとき、そののど越しを味わうわけである。つまりよく噛まない。これが悪いという説である。

まあ、それは措いておいて、今後はカップラーメンも解禁されるのであろうか。別に好んでそんなものを食べることもないだろうと言う人がいるかも知れないが、私はやっぱり現代の味覚になっているのだろうな、お湯をそそいだカップ麺のたてる匂いにたまらなくそそられる。

2007年11月15日 (木曜日)

UCだと、いろいろと食べ物に気をつけないとと言われて2年以上が経過した。低脂質、禁刺激物、易消化が三大原則で、結果として、カレー、コーヒー、アルコール、(本当の)ラーメン、トンカツなどはずっと避けて来た。油をなるべく使わず、胡椒も振らずにこれらに似せた物を作れないか試行錯誤もした。
最近の説では、食べ物が原因でUCになることはないらしいし、人によって何が良くて何がダメかは千差万別なのが実際のところであるらしい。私が至った結論も、状態がいいときは何でも食えるけど、悪いときは何食ってもダメというものである。人によって違うだろうが、私の場合は、いい状態のときに食べ物に細心の注意を払ったからといって再燃を防げるものではなかったし、悪い状態のときにお粥と豆腐と白身魚に徹していてもそれだけでは寛解はしないのであった。

それがこれからは、今までのように大腸に負担になるということを考えなくていい。病院食も常食なので何でも出る。まだ条件反射的に「これは食べられない!」と例えばピリ辛の物が出されたときに思うのだけれど、理論上はもう大丈夫なわけだ。

「ああ、これからはこういう物もぜんぜんOKなのだなあ」と、出されたクリームコロッケを食べながらしみじみ歓びが込みあがってきた。

2つの肛門のケアなど課題は多いのだが、飲み食いの枷が外れたのには、かなりの解放感を覚える。

2007年11月14日 (水曜日)

切除した大腸の写真を見せてもらう。病理の結果ということである。

上行結腸、S字結腸、下行結腸、直腸などが潰瘍の状態にあった。何故か知らぬが、横行結腸は一見きれいなものだった。

上行結腸(出口からいうと、一番奥・・・・すなわち小腸からつながっている部分)がボロボロだったのが意外だった。CF(大腸カメラ)の検査は苦手で、なかなか奥まで見られなかったので。

2007年11月13日 (火曜日)

退院の条件がいくつかあって、そのひとつにストーマが扱えるようになることというのがある。自分は年寄りでもないし、そう大したことはないだろうと高を括っていたのだが、入院前から何度も言われていただけのことはある。あれはあれで、ずいぶんと奥の深い世界のようだ。何となく、木管楽器のリードのごときものかも知れない。一定のものなら音は出るし、市販のものでもそこそこ行けるけれども、極めようとするとキリがないという、そんな感じ。

今日付け替えたのだが、皮膚が赤くただれていた。これをケアし、かつ漏れてこないように最適の装具を選定し、しかもペースト(パテのような物)で形状をカスタマイズする。いやあ、けっこう難しいぜよ。
はがして、きれいにして、穴を合わせて新しいのを貼るのくらいなら何とか出来そうになっていたのだが、今日はほとんど見てるだけだった。しかしさすがにヒリヒリは和らいだ気がする。プロは違う。先は長い。

2007年11月12日 (月曜日)

オストメイト(ストーマ使用者)向けのパンフレットを見せてもらったのだが、大抵のことは出来ますよ、というのをアピールしている。ただ、例外はあって激しく体をぶつけあうスポーツは不可とある。ラグビーや柔道などで鳴らした人が人工肛門になると、けっこう辛いのかも知れない。

そのほか、腹筋に物凄く力を入れるのも禁物とある。重量上げなどはダメそうだし、重い物を持ち上げるような仕事は避けた方がよいらしい。パンフに書いてあったわけではないが、腸がはみ出てくるおそれがあるものか。

極度に腹筋に力を入れるというと、スーパーハイトーンを出すのはやめた方がいいのだろうか。
なんちゃって、それはある程度の圧力は要るだろうが、それよりも流速を速くしてバランスを取るのが大事と思われ、闇雲に力を入れれば出るというものでもあるまい。

けれども、腹筋は著しく衰えている。ちょっとお腹に力を入れるような運動をしても、とても痛い。そもそもその前にお尻の筋肉をリハビリしなくてはならない。こちらは本当にリハビリ。

2007年11月11日 (日曜日)

世の中日に日に便利になっていて、病院も例外ではない。
2年前に初めて入院したときは、テレビについていたのはVHSだったし、このようにインターネットを使う環境もなかったが、今ではDVDが見られ、ネットも使える。ただし、暴利をむさぼられてはいるが。

ベッドもそうで、前は手動で高さや角度を変えるものであったため、変えたいときには看護師さんを呼んでやってもらわなければならなかったのだが、今のは枕元にスイッチがあって自分で操作できるようになっている。

個人的意見としては、これは楽ちんなのだが、その分自分で動くのをおっくうがって、かえって回復に寄与しないのではないかと思う。便利すぎるのも考えものである。それ以上に、人が上に寝たまま動かせるようになっているため、そのモーターの力はかなり強い。安全装置はあると思うのだが、手すりなどに手足をはさんだままでも作動を続けてしまう気がして、ちょっと危険だ。
そのためか、今寝ている最新式(?)のベッドは、作動前にどのように動くかリモコンがしゃべるようになっている。
これがいちいちうざく、また夜中に動かすときに同室のほかの患者さんに迷惑かと思い、しゃべるのを解除するボタンを裏面に発見したので、これをペンの先で押して、私は今しゃべりモードを解除している。

一番よく使うのは、ベッドの頭の方を上げて、寄りかかれるようにする形である。

これを元に戻すとき、しゃべりモードを使っているベッドは、無機質な声でこう言うのである。

「頭が下がります」

・・・・何も偉いことはしていないのだが。

2007年11月10日 (土曜日)


写真も撮ったのだが、かなりおぞましく、また猥褻物にかかる刑法犯に当たるおそれもあるので、摸式図を起こしてみた。
創はけっこうな大きさで、長さは15cmほどあろうか。傷口をとめるホチキス(?)は、数えたら21ヶ所打ち込まれていた。これを半分ずつ取った。
人工肛門は直径3cmくらいで、高さが1.5cm程度。大きさは今後多少は変わっていくらしい。色は赤い。
高さがあるのと、色が赤いというのが、手術前に思っていたのと違う。

2007年11月 8日 (木曜日)

毎食後にそのとてつもなく不味い薬を飲む。

形状としては液体。ショットグラスのようなものに容れられ、それを一気にあおる。

それがどれくらい不味いかと言うと、それまでに食べた食事の満足感を瞬時にして一掃してしまう強烈な不味さである。

食事の楽しみは、そのフィニッシュも大事だということがよく分かった。

これが一生続いたらたまらんワイと思ったが、入院中だけで済むらしい。よかった。どうやら、医療用麻薬の一種らしい。

2007年11月 7日 (水曜日)

手術当初は、腕に点滴、鼻に管、口に酸素、腹に管とストーマ、背中に麻酔、股間に尿管カテーテルを装着された状態であったが、ひとつ、またひとつと外れていき、ようやく今朝お腹の管が抜き取られた。創をとめていたホチキスの針も全部取る。

併せて、食事も通常食となる。ただ、消化管トータルの長さは今までの2/3くらいに短くなっているわけで、排出物を固めるために、いろいろと薬が始まった。

そのうちのひとつに、とてつもなく不味い薬がある。

2007年11月 5日 (月曜日)

小まとめ

1週間前に手術をしました。
潰瘍性大腸炎に対応するための、大腸全摘手術です。

現在、いくつかの術式があるようですが、基本は大腸を全部取り除くことにあります。私が受けたのは、最初に大腸を全部摘出するとともに、小腸を折り曲げてパウチ(袋)をつくって肛門とつなげ、その縫合部が落ち着くまでの半年の間くらいをしのぐようの人工肛門を小腸の途中から出すという二段階式のものです。半年後くらいに、人工肛門をふさぐという手術を、もう一度行う見込みです。

病気への対応としては、悪くなる可能性のあるところを全部取ってしまうという、はなはだドラスティックな方法ですが、患部がほとんど完全になくなるため、以後この病気に苦しむことはなくなります。

・・・・ということで、私の大腸はなくなったのであった。

2007年11月 3日 (土曜日)

久しぶりに子供に会う。子供は、入院している私に久しぶりに会うと、照れてあまり話さなくなる。

本日朝から食事再開。

普通さあ、最初は重湯で、次に三分粥で・・・・ではなかろうか。
チャレンジングに五分粥から。

当然、残す。

2007年11月 2日 (金曜日)

腸から水がバンバン出るため、脱水で血圧下がったらしい。点滴をグイグイ入れる。血圧戻るとともに、痛みも戻る。ほとんど動けないので、救援部隊来る。

2007年11月 1日 (木曜日)

薬飲む。血圧低下。

2007年10月31日 (水曜日)

歩く。水を飲む。

2007年10月30日 (火曜日)

さすがに、お腹が痛いぜー。

2007年10月29日 (月曜日)

いよいよ。
さらば、私の大腸。

2007年10月28日 (日曜日)

前日。お腹表面の清掃。って、おへその掃除と腹毛のカット。
説明を受ける。なるほど、リスクはいろいろあるものだ。不安がつのるぞ。

2007年10月27日 (土曜日)

病棟が変わったせいか、顔見知りの看護師さんがいないなあと思っていたのだけど、いらっしゃった。

ストーマの位置決めのために、お腹にマジックで印をつける。
人の顔みたいで、子供が見たら笑うであろうと思った。

金曜に入院して土日は暇だろうなあと思っていたのだけど、確かに暇である。体調が絶好調なだけに余計そう思う。
外出とか外泊とか出来るかなと、はいる前は思っていたけど、雨も降っているし、意外と雑務はあるので、おとなしくしていようと思う。

ということで、カローラ四重層のみなさん、演奏会には行けませんけど、美演を祈念しています。

2007年10月26日 (金曜日)

HPの表紙の一言を変えたり、メールでお知らせしたりしたのだけど、PCのメールアドレスも使用可能となっていた。設備がグレードアップしており、インターネットが使用可能となっていた。
実はマンガ喫茶とかネットカフェには入ったことがないのだけど、こんな感じなのだろうか。

というわけで、入院。

この前入院したとき工事していた新しい病棟が稼動しており、そちらにはいる。あわせて各種設備のリニューアルもなされたようで(業者さんの苛烈な売り込み競争が彷彿される)、ベッド周りのセット(TV、物置、小型冷蔵庫の病院セットですな)が新しくなっていたりした。トイレは数も増え、すべてにウォッシュレットが備えられ、さすがに進歩のあとが見られる。
しかし、微妙に価格がアップしているのであった。TVも以前はたぶん1000円で1000分だったと思うが、今は1000円で10時間である。単位を変えるところが商売。

インターネットの使用も、いくつか制限があるようだ。
まずもってPDFファイルが見られない。
この記述の日付も10/26にしたいのだけど、直せない。

(帰宅後修正)

2007年10月16日 (火曜日)

通院。
血液検査の結果、近年稀に見る正常値。
最後の抵抗か?
しかし、もう遅いのだよ、大腸くん。

2007年9月21日 (金曜日)

ひさびさ心エコー。
この検査って、昔は、単に仰向けに寝てて、胸のところに機械のヘッドを当て、検査をしていたように思うのだが、最近は、横向きに寝て検査し、しかる後、斜め45゜になって検査するようだ。今年になって4つの医療機関で心エコーをやったが、4つともそうだった。
もっとも、そのうちの1つは、私の実家で奥さんが遊びながらやったものなので、参考にしてはいけない。
斜め45゜のときには、検査をする人が腰で被検者を支えてくれるのだが、ここらへんの流儀は、奥さんによるといろいろあるらしい。

なお、父によると、エコーの機械で一番高いのは、検査する部位に当てるヘッドの部分だそうだ。うん百万だかの機械の価格の半分ほどが、この部分らしい。
ファゴットの首の部分(ボーカル)みたいなものか。

2007年9月14日 (金曜日)

通院。イムランやめて一週間。肝機能かなり改善。やはり、イムランの副作用と判断された。

会計を済ませた後、気づく。今月はけっこう払っているぞ。
領収証を確かめると、外科の分は通常の3割負担となっていて、内科の分とは異なり、特定疾患が適用されていないのではなかろうか。
と思って、今月分の領収証をかき集めて、訊いてみた。

数千円返ってきた。

2007年9月10日 (月曜日)

免疫抑制剤を中止した結果か?

肝障害は改善方向へ向かう。AST(GOT)=66、ALT(GPT)=303。

2007年8月24日 (金曜日)

通院。ステロイドのおかげでCRPは下がっていたものの、白血球は減らず。15000くらいだから、私としてはしょっちゅうある数値だけど。

最近、改装を進めており、行くたびに部屋が変わっている。
2度目に入院したときから改築工事が行われていたのだが、そのときは単に病床を増やすだけかと思っていた。いつもベッドが空いていなくて入院までベッド待ちだったので、それを増やす(それに合わせて、スタッフも増やすのだろうが)だけだと思っていたのだが、単純にそういうわけではなく、今まであったところも改装をしていくということらしい。まあ、いいけど。

以前は病床だったところが、採血室に改装されていた。ほほう。

2007年8月10日 (金曜日)

通院。どうしようかと頭を抱える。いよいよ外科的処置か。発症1年とか2年くらいだとふつうは勧めないそうだが。

2007年7月 9日 (月曜日)

またまた顔が膨れてきた気がする。
何か客観的に判別する指標はないものだろうか?

子供が生まれたとき、最初の1年くらいは「今日の1枚」といって、1日1枚くらい写真を撮っていた(奥さんが)。それと同じようにすればよいのだろうか。
それも面倒なので、ノギスのようなものを買ってきて、毎日顔の幅を測るとか・・・・

2007年6月28日 (木曜日)

しばらく三食普通に食べていたのだが、回数が減らないので、朝だけラコール2パックにしてみた。通るものを少なくして刺激が減らす作戦。功を奏したのかどうだか、落ち着いてきたかも。V3も遠のきつつあるみたい。

刺激というと、食べ物で刺激物は避けるべしとなっている。
調子が良いときは何食べても大丈夫な感じなのだが、それでも刺激物、すなわちカラシ、トウガラシ、アルコール、炭酸は避けるようになって久しい。
以前具合が悪化する前にに口にしてしまった物で、よろしくないと記憶に刻まれてしまった物である。科学的根拠は、たぶんない。
ステロイドを離脱し、調子が良いのがある程度持続するようになったら、また試してみようとずっと楽しみにしているのだが、なかなかそこまでたどり着かない。

アルコール、炭酸などを避けるということは、この世の中で一番おいしいのはビールであると長年思ってきた私にとって、苦行以外の何物でもないわけだが、取りあえず今は生き長らえるだけの低消費生活を送るべきであるので、これらを避けることは仕方がない。
アルコールを飲まずにいるというのは、いつでもどこへでも運転できるということになり、便利なことも多い。

不便なのは香辛料である。
外食が難しい。それはいいとしても、カレーが食べられないというのが、以前にも書いたが、現代日本では甚だ不便である。

家でカレーを作る。カレーは楽ちんなのである。作るのは簡単だし(ルーから作るわけでないし)、一回作ってしまえば何食分かはそれをメインとすれば保つし、子供は喜んで食べるし、なのである。

ところがこのカレー、自分は食べないので、別に何か用意しなくてはならない。
面倒である。

まあ、仮に元気だったとしても、子供用のカレーは一番甘口にしているので、大人用のは別に用意することになっていたかも知れないけど。UC発症前は、人一倍辛い物が好きだったし。

2007年6月27日 (水曜日)

このところ屋上屋の表現のコレクションをしている。
例えば、「一番最初」のようなもの(「一番初め」もしくは「最初」でよい。一番と最が重複する)。

昨日出会った屋上屋は、「採血を採る」。

ちょっと特殊な状況かも知れないので、説明。

血液検査をするために採血するときは、採血室のようなところへ行って、腕から血を採ってもらうのが通常である。
ところが、G-CAPをするときは、透析のための脱血・返血のラインを左右の腕から取る。つまり、左右2ヶ所に針を刺す。そのため、検査のための血液の採取はそのときに一緒に行えば、わざわざ別に針を刺す必要はない。

昨日もいつも通り診察ベッドに横たわって、両腕に針を刺してG-CAPの準備をしていた。
確か血液検査のオーダーが出ていたと思ったので、訊いてみた。
担当の看護師さんは、「確認します」と言って、検査のための容れ物を持って戻ってきた。ラインの途中から血液を抜いて容器に詰める。

「はい、採血、採りました」

屋上屋はここで登場したのであった。

考えてみると、ここは屋上屋であっても、この表現を用いてしまう気持ちは分かる。

「はい、血、採りました」
ではナマナマしい感じがする。血を血液と言い換えても、ナマナマしさは変わらない気がする。

「はい、採血しました」
でいいのだろうが、病院において「採血する」と言うと、腕にバンドを巻いて血管を浮き上がらせて、ぶちっと針を刺して血を抜くという一連の動作をイメージする。
単純に痛みもなく、容器に血を流し込むという動作は、ちょっと採血とは違うということなのだろう。

だから、「採血、採りました」という表現になったと考えられる。

「(いつもは)採血(という行為で採る血を、ラインから)採りました」という意味なのだろう。

2007年6月18日 (月曜日)

おっ、落ち着いてきたか? 

V3は見えなくなってきた。
私の住んでいた地域では、Xは放映されたのだが、アマゾンは放映されなかった。緑色のアマゾンの存在は、雑誌の中だけで知っていた。その後、ストロンガーはまた放映されたので、そのときにゲスト出演したときにブラウン管の中に観たのであった。
(ところで今調べて初めて認識したことが。Xの方がアマゾンより先だったのか。今の今まで完全に逆だと思っていた。1号→2号→V3→ライダーマン(弱っちい)→アマゾン→X→ストロンガーの順だと思っていたのだが・・・・違ったのか)

熱が出たりして抗生物質を多めに投入したりすると、腸内環境がメタメタになるようで、アマゾンライダー状態になるのであった。すなわち緑色化する。胆汁の色と思われる。
数週間絶食していたときも、このアマゾンライダーが日に何回も出てくるのである。
何で食べていないのに出てくるのだろう?と思ったものだ。

2007年6月12日 (火曜日)

微妙に改善してきている気がする。

摂食計画を修正。ラコール使用量を減らすことにする。

朝:ラコール 2パック 400kcal
昼:普通の食事 600kcal相当
夜:普通の食事  700kcal相当

2007年6月11日 (月曜日)

ひえぇ、お尻から血がほとばしる(大袈裟)。
通院、G-CAP 2回目。即効性のあるものでないので、まだ「変わりない」という状態で症状のメルクマールにも改善はない。けれども、快方に向かう予感はある。
血圧が上がらずしょっちゅう立ち眩むのが気になるが、薬飲んでるしなあ。

2007年6月 8日 (金曜日)

介護事業会社の問題については、不正申請という根本的な事項および行政処分に対する安易な対応、加えて親会社の主催者がベンチャーの雄で叩けば面白そうということで報道されていると思われる。

ところで、介護事業は「福祉事業」で「聖なる職業」なのだろうか。

くだんの会社を非難するコメントの根拠として、そのようなことが言われているように見受けられる。
しかし、何故それが非難の根拠になるのだろうか?

W県知事はこう言ったらしい。
「法の制裁を逃れようと考える人間が、福祉事業に手を出しているのはおかしい」

揚げ足をとれば、福祉事業じゃなければ手を出していいのか?ということになる。
もちろん知事はそのようなことを言おうとしたのではなく、「福祉事業という公共性が高い(←これも何でそうなのか考えるとクエスチョンな部分も多そうだが)ことを手がけようとする者は、遵法意識を高く持たなければならない」と言いたかったのであろう(好意的解釈)。
ただ、オリジナルの言い方からすると、犯罪者は福祉事業に手を出してはいけないというニュアンスになり、前科者を差別する感覚にまでつながって来るだろう。

それはいいとして、介護事業や医療事業というのは聖なる職業なのだろうか。

そのような感覚は、サービスを受ける顧客側の増長を招くのではなかろうか。超高齢化を控えるこれからの時代には、そのような感覚を考え直した方がよいのではないか、と思うのである。

入院していて、周りを観察していて思ったことである。

患者はけっこうわがままだ。もちろん人によって違うが、かなりわがままなのだ。
もちろん病気等の原因で制することが難しい方も多かろうが、観察をしていて、単に家庭でわがままにしているのをそのまま病院に持ち込んでしまい、特に看護師さんに対してわがままし放題のおっさんもよく見かけるわけである。俗な喩えだが、ここは夜の銀座じゃないぞという感じ。

しかし、聖なる職業の方々はそんなわがままも軽くいなしていかなければならないのであった。それは職業上必要とされるテクニックであるのは事実だが、そんなことに労力を取らせるのはとってもムダを感じる。そのムダが収入につながるならともかく。

ご家族の方が何としても入院させたいと来ている方もおられる。本人は「嫌だー」。
24時間面倒を見なければならないのは、恐ろしく大変なことというのは察して余りある。たまには病院にはいっていてくれたら、すこしはホッとできる。そう感じても間違ってはいまい。
病院がそのような状態の患者もケアできるのは、交代制だからである。あと何時間働いたらオフになる。だからケアできる。そういう面は絶対ある。ギャラがあるからやれる。ノーギャラだったら、できない。そういうことは絶対あるはずだ。

しかし、「聖なる職業」という言い方をするのは、そんなことではない慈善的精神を求めているからではあるまいか。

聖なる職業なんだから、少々のことは我慢しなきゃ。汚いオムツ換えだって、人助けが好きなんでしょ、喜んでやらなきゃ。その人が困っていたら、残業だってしなきゃ。もう、あなた気が利かないわね、もっとサービスしてくれたっていいんじゃない。

ボランティアなそういうことをされる立派な方々もいらっしゃるとは思う。頭が下がるばかりである。
けれども、そういう善意に頼るだけでは無理がありすぎると思う。
だから、介護事業をビジネスとしてやるということをそんなに悪いことのように感じてはいけないと思う。
今回の介護事業者の問題は、介護保険という制度の問題と絡むことを除けば、ごく一般の企業倫理の問題である。福祉事業とか聖なる事業とかは関係ない。

サービスを受ける方だって、相手はビジネスでやっていると思うから、オムツだって取り換えてもらえるのだ。慈善的精神で取り換えてもらうなんて、どうなんだろ?

2007年6月 6日 (水曜日)

通院。G-CAP 1回目。

G-CAPは、うちでは「グルグル療法」と呼んでいる。
って、G-CAPのGはグルグルを示しているわけではない。

つまりは、透析である。血液を体外に循環させて、G-CAPの場合は顆粒球というのを除去するもの。左腕から出た血液が管から装置(濾器ですな)を通って右腕に戻っていく(反対かも知れん)のがよく分かるので、奥さんとの間ではグルグルと呼んでいる。

最初に入院したときも、この療法を行ったのだが、そのときはIVHをとっていたので、そこのラインにちょこちょこっと繋いでグルグルやっていたのであった。そのときは両腕が空いていたので、透析している間、雑誌を読んだりできたのだが、今回は両腕に針が刺さっているのでひたすら寝ていた(普通は両腕でやるものである)。

2007年6月 4日 (月曜日)

通院。
取りあえずG-CAPをすることになった。

2007年5月27日 (日曜日)

爽やかな季節である。
朝早いうちから起き出して歩いてみよう。まだ冷んやりとした空気が顔に心地よい。
日中もそろそろ夏を感じさせる気候であるが、真夏の太陽と湿度のように重くのしかかっては来ない。ちょっと汗をかくくらいの方が健康的だ。
薄着になって軽々とした服装で歩いてみよう。
何と言っても爽やかな季節であるのだから。

ということが、今できないのである。
理由はお腹である。トイレである。今の状況は、常にトイレのことが頭から離れない状態である。
現在地確認、最短トイレ位置確認、これを怠るわけにはいかない。

朝の冷んやりとした空気は、そりゃ心地よい。でもそう思うのは一瞬。お腹への刺激になる。トイレに行きたくさせる。
だから、こんな季節でも外へ出るときは肌が出ない格好をする。紫外線を恐れているわけでなないのに。

ステロイドで免疫が落ちているので、感染予防のために外へ出るときはマスクをしている。この季節にマスクは暑苦しい。それ以前に息苦しい。しかしマスクをしている。紫外線を恐れているわけではないのに。

結論としては、ひたすらトイレの周りをぐるぐるぐるぐる歩いていればよいということになろうが……、当然のことながらそんなの面白くないわけである。
と言うか、ただでさえ怪しい外見なのに、ますます怪しくなるではないか。

2007年5月24日 (木曜日)

摂食計画を早くも変更。

本日は基本的にラコールのみとする。絶対安静が適うなら絶食でもいいかも知れない。
どうも完全に再燃してしまったようだ。下血しまくり。

体感的には、状態を5段階評価すると、最も悪いときを1とすれば今は2くらいの状態である。ちなみに最も良い状態は5だが、UC発症前の健康時の状態をこれと比べると体感的に10という感じ。
一番悪いときは、横になるのも辛い。何故か縦になっている方がいくぶんかでも和らぐ。精神的にも物理的にもトイレに籠っているのが一番楽という感じ。
今はそこまではいっていないが、便回数は増加している。この1週間の平均は13回/日だった。ただ、間隔が空くときは6〜8時間くらいあるときもある。特に夜中に起きてしまうのは0〜1回なので、これは最悪のときに比べてずいぶんと楽。
一度始まると、1〜2時間はトイレとの戦いをせざるを得ない。外出も大変になってきた。

そもそも、立案した摂食計画にはお粥が組み込まれているのだけど、お粥って自分の分だけ作るのって非常に面倒なんだよなあ。かと言って、レトルトのはいまいちおいしくない。炊飯器で炊いた方がお粥でもおいしい。
子供の離乳食は一回に作ってパックで冷凍しておいたけど、その作戦を採ろうか?  でもあれは1回分の量が少なかったし。

と、うだうだしていると面倒になりお腹も空くので、普通のご飯を子供と一緒に食べ、それが大腸を通過するころに苦しむのであった。まあ、ダメなときは何食べてもダメなんである。

2007年5月23日 (水曜日)

摂食計画。

ラコール 4パック/日 800kcal
うどん   1回/日   200kcal
お粥・ご飯 1回/日   200kcal
おかず類        200kcal
お菓子          200kcal
合計で、1,600kcal。これでしばらくいってみよーう。
現在のBMI=19.1。まずまずではないか。昔なら考えられない数値だが。

ステロイドの量を変えなくても、UCの症状が改善したことがあった。この前、心筋炎で入院したときのことである。しばらくお粥を食べていたのであった。よし、それでいくかと思った次第である。

2007年5月20日 (日曜日)

通る物がなければ、すなわち飲み食いしなければ、大腸の具合は落ち着くらしい。
もちろんそんなわけにはいかないので、ラコールに頼る。うどんとお粥と低脂肪ヨーグルトも。
それでも少量ながら通るときは苦しいが、昨日よりはだいぶ良好。おかげで、つくばに行けた。

それにしても、はあ、お腹が空いた。

2007年5月18日 (金曜日)

昨日はお腹の病院、今日は心臓の病院に通院。

お腹の具合が暗転しつつあることを伝えると、医者は頭を抱え込んだ。
ペンタサ、免疫抑制剤はダメで、試した治験も中断しているわけだし、手がないという状況なわけである。
そのままにするわけにもいかないということだろう、何かいじらなくてはならない。
そこで採った手は?

という問題を奥さんに出題したところ、見事に正解をしたのであった。素晴らしい、というか、どうしようもないというか。

心臓の方は大過ないようである。

2007年5月16日 (水曜日)

ラッパのウォームアップミュート(by ベストブラス)は穴が空いているのか。そして、装着のためのクッション部分(ウレタン)はくるりと隙間なく一回りしている。

トロンボーンのウォームアップミュートは、よく見ても穴などは空いていない。吹き込んだ空気をどこから逃がすかと言えば、装着のためのクッション部分が3パートに分かれていて、それぞれの間にわずかな隙間を作るようになっているのであった。ちなみにサイレントブラス(by ヤマハ)はラッパと同じ形式で、空気はミュート部の内部を通って、胴の周りに設けられたスリットから抜けるようになっている。

空気が抜けると言えば、尾篭な話で恐縮だが、UCの症状について、オナラの具合というのがある。
状態が悪いときには、オナラができないのである。正確に言えば、オナラだけ出すことができないという状態である(身も蓋もない言い方をさせていただけば、実も出てしまうということですな)。
反対に言うと、オナラが出るようになると、かなり症状が改善したということになる。
おしっこも一緒である。症状が酷いときはおしっこだけをするのが難しい。
そして、このところオナラが上手く出せなくなってきているのであった。そのほかの指標も照らし合わせると、状態はまた悪化の方向へ転じようとしているらしい。

2007年4月23日 (月曜日)

この冬に入院していた病院では、朝8:30になると廊下のスピーカーから『恋は水色』が流れ始め、それに続いてBGMが日中流されるのであった。BGMには何パターンかあって、クラシック(いつかどこかで聴いた、みたいな感じ)の日もあれば、ポップスをオルゴール風アレンジをした日もあれば、ピアノ曲が延々流れる日もあれば、もちろん歌謡曲をインストでやるありがちな日もあった。

入院した最初のうちは苦しくてあまり動くこともできなかったので、これに耳を傾けていた。名曲アルバム的にアレンジしてある曲の省略の仕方などは参考になったが、いかんせん苦しい気分のときにはBGMは余計なもので気に障って仕方なかった。

一緒に入院していたおじいさんは耳が遠く補聴器を使用されていた。そのおじいさんは訴えるのであった。
「音がうるさくて聞こえないんだよな」
どうやら、補聴器を使っているときにBGMがかぶるとそればかりをうるさく拾って、目の前で話している人の声などを上手く捕らえられないということのようだった。

病院にBGMは要らないのではなかろうか。

2007年4月22日 (日曜日)

心臓を保護するために処方されたを服用するにあたって奥さん曰く、
「心拍数をなるべく上げないようにするのがコツ」

心拍数を上げず、汗もあまりかかない生活って、これはけっこう面白みに欠けるものである。緩慢にしか動いてはいけないということになる。一生これが続くと思うと息が詰まると言えよう。

これらの薬は一般的には高血圧の人が使うことが多いようであるが、血圧低いのよね、私。これで血圧下がると、さらに動きが緩慢になるのかも。

2007年4月 6日 (金曜日)

心エコーを1時間ばかり見られる。長いぜ。
心筋炎の検査だと思うのだが、心室中隔欠損を長いこと見ていたような。実は生まれつき心室の壁に穴が空いている。慥か両生類の心臓ってそんな造りでなかったっけ。
この前のPETでは何故だか頭も見ていたし。
謎多し大学病院。

2007年4月 4日 (水曜日)


奥さんの今年度の勤務先。

心臓PETというのをやる。
体をくくりつけられて筒状の装置に入れられると、閉所恐怖症が込み上げる。2〜3分なら我慢できるが30〜40分と言われているとけっこう恐ろしい。
でも、筒の先っぽが抜けている構造であることに途中で気付き、なんとか助かった。
生き埋めになったら、まず恐怖で気が狂うな。

2007年3月29日 (木曜日)

トイレの記録をノートにつけ始めて1年以上になる。ここ1年の全便回数を集計してみたら2645回だった。ということは一日平均7回を上回る。回数的には6回以上は重症とされているのだが、平均値でも重症なのか?  そんなに悪い気はしない。なんか違う。

ついでにステロイドも集計。もうさすがに10000mgを超えたろうと覚悟して計算したら、ぎりぎりまだだった。現在9500mgくらい。時間の問題。

2007年3月 9日 (金曜日)

通院。心臓の病院。
初診なのでその関係の手続きに時間を取られるかと思ったがそうでもなかった。しかし、縦割組織というか縦割システムのおかげで、科をまたいだ診察が非常に面倒かつエラーが生じやすくなるのであった。
その前に、駐車場不足により公共交通機関による来院が推奨されているのだが、まだ元気のある現在ならともかく、UCが激しくなってきたり、胸が苦しくなってきたりする状態だと、行くのが辛いなあ。乗り継ぎなんで時間はけっこうかかるし。

保育園、久しぶりに行ったらさよなら遠足だった。

2007年3月 8日 (木曜日)

通院。お腹の病院。
自動受付したら採血室があるじゃん。まあ、いいか。トイレに寄ってから採血室に行ったら、採尿もあり。あらら。水を飲んでしばし待つ。
UCや治験と心筋炎との関係は謎。取りあえずステロイドは心臓優先でいきましょうとのこと。治験はもちろん中止。プラセボだったかどうかは全部が終わってからでないと判らないようだ。

子供も熱が高め。ばあばにかかりつけの病院に連れていってもらう。でも極めて元気。

特定疾患関係の恒例の書類、区役所に届けてしまう。

給油。5ヶ月ぶりらしい。

2007年2月22日 (木曜日)


周りに高い建物があるでもなく、それなりに見晴らしが良いので、双眼鏡を持って来てもらって時々覗いているのだが、そんな阿呆は自分だけかと思っていたら、ある病室の患者さんのところにはとても大きくて立派ないかにも双眼鏡というのが置かれているのを発見した。

緊急時コール装置がある施設にいるうちに試してみようと、浴槽にお湯を張ってはいってみた(いつもはシャワーしか使っていなかった)。

2007年2月20日 (火曜日)


心電図のモニタをずっと付けられている。
これはナースステーションで監視されていて、変な不整脈が出たりすると看護師さんがやって来たりする。しかし電極がずっと外れているのに放っておかれることもある。
今日はこのモニタに加えて、ホルター心電図検査というもののための装置も付けられた。SDカードに24時間の心電図を記録して後で解析するらしい。
以前はメモリ媒体にカセットテープを使っていて装置も大きかったそうだ。昔うちにあったPC88でゲームのロードをカセットデコーダからやっていたのを思い出した。

2007年2月14日 (水曜日)

最近の日課。
3-4:00目覚めてしまう。しばし本を読んだりし眠気を誘う。
6:00改めて起床。NHK TV外国語会話視聴(除・水日)
6:30テレビ体操、体重測定
6:45独語講座(聞くだけ)
7:25仏語講座
7:30朝食
8:00西語、たいてい途中で回診
10:00検温、のち散歩・体操・買い物、おやつ
11:00掃除の人が来るので小散歩
12:00昼食
13:20仏語(再)
13:40西語(再)
15:00おやつ
16:00散歩
17:00入浴
18:00夕食
19:00夜の階段昇り、新聞読み
22:00就寝

時間は日によって異なるし、このほかに採血やら検査やらある日ももちろんある。
上に書いてないが、間の時間で本を読んだり絵本を作ったりTVを見たりトイレに行ったり(←最重要)見舞いを受けたりにっきを書いたりしている。

1月分請求書来る。今回は特定疾患使えないから多いぜ。今年も初めから派手に医療費を使ってしまうわ。日本人でよかった。アメリカだったらどうなっていたことか。

2007年2月 8日 (木曜日)

採血。結果順調の模様。
一時期、左腕から血が採れなくなっていた。違う看護師さんが日を替えて3人くらいやっても、失敗して右に挿し直していた。血管ははっきり出て針ははいるのに、何故か引けない=負圧をかけても血が出てこないという状態。血管が固くなっていたらしい。老化か。
最近戻りつつあるようだ。

2007年1月30日 (火曜日)

院内フリーに昇格(?)した。
さっそく階段を伝い階下の売店周り等の界隈を偵察。ほぼ一月振りの階段はきつい。大事を期してよっこらよっこら歩く。病院のスタッフの人に何人も抜かれた。そのうち鍛えて負けないようになるぞ!
レントゲンや心電図やエコーの検査のときは、今までは車椅子で連れていってもらっていたのだが、今日からは自分で歩いて行けるのだった。先々週は厳しいと言うか無理だったけど。
階段の一番上には物干場とあって屋上につながっていたが、扉に鍵がかかっていて出られず。C'est dommage.

ある休息スペースでバインダで綴じた共用の新聞を発見。朝日なのであまり読まれないようだ(*明日辺りのにっき参照のこと)。今までうちから持って来てもらった1日遅れの新聞を読んでいたので、今日の新聞というのは新鮮。

おっと3面にいきなり我らが¥満字2郎氏の名が。
今、漢字に関するトピックス的なことについては、密かに彼がコメンテイターとして第一人者の地位にあるのかも知れない。

2007年1月23日 (火曜日)

肩はまだ上がらず、よたよたとしか歩けないのだが、ちょっと動けるようになってきた。

T邦S倉に電話をしたら、本人ですかと驚かれた。

心不全だと身体に水がたまる。入院する前に実家の体重計で計ったら妙に重かった。機差かと思っていたのだが、その後入院してしばらくは体重が増していく。幸い1月10日をピークに減量に転じた。その後毎日減り続け、丸くなっていた顔も元に戻った。2週間で10kg減。ずいぶんと搾り出たものよ。
が、減りが止まらないのである。毎度のBMIだが、遂に16台に突入だぁ!
スペインのファッションショーのモデルとして出場禁止の領域ではあるまいか。
ただ、身長190cmあったオッペンハイマーは、原爆開発時に苦悩で50kgまで痩せたと云う。まだ大丈夫。

2007年1月22日 (月曜日)

巷では納豆が売り切れていたのか、知らなかった。
そもそもダイエットって、本来は栄養学とか栄養を摂るという意味ではなかったかと思ったが、手元には英語の辞書がなく、仕方なく仏語と西語の辞書を引くと(←まぁスノビズム)、一義的には節食ということになっていた。ふむ、うろ覚えだったか。

耳鼻科受診。採血、レントゲン、心電図、心エコー。
ステロイドはやはり大変に強力であるらしく、心臓周りの状況は好転しているらしい。

問題は反動なんだよなあ。減らした後、治まってくれると信じるしかないんだが。

昔アトピーがあって、腕の曲がり角とか首とかの皮膚が荒れ荒れだったのだが、最近のはそれが外内逆転して、身体のなかの消化管やら血管やらの表面が荒れ荒れという印象だ。

2007年1月21日 (日曜日)

妻子はお弁当を持って見舞いに来てくれ、のち帰千。

胸から上の筋肉がおかしい。うつらうつらする私を見ていた妻曰く、「うん、やっぱり呼吸が止まってる」
息をする筋肉も弱ってる? あと、腕を上げるのに多大なる努力を要する。物を上手く飲み込めない。舌がいつも通りに回らない。字がよく書けない。

ということで、入院生活をエンジョイする計画がいまいちである(←罰当たり)。

2007年1月19日 (金曜日)

ちょっと動いただけで激しく心拍数が増加。心膜炎がまだよくなってないらしい。いろいろ検討した結果(もちろん医者が)、ステロイド増量と相成る。

個室に移る。向きが変わって見慣れた山々。
昨日動脈採血。今朝普通に多めの採血、搾り出される。お腹のエコーも。
船頭多くして何とやら。
今回は特定疾患使えないから、けっこういっていると思われる。

2007年1月16日 (火曜日)

発熱と筋肉痛に悩まされる。筋膜炎という珍しい病気だとしたら、組織を採取して調べるそうだ。それは痛い。

2007年1月 4日 (木曜日)

実家の方の病院で検査。
何と、即入院になってしまった。しかも心臓。心筋炎の疑い濃厚。
昨日おもちゃのような心電図で、しかもあいちゃんも交えてわいわいと計った結果がこれである。まあ、大事に至る前に手を打てて良かったと思えということか。

今までで最も行動制限を受ける。部屋のみ。しかも食禁。

奥さんの初出勤の日を1日休ませてしまう。申し訳なし。

2007年1月 2日 (火曜日)

新年早々発熱。39℃。
点滴。

2006年12月26日 (火曜日)

通院。
治験2回目。点滴で2時間かけて落とし、その後2時間様子を見る。その間に2回血を取られる。
それにしても変化があまり見られないぜ。やはりプラセボか? などといろいろ疑心暗鬼を誘うところが治験の楽しいところではないか。確率2分の1。
次は4週間後、ということは1ヶ月後に通院なのだが、それまでこの状態で保つのだろうか。

2006年12月21日 (木曜日)

やっはり外に出るのはけっこう厳しいものがあるのであった。
近所のスーパーにちょっと買い物に行くのですら、グレート・アドベンチャー。

2006年12月15日 (金曜日)

通院。治験開始。
ポリープは腫瘍性のものではなかったとのこと。
2時間かけて点滴で薬を入れるのでちょっと面倒。
これでプラセボ率50%。プラセボでも効くなら、それはそれでいいと思うのだが。

2006年12月 4日 (月曜日)

CF。消耗。
レミケードの治験にはいるには問題ないだけ悪い(入れた瞬間「ああ悪い」と言っていたので、完全に悪いのであろう)のだが、ポリープがあり、その性質いかんでは治験はできないとのこと。組織検査待ち。

2006年12月 3日 (日曜日)

IBDの催し物があり、特に外科的処置の話を聞きに行こうと思っていたのだが挫ける。

2006年11月30日 (木曜日)

通院。
現時点での血糖値に何ら問題はないのだが、FK-506はやめて、レミケードの治験を目指すことになった。またCFだ。

おっと、また体重が60kgまで落ちてしまった。

2006年11月28日 (火曜日)

通院。CRP=1.4。やっぱり上がっている。治験に向けて話を始めるも、空腹時血糖値が必要とのことで、明後日再度通院することに。しかし今のように次々と便意が襲いかかってくる再燃時は、外に出るのがとってもつらいのである。っていうか、外に出られないのである。

2006年11月14日 (火曜日)

通院。CRP 0.1。
プレドニン止めることにする。
悪化に備えて、ラコールもらう。

と、仏検までは半錠くらい飲み続けるか。

2006年11月 7日 (火曜日)

通院。
過当競争のせいか今まで使っていた薬屋さんが店を閉じてしまったので、今日より薬屋を変える。特定疾患の受給を受けるにはあらかじめ登録しておいた医療機関でないとだめなのであった。

2006年10月31日 (火曜日)

何と、状態が良すぎるので治験にはいれず。悪くなるまで病院で様子を見ているというのも意味がないので、一回退院。

まあ、具合が良くなったのはプレドニンが効いたということだろう。
治験は、プレドニンが効かない or プレドニンを切れない場合のためということで、プレドニンを服用している状態からはいるというデザインになっているらしい。
しかし、プレドニンを使うと良くなってしまうのであった。
それはそれでいいのだが、問題はそれを抜いた後あっという間に悪化することなのである。
相談の結果、一度帰って、プレドニンを減らし、具合が悪くなったらまた入院して治験にはいることに。私の計算では、今度は12月か?

別にそのまま具合が良くなってしまえば万々歳なのだが、今までの流れだとそう簡単にいかなさそうである。

2006年10月30日 (月曜日)

CF。

2006年10月29日 (日曜日)

6時間トイレ中断なしで連続して寝た。何ヵ月振りか。

洗濯。病院で初めてした。点滴ついてないので楽勝。ついていても、今ならだいぶ慣れているから出来るかな。

眠前、ラキソベロン服用、これは眠れんだろう。

2006年10月25日 (水曜日)

ベッドが空いたというので入院。
採血、レントゲン、心電図。
基本コンセプトは治験のための入院ということで、点滴もせず、今回はけっこう楽だ。楽すぎて、すでに飽きたかも。今までのは、取りあえず最初数日はひたすらくたばっていたからなあ。

2006年10月23日 (月曜日)

ちょっと落ち着いてきた。10日振りに「おしっこだけ」というレコード発生。食べるものはかなり慎重に制限をかけている。
62kg、BMI 18をキープ。昨日の回数は12。
脇腹が筋肉痛で痛い。

2006年10月20日 (金曜日)

回数は20回にならんとしている。苦しいので1回あたり10分くらい。そうして計算すると、1日200分。
何と、1日あたり3時間以上もトイレに籠もっていることになるのか! 怖ろしく非生産的。
そしてそれは睡眠時間も関係なくやってくるわけだ。やはり再燃期は苦しい。

ということで、本日はラコールしか食さないことにする(液状の経腸栄養剤なので、行為としては「飲む」のであるが)。

2006年10月17日 (火曜日)

通院。
CRP=5.4。はあ。
入退院センターが5時で閉まるなんて‥‥

2006年10月 5日 (木曜日)

通院。

7月の再燃でドンとぶちこんだプレドニン、怖いので減らすのがそっとそっとになっていたが、ようやく0mgに。問題はこれから。ペンタサも使えず、免疫抑制剤(ロイケリン)も×であったこの身体は、果たしてこれからビオフェルミンだけで緩解維持できるのだろうか?! 乞御期待、といったところか。

奥さん曰く、「NABEO終わるまではプレドニン飲んでたら」
そんなこと言っていいのか?という気もするが、何故かプレドニンがいっぱい余っているので、1粒を割って2.5mgをあと数日飲むことにする。1粒は5mg分なのだが、真ん中に割れ目がはいっていて量の微調整が出来るようになっている(と思っているのだが・・・・)のである。

しかし言っておくが、プレドニンに緩解維持効果はないというのが一般的見解である。

取りあえず、食べる物には気を遣おう。

2006年9月28日 (木曜日)

爆発した背中を医者に診てもらえ、悪性の皮膚癌になっている可能性もある、診てもらって何ともなければ安心できるではないか。

↑は医者の理屈である。「もしかしたら皮膚癌云々」などと言われたら、臆病者の私なんぞは恐ろしくて医者への足も遠のくというものだ。知ることによる不幸というのは必ずある。単刀直入に、「私はあんたの面倒をみるのは嫌だ。だから医者に面倒をみてもらえ」と言われる方がよい。

このようなやり取りを数年来交わしてきたのだが、遂に年貢を納めて皮膚科に行く。
結果、何ということはないようだ。私の勝ち?

2006年9月 5日 (火曜日)

通院。
いつもは午後が外来診療の日だが、本日は午後外で用事があるということで、午前。
するとどうなるかと言うと、診察室がないということになるのであった。
ほかの先生が使っているので埋まっているということらしい。

そのため、いつもなら画面に番号がピンポーンと出て順番を報せるところ、突然看護師さんが「野口さーん」と呼ぶので慌てて立ち上がって向かおうとしたら、本は落とすは眼鏡は踏みつけるわ、ドタバタであった。

そんでもって、診察室が空いてないので、スタッフ・オンリーの廊下のような所で診察。

まあ、その科では一番偉い先生なんだろうけど、若い人たちをどかすわけにはいかないわな。そういうのにまったく頓着しないのが、なかなか素晴らしい。

CRP=0.1。順調。肝機能、改善傾向あるも、まだまだ。

2006年8月21日 (月曜日)

子供は熱も下がり、今日から保育園に復活。

プレドニンの累計摂取量を数えてみる。
1年ちょっと前から摂取を始めたわけだ。
・・・・
おお、6000mgを超えた。

10000mgというのが一つの目安と言われているらしい。うむむ。

2006年8月16日 (水曜日)

通院。結石の分析結果。シュウ酸カルシウム98%、リン酸カルシウム 2%だそうだ。よくあるものらしい。
奥さんからも言われているのだが、カルシウムの摂取が大切とのこと。
カルシウムが結石になるのに何故?ということだが、カルシウムは腸管中でシュウ酸と結合してシュウ酸カルシウムになると腸からは吸収されなくなり、尿中へのシュウ酸の排出を抑制してくれるからとのこと。ということで、シュウ酸は抑制した方がいいのかも。シュウ酸は、ホウレンソウやチョコレートに多く含まれているはずだ。
あと、脂肪も少な目にということだ。脂肪酸が腸内でカルシウムを喰ってしまうかららしい。
UC的にも、チョコレート、脂肪は禁忌だから、この辺は一挙両得(日本語の使用法が変)。

待ち時間に本日の体力作り。
20060816__1

病院の周りを散策。入院中から裏の道が途中から無舗装路になることは知っていたのだが、その先を進むんでふと振り返るとこんな看板があるとは・・・・知らなかった。
草をかき分け進んでいたときに悪い予感はあった。せいぜいシマヘビかアオダイショウくらいかと思っていたのだが・・・・。でも、ちゃんと地図に載っている道だし、すぐ隣は高等学校の敷地なんだけど。

子供は発熱。元気はあったが保育園を休んで、奥さんの実家に預かってもらった。奥さんは当直で昨日の夜から不在。

2006年8月 4日 (金曜日)

デタ━━━━(゚∀゚)━━━━ッ!!

20060804_3_1

こんな大きな物(直径約1cmの球形に近い)が尿管に詰まっているのだから、水腎症にもなるわけだ(幸い私の場合今回は尿が流れていたらしく、腎臓は特に変化なかったようだが)。しかし・・・・・、恐ろしい。ヒリヒリツーだぜ。20060804_1s_2

2006年8月 3日 (木曜日)

石はどこかに落ち着いたらしく、本日はボルタレンを使わずに済む。動けるようになる。

子供発熱。保育園を休む。

2006年8月 2日 (水曜日)

昨日の夕方からお腹がしくしく痛み出し、夜ほとんど眠れず。おそらく結石が動き出したものと思われる。
明け方たまらず冷蔵庫から痛み止めを取り出し、お尻から挿入。痛みがあるときに使うようにと前にもらっていたのだが、今までぜんぜん痛みがなく、使用していなかったもの。
ところで、医者に行って処方をしてもらって薬を手に入れることを「薬をもらう」という言い方をするが、本来は「買う」であろう。保険が効いているとは言え自己負担もあるし、そもそも保険料だって負担しているわけだし。
痛み止めは、某氏の強力頭痛薬と一緒である。さすがに効いたみたいだが、本日使いものにならず。

2006年8月 1日 (火曜日)

通院。3000発。いい加減何回目だか分からなくなってきた。
今日のはキツかった。台への微妙な乗り方の違いなのか、それとも装置の電極の新旧か。

2006年7月25日 (火曜日)

通院。午前中が結石破砕で、午後がUC。
恒例の腹部レントゲン。ちょっと石の形が変わってきたらしい。本当かいな?
終了後、めちゃくちゃ時間が空くので、無料の送迎バスに乗って駅前まで時間潰しに行く。冷房が効いた建物の中にはいると、とたんにお腹のコントロールが難しくなる。
午後、病院に戻ってUCの診察。血液検査なし。プレドニンをちょっとずつ減らすことにする。本人も公言してはばからないのだが、結構ガンガン減らすのがポリシーのS先生。不本意ながら、私の場合は慎重にということらしい。奥さん曰く、「普通は大胆に減らすことはできません」。

2006年7月13日 (木曜日)

通院。3000発。今日で4回目だが、変わる気配はないようだ。いいのか、こんなんで?
全部で何回までやれるのか訊いたら、そういうのはないとのこと。つまり無限にできるらしい。最高で100回という人がいたそうな。100回って、あんた、1回30分くらいやるから、延べ50時間かよ。

病院の行き帰りに、西語と伊語のラジオ講座をチェックしてみる。
西語は、私の耳には「キャラキャラキャラキャラ」と聞こえるんだな。フィリピンの方の言葉に似ている。とてもエッジが立っている感じ。
伊語も同じくちょっと耳につく感じがあるが、仏語とかなり通じるものがあろう。
ということで、次は伊語にするか。使い道はないんだけど。音楽生活的にはあるか。

2006年7月11日 (火曜日)

通院。目指せ、レミケード。

2006年7月 6日 (木曜日)

通院する。CRP=6.0、白血球17000、再燃だ。
敗因は、(頭痛に負けて)免疫抑制剤を減らしたことであろうという結論。
そろそろ始まる治検を勧められる。
予約日でないので、採血結果待ちまで含めると6時間待ち。頼むぜ、新オーダーリング・システム。どこが受注しやがったんだ?
仕方なく、プレドニン30mgから再開。


土曜本番なのだが、大丈夫だろうか。

2006年7月 5日 (水曜日)

いかん、再燃したようだ。

2006年7月 4日 (火曜日)

またまた3,000発。
結石はなかなか固いらしい。

最初のイメージでは、1回やればそれで砕けて2~3日で排出されるということだと思っていたのだが、1回では砕けないこともあるらしいと聞かされた。その場合でも費用は一緒(最初に支払う費用のなかに含まれる)と言われていたが、そう聞いた後のイメージでは2~3回もやれば終わるのであろうと思っていた。

しかし・・・・・、なかなか砕ける気配がない私の結石。

ふと、治療室のPC画面を見ると、私の破砕治療の履歴を入力するらしき画面。
3回目まで埋まっている。日付、パワー、何発やったか等。
ブランクの欄がどこまであるか見たら・・・・、15まであった。
画面右端を見ると、さらに下にスクロールできるようだ。どこまでやるんだ?

2006年6月27日 (火曜日)

発熱続く。石が出るのか?

2006年6月20日 (火曜日)

通院。
腹部レントゲン写真によると、結石はほとんど変わらない位置に変わらない形であるということで、衝撃波2回目。また3000発。
骨盤を金槌で叩かれているようで、結構痛いときがある。四分音符=120なので、3000発やるには25分はかかるわけだ。
この25分をどうやり過ごすか?
スピーカーで増幅された絶え間ない等時間隔の衝撃音、まさに練習でテンポ、リズムを矯正するときの環境である。
フランス語で数を数える練習でもするか。しかし私の能力では四分音符=120のテンポに着いていけないのであった。例えば「カトルヴァントレーズ」、こんなの0.5秒で言えないわけだ。「きゅうじゅうさん」なら言えるのに。

ということで、やるのはノルマのメドレーの譜面の構想練り。
四分音符=120のテンポに乗せて、曲の構成(というより、つなぎ方だけど)を考える。

終わって消化器内科の受診。頭痛について相談。薬の量の調整を試みる。

ところで、病院は先週から診療予約、会計、薬の処方、各科や検査の管理等を統合的にやるシステムを大々的に導入した。
診療の質の向上と待ち時間の短縮を狙ったものだそうだが、案の定手間や時間は以前よりかかっているのであった。私も、診察室に置かれた端末を前に四苦八苦する先生と一緒になって「ここを選択するんじゃないですか」とか解読をしていたのであった。
そのうち慣れるんだろうけど。

それとは関係ないのだが、待ち時間についてクレームをつける患者さんがいた。気持ちは分かるが、その言い分は気持ちいいものではなかった。
曰く「○○市長に話するよ」「知り合いに東京都の医師会長がいる。話するよ」。
あほか。っていうか、すれば。
手慣れた様子で看護師さんが対応していたが、大したものだ。
その患者さん曰く、「ほかの人に迷惑にならないよう先生を変えるとか言わない」。
看護師さんってかなり忙しいので、20分も待ち時間のクレーム対応させたらほかへのシワ寄せ必至だと思うのだが。

2006年6月14日 (水曜日)

忘れたふりをして免疫抑制剤を飲まなかったら、頭痛は発生しなかったようだ。ある意味、1ヶ月ぶりくらいに爽快。
しかし、何もしないと直ぐに再燃することはこの前分かったし、また飲んでどうなるか見てみないと。

2006年6月 9日 (金曜日)

試しに、半分に割って飲んでみる。

2006年6月 6日 (火曜日)

通院。
右尿管に結石があるということで、これを破砕するべくSonolith Praktisという機械にかかる。一応手術だそうだ。
衝撃波で結石を壊すということみたい。

何となく思っていたのと違った。結石の在処をサーチして、いろいろ機械を調整して狙いをつけて、ドンッという感じで衝撃波を投じて壊す、というイメージだった。で、ドンッのときに痛みや熱を感じるのかと思っていた。

ちょっと違った。
衝撃波は、何度にも分けて連続的に発射されるのであった。
そのテンポは、確かめたら四分音符=120。
合計、3000発やりますということで、カンカンカンカン3000発を右腹部から打ち付けられた。あまり良い気分になるものではなかった。
この日のやつだけで流れ出るといいなぁ。

スーパーピアノレッスンは『道化師の朝の歌』。
ご存じの通りこの曲はオーケストラ版もあって、私が東大オケで初めてトップを吹いた曲である。今ではどうだか知らないが、スコアがべらぼうに高かった。
トロンボーンはそんなに吹くところは多くないのだが、それなりに面白かった。金管分奏となると、トランペットとホルンに恐怖の3連符が出てきて、どうしても捕まる、もとい、ここの練習に時間が費やされるのであった。
トロンボーンにあの3連符(の連続)が出てこなくてよかった。あんなの吹ける気がしない(吹けても合う気がしない)。
自分的には、最後にぺろっと出てくるソロ(というほどでもないんだけど)のことがどうしても頭を離れず、といった感じであった。
その後、東大オケは2000年に80周年記念演奏会というのをやって(団体TのT氏が幹事をしてくれた)、OB一発オケが結成されたのだが、そのときに『道化師の朝の歌』も取り上げられた。私はこの曲には乗っていないが、そのときにも何か懐かしい思いで聞いた記憶がある。

ベロフ先生のスーパーピアノレッスンを観ていると、結構オーケストラの響きを意識した言葉が多く、この曲に関してはラヴェルが自身でオケに編曲しているので、ラヴェルの求めた響きを知るうえでたいへん参考になります、というようなことを言っていた。

それにしても、何か、この日の放映には、『道化師の朝の歌』に関して、目から鱗が落ちた思いである。なるほどと思うこと数知れず。
もし、今度この曲を、オケでも、ブラスアンサンブルのアレンジでも何でも演ることになったら、一段と違う思いで取り組めるような気がしてきた。

2006年5月29日 (月曜日)

通院。造影剤を静脈に入れてレントゲン写真を撮る検査。結石は、どんぴしゃ尿管の上に乗っていた。

本日の夕食。久々に自分で用意することができた。
カツオとアボカドの和え物、ポテトサラダ。

2006年5月27日 (土曜日)

やっぱり、頭イテッ あたままッテット j'ai mal à la tete !

通院。
予想CPP4.0、実績値4.9。
お腹のレントゲン。またまた石らしきもの発見。ただし、エコーでは腎臓は普通とのこと。
しかも、最近背中が張るのが左側だったのだが、結石は右。ふ〜む、相変わらず自覚0の症状だこと。

2006年5月25日 (木曜日)

J'ai mal à la tete テット ッテ ッテ っ痛!

2006年5月24日 (水曜日)

通院。F先生。
炎症反応下がり中。でもまだまだ高い。CRP 7.4。白血球は1.8Kだし。

頭痛対策、生まれて初めて耳鼻科を受診する。怖かった。終わってみたら何ということもなかったけど。

大腸カメラでもなんでもそうだけど(胃カメラはやったことない)、身体の中に異物を入れられるのに甚だ弱いんだよな。
女の人って、えらいわ。

2006年5月22日 (月曜日)

一旦うちへ戻る。
右鼻の奥が痛くて、ひどい頭痛だ。微熱。

2006年5月20日 (土曜日)

抗生剤を飲んで一日くたばっていた。
SLBEの練習に行こうと思っていたのだが断念。
午前中の保育園保護者懇談会、音楽教室(新シリーズ)、夜の理事会をすべて奥さんにお願いしてしまった。奥さんは合間に病院に仕事に行っていた。

2006年5月19日 (金曜日)

通院。 体感の通り、CRPが11.2に跳ね上がっていた。あんなもの、体感できるわけがないのだが。ちなみにCRPの正常値ゾーンは、0.0~0.5らしい。
多分、感染症だろうとのことで、原因を究明するべく胸のレントゲン+尿検査。
いまいち合点がいく結果ではない。よく分からないので、抗生剤でバンバン叩くみたい。
点滴も一応入れてみる。
自分で、車の運転や子供の世話を出来そうもないばかりか、食事の用意もつらそうだったので、今日から奥さんの実家にお世話になることにした。

2006年5月18日 (木曜日)

やばい。
戦時中なら、もうだめだな。平和で助かった。

2006年5月17日 (水曜日)

発熱続く。動けず。寝たきり。

2006年5月 9日 (火曜日)

通院。CRPが2.0に跳ね上がっていて、S先生は「またダメかと思った」そうだが、お腹の様子は今のところ大丈夫そうではある。
ということで、プレドニンを20→10mgに減らし、免疫抑制剤を増やすことに。免疫抑制剤の単位がよく分からない。

子供を迎えに行って帰り、巷で噂のスーパーピアノレッスンのベロフ先生を観ながら、夕飯を食べる。

子供が、食卓を用いてピアノの説明をしてくれる。

(右の方を叩きながら)「こっちの方がキレイな音がするんだよね」
(左の方へ叩きながら)「こっちはタイコみたいな音がするんだよね」

確かに、画面ではベロフ先生が「左手はティンパニのように」(注:字幕スーパー)などとおしゃっている。

しかし、キレイな音とタイコみたいな音・・・・・。

もしかしてうちの子供には音程という感覚はないのであろうか・・・・

2006年5月 8日 (月曜日)

ちょっと回復傾向か?
散歩再開。しかし、トイレとの戦いに敗北を期す。

2006年5月 4日 (木曜日)

微熱、啖続く。アンチバイオテック攻撃に走る。

2006年4月20日 (木曜日)

先週末から今週頭にかけては、こりゃまた入院するしかないか、というような気分であったが、さすがにステロイド投与により回復の方向性が見えてきた。本日、久しぶりに自分で料理できた。でも、歩いたり階段昇ったりするのがツラい。プチ入院してたのと同じ感覚じゃ。

ああ、遠のく社会復帰・・・・

つーか、何やってるんだろうねオレ? というよりも何もやっていないんだよね、これがまた。いいのかね、こんなことでと思うわけだ。何なんだろうね、このお腹。

2006年4月18日 (火曜日)

下血と戦う一日であった。と書くと、なんだか恐ろしい。

2006年4月16日 (日曜日)

朝は熱が下るも、午後再び発熱。再燃かあ…

2006年4月13日 (木曜日)

通院。血液検査を本日は行う。案の定、CRPの値が跳ね上がっていた。
ただし、肝臓の状態は正常に。
ということで、プレドニン大量投与と相なる。しかも、免疫抑制剤付き。
40mg。これは、入院して一番最初に投与した量と同じくらいの大量である。自分としては、結構デンジャラス。

2006年4月11日 (火曜日)

お腹の具合が甚だよろしくないので、普通のご飯を抑え気味にして補助栄養食を摂ることにした。 フレーバーなし。

2006年4月 8日 (土曜日)

受診。
緩解維持の手は何も打てていない状況であったわけだから、やっぱりダメであったかと。
そりゃあ整腸剤は飲んでいたけど、さすがにビオフェルミンだけで安定するなら、そんなに苦労はしないわけである。
ということで、ステロイドで押さえることとなった。逆戻りだなあ。

病院から帰って来て、独語仏語を聞こうと思ったら、録音されていない。
どうやら、落雷でタイマーがリセットされてしまっていた模様。応用編だから聞き流しだし、いいっか。

2006年4月 7日 (金曜日)

波が… 悪い方に…。

2006年4月 6日 (木曜日)

会社に手続きに行く。調子もそう悪くない旨、伝える。午後、セミナーを受講。子供を迎えに行き、夕食を作って食べながら、奥さんの帰りを待つ。

と、下血。背中と腹部にもやもやとした鈍痛が。熱を測ると微熱。

どわあぁ、ピンチか!?

2006年4月 3日 (月曜日)

夜半に目覚めると背中が痛い。腰の辺り。
どのような姿勢をとっても痛い。眠れず。

朝、 発熱。この日一日ほとんど動けず。

2006年3月 7日 (火曜日)

通院。3時間待ち。後から聞いたら、血液測定の機械が壊れていたらしい。
肝臓は正常値に向かっている。
プレドニン 10mg→5mgに。前回はここからなかなかプレドニンが切れなかったのだが、今回はいかが相なるか。

2006年2月21日 (火曜日)

通院日。
血液検査。肝臓状態改善ならず。脂肪肝なのだな。
多分ステロイドのせいでしょうということで、肝心のお腹の具合は良好なので、減らす。プレドニン 20mg→10mg。

ところで、脂肪肝といえばフォアグラである。結婚式の披露宴などで何度か喰ったことがある。綴りは foie grasかな。これがガチョウの肝臓を人工的に肥大化させたものであることは知っていたが、語感的にフォアグラのグラあたりがガチョウを指すものだと思っていた。何となくグースと似ているではないか。で、フォアグラの意味は「ガチョウの肝臓」なのだと思っていた。ところがどっこい、初心者が仏語をかじるといろいろと発見がある。フォア:foie=肝臓、グラ:gras=太った、という意味ではないか。foie gras=fat liver:脂肪質の肝臓。何ともそのまんまの言葉なのであった。

2006年2月14日 (火曜日)

退院日。
朝、突然お腹のエコーを見ましょうとのこと。Y松先生が当直明けなので、朝食前に見る。
そう言えば、退院前に1回見ましょうと言っていた。見てもらったが綺麗なものらしい。懸念の腎臓も異常なしとのこと。よかったよかった。

10時過ぎ、退院。1ヶ月ぶりにうちに帰る。今回は、あまりうちが小さく感じられなかった。期間が短かったせいかな。
とは言え、29泊30日。また1ヶ月入院してしまった。
しかも、前回からの経験でいくと、ちょっと調子を悪くするとQOLにも支障が出てくる。今後どうしていくか考えなくては。取りあえず、しばらくは自宅にて静養&体力回復。

なお、一部に勘違いしている人がいるようだが、今年の医師国家試験は2月18日~20日である。数年前までは2日で済んでいたらしいが、今は3日間かけてやるらしい。

2006年2月13日 (月曜日)

高カロリー輸液をぶち込み過ぎたせいか、若干の肝障害が残るも、明日退院決定。
同じようなタイミングで退院予定の人が一斉に体操をしてたりするのがおかしい。

2006年2月10日 (金曜日)

CF。
横行結腸真ん中で行き詰まる。惜しい。とは言え、ずいぶんきれいになったらしい。来週脱出か。

2006年2月 6日 (月曜日)

点滴をつないだまま寝るのもずいぶんと慣れたが、やはり外してもらった方が楽だな。
本日は発熱なし。2日間休んでいた仏語復習再開。

2006年2月 4日 (土曜日)

朝食後、発熱。夕方微熱まで下がる。すぐ熱が出る身体になってしまった。あと2週間で出られるだろうか、怪しくなってきたかも。
食事、全粥にグレードアップ。
噂のラコールを試してみる。意外と飲めるじゃん。

2006年1月31日 (火曜日)

胃腸は夜活動するのか。UCは夜中病だ。なかなかまとまって眠れん。

2006年1月30日 (月曜日)

痩せたぁ~。
現在58kg。

2006年1月26日 (木曜日)

無事、本来の病院へ転院。各種検査。

2006年1月20日 (金曜日)

もう一週間ヒゲを剃っていないのだが、写真をアップ出来ないのが残念だ。実はcocologの設置をしてあるのだが、携帯からの書き込みの設定の途中で入院になってしまったのだった。

病状は、ステロイドの集中投与で落ち着いている感じ。

2006年1月17日 (火曜日)

申し訳ありません。いつか来たコースをまた辿り初めてしまった。

2006年1月12日 (木曜日)

通院。月曜CFになった。