音楽の小路

2009年11月 4日 (水曜日)

会社法界隈で最近の流行は、反対株主の買取請求権の問題であるらしい。
M&A等の場面において、それに反対する株主は会社に株式を買い取るよう請求する権利があると法律で定められているが、問題になるのは、言ってしまえばただ一点、「いくらで買うか」である。

当然のことながら、株主は少しでも高く買ってもらいたいし、会社は少しでも安く買いたいわけで、利害の相反がここにある。商法から会社法に変わり、この部分における定めも変わったこともあり、今流行りの問題であるようだ。

でも実際の場面でそれは、シナジー効果をどう評価するかになってくると思われる。

で、昔ちょっと合併しかけたことがある会社にいるささやかな経験で考えると、そういうM&Aの場面では、往々にして「シナジー効果」というプラスの面にしか目が行かなくなるような気がしている。

M&Aによるメリットばかりが強調され、そしてそれはスケールメリットだとか管理部門の統合だとか幅広い品揃えの実現だとか、どちらかというと計算しやすいものであり、だから(そのM&Aを進める当事者は)シナジー面しか見えなくなってくるのではなかろうか。

でも、一歩引いて考えると、果たしてシナジー効果ばかりなのだろうかという疑念が湧いてくるのである。

ここで喩えを思い切り卑近にして、NABEO界隈でM&Aが行われたとしてみる。

なお、以下で団体名として表すアルファベット表記は、ランダムに生成したものであり、特定の団体を想定したものではないことをあらかじめお断りしておく。

具体例として、PCとSWが合併することになったという場合を挙げる。

[シナジー効果]
・合併によるスケールメリットから、より大きな音が出せるようになる。
・音域の幅が格段に拡がる。
・互いにない楽器を補うことによる演奏曲目の拡大。特にガブリエリなど。
・事務手続きの統合による運営業務の効率化。
・固定費負担の削減(集約による練習場代やホール代の節減)

新聞を賑わすM&Aで、フィナンシャル・アドバイザーやコンサルタントが入って作るプランでも、けっこうこんな(単純な)感じでシナジー効果だと言っていることが多いような気がする。東京と熊本を往復する交通費などは誤差のうちとなる(^^)。

しかし、PCとSWが合わさってやるガブリエリって、面白いと思うだろうか。
ガブリエリでなくたって、合わさってやる音楽が、一発芸としてなら興味津々だが、恒常的に今以上の面白さを提供していくことができるのだろうか。
事務手続きの苦手なPCの事務を、SWの番頭さんが一手に仕切ってくれたとして、それを「業務の効率化」と称えていいのだろうか。

つまり、合併することによって失われてしまうものはないのか、ということである。

直感的に思うのだが、たぶん失われてしまうものはある。
理論的には、それ以上にシナジー効果が評価されるのでM&Aが遂行されるわけだが、その結果として失われるもっとも大きいことは、不完全さやアンバランスに依拠している「面白さ」なのではなかろうか。
そして、実はその「面白さ」こそがレゾンデートルだったりしないのだろうか。

ところでM&Aは往々にして事業の整理を伴い、不要な部門は切り捨てられることもある。
PCとSWの合併の場合にも、そのような部門はあるわけで、それがN口という人間であることは想像に難くはあるまい。

繰り返しになるが、以上のシミュレーションにおいてイニシャルで示した団体名はあくまでランダムの架空のものである。

2009年11月 2日 (月曜日)

パソコンを買って、インターネットのプロバイダなるものと契約をし、インターネットを使い始めたのは1996年のことだった。
今では想像だにできないが、当時は「インターネットをする」ためのプロバイダとの契約とは別に「パソコン通信」のための契約もしていた。
別にそれが人より早かったとはぜんぜん思わないのだけれど、当時のPではそれらが必需デバイスとされる雰囲気で、中では私は遅いほうだった。
Pのサイトは最近では更新が滞っているが、開設したはの1996年だったから、早めのほうだっとはいえよう。

さて、その当時、検索エンジンに「トロンボーン」と入れてヒットした数がどれくらいか、記録もないので定かではないが、私の記憶にある分を記してみる。

プロフェッショナルなトロンボーンの人で、その当時「ホームページ」を構えていた人で私が思い出すのは亀谷さんである。
氏が果たして日本で最初のインターネットにサイトを開いたプロ・トロンボーン奏者なのか私は知らないのだが、とにかく初期であったことは間違いないと思う。

今でもそうだが、当時からインターネット上には海の物とも山の物とも分からない情報が跳梁跋扈しているという雰囲気があった。
今は、インターネット上のコンテンツに何某かの権威付けを求める風潮があるが、そんな制御はあとから事実上の影響力の大きさに驚いて何らかの規制を求める筋からきたもので、もともとは自由奔放放任無制限の世界だったと思われる。
最初に恐る恐る「ネット」を覗いてみたときから、すでに玉石混合、見分けるよすがは自分の眼だけというフロンティアな世界がそこに拡がっているように私は感じていた(ような気がする)。

1996年当時、サーチエンジンのサイトで検索をかけてヒットする海の物とも山の物とも分からない情報のうちに、トロンボーンと検索してヒットするなかにそれはあったように思う。

ここから先は私のうろ覚えであり、半分想像がはいって話をつくっている怖れがある。

「トロンボーン」と入れてヒットしてたどったそのページは、とあるトロンボーン奏者が作っているホームページのようであった。
何やらいろいろとトロンボーンの鍛錬のための蘊蓄が語られているサイトだった。
書いている人は(今でも多くのサイトがそうであるのと同様に)どのような人かは分からないが、九州の方に住んでいるらしかった。

ふーん、いかほどのものかいな?

怖れを知らない私は、そのような不遜なことを考えてしまったのであった。

それが本当に不遜で怖れを知らない所業であることを知るまでにはその後数年を要しなかった。
つまり、世の中にはすごいトロンボーン吹きの人がいるところにはいるということを知るまでには。

しかもしかも、それが本当に本当に不遜で怖れを知らない所業であったことに気づいたのは、世紀を跨がなければならなかったような気がする。つい最近まで、といってもあながち間違いではない。
つまり、私にとって幻の「あの」サイトの作者と、実は面識があったのではなかという可能性に思い当たるまでには。

インサイダー情報の提供を受けるのは、堪えられない愉しさがある。

2009年10月30日 (金曜日)

業務終了後、神保町経由でカザルスへ。
神保町では、現在古本まつりが開催中だった。
つられて歩道の露店の書棚を覗きながらふらふらと通りを歩いていたら、「直進方向=新宿」の道路案内標識。
あれっ、逆だったと回れ右して、文庫川村で現在品切重版未定の岩波新書黄版176を見つけて買う。
そののちカザルスへ。
生黒金さんを初めて目の当たりにする。噂通りの巧さだった。

2009年10月17日 (土曜日)

楽器回収@宝。

トロンボーンの練習@ティアラ。スタミナ保たず。

今日保育園の運動会だったのを忘れていたのを思い出してぎりぎりセーフだったり、前回以来1年半ぶりの再会で音出ししたりと、いろいろ出来事があったにかかわらず、ぜんぜんモード切り替えできず。なんか、ずいぶんと深いよ。

2009年10月13日 (火曜日)

呆けた。

ピストンの本番終わる。
3桁には遠く及ばなかったが、いつも聞いていただいているお客様や、初めてのお客様にお越しいただいて感謝。アンケートのなかに、予想もしなかった意外な懐かしいお名前を発見してびっくりもした。
(私信:Kくん、本当にお久しぶりです。ご来場ありがとうございました。お元気でしょうか。もしよろしかったら、こっそりメールをください)

個人的には、今回は相当にミスが多い演奏をしてしまったのが悔やまれる。
いわゆる息があがった状態がずっと続いてしまったような感じ。
それが私の限界である。我ながら、そんな諦め感があっていいのかと思われるが。
ピストンとしての演奏についても、どうなのだろう、人によって感じ方が違うのはいつものことだが、私には必ずしも会心というわけではないもどかしい思いは残る回であった。

演奏中にずっと思っていたのは、「ああ、W気くんいないのかなあ」ということだった。
本番の舞台上で、あらためて今回の演奏会にはW気くんがいないことを認識させられたのである。W気くんがいないと、キッツイなあ、と思いながら吹いていた。

私はBass TrumpetなのでW気くんがいようがいまいが関係ないはずなのだが、ホントきついのであった。

終わったあとつらつら考えて思い出したが、今回2年ぶりとなる今回のキックオフは、昨年6月の浅草での飲み会であった。そういえば当時私はオストメイトだった。そこで、W気くんは出ないということで、どうしようと話をし始めたのがその時。私はこう考えたのだった。

「1回ボロボロの時期があっても、それはそれでいいじゃないか。今回のコンセプトは、ボロボロでもやる、でいこう。素を晒してでも、やり続けることのほうがいいのではないか。そういう時期を越えて、また次の山が来る」

それからすると、今回それなりに仕上げてきたと思われるが、それなりに仕上がっているという慢心から、初心を忘れてしまったのかも知れない。初心、すなわち、ボロボロでもやる、を。本当はW気くんを欠いてボロボロだったという事実が、本番上の舞台で顔をもたげたのかも知れない。

それは私一人が勝手に心のなかで思っていただけで、W気くんがいないからボロボロというのは、それを文字通り捉えられてはほかのフツーのトランペットの人に失礼な話だ。あくまで私の勝手な心象風景であって、それぞれの演奏者には別の思いがそれぞれにあったはずである。今回は私の譜面書きしたものを多数とりあげてもらった。毎度ながらほかの演奏者には感謝である。『夜空のトランペット』なんて、M岸以外に人前で実演できないと思うし、個人的にはキース・ジャレットをやってもらえたのがとっても嬉しかった。

プログラム作成は私の任務だったので、いつもお世話になっている方々への謝辞を記載させていただいた。S沼さんのしゃべりは、その仕込み時間の短さが信じられない快調さとフレキシビリティ----伸び縮み自由というのがたいへん重宝----だし、受付のY野さんは開場から開演までたった15分といういつもながら変則的な様態にかかわらずそつなくこなしてくれるし、たいへんに多忙で連絡もなかなかつけることのできないI林さんがリリア練習室に現れたときは一同安堵のため息をもらした。録音のM岸さんは、今や数名のスタッフを抱える一大観客群となっている。

ビデオ機材の供出も私の担当だったので、ビデオをまわしてくださったT中さんにもたいへんにお世話になった。終演後速攻で楽器をしまって着替えてビデオ機材の回収に向かったのだが、お願いしてもいないのにコード周りとかすでにきれいにリセッティングしてもらっていた。なんとも非の打ち所のない好青年である。

しかし、でも、あの、最初に言ってよ、O日向さん、彼がそうなんだって。
いや、なんか、そうなのかなあという雰囲気は感じたけどさあ。

ということで、正直に申し上げると、私が呆けることになった一番の要因は、それにある。なんかフクザツなハートブレイク感を覚えつつ、ご健勝と末永い幸せを祈らせていただきたいと思う。本当におめでとうございます。

2009年10月12日 (月曜日)


ピストンクラブ第16回定期演奏会

日 時:2009年10月12日(月・祝)18:45開場 19:00開演
場 所:川口リリア音楽ホール(JR京浜東北線川口駅徒歩1分)
入場料:無料
演 目:
 1) コレッリ『合奏協奏曲第9番』
 2) ペルゴレージ『悲しみの聖母』
 3) ネリベル『3つの小品』
 4) ピアソラ『私の隠れ家』『バルダリートに捧ぐ』
 5) キース・ジャレット「ケルン・コンサート」IIc
 6) ニニ・ロッソ『夜空のトランペット』
 7) カーペンターズ『イエスタデイ・ワンスモア』
 8) ピストンクラブ編 オリジナル・メドレー・シリーズ 第16弾

 アンコール 『翼をください』


2009年10月11日 (日曜日)

TTC本番。TTC市場最多の350人を超える多人数にご入場いただく。多謝。

といいつつ、私も安田講堂にはいるのは初めて。
ほとんどおのぼりさん状態で、「ほほう、こうなっているのかあ」。
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今回は第30回という記念の回で、実行委員長を務めてくれたH氏(10)のおかげで、かくも盛大で記憶に残る演奏会が実現し、私もその場に居合わせとてもいい思いをすることができて、感謝と敬服の念を抑えることができない。

T野さんはじめ伝説の諸先輩方や久しぶりの後輩諸氏も集まり、大同窓会。
よく考えたら、Y山さんと吹いたのも10年ぶりくらいだった。
K澤さん(会長)にも久しぶりにお会いし、拙譜について過分のお言葉をいただいた。というか、ちょっとしか聞いておられないと思ったのに、鋭い突っ込みに畏れ入ってしまった。

翌日も本番であるのだが、演奏会が終わった後に飲みに参加しないことは、とっても後悔することが過去の経験で判明しているので、酒が飲めるようになった昨今、一次会で痛飲できるだけ痛飲した。

2009年10月10日 (土曜日)

先週と同じコース。午前TTC@駒場→午後夜PISTON@つくば。

2009年9月29日 (火曜日)

NABEOに行けなかったのは、やはりさびしい。

TTC方面の噂(というか、主にML。一瞬OB---しかも私より一回り上の、いわゆるバレソ世代---を中心に大盛り上がりだった*)でA氏がおやりになったことは聞いていたのだが、手記を読んで次のくだりには夜中に大笑いした。

脱ぎの背後には必ずT見がいるとは

さすが、バストロ。ここはあえて手記の記述者の名誉のために、ベーストロンボーンではなく、バストロと書いておこう。

*なにしろ、私的には伝説のT野さん(one of バレソ創世期メンバーにして、TTC創設者)までがひょっこり登場する勢いなのであった。

2009年9月23日 (水曜日)

譜面書き。
結局この休みのうちで譜面書きに費やせたのは今日一日であった。とりあえず、ほぼ音は並べ終わる。約500小節20分。ただしコーダはまだかんがえていない。3日くらいかかりそう。10小節もない予定だけれど。

2009年9月22日 (火曜日)

PISTON練習。

世間はNABEOなのだろうが、参加可能人数が(どういう理由か定かではないが)少なく、今回Pは前回に引き続きパスさせてもらっている。なのに、今日の練習では昼夜の2コマ連続。全員揃う。いいのか?

加齢のせいか、はたまたPの構造的問題か? 2コマ続きの練習はかなり疲れる。
とりあえず、今回の譜面は30数枚だったが、それはいつもと変わらない。やはり加齢か。

そして、私は発見してしまった。

話は先週のTTCの合宿に遡る。

レッスンでの一つの私的にトピックだったことに、「鼻で吸う」というのがある。
十分に息を吐いて、しかるのち鼻から息を深く吸うと、たくさん空気を肺に入れることができる、ということだと思われ、また、口からはあっと吸うと口(アンブシュア)のセットが崩れてしまい、また振動する部分も乾いてしまい、よろしくない、ということだと思われる。

鼻から吸うというのは、I井先生、昔言っていたかなぁ? ともかく今回のレッスンで私的にはこれが一番のトピックであった。

しかし、鼻が詰まるせいなのか、私は鼻だけから吸うのでは楽器の演奏におぼつかないのである。
よって口からも吸うのだが、今日発見したことは、恐るべきことであった。

けっして意識しているわけではないのだが、トロンボーンを吹くときとバスラッパを吹くときとで、口から吸う息の向きが違っていたのだ。

私は基本的にアンブシュアがなっていないので、楽器を吹くときに頬が膨らんでしまう。トロンボーンを吹くときは、右の頬が膨れる傾向にある。
ところで、トロンボーンの演奏中にブレスを取るとき、私は口の右側から----右側だけを開いて----空気を取り入れている。
意識的にこうしているわけではなく、自然にそうなってしまう。
これは、私がトロンボーンの吹奏中に右の頬が膨れるのと関係があると思っている。左側は閉じたままである。

だからたぶん、アンブシュアのセットとしては、左側を軸において行っているのだと考えられる。

ところが今日バストランペットを吹いていて、改めて発見したのであった。

なんでかはぜんぜん分からないが、バスラッパを吹いていて息を吸うときには、口の左側から吸っている!!

たしかにマウスピースは違うものを使っている。バスラッパのほうが一回り小さい。その関係?

でも、どちらの楽器でも、気持ちとしては「まっすぐに」構えているつもりであるし、鏡やビデオを見ても、比較的左右方向はまっすぐ構えるほうだと思っている。ラッパはともかく、トロンボーンは圧倒的に右側に傾いている人が多い(ゴルフ的表現でいえば、スライス?)。それに比べて、手が長い私はけっこうまっすぐに構えているつもりである。

でも、トロンボーンとトランペットで息をする側が違うことに気づき、いささかの戸惑いをおぼえている。
要探求。

2009年9月16日 (水曜日)

ヴァン・マッコイ 『ハッスル』は、スタジオの待ち時間か何かに30分で作ったそうだ。

いではく詩・遠藤実曲『北国の春』は、いで氏が持っていった詩を一瞥した遠藤氏が、「ちょっと水割りでも飲んでて」と言いおいて二階に上がり、5分後に降りてきたときにはもう出来ていたそうだ。

宮川彬良『マツケンサンバII』は、ファクシミリで送られてきた歌詞を読んでいる端からメロディーが浮かんできて出来てしまったそうだ。

かぐや姫の『神田川』は、喜多条忠が電話口で読む詩を聞きながら、南こうせつが折り返し歌って5分で作曲したそうだ。

得てしてそんなもののほうが出来がよいことがあるというのも、私の卑小かつ低レベルの経験にあたっても、さもありなむと思う。

2009年9月15日 (火曜日)

バッハの無伴奏チェロ組曲の研究。

2009年9月13日 (日曜日)

岩井海岸が大変に近いことが昨日判明していたので、朝食の後失礼しようと思っていた予定を変え、朝コマの最初のほうに参加させていただく。

基礎トレ。
楽器が上手になるには、それ相応の鍛錬を重ねなくてはならない。
つい、ショートカットをしたくなるのだけれども、それを糾されるのであった。

TTCの合宿からPの練習へ移動。

子供を(奥さんの実家から)回収して帰宅。

2009年9月12日 (土曜日)

TTC合宿。

N田に行くのは5年ぶりだった。
ETCもカーナビもついていないので、うろ覚えのまま走行。
館山道のインターの名前はどれも同じような感じで、「えい、ままよ」とばかりに降りたところが当たっていた。飯を食ってから、何となくの映像的記憶を頼りに進み、めでたく到着。
うちから電車で駒場まで練習に行くより、車でN田まで行くほうが遥かに早いことが判明した。
昼飯を頼んでいなかったので、インターを降りた後食っていったのだが、ストレートに行ったら1時間ちょっとで着いちゃうみたい。恐るべし、高速道路。

アンコール・ピース用に用意した譜面を音出ししていただく。多謝。

しかし、朝昼晩とN田の食事をして、夜の宴会であの鍋。そんなに食えんぞ。若者はすごいね。

2009年9月 3日 (木曜日)

ピストンのCh子さんのPCがお逝きになったということで、メドレーの担当部分が手書きの譜面で配布された。
わおっ、新鮮! となったのが前々回だかの練習。
配布されたスコアではかさ張るので、自分の分はパート譜を作ることにする。打ち込むのは面倒なので、手書きで作ろうとしたが、さすがに最近手書きしていないので、五線紙がない。
仕方ないので、エクセルで五線紙を作って、書き写し始めた。

1曲写し終わり、次の曲を写し進めているとき、ふと何かがおかしいことに気づいた。

「あれ? 段間違えたかしらん…」

そして、よくよく確認したら、エクセルで作った譜面用紙には、線が6本はいっていることが判明した。

老眼か?

2009年8月27日 (木曜日)

青柳いづみこさんの話を聞きにいく。

会社のあるビルの隣のビルの一角にKEWOODのショールームのようなものがあるのは前から知っていた。
昼休みなど、サラリーマン(って私もそうだが)がこのショールームのオーディオ装置の前で腕組みして座っている図をガラス越しに見てはいたのだが、今まではいったことはなかった。
何しろ丸の内界隈の通りに面した1Fの店舗はいずれも敷居が高く、なかなか足を入れがたいところばかりである。もっとも、KENWOODのここは、ブランド・ショップを呼び込んで丸の内を改造し始める以前あった記憶があるし、周りと比べて恐ろしげな印象はない。

そのショールームを使って行われたのが、『アッシャー家の崩壊』プレイベントであった。
ドビュッシーの未完のオペラ(原作はポー)を来月浜離宮で青柳さんのプロディース(もちろん演奏もあり)でやるということで、その宣伝も兼ねたというイベント。
こじんまりとしたところなので、30人も入れば満杯で肩を寄せあう状態。出演者とも2~3mの至近距離。
なにしろ、会社の隣で入場無料なので、「生」青柳いづみこを見られる貴重な機会とばかり出かけた。というか、隣のビルに行った。

要はトークショー+サイン会なのであるが、なかなか面白かった。
トークの相方として登場していたのが、ジャズ評論家の岩浪洋三さんであった。
氏は名前だけは存じているが、未読である。
ご本人の風貌が誰かに似ているなあとずっと感じていたのだけど、翌日思い当たった。
自動車評論家の三本さんである。何となく似ている気がする。酒井法子と長山洋子並みに似ているような気がする。

私は根はミーハーなのに、有名人のサインをもらうということに対して「けっ」とひねた態度をとってしまう癖があって、今まで誰かにサインをもらったということがない。あのPJ様のサインもけっきょくいただかなかった(一緒に写っている写真は宝物であるが)。

ということで、サインをいただくのは初めて。

そのために、昼休みに丸善まで回って講談社エッセイ賞受賞作(何と交通会館の三省堂では品切れだった)とその隣にあった最新刊を買っていったのだが、あの手のサイン会というのはその場で著作を求めてサインをしてもらうというのが普通なのであろうか。
最新刊(『指先から感じるドビュッシー』春秋社)のほうは譜例も満載でかなりマニアックな内容っぽく、今後文庫本になることはなさそうだったので単行本で買うことに問題はないのだが、講談社エッセイ賞受賞作(『六本指のゴルトベルク』岩波書店)はそのうちどこかが文庫で出してくれる可能性も感じられるので、普段の私のポリシーからすると単行本を買うことは我慢するのだけれども、サインをもらうという「特別な事情」があるので買ってもよいと自分を納得させた。

しかし結局その場で買った本にサインをもらうのが礼儀なのかも知らないと、まだ手に入れてなかった『翼のはえた指 評伝安川加壽子』(白水社)を買ってサインしてもらった。

トークのなかで、岩浪氏が『ショパンに飽きたら、ミステリー』(東京創元社)に言及しており、青柳さんが「絶版じゃないんだけれど、なかなか置いてない」とおっしゃっていた。
当日持ち込まれたいくつかの著書のなかにも、これは含まれていなかった。

ということで、持参した『ショパン~』にもサインをしていただいた。第1刷。
20090828
トークのなかで私的に大いに受けたのは、「講談社エッセイ賞の賞金は、今度の公演のために右から左に流れることになった」というくだり----青柳さんが金銭の話はからりとしていて素晴らしいと感じる----と、「『ショパン~』に比べて『六本指~』は岩波だからハイブロウ」というギャグである。

2009年7月31日 (金曜日)

トロンボーンのトラに呼ばれた。
1番はF澤さんで、2番はO部くんだった。
(F澤さんは大学オケ、O部くんは高校ブラスの後輩なので、面識はない)

私は3番だった。

練習場について、楽器を取り出し、練習が始まった。

渡された楽譜に書いてあるのは、牛肉の写真だった。

でも、曲はアルヴァマー序曲だった。

聞き覚えで吹いた。
(3番のパートなんて、吹いたことはないので、覚えちゃいないんだが)

目は譜面を追う。牛肉。
でも、音は浮かんでくる。
吹いた。

つかまった。トロンボーンの3番だけ一人吹きしろといわれた。
吹いた。

上手くいかなかったらしい。

みんなが白い目で自分を見ているのを感じた。

……目が覚めた。
久しぶりの、「吹けない夢」。

私のなかでは、アルヴァマー序曲は、牛肉と結びついているらしい。もちろん、すき焼きやシャブシャブではなく、ローストビーフ

2009年7月29日 (水曜日)

宣伝。 演奏予定曲目を公開しているのは、ここだけではなかろうか。


ピストンクラブ第16回定期演奏会

日 時:2009年10月12日(月・祝)18:45開場 19:00開演
場 所:川口リリア音楽ホール(JR京浜東北線川口駅徒歩1分)
入場料:無料
演 目:(予定)
 1) コレッリ『合奏協奏曲第9番』
 2) ペルゴレージ『悲しみの聖母』
 3) ネリベル『3つの小品』
 4) ピアソラ『私の隠れ家』『バルダリートに捧ぐ』*
 5) キース・ジャレット「ケルン・コンサート」IIc
 6) カーペンターズ『イエスタデイ・ワンスモア』
 7) ピストンクラブ編 オリジナル・メドレー・シリーズ 第16弾 *


*印は譜面作成途上であることを表わす。
しかし、ピストンクラブにしてみれば、本番3ヶ月前のこの時点でこれほど譜面の揃っているのも珍しいといえよう。
しかも、*印についても、ピアソラはほとんど出来ており、メドレーについても7~8割方は出来ているというのは、稀有といえるかも知れない。さすがに1年飛ばしただけのことはあるか。
しかもしかも、もしかしたらあと1曲やるかも知れない。ニニ・ロッソとだけ明かしておこう。

2009年7月28日 (火曜日)

バレンタインのトラに出た(約20年前)奥さんに、本当のところ何の楽器を叩いたのか聞いたところ、「ボレロでテューバからミュートを引き抜く重要な役をやった」との返答を得た。
たしかにそれは滅多にやらせてもらえないし、たいへんに重要であると、私は大きくうなずいた。

2009年7月27日 (月曜日)

記憶力は怪しく、記録は気まぐれなうえに散逸してしまうのが私の性向なので、ホームページを開設したのちは、聴きにいった演奏会の覚書をホームページに記すことにしてみた。

「してみた」といったが、もうかれこれ7年分くらいはたまってきた。

ところで、先々週に行ったバレンタイン(SVBE)の感想文をいまだアップできずにいる(ここでいうアップには、書き上げるという意味と、アップロードの意味の2つがある)。

一番大きな理由は、N村さんのページに前史から始まるバレンタイン大河物語1Q××シリーズが連載中ということである。
思わずこれを読みふけってしまい、また数々の新発見があり、バレンタインに関して書こうとするとこれを避けて通るわけにはいかず、怖いもの知らずで勝手な戯言を並べるのが甚だ難しくなっているからである。

しかし、いつまでもそうこういってられず、次のKlangも聴いてしまったばかりなので、早いとこアップしようと思う。

記録文化のアングロサクソンもかくやというN村さんの詳細な記録が、当時の自分の記憶を掘り起こし、たいへんに興味深く、また郷愁すら誘う。

それによると、私が最初にSVBEの演奏を聴いたのは、1986年6月8日(日)であったらしい。
大友直人さんの指揮で『展覧会の絵』がメイン。その曲の前には『王宮の花火』。おぉぅ、そんなすごいプログラムだったのか!
そう、大友直人さんが振るという光景は覚えている。田舎からぽっと出の青年(私)にとって、そんなメジャーな指揮者と一緒に演奏するなんて、と、バレンタインの偉大さをまざまざと見せつけられた日であった。

演奏曲目ばかりか出演者もしっかりと記録されているN村さんの綴るバレンタイン1Q××シリーズには、なんとうちの奥さんの名も登場しているのであった(1990年6月17日(日))。トラでパーカッションをしたのだろう。

その記載の続きによると、バレンタインは1990年6月23日(土)には、日本橋三越本店で山形物産展の余興演奏をしていることになっている。

これって、もしかして私も演奏にご一緒させてもらったものかしら。
「山形物産展」だったというのは初めて知ったが、日本橋三越で吹いた記憶は、たしかにある。
何しろ当時は、S田さんかS村さんあたりから、「今度の○曜の×時、△△(場所)へ来て。必修」とかいわれて、「はい、分かりました」というのが当然の姿であった。多少の誇張はあるが。
だから、三越でSVBEに混ぜてもらって吹いた記憶はあるが、それが山形物産展だとは知らされてはいなかったし、当日もほとんど初見の譜面を追うのが精一杯で、周囲の状況を見る余裕など何もなかったということしか憶えていない。

このたびのN村さんの記録を見ると、この三越営業はバレンタインの定期の翌週(というか、日曜本番のその週の土曜)のことであり、そのための練習をやっていたとは思われず、私は、営業慣れしたSVBEの方々の手馴れた演奏のなかで一人足を引っ張っていたのであろうと、まったく冷や汗が止まらない。

遡って、1987年11月3日(火・祝)。
第1回日本アマチュアブラスアンサンブルフェスティバル。

NABEOである。
いかなる事情でこれが発足することになったかという経緯も、1Q××シリーズを読んでいると浮かんでくる(つまり、前年のバレンタイン&大阪んのジョイントコンサートがきっかけになったということらしい)。

ところで私個人もこの第1回のNABEOには関係させてもらった。
といっても、出演したわけでもなく、サントリー小ホールに聴きにいったわけでもない(たぶんそうなのだ。その記憶がないから)。
何かというと、Y本さんからいわれて、NABEO打ち上げのセッティング等の下働きとして働いたということである。
これもN村さんの記載によると幹事団体はフェスタということであるから、もしそうならフェスタの誰かからいわれたのかも知れないが、いずれにしろY本さんの「部下」であったことは一緒であるから、たいした問題ではない。
NABEO第1回は、サントリーの小ホールで華々しく開催された。
時は1987年。歴史の教科書的にはバブル時代である。
打ち上げも、さぞ華々しく、赤坂か六本木で豪勢に行われたとお思いだろうか?

ぜんぜん違う。

第1回NABEOの打ち上げは、駒場東大の学生食堂において、とにかくローコストで執り行われた。
今は知らんが、当時、学生食堂を借りてコンパをすることができた。
場所代はなしで、飲食はほぼ原価。持ち込み何でもOK。とか、そんな感じだった。
その代わり、机や椅子を並べたり、食べ物や飲み物を並べたりするのは、ぜんぶ自前でやる、とそういう場所だった。

なんの遠慮もなしに楽器が吹ける、というのも特筆すべき特長だろう。

で、生協に予約をしたり、人足をしたり、会計をしたり、みたいな下働きを現役生が担当し、東大だけでなく近郊の他大学からも駆り出されて来ていたのであった。

それが私とNABEOの最初の出会いであった。

2009年7月26日 (日曜日)

ヤ○ハ音楽教室の本番(トロンボーン)。
夜Klang@葛シン。

2009年7月22日 (水曜日)

来月発売予定のダークダックス大全のCD(2枚組)は、買ってしまうかも知れぬ。

2009年7月 1日 (水曜日)

ファラ・フォーセットが亡くなっていたことを、遅ればせながら昨日知った。

マイケル・ジャクソンと同じ日だったそうだが、マイケルの死も総会で忙しく、日本時間26日の午後に知った。会社で言ったら、「えっ、知らなかったの?」と言われた。

でも、誰もファラ・フォーセットが亡くなったとは教えてくれなかった。
今年にはいってからは、私にとって、栗本薫(中島梓)さん級の訃報である。

ファラ・フォーセットさんは、おそらくマイケル・ジャクソンと同日に亡くなられたため、メディアでの扱いは小さくならざるをえなかったのだろうか。

同日に亡くなったため、その死が軽んじられた(?)例としては、1953年3月5日、プロコフィエフの死がある。
同日、スターリンが死亡し、日本の株式市場では翌日日経平均が10%の暴落を示したらしい。
10%といえば、前日10,000円だったのが、翌日9,000円まで落ちるということであり、リーマンショックの記憶が新しい今ではそう大したことではないように思うかも知れないが、一日で下がったらこれは今でもかなりショッキングな暴落であろう。

というくらい、スターリンの死は極東の小国にも大きな影響を及ぼしたのであり、一作曲家のプロコフィエフの死は忘れ去られてしまったのであった。

とはいえ、プロコフィエフの死は、このように極東の小国の21世紀の小市民ですら、まだ知っているのである。
ロシアの当時の人口が何人だったかは知らないが、仮に今の半分くらいだったとしても、同日に死亡したロシア人は数千人はいたと思われ、その数千人は「たまたま」スターリンと同じに日に死んでしまったばかりに、いろいろと周囲の人も大変だったと思われる。

2009年5月30日 (土曜日)

P練。

録音機を買って以来、これを使ってみてるのだが、曲ごとに初めから録りっぱなしにしておいたのを、帰宅後に配布のため編集していると、練習時間のほとんどを言葉によるコミュニケーションに費やしていて、楽器を吹いている時間はほんの僅かだという事実に気付き、興味深い。
って、練習時間の大半はおしゃべり(馬鹿話)に費やされているという事実に気付き愕然とする。

近年の練習ではとみに吹いているよりだべっているほうが長くなった、なんてという自覚はないから、これはもう昔からそうだったようだ。

2009年5月27日 (水曜日)

まとまりがなく心に響いてこない合奏の一種に、いわゆる「オレがオレが」というのがある。
「オレが目立ちたい」「オレが美味しい旋律をやれればそれでいい」「オレの素晴らしい音を聞けよー」というのばかりが透けてきて、結局なにを言いたいんだか分からない演奏に堕するというパターンである。

しかしこの「オレが」と思う気持ちはかなり大切なのではあるまいか。
合奏だけでなく、各種共同作業においても通じる話なのではあるまいか。

問題なのは、「オレが」という思いが、「オレだけが」とか「オレが一番に」という方向に行くことにあるのだろう。

ここは「オレが」やる、と、トータル・バランスのなかで素直に思えるかがポイントなのだと思うが、そうはなかなかいかないところが人間心理の難しさだろうし、そもそもトータル・バランスとはなにかということ自体が、相対的で人それぞれの捉え方があろう。。

2009年5月17日 (日曜日)

築地でハイドンのコンチェルト。

2009年5月 8日 (金曜日)

ブックマークをつけていないパソコンで、N村さんのblogを見ようと、検索ワードをしばし黙考し(*1)、「なかなか屋 トランペット」と入れたら、それこそ、なかなかたどり着かなかった(*2)。

もう一度黙考し、入れたワードは、もちろん「ナチュラルトランペット」。

素晴らしい。Wikipediaの次、2番目に現れ、無事目的を果たせた。

(*1)"Once A Trumpeter"が思い出せなかったのである。
(*2)"なかなかや"が正であった。それだと一発。

2009年5月 3日 (日曜日)

ナマ中川英二郎とナマ小曽根真を観に、朝から丸の内に出かける。

2009年5月 2日 (土曜日)

奥さんを病院に送り出し、子供を長野に送り出し(祖父付き)、譜面書きに専念。
「気球にのってどこまでも」を終了。
Pのメドレーの最後の部分なのだが、我ながらあまりにバカバカしい仕上がりに、採用が危ぶまれる。とりあえずアップ。

2009年5月 1日 (金曜日)

譜面書きは、これから「気球に乗ってどこまでも」をなんとかしたあとは、SLBEの色物にとりかかる予定となっている。

色物のほうは、曲の並びと奏者のマトリクス表までは作ったので、あとは資料を集めながら書いてゆくだけなのだが、ちょいとばかり後ろ髪を引かれる事態が発生。

選曲候補に挙げながら落とした曲のなかに、再考を促す発見があったのだ。

片方の曲は、1966(昭和41)年。もう片方の曲は、1979(昭和54)年。
どっちも古いっちゃ古いことには変わりないのだけれど、1979年のほうは、2008年にEXILEがカバーしていたりしたらしく、人口膾炙度は1979年のほうかと思っていた。

けれども、1966年のほうには、なんと記念碑が建てられたりしているらしく、また、当時紅白にも出たようで、年配のかたの方面には、こちらのほうが膾炙しているかも知れないと考え直したのである。

テーマ的には、1966年のほうがジャストミートであり、1979年は変化球。
やはり、戻すか…。

が、しかし、1966年と1979年とは曲調が著しく異なる。前者が渋めで後者は派手だ(私の感覚では)。
当然のことながら、適任ソリストも両者では異なり、1966年ならMさんだが、1979年はTさんである。
しかも、マトリクスは既にできている。良い出来か悪い出来かはともかく、一応いろいろな流れや面子割りを考えて全体を構成している。
全体のトリをどうするかというのは、わりかし重要なので、これを変えるとなると、すべてを組みなおさなくてはならない。

ということで、1966年はやはり採らないことにした。
すみません、M川泰先生。

2009年4月28日 (火曜日)

歌謡番組に見入ってしまった。

いくつかの条件が重なったことによる。1)奥さんが当直で不在だった。2)休日前だったので酒を飲む練習をしていて、いい気分になっていた。

しかし、ニュースに続いて出てきた映像に惹かれたことが大きい。
何故なら、そこに写っていたのは、大阪シンフォニカーが演奏する姿であり(あっ、oboe見るの忘れてしまった)、ポイントは指揮棒を振っている人であった。藤野浩一
実は、不勉強な私は氏の名前を知ったのは昨日のことであった。たまたま読了した本が宮川泰さんの本で、そこに文を寄せている一人に藤野氏がいたのであった。

これぞ、まさしくシンクロニシティ。

その本では、藤野氏は、宮川泰のスコアコピーをこっそりとゴミ箱から拾い出して、それを見てテクニックを盗み取ろうとするという、高級料理店の厨房もかくやという印象的なエピソードを描いているのであった。

藤野氏の伝では、日本中のアレンジャーの憧れは、前田憲男、服部克久そして宮川泰となっていて、なるほどと思うわけである。

NHKの番組は、近年あまり見られなくなった(と思われる-何しろあんまりTVを見ないので)正統派音楽バラエティであって、生オケで歌伴をするというそのスタイルも、今ではのど自慢でかろうじて見られるというものの、フルオケがやるというのはそうなく、とても興味深いのであった。

近年の傾向かどうか知らないが、番組ではちゃんとアレンジャーの名前もクレジットされていた。昔はこんなのなかったと思う。
「8時だよ、全員集合」」の盆周りなどが、たかしまあきひこさんの手によるものだと私が知ったのは、インターネット時代になってからである。

それでも、番組中、ちょっとした音楽(宮川大助・花子の登場のBGM)や、コントでやった六甲おろしのいろいろなバージョンは、これこそおそらくは藤野氏のアレンジだと思うのだが、クレジットはなかった。
でも、どう考えても、全編中これが一番面白かったわいな、私には。
まあ、アレンジとしては、極めて真っ当な普通のアレンジだったとは思うけど。
でも、映像で見られるというのは貴重だ。

2009年4月 3日 (金曜日)

思いついて、クレヨンのつく曲を探したら、真っ先に引っかかるのは「クレヨンしんちゃん」だった。却下。

2009年3月20日 (金曜日)

似ている曲というのは世の中にたくさんあるわけだが、本日発見したもの。

銀河鉄道999(銀河鉄道999のオープニング)

真赤なスカーフ(宇宙戦艦ヤマトのエンディング)

20090320_fumen_4   

歌い出しのアウフタクトからして一緒であるし、2小節目から3小節目にかけてオクターブの跳躍がポイントであるところも同じだ。

世に松本零士の名を知らしめたこの2つのアニメの曲だから、私の頭のなかでも同じ方面のカテゴリーに格納されていると思われる。

必要があって銀河鉄道999のTVアニメーションのほうのテーマを思い出すことがあって、思い出していたら、999のイントロから真赤なスカーフのメロディーにつながってしまったのであった。

ちなみに、この2曲の作曲者であるが、真赤なスカーフのほうはヤマトだから宮川泰であり、999のほうは売れっ子平尾昌晃である。

もし同じ人が書いたのだったら、同じような時期に同じような仕事で書いた譜面であるから、似ていることに気づいて、後から書かれた方がボツになった可能性があるのではなかろうか。

2009年3月19日 (木曜日)

懸案事項が片付いたとき、思わず出してしまう口癖。

「よし、これで解決黒頭巾っと!」

我ながらなかなかのオヤジぶりを発揮しているぜ。

かなりリキを入れて譜面書きをしたのにかかわらず、音出しもされずに放っぽかれている楽譜がいくつかある。その一つに「金管十重奏のための『怪傑黒頭巾』」というのがある。
編成は一般的なPJBEスタイル。
縁なくて私はブラスアンサンブルには常駐していないので、今の今まで音を出してもらう機会を逸している。マルマンのルーズリーフに書いてあるから、譜面にしたのはだいぶ前に違いない。

2009年3月15日 (日曜日)

『気球に乗ってどこまでも』には気がつかなかった。

手拍子…、あったね、確か。えっと、|ウン、チャチャンチャチャン|だっけ?

とり急ぎ、手拍子を確かめる。ふむふむ、サビに入ったらアフタービートで打ち始めるのか。なるほどなるほど。

リサーチをしていると、子供が寄ってきて歌いはじめた。知っているらしい。
2009年3月現在小1の、うちの子も知っているとは、かなり人口に膾炙している。

オリジナルは、昭和49(1974)年の課題曲とのこと。
個人的には、M郷中での演奏会でM賀さん編のオケ番で吹いたのが懐かしい。

なお、この曲のイントロ(だけ)は、私がピアノで弾ける数少ない曲の1つなのであった。Cdurだからだけど。

EXCELのファイルを見て、なんだか妙に意欲が湧いてきてしまった。

2009年3月 8日 (日曜日)

(続き)

卒業ソング・メドレーの譜面書きをしたとき、選から落とした曲がある。
尾崎豊は、悩んだのだが、やはり長調ゆっくりの曲なので、貴重な短調の曲である「春なのに」を採用した(同じく貴重な短調のS&Gは、洋楽は使わないという縛りのため採用を見送った)。「大地讃頌」や「赤いスイートピー」は、卒業というと思い浮かべる人も多いらしいのだが、内容的にちょっと違うのでやめた。いずれも長調ゆっくりの曲なので、無理して入れる余地がなかった。

このたび、平成生まれにとっての卒業ソングとしては、「旅立ちの日に」とか「手紙~拝啓一五の君へ」とか「3月9日」というのが思い出されるということを知った。前二者は知っていた。「旅立ちの日に」はさすがに採用した。アンジェラ・アキは、この曲が2008年度の合唱コンクール課題曲だったところ、譜面書きをしたのは2007年秋だったため、採用のしようがない。最後のは、アーティスト名からして、このたび初めて知った次第。

Youtubeをざっと見まわして確かめた感触では、合唱曲として使われると、一気に卒業ソングとして浮上してくるようである。

しかし、ここでも私の観察結果が、元号を超え世紀を超えて当てはまることが分かった。

つまり、すべからく長調ゆっくりの曲である。

(了)

【惜しくも選から落とした曲】

卒業(尾崎豊) 長調 ゆっくり
サウンド・オブ・サイレンス(サイモン&ガーファンクル) 短調 ゆっくり
思い出がいっぱい(H2O) 長調 ゆっくり
大地讃頌(合唱曲) 長調 ゆっくり
赤いスイートピー(松田聖子) 長調 ゆっくり
【今後作るとしたら選ぶことを考える曲】
手紙~拝啓十五の君へ~(アンジェラ・アキ) 長調 ゆっくり
さくら(森山直太朗) 長調 ゆっくり
思い出のアルバム(幼稚園卒業歌) 長調 ゆっくり
【このたび初めて知った曲】
桜(コブクロ) 長調 ゆっくり
3月9日 長調 ゆっくり

コネタマ参加中: 「卒業」と聞いて思い浮かぶ曲は?

2009年3月 7日 (土曜日)

卒業ソング・メドレーをやっ(てもらっ)たのは、1年前である。
メドレーで何の曲を取り上げるか考える際に、一番ネックとなったのは、ジェネレーション・ギャップについてであった。要は、最近の卒業ソングを知らないとのだ。もっとも知らないのは卒業ソングだけではなく、最近の歌全般についてそうであるが。

にふちぃのこのブログサービスは、私は相変わらずウェブ日記として使っているのだが、勝手にいろいろなサービスを始めたりやめたりして煩わしい。などと言いつつ、コマネタというのに釣られて、書いてみる。

卒業ソング・メドレーでは、結局開き直って、昭和30~40年代生まれ世代辺りをターゲットにした選曲ということにして、後に挙げる11曲をメドレーにした。 前にも書いたが、候補曲を並べてみて、改めて気がついたことがある。
それは、卒業ソングというのは、すべからく「長調でスローテンポ」ということだった。

メドレーの選曲にあたっては、私はその曲の属性を分類して、あまりに同じような曲ばかりにならないようにしている。
属性といっても、調とテンポの2点から、それぞれ長調or短調/速いor遅いで分類するだけで、つまり4つのカテゴリーに分けるだけなのだが、これでも取捨選択に迷ったときにはかなり手がかりとなるし、曲の並べ方を考えるときにも参考になる。すなわち、同じ属性の曲が並ぶと飽きるので、属性を頼りに並べ方を考えるのである。歌詞があれば言葉の力に頼ることが出来るが、楽器だけの演奏では変化がつけにくいため、属性の異なる曲を隣り合わせにしてメリハリをつけるのである。

出来あがった卒業ソングメドレーは、最終的に次の並びになった。属性も合わせて記す。

1.仰げば尊し(唱歌)

長調 ゆっくり
2.卒業写真(松任谷由美) 長調 ゆっくり
3.贈る言葉(海援隊) 長調 ゆっくり
4.微笑みがえし(キャンディーズ) 長調 はやい
5.今日の日はさようなら(森山良子) 長調 ゆっくり
6.乾杯(長淵剛) 長調 ゆっくり
7.春なのに(柏原芳江/中島みゆき) 短調 ゆっくり
8.なごり雪(イルカ) 長調 ゆっくり
9.卒業(斉藤由貴) 長調 はやい
10.旅立ちの日に(合唱曲) 長調 ゆっくり
11.蛍の光(唱歌) 長調 ゆっくり

このように、大半が長調ゆっくりの曲であることが分かるであろう。

(続く)

コネタマ参加中: 「卒業」と聞いて思い浮かぶ曲は?

2009年2月28日 (土曜日)

箪笥町とティアラとバッティングの日。
迷ったが仕方ないので、先にお誘いいただいた箪笥町のほうに行く。

2009年2月26日 (木曜日)

久しぶりに出るピストンのNABEOの舞台だった。
ステリハで席について、いざ音を出そうとしたところ、バスラッパの調子がおかしい。なんだか息が漏れるなあと思い、見たら3番管が欠けて脱落しかけていた。触ると、ネジがぽろりと落ちてなくなった(*1)。
そうこうしているうちに、主管にもヒビがはいっているのが見つかって、触っていたらぽろりと主管も欠け落ちてしまった。
「ごめん、出られなくなっちゃた」
私が壊れた楽器を示して言った。
NABEOの場なら、ほかの楽器だったら誰か貸してくれる人がいるので急遽代わりの楽器を手配できるが、バスラッパだとそうはいかない(*2)。
すまない、私のせいでピストンの演奏ができなくなってしまってしまったと、私が申し訳なさそうにする間もなく、トップを吹いていたS井さんは立ち上がり、会場に向かって呼びかけた。
「誰か、テナーとアルト歌える人いますか?」
そしておもむろに私やメンバーのほうを向いて続けた。
「ここは編成を原曲どおりに戻して歌を入れてやりましょう」
それは、壊れた楽器を手にして途方に暮れた私を置いてきぼりにしていくということを意味した。
S井さんは私に軽く一瞥をくれただけで、ピストンの演奏を最善のものにするべく逸早く必要な行動に出ていたのである(*3)。
「のぐちさん、何か楽器に上からものすごい圧力をかけちゃったんじゃないですか」
落ち込む私に、隣のCh子(*4)さんが慰めるように話しかけてくる…

はい、もちろん夢の話。一度起きてから再び寝て明け方に見る夢は奇妙なものが多い。

夢だから、そのときには整合性がとれている気でいるのだが、覚醒後考えると論理的でない。

なぜ私のバスラッパが壊れた代わりにテナーとアルトを声で歌えばリカバーできるのか、いかなS井さんのアレンジ・マジックをもってしても謎である。

(*1)私のバスラッパの3番管にネジはついていない。
(*2)最近ではNABEOでほかのバスラッパを調達するのも不可能ではなさそうだ。
(*3)現実世界でのS井さんは思いやりにあふれた人である。ただし、ピストン全体の気風として「去る者は追わず」的な風潮は強い。いつぞやのウランバートル事件やら猪苗代でのT木くんドタキャン事件のときやら、名残惜しむのではなく、とっとと対応策にいそしむといった気風である。
(*4)低音のスペシャリストであるCh子さんは、それゆえ私の隣に座ることが多い。

2009年2月25日 (水曜日)

トランペットは基本的に左手で支えるが、右手についても小指をかけるフックがあり、左手を放しても右手だけで支えて演奏することは可能である。

けれども、薬指を使うパッセージのときには、小指をフックにかけていると吹きにくい。
Gdurでは小指は浮かせっぱなしになったりする(in B♭)。
昔ある曲で、いつも小指を放すのを忘れて引っかかるため、Gdurへの転調の前に「小指はなす」と書き込んだこともある。私だけか。半音階も然り。

薬指をそれほど駆使しないパッセージなら、小指をフックにかけていた方が吹きやすいかも知れない。

つまりは、ピアノを習ったことなどがないので、薬指を小指と独立して動かせないのである。
そういえば、トランペットのフィンガリングも独学だった。

2009年2月21日 (土曜日)

NTC

毎年この時期に最も家から近いホール(*)で演奏会をしている彼らだが、私の事情があり、久しぶり。
30代の人たちの演奏がとりわけ素敵である。

(*)NABEO関係の某団体の演奏を、家から約2kmばかり離れた地元の公民館で聴いたことがあるが、本格的な音楽ホールにおける演奏となると、NTCのこの演奏会が一番近い。

2009年2月20日 (金曜日)

午後より日比谷公会堂。

この由緒正しき建物に入ったのは何時以来のことだろう?

日本管打コンクールで、吉川さんが優勝者演奏会で吹いたのを聴いたとき以来ではないか。当時吉川さんはまだ芸大の院だったと思う。
というか、まだロン毛ではなかったころである。
曲はたしかダヴィッド。

2009年2月11日 (水曜日)

P練@つくば。

演奏不能と思っていたKeith、格付け1ノッチ上昇か?

2009年2月 7日 (土曜日)

アフリカン・シンフォニーの研究をしてみた。

2009年2月 6日 (金曜日)

普通のトランペットのトリガーは、1番と3番についている。
1番のトリガーはそんなに使うことがなくても、B♭管で下のCやHを出す人にとっては、3番バルブのトリガーの使用頻度は高いのではなかろうか。

けれども、昨日のところに掲載した写真をご覧いただくと分かる人には分かっていただけると思うが、私の持っているバックのバストランペットには、1番にしかトリガーがついていない。昔使っていた初號機(Amati)も同じ作りになっていた。
ロータリーの横バスラッパはまた違うようなのだが、ピストンの楽器はゲッツェンのバスラッパも1番にしかトリガーがついていないみたいだし、そのような作りになっているのが普通のようだ。

このように3番にトリガーがついていないため、私は下のCとかH、またはD辺りまで、左手の親指で1番トリガーを引っ張って抜いて、音程を調節している。

薬指よりは親指のほうが動かしやすいため、それでいいじゃん、しかも、1番のほうがよく使うから微調整をする局面も多いし、そのほうが実は合理的ではなかろうか。そもそも、ラッパの人はわざわざ3番トリガーを使い、あまつさえ3番管を落っことしたりして難儀なことよ、と思っていたのである。

だが、今さらながらにして、3番にトリガーがついていて、普通のトランペットの人はこちらの方を使うわけが分かったのである。

上にも書いたが、3本あるピストンでは、圧倒的に1番と2番の使用頻度が高く、3番を押す回数はそれより少ない。
普通の人は、解放の音から短三度下げるときには、1+2番を使い、3番だけを押すということはしない(そのこともまた私にとっては1番トリガー重要説の根拠となっていた)。普通の指使いをした場合、3番単独ということはなく、必ず1+3番、2+3番もしくは1+2+3番という押し方になる。事実、ラッパの発達史を垣間見ると、1つしかバルブがなかったり2つしかバルブがついていない昔のラッパが登場しているのが分かる。

実はこの「3番バルブは使用頻度が低い」というのが、3番トリガーを使う理由であると、今さらながら認識したのである。

つまり、使用頻度が高い管のトリガーで音程調節をする場合、いちいちトリガーを抜き差ししなくてはならないのであった。
B♭管で次のようなフレーズを吹く場合(ドレミファはin B♭)、レ(実音C)の音について、3番トリガーなら抜きっぱなしで済むが、1番トリガーを使うと、かなりの頻度で抜き差ししなくてはならないのである。

譜例:レ|ソレラレシレドレ|レレミレファ#レソレ|~

2009年2月 5日 (木曜日)

バックのバストランペットのベルは、アルトトロンボーンのベルと共用している。
20090205_bell
また、バルブの部分は普通のトランペットのそれと同じである。従って、通な人が気にする製造No.は、トランペットのそれと連なっている。
20090206_valve

以上、勝手な推定。

2009年1月31日 (土曜日)

N口先生(*1)より電話をいただく。

本日は、N口先生が御歳80になられたお祝いの会が催される日である。
先生は元Y響のティンパニストで、T大オケのトレーナーであられた。つまり、奥さんの師匠であられる。
なんでも今日の会には50人近くの人が集まる予定になっているそうで、これも先生のお人柄であろう。

肝心かなめの奥さんは、昨日から当直で、本日の会は行けたら行きたいという希望を持っていたのだが、残念ながら失礼させていただいてしまった。

電話をいただいたのは、奥さん(の実家)からお贈りしたのに対して、ご丁寧に返礼を寄こしてくださったもので、たいへんに恐縮した。

とは言え、なんだかんだで数十分お話を聞かせていただいた。ありがたいことに、今日の会でも奥さんにいたく会いたいおっしゃっておられた(*2)のだが、申し訳ないことに欠礼させていただいたのは前述のとおりである。

でも、N口先生も80かぁ、と思うと感慨深いものがある。

電話でお話させてもらった限りでは、二十数年前、つまり先生がまだ50代のころと声とか話し方とか、まったく変わらない。

私は直接の弟子ではないので、実はそれほどお話したことがあるわけではないのだが、学生のときに聞いた先生の長い音楽生活の経験談(*3)は、いかにも「楽隊」の話で、とても興味深いのであった。

お声の調子はぜんぜんお若いのだが、なんでも聞くところによると、最近ではお酒もほとんど飲まれなくなったとおっしゃていた。
それはなかなか信じられない光景ではある。

(*1)さすがにこの年代の方になると、N口先生というような伏字表記をするのはかえって失礼という感じで申し訳なく感じる。恐れ多くも私と同じ苗字でいらっしゃる。

(*2)先生は「奥方」とおっしゃる。そうおっしゃる方も近ごろでは少なくなったかも。

(*3)いつぞやのT大桶の演奏会のあとの打ち上げの居酒屋で聞いたツアーの話をよく憶えている。
それは、演奏旅行の朝飯では生物(ナマモノ)を食べてはならぬ、という教訓談であった。
すなわち、あるときの演奏旅行で、旅館の朝食にイカ刺しを食ったそうなのだが、その日の演奏会では大変なことになったと。そのイカ刺しを食べた管楽器奏者たちは、長い休みのところで入れ替わり舞台から降りてトイレに行く羽目になったという話であった。
そして、この話にはさらに教訓談が続く。
イカ刺しを食べたのに、大丈夫な人たちがいた。彼らはどうしたのか?
彼らは、イカ刺しが出たので、朝から酒も一緒に飲んでいたのである。
つまりこの教訓は、ツアーでは、朝から生物を食べるときは、酒も一緒に飲まなければならぬ、という教えなのであった。

2009年1月13日 (火曜日)

20世紀ポップス・シリーズ(*1)第五弾くらいを書いてみようかと思い立ち、音源を掘り出してきて聴いてみた。

かなり久々に聴いたせいか、思っていたのといろいろと感じが違う。何となく高い(*2)。

そこで登場する歌詞の一節(*3)。

針がおりる瞬間の胸の鼓動焼きつけろ

ここで登場する「針」であるが、初めて聴いたときからずっと「レコードの針」(*4)であると解釈していた。

そもそもこの曲を取り上げようと思ったのは、この曲が今からちょうど20年前の曲だということに気づいたからである。
昨日成人式を迎えた方々が生まれた年であるから、習俗もずいぶんと変化してきているわけだ。
われわれには自明の「針」であるが、今の若い人たちには分からないのかも知れないなあ、と感慨を深めていたのだが・・・・

聴いていた音源は、当時入手したオリジナルな物のはずなのだが、CDなのだった、既に。

なお、アイディアが上手いことまとまるか分からないので、譜面になるかどうかは不明。

(*1) 20世紀ポップス・シリーズとは、私のなかだけで勝手にシリーズ化されている譜面群である。直近の作品は、"Tout Tout Pour Ma Chérie"
(*2) 何となく高く感じたことが、私に絶対音感があることを意味するわけでない。
(*3) この歌詞は、1番のいわゆるBメロの部分。
(*4) 今気づいたが、レコードの針といえばダイアモンドではないか。

2008年12月 7日 (日曜日)

ケイマルさんリサイタルwith北村源三先生@虎の門。

JTビルに行ったのは、何年ぶりであろうか。営業でたばこ担当していた以来か。ホールに入るのは初めて。

会場に着くと、当然のごとくF田さんがいらっしゃってお会いする。
たまたま東京で仕事があって、とおっしゃっていたが、本当ですか?

改めて後記したい(希望)が、ヘンデルのドッペル・コンチェルトが素ん晴らしかった。ケイマルさんがE♭管で源三先生がピッコロを吹いていたのだが、いやはや何とも味わい深い。

ちなみに、源三先生はアンコール1曲を含め5曲も吹いておられたが、ピッコロとE♭管の2本でこなしていた。
ケイマルさんが吹いたのは、B♭管、フリューゲル、ピッコロ、E♭管の4種類かな。

2008年11月30日 (日曜日)

全価値観をかけておすすめされたからには、特に予定もないし、チケットは余裕で手にはいったので、上野の森まで出かけてみた。

武満感性と並んで、メシアン感性も持ち合わせていないと自覚する私であるが、確かにメシアンは圧巻だった。詳細別途。書けるかなあ?

ちゃかすような、まったく関係ない話だが、手許の変換ソフトは、全価値観の第一候補を、前科痴漢と変換してくれた。

2008年11月22日 (土曜日)

邦題については興味深いことがいろいろあるのだが、存外に奥が深い世界で、なかなか調べようにも分からないことだらけである。

前に「オリーブの首飾り」について調べようと思った。

「オリーブの首飾り」についての課題は2点あり、1つは"EL BIMBO"(「イケてるネエちゃん」くらいの意味だろうか?)が、何をどうしたら「オリーブの首飾り」になったのかという点と、この曲が手品のBGMの代名詞のようになったのにはどのような経緯があったのかという点であった。

今までのところの調べでは、次のようになっている。

(1)「オリーブの首飾り」という邦題はどのように生まれたか?

結論から述べると、当時の音楽ディレクターの思いつきである。
思いつきと言って悪ければ、販売戦略である。(*)

どこから思いついたかは、今となっては当のディレクター(K氏とおっしゃるとのこと)に訊いてみなければ判らないが、一説には輸入盤のジャケット写真を見て思いついたというのもあるらしい。
原題をカタカナにするだけでは、「エル・ビンボー」でなんとも貧乏臭かったから何か邦題をつけなくてはならなかったという説もあるが、権利関係がそううるさくなかったと思われる当時は、日本で受けるような邦題をつけるのが普通の文化だったのであろう。

ともかく、担当者が曲のイメージからつけた邦題であると考えられる。

(2)「オリーブの首飾り」が手品のBGMの代名詞のようになったのはどのような経緯によるか?

こちらの方が、調べは進んでいないのだが、Wikipedia情報では、マジシャンの松旭斎すみえさんが使い始めて広まったようである。

(*)この件に関しては、ユニバーサルミュージック(株)から親切なご教示をいただいた。代表あてに書状で質問状を送ったら、カスタマー・サービスセンターから丁寧な返書をいただいた。感謝申し上げる。もちろん、当の返書には「思いつき」などという乱暴な文言は使われていない。文責はすべて私に帰する。それにしても、一銭にもならない質問に、このように手間をかけて答えてくれると、その企業体に対する信頼感というのは高まるものである。

2008年11月21日 (金曜日)

断片的な記録および記憶によると、本日は現行バスラッパ(Bach)を購入してから、ちょうど10年目の節目の日に当たる。

大学オケに入楽して3ケ月目くらいに買ったBachのトロンボーンは、10年もしたらボロボロという感じだったが、バスラッパはきれいなものだ。
Basstrumpet
ラッカーの性能も上がったものである。

って、違う。単に触る時間が格段に少ないだけのことである。

まあ、当時よりは練習場の冷暖房環境が整っており、発汗等の悪条件が緩和されているという面はある。

2008年11月19日 (水曜日)

「トランペット100曲集」(全音…新版ではないやつ)をつぶさに見ていると、なんとも無理やりなタイトルが散見され、楽しい。
それを「二二・ロッソ・オリジナルヒット集」と見比べると、その無理やりなタイトルの多くが、二二・ロッソ物であることに気づく。

無理やりとは、邦題のつけ方について。
具体的には、どんな曲にも「××のトランペット」というような邦題をつけていることである。おそらくはニニ・ロッソのレコードをプロデュースする会社の戦略だったのであろうが。

話は外れるが、私は原題とはかけ離れた邦題が必ずしも嫌いではない。というか、原題を単にカタカナにしたようなタイトルがあまり好きではないので、無理やり捻ったような邦題でも、それを考えた人の心理などを想像してニヤニヤできるのである。

さて、ニニ・ロッソ物の邦題であるが、一番有名なのはこれだと思う。

(1)夜空のトランペット(*)

原題は、"IL SILENZIO"。英語にすれば、"THE SILENCE"。
これを「夜空のトランペット」としたセンスには、私は素直に脱帽したいと思う。

しかし、そのあとこのパターンが続くのである。つまり「××のトランペット」である。
「トランペット100曲集」に載せられたものも合わせて、並べてみよう。

(2)夕焼けのトランペット:BALLATA DELLA TROMBA
(3)夜明けのトランペット:AL MIO AMORE
(4)青空のトランペット:BLUE SKY
(5)のトランペット:TU CHE M'HAI PRESO IL CUOR
(6)青春のトランペット:I VERDI ANNNI
(7)平和のトランペット:SONG OF PEACE
(8)さすらいのトランペット:QUEL VAGABONDO
(9)追憶のトランペット:NOSTALGIA
(10)バラ色のトランペット:ROSES FOR YOU

(2)~(4)などは、邦題だけ見ていると「夜空のトランペット」シリーズと見間違えるが、原題と見比べれば解かるとおり、まったく別個のものである。
「××のトランペット」を捻りだすのに、曲を聞いたイメージから案出していると思われるもの(夜空etc.)もあれば、原題の字義を借りて、語呂だけ合わせてトランペットを引っつけている安直なものも見受けられる((5)~(10))。

念のため申し上げておくと、(4)「青空のトランペット」に関しては、こちらが原題で、"BLUE SKY"がそれにつけた英題のようである。作曲者がJUN ITOHという人になっているので。どんな曲か聞いたことがなく知らないのだが、譜面(コード+メロディー)を見ると、何か「夜空のトランペット」の影響を多分に受けた形跡が見受けられる。なにやら謎の曲である。私が生まれた年に作曲されたようで、「夜空~」の2年後。
正確性を期すために記しておくが、( )内の数字の順が曲が生まれた順ではないので、必ずしも「夜空~」の二匹目のドジョウを狙ったわけでもないと考えられる。

クラシックの曲をトランペットで演奏して、「××のトランペット」にしているのもある。

(10)のトランペット:シューマン「トロイメライ」
(11)追憶のトランペット:モーツァルトの子守歌
(12)郷愁のトランペット:ドリゴのセレナーデ

「××のトランペット」ではないが、クラシックをトランペット物にしている例はほかにもある。

(13)トランペット・セレナータ:シューベルトのセレナーデ

いやはや、なんとも。

極めつけはこれであろう。

(14)別れのトランペット

この曲の原題として流布している邦題自体が意訳の感があるのだが、ようするに「蛍の光」である。

いやはや、これにて了。

(*)初めて吹いているところを見たが、すごい角度である。普通のトランペットが、ガレスピー・モデルと見間違うほどだ。

2008年11月18日 (火曜日)

資料用CDと、そうでないCDの区別は、おそらく自分にしか判らない基準によっている。

手許には、トランペット物のCDも多い。このうち、例えば、「トキノコダマ」は資料用CDではないが、「ニニ・ロッソ・オリジナルヒット集」は資料用CDである。

51aannfonkl__sl160_ ところでこの二二・ロッソのCDなのだが、ジャケット写真をよく見ると、大変興味深いことが窺える。
なんと、二二・ロッソは左手でピストンを操っており、彼の吹いているトランペットもそれに合わせて左手用に作った特殊仕様なのであった!! 

なんちゃって。典型的な裏焼きの例で、私はこの一点だけでこのCDを気に入っているのだ。
デジカメ全盛の現在では、まあ、ないであろうエラーだろう。

これに関連した資料用楽譜集ということで、全音の出した「トランペット100曲集」というのがある。
これは裏焼きをしているわけではないのだが、タイトルのところに印刷されたトランペットが、これまた特殊な形をしており、ピストンを下から上へ押すようになっているらしい。ウォーターキーも上向きだし、不思議だ。
20081104_trumpet100

って、何でまた逆さに? 仮にも全音だろ、まったく知らない人が校正したわけでもあるまいに。

2008年11月16日 (日曜日)

フェスタの昨日の演奏会で、いくつも感銘を受けた。
真面目な感想は別に記すことにして、ここでは番外編的なことを書きたい。

感銘を受けたことの一つに、W松さんの軽妙な司会がある。正確に言えば、曲間で、ステージから降りずに、すぐさまマイクを手にして、しゃべり終わると楽器を持って吹き始めるそのスタイルに、である。
同じことを何度も書いているが、これをやる管楽器奏者にはいつも感心する、口は渇かないのか、と。プロだと、森金の杉山さんとか、ジパングの吉川さん。NABEO関係だと、S根さんとかが思い浮かぶ。

ところで、「W松さん」と私は記すのだが、プログラムやウェブサイトで探しても、フェスタのメンバーにW松に相当する名前は発見できない。何故なら、W松さんは、普通に記せば「M田」さんだからだ。フェスタのなかでも、M田(さん)と呼ばれておられると思う。
では何故W松さんと記すかというと、私が初めて会ったとき「この人はW松さん」と教えられたからである。

初めて会ったのは、大学でオケに入った年である。W松さんは2つ上の先輩であった。

新歓合宿というのが5月の連休のときにある。はいって直ぐに山の上まで連れられていく。オケの合宿だから、総勢100名以上になる。金管だけでも、新入生を合わせると30人近い人数だった。夜は当然宴会(コンパと呼んでいたが)。セクションごと分かれる。

その場で、新入生に対しては、先輩の名前をちゃんと覚えているか、ということが試されたりするわけだ。

ここでT大の特殊事情を書いておくと、教養課程とその後でキャンパスが別になっている(駒場と本郷)ため、新入部員が3・4年生の先輩と顔を合わせる機会が少ないということがある。
駒場にいる2年生の先輩とは、ほぼ毎日顔を合わせているわけだが、入部して1~2週間ほどの身では、本郷生の先輩とは距離が遠い。

コンパの席で突然この人の名は?と訊かれても、「えっと…」と詰ることもある。
もちろん、そういうのを打ち解けていくために合宿をしているのだが。

で、そういう席でのことだと思うのだが、W松さん(本当はM田さん)の名の由来についての説明があった。
それは、W松さんより上の楽年に同じM田さんという苗字の方がいらっしゃって、W松さんはその方と区別するために、「若いM田」という意味でW松と呼ばれるようになった、ということであった。
W松といえば、連想するのは会津若松という地名である。W松さんは仙台の出身である。東京からすれば、同じようなイメージがあって(ぜんぜん違う!!)、W松さんという通称が定着したように思われる(^^)。

ともかく、昔からしゃべるのが上手な方であったが、相変わらず聞き手の気を逸らさない司会ぶりであった。

話す内容も興味深かった。
そのひとつに、(トリでやった)『アフリカン・シンフォニー』は、今では甲子園の人気曲で今年は出場55校のうち実に50校が演奏したという話があった。
いったいどこでそんなこと調べるのかい、まさか、甲子園の試合を全部観たのか?と思ったが、元ネタ発見。

そもそも『アフリカン・シンフォニー』を演奏会のトリに据えるとは、何とも大胆なプログラムでは、と聞く前は思ったのである。

ところで、『アフリカン・シンフォニー』の作曲をしたヴァン・マッコイは『ハッスル』の作曲者である。一説には『ハッスル』はスタジオの待ち時間に30分くらいでチャチャッと作ったものらしいが。

で、ヴァン・マッコイには『ディスコ・キッド』という曲もあるらしい(ただし作曲は別の人で、マッコイがアレンジをして録音・リリースした)。もっとも、手元のCDのライナーでは「ヒットした」と書いてあるのだが、私は巷で耳にしたことはない。ただ、そちらは1975年で、課題曲のそれ(1977年)より前。いずれにしろ、世の中ディスコ・ブームだったのね(サタデーナイトフィーバーは1977年。ただし、日本公開は1978年。それを考えると、ディスコ・キッド(東海林版)の先進性がうかがえるでのはなかろうか)。

2008年11月15日 (土曜日)

練文へ。

『ディスコ・キッド』を1回の演奏会で2回(それも違うバージョンで!)も聴かせてくれる団体は、他にはないだろう、フェスタ。

W松さんバージョンの方、冒頭のオーケストレーションが最高。噴き出してしまった(詳細別途後報予定)。

2008年11月14日 (金曜日)

録画したSONGSを観る。
矢野顕子と大貫妙子のデュエットのとこだけは正座して観る。あとは日和って、せいぜいストレッチ。

自分が大変な誤解をしていたことに気づく。

まあ、そういう人も世の中にはたくさんいるようなのだが、ずーーーーっとの間、春の神戸に遊びに行こうよ、という歌だと、ネタでなく、思っていた、春咲小紅。

録画した七瀬ふたたびを観る。
しかし、もう第6回らしい。途中からなので、飛ばし観。原作よりだいぶ膨らませてありそうだが、まあもう観なくてもいいかという感じ。

ところで、『七瀬ふたたび』のドラマ化は2度目なのだが、このタイトルについて。
七瀬というのはヒロインの名前だが、これが「ふたたび」なのは、これに先立つ第一作があるからである。

その作品を、『家族八景』という。

これは私にとって大傑作小説であって、今まで読んだすべての本から10冊挙げろと言われたら、間違いなくランクインする。
今まで読んだ一番「怖い」話は? という問いがあっても、これが真っ先に思い浮かぶ(ほど、怖い場面があったのだ)。
また、たいへんにエロティックな場面もあって、青少年読者の想像をいたくかきたてるのであった。

そういう前作があるから、『七瀬ふたたび』なのである。
つまりは、『帰ってきたウルトラマン』と一緒と言えよう。

ちなみに、筒井さんの七瀬は三部作で、このあと『エディプスの恋人』へと続く。
でも、とにかく『家族八景』の衝撃が私には強烈であった。

2008年10月 8日 (水曜日)

(続き)

他人からもらったり借りたままになっているテープのなかに、東大桶の選曲用デモテープがあった。

当時は、やりたい曲があった場合、スコアとともにその音源をカセットテープで供出し、他の部員の洗脳、もとい、啓蒙することになっていた。
部室にはそれが置かれ、知らない曲はそれらのスコアとカセットの資料を使って勉強することになっていた。

そのときに供出されたと思われるテープがいくつか手許にある。何故あるかは分からない。拝借してそのままになっていたようで、申し訳ない。
けれども、自分も『不滅』を何本も供出したような気がするが返ってきた記憶はないし、返してもらうような物でもないと思っていたし、まあいいことにしよう。

ということで、これを書いているときに聞いているテープは昔やったブラ4の演奏だが、3楽章が終わったら拍手がきている。そう言えば、そうだった。最終楽章の前に思わず拍手がしたくなるのは、例えば『悲愴』なんかもそうだと思うが、あれはそれまでにも思う存分吹いているから構わない。ブラ4の最終楽章前の拍手に特別な思いがするのは、一重にわれわれはまだ一音も吹いていないからである。

われわれとはもちろんトロンボーンの諸君である。

同じ1~3楽章tacetの曲でも、いわゆる『運命』などはアタッカでいくので拍手の余地はないし、ブラ1も3楽章が静かなので拍手は来にくい。

まあ、東京あたりの演奏会では、楽章間で拍手をもらおうと思ってもいただけないのかも知れず、これはこれで貴重な経験ではある。

そうこうしているうちに、コラール。おお、自分で言うのもなんだが、素晴らしいぞ(馬鹿)。

(了)

2008年10月 7日 (火曜日)

(続き)

カセットテープの山のなかに、「こりゃあ捨てられん。本当ならデジタル変換して、コピーをCDか何かに焼いておいて…」という物があるのは、FMのエアチェックばかりではない。
というより、FMを録音したものがそんなにあるわけでもない。

やはり貴重なのは生録したものである。

どうしてそんなのを自分が持っているのか、よく憶えていない物もあった。

ケースもラベルもないテープなので、もう捨てようと思い、一応中に何がはいっているか確かめようと聞いてみると、ラッパの音がする。

何だろうと思い、聞いていくと、トランペット・アンサンブルをずっとやっているみたいだ。

トランペット・フォーラムの録音であった。昔ピストンが出ていたやつ。
「おもちゃのシンフォニー」をやっているから、何時のやつだろう? 前世紀には違いないのだが。

生録音は音楽だけに限らない。
私の部屋でやった飲み会のときに録音機を回して、その場のくだらない会話を録っておいたものがある。
あまりに貴重で捨てられないわけだ。内容はぜんぜんないけど。

他人からもらったテープや、他人から借りたままになっていると思われるテープも発見された。
どのような経緯で受けとったのか、憶えているものもあったが、まったく不明のものもある。

例えば、ベルバラのテープであるが、これはおそらくデモテープとして渡されたものであろう。
ベルバラは、必要があったらそのとき入手すればいいことにしてサヨナラする。
だが、「月」のデモテープがあって、これは選曲が面白かったのでとっておくことにした。

(続く)

2008年10月 6日 (月曜日)

カセットテープは今ではすっかり使わなくなったが、思えば25年間くらいは使っていた。
私はMDを使わなかったので、けっこう後期まで使っていたのである。
ちなみにピストンの演奏会の録音の配布は、第6回(1996年)まではカセットテープでいただいていた。

さて、その25年間の使用の結果として、カセットテープがたまっているわけである。
量的には、段ボール1箱にははいりきらないくらい。1箱半くらいである。

しかも、整理が悪く、ケースと本体が別だったり、何が録音されているのか不明なテープが数多くあり、それがずっと前から放っぽりだされたまま、ともかく箱に詰め込まれている。

いい加減に要らない物は捨てようと思い、ぼちぼち整理をする。

合理的思考をすれば、今ではほとんど聞かずにしまい込まれているわけだから、ごそっと捨ててしまってもいいのだが、中を開けてみると、なかなかこれは、という物が出てきたりして、選別が必要になる。

学生時代は部屋にラジカセしかなかったので、アーカイブ音楽を聴くといったら、カセットか、FMのリアルタイム聴取しかなかった。CDやレコードはカセットにダビングして持っていた。
整理していると、そのころにダビングしてラベルをタイプライターワープロできれいに作ったテープが出てきたりして、当時の自分を微笑ましく思う。
友人からダビングしてもらったテープもたくさんあった。

もらった物はともかく、オリジナル音源があるダビングテープは要らないわけである。昔は大事に扱ったものだが、ぞんざいに段ボールに突っ込む。

しかし、当時はなんとも思わなかったが、今見ると「こりゃあ捨てられん。本当ならデジタル変換して、コピーをCDか何かに焼いておいて…」という録音もあるので侮れない。
ただし、無精者の私はデジタルコピーの製作も何時になることやら。

例えば、今聞いているのは、FMで放送されたものの録音である。


side A  第49回 音楽コンクール 
      演奏部門、作曲部門 本選会から、
      管楽器部門より第1位、第2位
第1位 トランペット せきやま ゆきひろ
     ピアノ伴奏 うがわ まみ
 曲、フンメル「トランペット協奏曲」全曲
第2位 トロムボーン こんどう たかし
    ピアノ伴奏 たかはし ようこ
 曲、ブラジェビチ「トロムボーン協奏曲」第5番
S55  10月14日 東京 日比谷公会堂で収録


若干の解説。
放送日は記していないが、まあ、昭和55年と思われる。
放送の音声から引き写しているため、演奏者の漢字が分かっていない。
本当は「日本音楽コンクール」であるのだが、「日本」が抜けている。

ちなみに私のカセットテープの山を掘り出せば、このように今をときめく日本金管楽器界のスターの過去の録音が山ほど出てくるわけでは、もちろんない。
これはたまたま録ってあったのである。もちろん当時、関山さんも近藤さんも、お顔すら知らなかった。

その証拠というわけではないが、このテープの裏面については次のようになっている。
略記する。


side B  NHK S55年度 全国高等学校合唱コンクール
       関東甲信越大会より
 1. 群馬県立高崎女子高校
 2. 神奈川県立横浜平沼高校
 3. 長野県立小諸高校
 4. 山梨県立こま高校


やっぱり漢字が分からず、平仮名で書いている。
『バリバリ伝説』が始まるのは、これより3年後のことだったらしい。

どうやら、当時の私の範疇(categorization)では、「コンクール物」として両者を認識していたことが分かる。

ところで、近藤さんのブラジェビチの最後(から2つ目の音)のHi B♭が美しい。

(続く)
 

2008年8月 5日 (火曜日)

いつかはやってみたいアレンジネタに、ラッパ・チャンチャカチャンというのがある。
つまり、トランペットの曲の有名どころをこれでもかと並べ尽くす夢のメドレーである。

しかし、ラッパの曲をラッパ・アンサンブルでやるというのは、意外に難しい。
何故難しいか、いくつかの理由が挙げられる。

(1)有名なラッパの曲は、そのラッパのパートそれ自体が難しい場合が多い。ハイノートであることもままある。

ラッパ・チャンチャカチャン(仮名)が目指すのは、(トランペット吹きの人なら)誰もが知っているようなラッパの曲を並べるものである。

例えば、ブランデンブルグ協奏曲(バッハ)の2番を思い浮かべてもらいたい。言うまでもなく、高くて難しい。

(2)ラッパの伴奏をラッパでやるのは、聴き映えがしにくい。

やはり有名なラッパの節の多くは、トランペットがソリスティックに吹いているものである。それを、同じ楽器でバッキングをつけるとなると、どうしても埋もれてしまい、ソロのラッパが映えなくなる恐れがある。

(3)問題のラッパのパートそれ自体も、変更を加えることが難しく、したがってアレンジ全体の処理についても自由度が減る。

ラッパの人がラッパのパートを吹くわけだから、これはもう、オリジナル通り、願わくばそれ以上にやりたいわけである。間違っても、簡単にした譜面を吹いてお茶を濁すようなことはしたくない。
(1)にも述べた通り、有名なラッパの節は、吹くこと自体が難しい場合も多いが、ラッパ吹きとしてはそれに正面から挑みたいわけである。
これが、原曲がヴァイオリンだとかピアノだとか言うのであれば、私なら、調を簡単にしたり、音符を減らしたり、改変したりするのにあまり躊躇しない。しかし、ラッパのパートは、ラッパが吹く限りあまりいじりたくないのであった。

(4)ラッパの有名どころの曲は、カッコいいことが多い。私の腕では、カッコよく書く自信がない。

これが一番大きな理由かな。

2008年7月21日 (月曜日)

アマオケがコンチェルトをやることの功罪について考えた。

やる方とすれば、良い曲でやりたいと思ったのであれば、それがコンチェルトでソリストを要する曲であっても、やると決めてしまえば、あとはやるだけである。

もちろん、ソリストの選定や依頼など、コンチェルトを入れない演奏会に比べて、手間やギャラなどが増えるのだが、それに対しての見返りも期待している。
つまり、特にそのソリストが著名人であった場合に、その名での集客が期待され、何よりも一緒に演奏することにおいて受ける音楽的刺激といったものは、アマチュアの場合、かなり大きいであろう。
しかも、終わったあと、「私は、○○と共演したんだ!」と自慢する俗な楽しみを味わえるというおまけつきである。

トロンボーンなどをやっていると、コンチェルトのオケにもトロンボーンがあるのはなかなか少なく、コンチェルトおいては降り番であることも多いのだが、リハーサルを間近で聞いたりすることは、やはり大きな音楽的刺激につながるのは間違いない。

と、ここまで書いてきたことには、ある前提が当たり前のように存在している。

すなわち、「アマオケがコンチェルトをやる場合には、ソリストはプロを呼んでくる」ということである。
もっとも、プロオケがコンチェルトをやる場合だって、外から「ソリスト」が来るのが普通なわけで、これ自体は別段不思議なことではない。
ソロのパートをアマチュアがこなすことは、著しい困難が予想されるわけだし。

しかし一方で弊害もあろうかと思われるわけである。

その一つが、アマオケが伴奏に徹することの困難である。
どうしたって、美味しいところは思いきり弾き、単純なパターンのいかにも伴奏音型のところは詰らなくなる。
指揮者はバランスを取るのだろうが、美味しいところを好きなように伸び伸び弾いたら、ソロが埋もれてきてしまう可能性が高い。もちろん、常に周りを聞いて、ソロのある曲ならソロの音を聞いて弾かなければ本当には楽しくないわけだが、そういう意味での高度な抑制がコンチェルトには必要となる。
そして、それは「やりたい曲をやって満足する」というアマオケの存在意義に対立するのではないかと思うのである。

聴衆としては、アマオケを聞きに行く大きな動機の一つが、「知り合いが出ているのを見に行く」という点であるところ、コンチェルトは耳目がどうしてもソリストに集中する曲の作りとなっている。
コンチェルトの演奏では、知り合いに注目すると肝心のソリストの見分が疎かになるし、ソリストに注目すると知り合いが見えなくなってしまう。
これは、アマオケ鑑賞の一大要素を少なからず阻害することになっていよう。

リハーサルの配分も難しい。
呼ぶソリストが有名ならば有名なほど、呼ぶ方のアマオケも聴衆も満足度が高いわけだが、ソロ合わせのリハの回数は少なくなるだろう。
ここに、「下弾き」をする人の需要が出てくるわけで、それはそれでいいのだけど。

プログラムの配分も難しい。
アマオケが取り上げるような曲で、フルオケのどのパートもそれなりに面白いというコンチェルトは、数えるほどしか思い浮かばない(いわゆる"ドボコン"とか)。
そうでなくても、伴奏のオケのパートは譜面は簡単に見えることもあろう。
するとどうなるかと言うと、メインの曲で大曲を取り上げる可能性も高くなる。
プログラムの構成としても、それなりのソリストを呼んで大きなコンチェルトをやったら、アマオケとしては、「オケ独自」の曲でもそれなりの存在感を示したくなる。ひどいときには、そういう大曲をやるための客寄せにソリストの名を使おうという意図だってあるかも知れない。

そうなると、練習はどうしてもメインの大曲に重点を置くことになってしまい、コンチェルトのほうの練習がなおざりにされる恐れがある。
この辺は、団長とかコンマスとかインスペクターとか指揮者の腕の見せ所ではあるけど。

好きでやっている!という意味でのアマチュア本来の意味を具現するなら、オケのなかで巧い人をソリストに立ててコンチェルトをやってみる、ってのも手かも知れない。
その場合、ソリストをはじめ相当な負担になるだろうし、演奏の出来もプロを呼ぶ場合に劣り、なにより本番がメタメタになるという危険も大きいが、そういうハラハラ感のある演奏会のほうが、見ているほうは面白いのではなかろうか。

2008年7月 9日 (水曜日)

エリック宮城の新譜を買ったら、期せずして、おまけがついてきた。
これは昔噂に聞いたことのあるおまけと一緒か?
アルバムタイトルにもなっているPLEIADESという曲のスコア(の前半部分)である。

「おおなるほど、このように書いて、このように演奏されているわけか」と興味深いことしきりである。

加えて、スコアの後ろにはエリックの文章が載せられている。スコアは手書きなのだが、エリックは手書きにこだわっているのだそうだ。そこにはスコアの解説のみならず、演奏上の注意点のようなものが記されており、中高生向けの課題曲譜面とでもいったような雰囲気を醸し出している。

譜面書きテクニックの解説としては、"Cascading trumpet"のラインという言葉が出てきている。
この言葉が一般的なものなのかどうなのだか知らないが、以下のようなものである。

何本かのユニゾンでトランペットがスケールで下がってくる。その小節のコードを構成する音のところまで来たら、1本ずつ伸ばしに変わっていく。水が滝を流れ落ちるように、トランペットの音が空から降ってくるように聞える。
シャンデリアの光が降り注いでいるかのごとき、豪奢な雰囲気を醸し出す。

エリックの記したところによると、これはチェイスから会得したとされている。たしかにチェイスのアルバムにこれが効果的に使われているところ(参考音源(1'15"や2'27")。分かりやすいのはこれ、笑えるのはこれかな)がある。

Cascadingのラインは、私も真似してみたことがあるが、もっと大胆に使わないと効果が出ないのか、あまり上手くいったためしがない。
そして、トロンボーンよりもトランペットで使うほうが栄えるのかも知れない。

なお、アルバムは一昨年に亡くなったメイナード・ファーガスンに奉げられていて、ファーガスンばりのエリックのトランペットが聴かれる。

ただ、衝撃度は1枚目に譲る。
フリューゲルでソロをとるのが多くて、ギュンギュンのトランペットが減ったように感じる。
趣味の問題だけど。

2008年7月 6日 (日曜日)

リムスキー=コルサコフの協奏曲を聞きに、家族3人でトリフォニーに行く。
たまたまタダ券が撒かれているのを手にしたので。

ソリストの方は、名前は存じ上げていたのだが、拝見するのは初めてである。志賀高原もご無沙汰しているし。

しかも、何故名前を存じ上げていたかというと、「この人、ずいぶん私と似た名前の人だなあ」という、大変不遜な理由からである。小野隆洋氏。

アマオケの演奏会で、メインはマラ5で、前プロがリムスキー=コルサコフのトロンボーン協奏曲だったのだが、当直明けで眠かった奥さんは、ツマラナイ曲だと喝破していた。そんなこと、トロンボーン吹きの前で言ってしまっては、拙かろう。

実はオケの伴奏でこの曲を生で聞いたことがなかったので、これが見られれば所期の目的は達せられたのであった。

ソリストがいるので、アンコールつき。カバレリア・ルスティカーナ。
マラ5を1楽章だけ聞いて、早退する。

2008年7月 2日 (水曜日)

問題:ロ短調は、B moll か、それとも B minor か?

答えは、後者である。B minor のほう。つまり、英語で書いてある方がロ短調。

まあ、そりゃそうだわな。バッハが好んで使ったとされるロ短調。
ほかにも有名どころの曲を考えると、シューベルトの「未完成」やチャイコフスキーの「悲愴」。

ロ短調の記譜は、♯が2つ。並行調はD Durで普通である。これが変ロ短調だとしたら、♭が5つつくわけで、ちょいと多目に感じられる。

しかし、この年になって迷ってしまったのは(私だけか)、「日本の西洋音楽教育(芸大に代表される)は、ドイツ式を伝統的に使っている」という先入観があったためである。

音の名前をどう言うか、というのはとても興味深く奥が深い問題なのだが、ここではドイツ式と英米式との差についてだけ言及する。

極言すると、クラシックの人はドイツ式で音名を言い、ポピュラーの人は英米式で音名を言う、という状況である(ただし、最近では英米式が幅を利かせている可能性はある。よく知らないが、ジュリアードに学んだ人はエービーシーと言っているのではなかろうか。私が知る限りでも、クラシック畑の人で、エービーシーと言う方もいる。音大によって流派があるのかも知れない)。

ドイツ式と英米式の違いは、アーベーツェーと言うかエービーシーと言うかの違いもあるが、一番大きいのは、実音「シ」の扱いである。
ドイツ式では、これをH(ハー)と言い、B(ベー)が表すのは半音下の実音「シ♭」に当たる。
これに比べると、英米式はもっと素直で、B(ビー)はそのまま実音「シ」を表す。

ドイツ式がこうなった経緯はまた諸説あるらしいのだが、ここでは措いておく。

ドイツ式を信奉する人には、半音を含めた12個の音それぞれに一つずつ名前がつくので(異名同音を考えれば、名前は12個以上になるが)、音感を養うには有利だなどという主張があるらしいのだが、やはりドイツ式は煩瑣で複雑の感は否めまい。

英米式では、鍵盤の白鍵にそれぞれ順番でABCDEFGが対応するのに対し、ドイツ式では、白鍵の下からAHCDEFGとなるわけである。

日本で、ABCに対応するものにイロハを当てはめたのは、何時、誰が、というのは実はよく分からない。誰か調べていることだと思うのだが、おそらく明治時代に考案されたと推測される。

で、当時、芸大(音楽学部)の前身となる音楽取調掛(所)が作られて、西洋音楽の受け入れを図るが、その際最初に呼ばれたのは、アメリカのルーサー・メーソンという人であったらしい。
だから、音名もすっきりとABCEFG・♯・♭にイロハニホヘト・嬰・変と当てはめて終わったのだろう。
もし当初からドイツ式だったら、イロハ音名にはHに相当する「チ」というのがあったかも知れん。

そうなると、悲愴などはこうなるぞ。

チャイコフスキー作曲 交響曲第6番短調「悲愴」。

日本のクラシック音楽界は、その後、ドイツ偏重になってくるのだろうが、この辺の事情はよく分からん。フランスに留学した人も多かろうに、と思うのだが、官立大学の雰囲気なのかしらん。東大文学部も、独文と仏文では、仏文の方が何というか「低い」感じがあったみたいだし。

個人的には、イロハという言い方はなくしてABC(英独どちらでもよいが)にしてしまって構わないと思っている。ただし、「ト音記号」と「ヘ音記号」だけは馴染み過ぎていて、別の言い方にすると違和感が残るかも知れない。

ただ、ドイツ式をなくすと、ショスタコーヴィチがD-S(=Es)-C-Hを使って自分を表したり、バッハがそれこそB-A-C-Hを曲に忍ばせたりだとかの遊びがなくなって、ちょっと淋しかろう。

2008年6月26日 (木曜日)

ビル・クロウはナイト・ライツのベーシストだったのね。

ブルックマイヤーにしか目が行ってなかったので、今ごろ気づいた。

っていうか、マリガンと一緒にやっていたのね。ちゃんと書いてあるじゃん。
その場合でも、ブルックマイヤーにしか目が行かないのだけど。

2008年6月20日 (金曜日)

(承前)

■ ワンダバ・コーラスの謎 その3。

ワンダバ・コーラスは何拍子か?

コピーしようとしたとき、ハタと困ったのがこの問題であった。
単に私のリズム感のなさを露呈するだけなのだが、実際そうなのだから仕方がない。

私は結局、次のように記譜をした。

(1)68_2

しかし、この譜面を書いてみて、私は大変に違和感を受けざるを得なかった。
それはつまり、6/8拍子に対する違和感であろう。私は、日本人のご多分に洩れず(と信じているのだが)、6/8は苦手なのである。おおげさかも知れないが、心の底からは共感できないリズム体系と言ってもいいかも知れない(6/8ならともかく、9/8などになると、これはもうとってもテクニカルな拍子と感じてしまう。チャイ4の1楽章とか)。
だから、1回聞いたら忘れられないようなワンダバ・コーラスが6/8拍子であるというのが、不思議な感じがしたのである。

このように記譜する手もあった。

(2)44

3連符の連続として4つで取るわけである。
私の感覚では、この曲はアレグロである。こう記譜すると、そういう快速テンポという感じが出る気がする。
しかし、3連符の「3」をいちいち書くのが面倒なので(もちろん省略可だが)、採用しなかった。6/8なら、3を書かなくて済む。
それ以前に、ワンダバダバのの音が裏拍(2個目のダに至っては、3連符の真ん中)に来る違和感が、(揉み手頭打ちの日本人としては)強く残るという問題がある。

私は正解を求めて、奥さんに尋ねてみた。この曲は何拍子に聞えるかと。

(3)Bai

奥さんの答えは、こうであった。(2)を倍に取ることになる(テンポ表示は半分になる)。
これが一番取りやすいと言う。そうかも知れない。
しかし、細かい音符が苦手な私は、無意識のうちにこれを避けていたのであった。

実は、ワンダバ・コーラスの「ワンダバダバ〜」という部分は、曲の構造からしたら、飾りである。メロディーはこれではない。
メロディーのことを考えると、(2)では少々間延びした記譜になってしまうかも知れない。

(了)

2008年6月19日 (木曜日)

(承前)

■ ワンダバ・コーラスの謎 その2

ワンダバ・コーラスの作曲者は分かった。

では、ワンダバ・コーラスの作詞者は誰か?

これが難問なのである。

そもそもあれに作詞者がいるのか、という問題もあろう。
まあ、スキャットだし、作詞というほどのものではないとも言える。
というわけで、素直に考えれば、曲を作った冬木氏が、ワンダバという歌詞を当てはめたというのが濃厚であろう。
だが、録音の現場で、ミュージシャンやスタッフが、何テイクも重ねているうちに、「こんなのどうですか?」とかいうノリで、あのスキャットが生まれてきたという可能性もあろう。
最初のテイクでは、「ポンシャラララ|ポンシャラララ|ポンシャラララロン!」と、麻雀ソングと聞き違えるようなものだったかも知れないわけだ。

このように私が考えるのは、ひとつの疑問を抱いたからである。

あの歌詞(というかスキャット)は、何と言っているのだろうか?

「そんなの、ワンダバだろ」とお思いだろうが、問題はそのワンダバのあとなのだ。

ワンダバダバ|ダンダバダバ|ワンダバダバ|ダン!|

その昔、耳コピーしたとき、何度も聞いて、一応これを基本形としたのだが、場所によっては、ワだかダだか、よく分からないところもある。

当時は、なるべく音源に忠実になるようにしようと思ったため、譜面には歌詞をすべて書き込む破目になった。

今になって考えれば、次のような事情だったのではなかろうか。

つまり、スキャットの歌詞は適当にワンダバっていう感じで、というくらいの取り決めしかなかった。そのため、人によってはワンダバと歌い、人によってはダンダバと歌っている。
フレーズの頭はワンダバに決めてあるので揃っているが、途中でずれてくる部分もある。

試しに、ワンダバダバ|ワンダバダバ|~とひたすら繰り返していると、ワの部分が言いにくくなってくるだろう。

なお、スキャットの基本は「ダバダバ」にあることは、スウィングル・シンガーズのナンバーや、11PMのテーマを思い浮かべれば、容易に納得できよう。

実はM-3原曲のスキャットを何人の声で歌っているのかすら判別できないくらい私の耳は弱いのだが、「数人」の男声コーラスと思われるわけである。
ある部分では、ワと歌っている人とダと歌っている人が混在している。これが私の推測である。

こうなるのは、細かいところまでは取り決めず、録音をしながら作っていった部分があるから、という可能性もあるのでは、と考えるのである。 

(続く)                         

2008年6月18日 (水曜日)

(承前)

■ ワンダバ・コーラスの謎 その1。

ワンダバ・コーラスの作曲者は誰か?

私の手元にあるワンダバを収めたCDは、テイチク・レコードから1993年に出されているが、何故かワンダバ・コーラス=正式名称:M-3については、作曲者名がクレジットされていない。

最初これを見たときは、この曲は作曲者不詳として扱われているのかと思ったが、今では作曲者をネット上で調べることは、容易である。

結論から述べよう。

ワンダバ・コーラスの作曲者は、冬木透という方である。

本名を蒔田尚昊といい、TV局で効果の仕事をした際の仕事のひとつが、このワンダバコーラスであるが、そもそも「帰ってきたウルトラマン」の音楽効果を担当したのが冬木氏であるとのこと。ただし、「帰ってきたウルトラマン」の主題歌や「怪獣音頭」などの主だった歌はドラクエのすぎやまこういち氏の作である。

しかし、冬木氏はそれに先立って、名曲ウルトラセブンの歌を作っていた。
帰ってきたマンでは、裏方に回ったという形なのであろう。

TVマンとして数々の仕事をこなしたのち、退職後にはなんと桐朋で教鞭をとり、教授も務めたらしい。かなり多彩な活躍をされた方である。

(続く)

2008年6月17日 (火曜日)

ワンダバ・コーラスの謎。

当ページのタイトルにも含まれている私のハンドルネーム"Gucciono Wandabada"についての詳細は別記してあるが、ハンドルネームとしてはほとんど使っていない。
このWandabadaであるが、もちろんウルトラマン(帰ってきたウルトラマン)のワンダバ・コーラスに由来するものである。

今回は、このワンダバ・コーラスの謎について考察したい。

まず、ワンダバ・コーラスをご存じでない方に一通り説明申し上げる。
現物を視聴されるのが最も速いのだが、(おそらくは著作権を無視した)適当な音源が見つからなかったので、以下に文献的知識を述べてみる(とは言え、マニアにとっては私の知識は笑止物ではあろう)。

ウルトラマンにおいて、話のパターンはこうである。

日常の一幕→怪獣登場→防衛軍出動(いわゆる地球防衛軍のようなもの。「帰ってきたウルトラマン」においてはMAT)→怪獣やっつけられず→ウルトラマン登場→怪獣退治される。

ワンダバ・コーラスは、上の防衛軍出動の場面で流されるテーマ曲である。

ところで、このワンダバ・コーラスというのは通称であり、正式な名称は「M-3」という。もっともこれは、曲名としてあらためてつけたものではなく、ナンバリングで振られただけのものらしい。

この曲は、「ウルトラマン」「ウルトラセブン」に続く「帰ってきたウルトラマン」において、初めて登場した。

私の手元にあるCDに収められているところでは、2コーラスでわずか1分16秒の曲である。

おそらく、数ある効果音的BGMのひとつとして作られた曲だと思われ、正式な曲名もつけられずM-3と呼ばれているのだと考えられる。
しかし、このワンダバがとても印象的で、たいへんな反響を巻き起こした。
以後、ワンダバという歌詞をコーラスする曲が、人間の防衛軍が出動する際のテーマとして作られるようになったのである。

明日以降、ワンダバ・コーラスの謎を扱っていきたいと思うが、やはり音源が欲しいという向きには、私としては納得がいかない部分もあるのだが、こことかここにあることをお知らせしておく。または、あまり参考にならず、再生が面倒な環境にあるかも知れないが、ずっと昔にピストンのHPにアップされているこのファイルの7'25"以降をお聞きいただきたい。

(どうでもいいが、T木くんの音はでかい)

(続く)

2008年6月 9日 (月曜日)

なるほど、こいつか、Ch子さんがS根さんに教えてもらったと昨日言っていたのは。

たしかに、内容もだが、コメントがおもろい。

検索で見つからないので、あるいは記憶違いかも知れないが、"Impossible Joke"というトロンボーン・トリオの譜面がI先生の家にあった。
これを思い出した。

どんな曲かと言うと、R=コルサコフの「シェヘラザード」のパロディなのである。
この譜面には、一見現代音楽チックな指定が書き込まれていて、たしか1番の最初の音(全音符H)には、「1/4 tone ↑」というように書かれていた(繰り返すが、記憶は定かでない)。
一方で、3番には「1/4 tone ↓」と書かれていて、微分音程を指示するのだが、要は、音程の合っていないユニゾンを意図的に作り出す部分がある、だけのものであった。
指示通りに音を重ねたら、これは当然ウナリが生ずる。わざとそういう状態を作り出して、楽しむという狙いの曲だった(と、われわれ61の3人は解釈した)。
最後には、ただのメジャーコードでジャン!とあっけなく解決するのだった。

この曲を人前で演奏したとき、某Hrの御大が「あいつら、音程が悪い」とのたまっていたと人づてに聞いた。

このようなパロディをする場合、音を合わせるところはバッチリ合わせないとダメということは分かっていたので、それなりに練習したつもりである。
上記の評価が、果たして曲の狙いを理解しないがためのものなのか、はたまた、完全に理解してその上でまだ悪いというたいへんにハイレベルのものであったのか、今となっては分からない。

2008年6月 3日 (火曜日)

『ベニスに死す』

ヴィスコンティの映画("Morte a Venezia")が有名だが、もともとはトーマス・マンの小説("Der Tod In Venedig")である。

さて、R.ヴァーグナー、S.ディアギレフ。この方々が、ベネツィア(英名:Venice)で客死している。
私は、ふと「ヴェネツィアで客死」した人にはどんな方々がいるのか調べてみようと思い立ったのである。
あらかじめ断わっておくが、くだんの題名の作品に触発されたわけではない(*1)。

もしかしてこれは「ベニスに死す」というメドレーに出来るかも(*2)、と思ったのだが、ちょっと難しいかな。ディアギレフについては、ストラヴィンスキー(*3)のバレエ音楽から有名どころを使うとしても、ヴァーグナーとストラヴィンスキーだけでメドレーを作るのは、ちょいとばかりヘビーだ。

しかし、よくよく見ると死でなくてもいいわけだ、ヴェネツィアで死んだのであれば。
ということで、ヴェネツィアの作曲家というのを思い浮かべてみると、真っ先に出てくるのは何といってもヴィヴァルディ。
四季なんかを組み合わせれば、10分くらいの面白いアレンジができそうじゃん!(*4)

念のため調べてみる.........、なんと、ヴィヴァルディはウィーンに客死をしていた。

かくして、トランペット多重奏「ベニスに死す」は、幻と消えたとさ。お粗末。

(*1) 実は、小説も映画も、未読・未見である。
(*2) 「ベニスに死す」というメドレーを作るという発想、なんとも安直で私らしいと言えよう。題名だけがまず決まっているシリーズだな("5-5"と一緒)。くだらない発想で巨匠の楽曲を玩ぼうなどと考えて、誠にもってすみません、真面目な音楽愛好家の皆さま。
(*3) ストラヴィンスキーはニューヨークにて死んでいるが、その墓はヴェネツィアにあるらしい。
(*4) 面白いアレンジができそう・・・・・一応、映画に敬意を表して、マーラーのアダージェット楽章を下敷きにするというところまではピピピッと考えたのだが・・・・何とも安易な感覚である。すみません、真面目な音楽愛好家の皆さま。

2008年5月31日 (土曜日)

90年前の今日この日、27歳のプロコフィエフは、日本に上陸した。

これは、ヨーロッパの本当の一流音楽家が日本に来た最初のことであるとされる。
それまでにもヨーロッパの音楽家が日本に来たことはあった。しかし、プロコフィエフのような超一流が来るというのは、初めてのことであったということのようだ。
ただし、当時そういう認識に立った人は、それほどいなかったのかも知れない。相手は早熟とは言え、若干27歳。しかも、当のプロコフィエフが日本に来たのは、いわばトランジットのために寄っただけである(ただし、結果的には意に反して約2ケ月の間日本に留まることになったのだが)。

この辺の事情は、プロコフィエフの日記からも窺える。前にも書いたが、ウェブ上には篤志家の方がたくさんいらっしゃる。
プロコフィエフは、母国の露語だけでなく、さまざまな言語を、おそらくは「教養として」身につけていたと思われる。当時のロシアの上流階級だったら、仏語は当たり前だとしても、日本人とは英語でコミュニケーションを取ったと思われるし、第一このあとプロコフィエフはアメリカへ向うのである。
ただし、当初は同じアメリカでも南米を目指していたらしく、ブエノサイレス行きの船に乗るつもりだった。そのため、遠くシベリア鉄道でユーラシア大陸を横断してきた彼は、その間、西語の勉強をしていたらしい。
上に示した篤志家のサイトを見ると、プロコフィエフは6ヶ国語を習得する計画を立てていたようで、露、仏、英、西のほかは、やはり伊と独であろうか?
やはり、コスモポリタンな人である。

2008年5月26日 (月曜日)

身辺を整理していたら、えらく懐かしい写真が発見された。

Ssb

定かではないのだが、写っているメンツから計算するに、おそらく1984年3月ではないかと思われる。場所は、(たぶん)今はなき市民会館。
演奏会のとき、後ろに団旗(そんなものあったんだ)を掲げているのが、何とも言えない。
こちらから見て右から2番目に写っているのが不肖私である。今と吹き方あんまり変わってないのかも(*)。
私の隣の隣でホルンを吹いているのは、N響のM崎さんである。当時、N響ClのU山先生に時折バンドレッスンを受けていた関係で、コンサートに遊びに来てくださったものと思われる。
やっている曲は、ジャストブラスの譜面で、ズザートかクラーケンではなかろうか。トップ奏者とバストロ、テューバ奏者が写真のフレームから外れていて残念だが、たしか同期のMやYが吹いていたはず。

(*) よく見たら、スライドを持つ右手が今と違っている。当時は、スライドの支柱を、親指と、人差指・中指・薬指の3本でホールドしていた。今は、人差指・中指の2本。そう言えば、大学のときに持ち方を変えたような気がする。

2008年5月17日 (土曜日)

築地にN村さんのラッパを聴きに行く。

合唱なのだが、ぜんぜんこの世界は知らないので、いろいろと楽しめた。
詳細は別途のつもりだけれど、ラッパが出てくるとやはり楽しいとあらためて感じた。

くだんのN村さんは、最後の曲のみの登場だったのだが、休憩中に後半用のオケの席のセッティングをしたとき、袖から出てこられて楽器を1本立てて、また下がっていかれた。
銀色をしたその楽器は、そのままずっと立てっぱなしだったのだが、どう見てもフツーのB♭管に見える。
?と思いつつ、後半を迎えると、N村さんはタクトが降ろされる寸前に2階の客席に入ってこられて1曲だけ聴いて、また戻っていかれた。その間、ステージ上にはもちろんフツーのB♭管は立てっぱなし。
最後の曲になって、ナチュラルトランペットを持って袖から登場。
それまでの合唱も楽しんでいたが、ラッパが出てくると一際楽しさは増す。
N村さんは、2つの曲でフツーのB♭管に持ち替えて吹いていた。ナチュラルトランペットとはぜんぜん音が違う。当然のことであるけど、それが曲想をぶち壊すとかはそんなことはまったくないので念のため。
持ち替えたことに気づいた聴衆もそんなにいないのではなかろうか。
事情は、こういうことらしい。なるほど。バロックトランペットとか、その時代の曲のことにはまったく疎いので、勉強になる。

だいたい、フツーのB♭管などと言ってはいけない。モダン楽器である。

2008年5月13日 (火曜日)

不惑を超えて気づく勘違い、昨日は奥さんのだったので、今日は私の話。

(あらかじめ断わっておくが、私の勘違いというか思いの至らなさのほうが、なんとなく高級そうに書いてあるのは、もちろん故意である。)

「吹奏楽の曲といったら何を思い浮かべるだろうか?」という問い(*1)に対して、どのような答えが帰ってくるかは、もちろん人によって違うだろうが、10本の指のうちに次の曲が数えられるであろうことに異論のある人は少ないだろう。

R.ジェイガー作曲 『シンフォニア・ノビリッシマ』(*2)

私が吹奏楽小僧だったころ、この曲はすでに古典だった(*3)。演奏した譜面もすでに紙が焼けていて、印刷の感じも当時すでに古めかしかった、という気がする。
私が最初に演奏したのは遅く、高校にはいってからだったろう。その時までに既にコンクール等では何度も耳にしていたから、初見でも聞き覚えでずいぶん吹けたものである。

しかし、この曲の題名の意味を考えたことは、今日までなかった。

何となく、南の島の明るくのんびりした様子を描いた曲かと思っていた。

いくらなんでもそんなはずないわな。

「ノビリッシマ」であるが、このところのロマンス語学習のおかげで、絶対最上級ではないか、ということに思いあたる(*4)。シンフォニアがaで終わって女性形なので、それにつく形容詞も女性形にしてaで終わる。つまり、Sinfonia Nobilissima

なるほど、カタカナで考えていたから気がつかなかったが、そういうことか。

で、シンフォニアはシンフォニーで分かるとして、ノビリッシマである。この形容詞のもとの形は-issimaをとってノビロ(男性形)のはずである。のびろ? と思ったが、調べたら語尾はeでノビレだった。つまり、nobile。ここまでくればすぐ分かる。ノーブルだよ、ノーブル。

シンフォニア・ノビリッシマのシンフォニアは、交響曲というより序曲を意味するほうだと思うが、そのままシンフォニアとしておいて、この題名を試訳してみる。

「高貴なるシンフォニア」というのが一般的だろうが、それでは絶対最上級のニュアンスが十分汲まれていない。「高貴なる葡萄を讃えて」(Homage To The Noble Grape)以上の気高さを匂わせねばならぬ。何しろ絶対最上級だ。絶対で最上なわけである。ほとんどルイ14世の世界である。

ということで、こういうのはどうだろう。

「超すごい高貴なシンフォニア」

失礼。


(*1) 自分なら10曲なにを挙げるだろうと考えてみたが、課題曲の扱いが問題と思われることに気づいた。学生のときから社会人の市吹までずっとコンクールに出続けているような人でないと、課題曲は世代によってかなり違うものが挙げられるだろう。よって、課題曲は禁じることにして挙げてみると・・・・と思ったが、日を変えて書く価値のあるような気がしてきたので、後日。

(*2 シンフォニア・ノビリッシマを知らない人のための参考音源を探したのだが、なかなかいいのが見つからない。とりあえず、一番おまぬけだったのがこれ

(*3) シンフォニア・ノビリッシマの作曲年代を調べようとネットを検索したのだが、いくつかの説が見当たった。ここはジェイガー本人のサイトにしたがって、出版された年の1965年としておく。すると私が演奏したのは、作られてから約20年経ってからということになる。

(*4) 別にロマンス語系を学習しなくたって、音楽愛好家なら「××イッシモ」というのが「すっごく××」を意味することは分かっているだろうけど。なお、スペイン語であってもイタリア語であっても「シンフォニア・ノビリッシマ」になると思われるが、スペイン語だとしたら「リ」のうえにアクセント記号(´)が付くので、イタリア語と考えられる。そのほかの言語だったら、知らん。

2008年5月12日 (月曜日)

勘違いや思い込みは、誰にもあるものと思われる。

「シェーンベルクのあの曲なんだっけ?」
奥さんはこう言うと、鼻歌で歌いだした。しばらく聞いていたが、なんだか普通の調性感があるような曲に聞こえる。えーと、確か、このメロディは、と考えると、それはどうやらシェヘラザードなのであった。
「シェヘラザードは、リムスキー=コルサコフでしょ」と言うと、「えー、そうだっけー?」と答えていた。
どうやら、この年になるまで、(高校のときからオケをやっていたにもかかわらず、)そう思っていたようだ。

これが、もっと年齢がうえで、世間的にも「お年寄り」と呼ばれ認知されるくらいの年であったなら、この翌日に「シェヘラザードの作曲者は誰?」と訊いて、また「シェーンベルクでしょ」という答えが返ってくることもあるのかも知れない。
さすがに今の奥さんなら、明日訊いたら「シェーンベルク」と答えることはないと思っているのだが、1年後に訊いてみたらどうなるかは分からない。

2008年4月10日 (木曜日)

またもや恐れをまったく知らないことを書いてしまうんである。

その昔(1998年らしい)の"朝ドラ"のテーマ曲でナカリャコフはブレークした。周りのラッパ吹きはあのフレーズを吹きたがるのであった。

奇しくもあれから10年、今の朝ドラのテーマを奏でるのはトロンボーンである。ナカちゃんならぬ中川英二郎氏の名がソリストとしてクレジットされている。
今後世のトロンボーン吹きはみんなあれを吹くのであろうか。

ところでトロンボーンの音がどのような音かということについては、さまざまな言い方がある。
不思議なことに、似たような音質・音域のホルンや、トロンボーンとMPも同じで大変カブる部分も多いユーフォニウムの音にはまずなされない形容が、トロンボーンの音に対してされることがある。
この形容は構造や発音原理がまったく異なるファゴットについてもなされることがある。
どのような形容かと言うと「ちょっとユーモラスな音」という表現をするためなのだが、直截に言えば「オナラみたいな音」ということである(*1)。

これはトロンボーンやファゴットの奏者にするとちょいとばかり気に障る言われ方なのであるが、考えてみるとトロンボーンやファゴットの音を日本語的擬音で表わそうとすると「ブーブー」と記すと思われ、オナラの音と通じる。

しかし一方で、トロンボーンの音には(もちろんファゴットの音にも)もっとシルキーで輝きのあるイメージの音質というものがあって、ビロード・トーンのような表現を供されていたりする。たいして高級ではない再生環境のもとディスクで聴いたことしかないわけだけれど、トミー・ドーシーとかアービー・グリーンの音にはそういう印象が強い。ぜんぜん違うがクラシカルな人だと、例えば桑田さんの音とかはそう感じる(*2)。

その人の音というのはやっぱりあって、ちょっと思いつくだけでも、透明感のある音←→密度感のある音、繊細な細い音←→大らかなぶっとい音というような対立項が挙げられるが、その一つに、甘いビロードな音←→ユーモラスなオナラのような音というのが考えられる。決して後者を否定するわけでなく、それはいかにもトロンボーンらしい音である。しかも、一般の人がトロンボーンの音としてイメージしているのは、この方面の音質であるとも考えられる。私がそう考える理由の一つに、キーボードやMIDIの人工音(それも安っぽいやつ)のトロンボーンの音が、この方面の音それもオナラっぽさをより強調している音ばかりということがある。その音でもってキーボードを弾いても、やたらタッチが均一で音程バッチリに演奏されるので、トロンボーンの音には程遠いと感じるのである。

さて話が初めに戻り、そしてここから先が恐れを知らないの極北になるのだが、私が中川英二郎氏の音を初めて聴いたときから感じているのは、この人の音はユーモラス方面の音質(とても恐ろしくてオナラ方面とは言わない)だなあということである。
だから、音程リズムが正確で躍動感をもって奏でられる朝ドラのテーマ曲は、ちょっと油断するとキーボード(それも高級なヤツ)で弾いているように聴こえなくもないのであった(*3)。

もちろん、氏は音楽感抜群であり、多方面にわたる活躍で私たちを楽しませてくれていることに賞讃を惜しむものではない。

(*1) トロンボーンをオナラのような音だと言っている具体例をと言われると実は困るが、例えば茂木さん(N響ob)の著書にはそう書かれている箇所がある。
(*2)(*3) 恐れを知らずに著名プレーヤーの音質を評するようなことを書いてしまったが、ブラインド・テストをされてこの音は誰の音と当てる自信はぜんぜんない。いつものごとく、私の妄言である。

2008年3月26日 (水曜日)

エヴァルドの金管五重奏曲について、私は第1番と第3番を取り違えていた、ということに今さら気づいた。
つまり、第3番を第1番だとずーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっと思い込んでいたらしい。どのくらいずーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっとかと言うと、大学生のころからだから20年くらい。
その間ずーーー(しつこい)っと誤解していた証拠に、数年前の感想文においても、1番のことを「3番」と書いている。しかし、何でやろ?

まあ、それは置いておいて、愚にもつかない感想文をホームページの方にアップしてみた。

2008年3月22日 (土曜日)

ARS Brass Ensemble 第1回演奏会。サムライを改名、つまり、たけちゃんブラス。


思ったことその(1):若いっていいわ。
…年寄り的発言そのままであるが、今回は後ろ向きにそう思ったというよりは、前向きにそう感じたと言えるかも知れない。詳しくは後日別途(予定)。

思ったことその(2):他人のふり見て我がふり直せ。
…別にこの日の演奏会を批判的に言っているわけではない。むしろ、よくこなれてすっきりとした演奏であった。見通しが良いだけに、ほんのちょっとしたことに気がつくことがあったのだが、その内容をよく考えると、自分たちがそうであるということばかりなのであった。他人のことは言えない(じゃあ言うなということなのだが…でも詳しくは後日別途(予定))。

思ったことその(3):チラシがカッコ好かった。
…会場で初めて見たのだけど、素晴らしい。

2008年3月13日 (木曜日)

競馬はケイバと読むのに、競艇はキョウテイ。
競輪はケイだが、競歩はキョウ。
競売に至っては、キョウともケイとも読む。

この差はどこから来るの?

上述のうちの公営ギャンブル関係の3つ(競馬、競輪、競艇)については、競馬だけは戦前からあったものらしい。競馬発祥はイギリスだろうが、これは古くから日本にも移植されてきたようで、大正時代にすでに競馬法という法律が作られたらしい。

競輪、競艇は戦後できたものだが、このうち競輪については、もともとキョウリンと呼ばれていたのだが(キョウワとも発音されていたそうだ)、競輪にまつわるある騒擾事件がきっかけで、狂や恐と響きの通じるキョウの発音を避け、ケイリンと呼ぶようになったらしい。
競艇はそのようなことがないので、キョウテイのままということか。

2008年3月 7日 (金曜日)

承前

譜面を書く方は、いろいろと考えて音符なりを書いている。それを安直に変えてもらいたくはない。曲の終わりについても然り。聴後感を左右する曲の終わりについては、特に気を遣う。それをぶち壊しにするようなアドリブなり、オクターブ変更(後註)は、許しがたく思う。

と、いうようなことを、前日まで述べてきた。

しかし、それが100%適当なのだろうか。少なくとも、私が書くようなヘナチョコ譜面に関しては、そのようなことを感じるのは不遜極まりないのではなかろうか。
このような自問自答が必要だろうと、反省してみたのである。

演奏者は、ライブで聴衆の生の反応を目前にして演奏している。
彼らには、譜面を書いた方には分からないライブな反応が感じられているので、それに呼応して咄嗟にアドリブを繰り広げることがあるのかも知れない。
譜面を書く方は、「現場」にいるわけではない。譜面を書くという行為は、いわば「企画」であり、企画倒れ、机上の空論となる可能性も秘めていると言えよう。現場の対応の方がずっと適当ということだって、大いにある。

まあ、私が譜面を書く理由は、あくまで「自分がやりたい」がためであって、企画と現場の乖離については、双方に自分が居合わせることを前提としているので、あまり深刻な問題にはならないと考えている。他人様に譜面だけ提供するというような行為は、そりゃやれれば嬉しいが、厳しく自粛すべきであろう。

ということで、現場で勝手に曲の最後にアドリブをすることに対しても、それがその場に適ったことだと考えようと思う。元の譜面のままでは、それまでの聴衆の反応からして、終止感が足りなく感じられると考え、アドリブを繰り出すことによって、私の譜面の不備を補ってくれたというわけだ。

・・・・・・でも、自分が演奏している経験からして、曲の最後にアドリブをしたり、オクターブを変えたり、音を変えたりする理由は、次のうちのいずれかであるというのが、本当のところだと思う。
(1) 自分が目立ちたい。
(2) 自分が気分良く終わりたい。

それが、曲の雰囲気や、指揮者(ディレクターという意味ですな)や、譜面を書いた者の意図や、他の演奏者の趣向に沿うなら問題ないが、往々にしてそうでないのではなかろうか、というのが、4日ばかりかけて書いてきたことの主題なのであった。

(後註)
曲の最後でオクターブを変えると、本文中で述べているのは、普通の楽器の場合には「オクターブを上げる」、ベース系楽器の場合には「オクターブを下げる」という行為を指している。ハイトーンで書かれている譜面に対し、バテのために、オクターブを下げて奏するという事態のことではない。このような事態の場合、本文で示した、(1)目立ちたい(2)気分良く終わりたい、という条件を満たすことはできないと推測される。
あ、いや、譜面どおりにやって、ハイトーンがへくって気分悪く終わるよりは、オクターブ下げて演奏したほうがマシ、というのは、(2)の条件を満たすのかも知れないが、そのような消極的理由は考えないことにする。

2008年3月 6日 (木曜日)

承前

変えてもらいたくないのは、何も音符だけではなくて、アーティキュレーションやダイナミクスについてもあり得る。こと私の譜面に関しては、たいていのアーティキュレーションは、「一応つけておくけど別の解釈で変えてやってもらっても構わないですよ」という感じなのだが、ときどき絶対守って欲しいと思うのもあって、「これは絶対守るべし」ということを簡潔に現す記号があったらいいなと妄想するのである。

曲の終わり方に話しが戻る。
F.O.という手法がある。フェード・アウト、だんだん小さくなって消えていくというもの。ほとんどたいていの場合、あるフレーズをリフレインさせ、それをだんだん小さくしていく。
最初にこれを使ったのが何なのか判らないが、録音という技術が生まれて以降の手法であろう。
最近はどうだか知らないが、私の若いころは流行曲にF.O.の手法が使われている曲がけっこう多くて、いざブラバンでそれをやろうとM8やNSの譜面を音出ししてみると、取って付けたようなコーダがついていて、イメージが違うのであった。よい例が思い浮かばないが、例えば『フィール・ソー・グッド』(後註)なども原曲はF.O.であった。
ライブ・コンサートでこれらの曲をやろうと思うと、何かしらの終わり方が必要となる。
けれども、もともとの曲がF.O.であるということは、良いエンディングが思い浮かばなかったから、という事情が容易に推測されるわけで、それにアレンジ段階でコーダをつけることはかなり難しいとも言えよう。
私は、近くは"THE HUSTLE"で、私なりのエンディングをつけてみた。けっこう考えたつもりだが、上手くいったかどうか分からない。
難しいということを逆手にとって、一度F.O.をライブでやってみるということにトライしてもいいかも知れない。ワルター・ロスのトロンボーン四重奏曲に、音符は書いてあるのだが「Move slide without sounding.」という指示がある部分があって、それに通じるものがあるか。

(註)
この動画は先日(2/29)の記述でも引用している。
つもりだったのだが、違う動画にリンクを張ってしまっていた。正しくはこちら。こちらの方がリバーブ等の影響が少なく生音に近いテイクと思われる。3'14"はこちらの映像であった。
ここではチャック・マンジョーネは一応エンディングをつけている。しかし、ライブ仕様のその場限りのものであることは、すぐに見て取れよう。この名曲に、それにふさわしいエンディングをつけるのは、確かに難しい。
ちなみに、ディスクで発売されている音はこれと思われる。フェードアウトして終わっている。

続く

2008年3月 5日 (水曜日)

承前

エラそうなことを書いてしまうが、譜面を書いている方にも曲の終わりに対する思い入れはあると思われ、演奏においてその意図に反することがなされて思わず怒るときがあるのではなかろうか。

うろ覚えだが、H氏の記述で、アレンジした曲の最後で、楽譜に書いていない勝手なアドリブ、それもひっでえヤツをされて、いたく怒ったというのを読んだ記憶がある。
いや、ただある奏者が目立とうと最後の音をオクターブ上げた、ということだったかも知れない。

曲の最後に関しては、書いている方も譜面のほかの部分以上の思い入れがあることが多いと思われ、そこを乱されると失望も一層大きくなる。場合によっては、オクターブを変えられただけで、激しくぶち壊されたと感じることだってある。
勝手なもので、奏者が適当にアドリブで装飾音を入れたり譜割りを変えたりするのを容認する部分と、ここだけは絶対譜面通りにやってもらいたいと思う部分がある。その比率は人によって違うと思われ、勝手にやってもらいたくない人は誤解が生じないように譜面に細かく指示をするのではなかろうか。マーラーなどはそのような感じではなかろうか。バロックの時代には奏者に任される部分も多かったと思われ、ヴィヴァルディの譜面などは奏者が飾っていくことを期待しているのではなかろうか(嗚呼、何にも知らないくせにエラそうなことを書いてしまった。鼻で笑いながら読み飛ばしていただきたく)。

不祥私の譜面については、たぶん周りで同じようなことをしている人のなかでは、奏者に委ねている割合が多い方だと思われる。一応音符は書いておくけど、変えていただいて構いませんよ、ってなスタンスである。
でも、ここばかりは変えてもらいたくないというところもあるわけだが、私の知る限りそういう意味を現す音楽記号は存在しない。

「Do not differ !」などと譜面に書いた日にゃ、「間違えてはいけません」とか「絶対はずすな!」と書いてあるみたいで、間違いなく絶対嫌われるはずだ。

「ad lib.」とは書けるのに。う〜ん、「No ad lib.」って書けばいいのか。

続く

2008年3月 4日 (火曜日)

曲の終わりに対しては、強い思い入れを抱くことが多い。
「終わりよければすべてよし」というわけではないが、曲の最後はバシッと決めて、気分よく終わりたいと思っているものだ。確かに演奏効果上も、曲の始まりと終わりを整えれば、だいぶ出来は違って来る(と私は思っている(後註))。

プレイヤーからすれば、何のかんの言っても、やはり曲の終わりを決めて、カタルシスを感じたいわけである。
練習のときだって、時間が来たからと中途半端なところで止めるよりは、終わりの切りのところまでやって気分よく終わりたいと思うではないか。

そのような観点から、トロンボーン・パートにとって終わり方に疑問符を抱いてしまうような管弦楽の曲についての若干の考察は、昔こちらのエッセイの方に書いてみたことがある。

私は何もあらゆる曲で最後にジャン!とやるのに参加したいということを言うつもりは毛頭なく、派手な終わり方からしんみりした終わり方から、いろいろな終わり方があるのが面白いのであり、自分の出番は終わって終止符までの長い休符の間ステージにいることだって必然性があればまったく問題なく好きである。
曲が静かに終わるというパターンもかなり好きな方である。

勝手なことを申し上げれば、この終わり方のパターンについて聴衆にも一定のセンスある反応があって欲しいところで-----自分が演奏している場合の聴衆ということだけでなく、自分も一緒に聴いている場合のほかの聴衆に関しても-----例えば、静かにモレンドで終わるような曲が終わった直後に関東一本締のごとき勢いで拍手を始められると興醒めするし、逆に祝祭気分の演奏なら最後の和音が鳴っているうちから待切れずに拍手が沸き起こって盛り上がる方が好きである。

(註)
私の身の周りだけかも知れないのだが、曲の終わり方についてはその重要性は広く認識されており、そこがちゃんと決まるまで練習を重ねることは当たり前のように行われるのであるが、曲の始まりについて、時折ぞんざいな扱いがなされると感じることがある。聴衆に対しても第一印象はとても大切だし、演奏側にとっても最初を上手く滑り出すことは、その後の流れに対していかに大事かは言うまでもなかろう。しかも、曲の始まりについては、曲の終わりがそこまでの流れから奏者の音程感やタイム感が揃っているので合せやすいのに対して、何もないところから開始しなければならないので、より難しいはずである。練習で上手くいっても、本番でそういかないことは、曲の終わりよりは始まりに関しての方が多いと思われる。何度もシミュレーションをして然るべきと思っている。……のだが、私の変なこだわりなのかも知れない。

続く

2008年2月29日 (金曜日)

承前

チャック・マンジョーネはC管のフリューゲルなど吹いてはいなかった。
Feels So GoodのソロもB♭管の「普通の」フリューゲルホーンで吹いていた。

ということを、動画を検索していてあらためて認識した。これ(参照動画(2))など、当事に近いころの映像と思われるのだが、マンジョーネが、ちらっと音を外すところなどとても生々しく、ライブ感あふれる良い映像だと思う。余談だが、3'14''の辺りで、マンジョーネが吹きながら、エフェクタのペダルか何かを足で手繰り寄せるところなど、本当に微笑ましい。

それにしても、普通にB♭管のフリューゲルである。指使いも至って普通。

でもやっぱりフリューゲルではキツそうではある。マンジョーネは途中ギター・ソロの裏でキーボードに移ってバッキングを弾いているが、まさかEs Durだと鍵盤が難しいからF Durにしてるとか? そんなわきゃないか(鍵盤素人の私には鍵盤楽器でのF DurとEs Durでは雲泥の差があるけど)。

フリューゲルホーンがあったら、カッコいいソロが吹けるのになあ(吹くのはラッパのヤツだが)と思い始めるようになったのが、高校生のころ。1980年代前半。

その後、実際に身近な人がフリューゲルホーンを吹いているのを見るようになったのが、大学にはいってから。C古さんとか、そういう方ですね。1980年代後半。

とっても身近な人がフリューゲルを手に入れて、自分でもいろいろな譜面をあてがえるようになったのが、ピストンが出来てから。赤い赤い、赤いABさんのフリューゲル。1990年代。

ピストンのなかでフリューゲルブームが生じて、誰でも彼でもこの楽器を持つようになったのが、今世紀になってからだったかな。2000年代。

かくして、フリューゲルホーンは私にとって普通の楽器となったのであった。以上のような私にとってのフリューゲルホーン史のなかに、C女史は登場しても、にナカリャコフは登場しない。

でも、フリューゲルホーンって、けっこう古い歴史があるのよね。そのことを最近まで知らなかったのだけど。

2008年2月28日 (木曜日)

そうそう、最初にフリューゲルホーンという楽器を覚えたのは、チャック・マンジョーネだった。いや、チャック・マンジョーネと言うよりも、"Feels So Good"という曲だったと言えよう。

こう言っては申し訳ないが、自分的には過去の人という意識だったのだが、ちゃんと公式サイトもあって、活躍中であった。

フリューゲルホーンと言えば、ミスター・ジャムズかブラック・サムというのが正統派ブラス少年だろうけど。

昨日も書いたが、高校のときなどこの曲もよくやっていた。ソロを吹くラッパの1番が秀逸だったのだろう。でも、当時、フリューゲルホーンはなかったなあ。ベー管のラッパで吹いていた。地元のブラスアンサンブル(シュムック)がミスター・ジャムズをやったときに見たのがフリューゲルホーンの見初めであった(多分・・・・違うかも。でも、ピッコロトランペットはそうである)。

ともかく、Feels So Goodは、普通のB♭管でソロを奏するにはちょっとキツイためか、はたまたE♭管の楽器も多く存在するバンドが演奏しやすくするためなのか、調を1つ下げてEs Durの譜面になっていた。どうやら、ニューサウンズだけでなく、一般的にスクールバンドで演奏するときはそうした方がいいかも、と考える人は多いらしい。参照動画(1)

絶対音感もなく、調性に対する感性がまったく鈍い私は、しばらく原曲もその調だと思っていた。何故なら、ソロの運指などが、Es Durの方が自然だからだ。
でも、原曲の調はF Durである。そこで私は思ったのである。

チャックマン・ジョーネはC管のフリューゲルホーンを使っているに違いない。(この文は、「・」の位置にも注意である)

続く

2008年2月20日 (水曜日)

オーケストラの団員に、どうしてその楽器を選んだのかを訊くと、面白いことに、その楽器が人の声に一番近いと思うから、という答えが多いということを聞いたことがある。
楽器の音はそれぞれ違うわけで、人の声に一番近いと感じる楽器の音は、人によって異なるということを示している。
この前のN響アワーでも、ヴィオラの人がそう言っていた。ヴィオラは人の声に一番近いと思う、と。
トロンボーンの世界でも、トロンボーンはいかに人の声に近いかという話をよく聞く。相撲の呼び出しの真似をトロンボーンでやるのは誰の芸だったっけ?
ヴァイオリンで人がしゃべるのを真似るのも見る。

まあ、打楽器の人が、自分の楽器が一番人の声に似ていると思っているかは疑問だが、少なからぬ楽器奏者が自分の楽器が一番人の声に近いと思っているらしい。それが正統派なのかも知れない。

しかし、私にはそうは思えないのであった。
楽器の音は人の声とはまったく違う。トロンボーンも、楽器っぽい音がすると感じる。
オケで言えば、ある局面ではトランペットの音とオーボエの音が似ているなどと思うことはあるが、楽器の音は楽器の音であって、人の声とは違うと感じている。前述の人の声を真似する芸も、音程とポルタメントを絶妙に組み合わせて似せているのだと思う。

声ではできないことをするために楽器を使うのだから、わざわざ声に似ていることを求めることはないのではないか、とも思うわけである。やはりひねくれ者か。

2008年2月14日 (木曜日)

覚え書き。

1906年9月25日生

交響曲第1番  作品10 (1925)
交響曲第2番  作品14 (1927)
交響曲第3番  作品20 (1929)
交響曲第4番  作品43 (1936)
交響曲第5番  作品47 (1937)
弦楽四重奏曲第1番 作品49 (1938)
交響曲第6番  作品54 (1939)
交響曲第7番  作品60 (1941)
交響曲第8番  作品65 (1943)
弦楽四重奏曲第2番 作品68 (1944)
交響曲第9番  作品70 (1945)
弦楽四重奏曲第3番 作品73 (1946)
弦楽四重奏曲第4番 作品83 (1949)
弦楽四重奏曲第5番 作品92 (1952)
交響曲第10番  作品93 (1953)
弦楽四重奏曲第6番 作品101 (1956)
交響曲第11番  作品103 (1957)
弦楽四重奏曲第7番 作品108 (1960)
弦楽四重奏曲第8番 作品110 (1960)
交響曲第12番  作品112 (1961)
交響曲第13番  作品113 (1962)
弦楽四重奏曲第9番 作品117 (1964)
弦楽四重奏曲第10番 作品118 (1964)
弦楽四重奏曲第11番 作品122 (1966)
弦楽四重奏曲第12番 作品133 (1968)
交響曲第14番  作品135 (1969)
弦楽四重奏曲第13番 作品138 (1970)
交響曲第15番  作品141 (1971)
弦楽四重奏曲第14番 作品142 (1973)
弦楽四重奏曲第15番 作品144 (1974)

1975年8月9日没

2008年1月14日 (月曜日)

伊検対策の問題集に次のような問題が載っていた(アクセント表記は省略)。

問題:下線の形容詞の反意語を選んでください。
 La valigia la porto io perche e pesante.
 a) vuota  
 b) grande
 c) leggera
 d) piena

ちなみに答えはc)である。
伊語をまったく知らなくても、ミュージシャンならこの問題は解答できるのではあるまいか。
と思って奥さんに訊いたら、奥さんは正解はしたものの、勘で当てたらしい。

曰く「太鼓にはleggeroという発想記号はない」

本当か。それとも私がたまたまleggeroを知っているだけなのか。

2008年1月 3日 (木曜日)


今まで上ったステージで最も印象的なものの一つは、ある養護学校で冬にブラスアンサンブルをやったときの「雪のステージ」である。

それは高校生のときであった。どのような経緯だったのか定かでないが、冬に地元の養護学校の催し物があって、そこでブラスアンサンブルの演奏をすることになった。もしかしたら、木管のアンサンブルなども一緒に行ったかも知れない。

庭にパイプ椅子が並べられ、その向かい側に雪でステージがしつらえてあった。考えるとかなりの量の雪である。今では確かめようがないが、高さは1mくらいあったし、広さは8重奏か10重奏かが座って乗れるくらいはあったと記憶している。北の方の豪雪地帯だったと思う。
何をやったか解らないが、何となくクラーケンはやった気がする。
雪がちらつくなか、雪のステージに上って我々はラッパを吹いたのであった(そう考えると、サックスならともかくクラリネットとかは厳しいか)。

ステージは養護学校の人たちの手作りだったらしい。なかなか素敵な舞台だった。

演奏のことだけ考えると、屋外、それも冬にというのは、悪条件極まるわけだが、若さは寒さをものともしなかったのだろう。

もう一度、このような雪の屋外でやるのも悪くないかも知れない。

2007年12月26日 (水曜日)

茶化すつもりはない。被害に遭われた方や関係者が不快に思ったらすみません。

日本で銃(いわゆる合法銃)の所持者は17万人、銃の数は30万丁だそうだ。
この数字には、警察や自衛隊で使っている銃は含まれていないのではないか。それらの銃は公務のため貸与している物で、所有者(?)は国とか、警察だったら都道府県になるのであろうか。
まあ、それはいいのだ。上の17万人30万丁は、職業猟師のほか、趣味でハンティングをしたりクレー射撃をしたりする人が持っている分と思われる。

私は報道でこの17万人30万丁という数字を見て、次のように思ったのである。

「これは、トランペットの数字と似ているのではあるまいか」

つまり、日本で17万人が30万個持っていると言えば、トランペットもそんなもんではなかろうかと思ったのである。日本のトランペット人口がどれくらいか、かねがね誰か教えてくれないだろうかと思っているのだが、以前勝手に推算したことがあり、それによると日本のトランペット人口は20万人となっている。17万人はこれとニア・イコールする。
また、銃の単価などは知らないし、ピンキリだろうが、おそらく1丁数十万円と思われ、これもトランペットと近似しそうだ。
銃の所持者は平均すると1.7丁持っている計算になるが、これなどは、普通の所持者は1丁持っているだけだが、なかにコアな人がいて、1人で何本も所有してニヤニヤしているという状態を想像させ、やはりトランペットとの近似を感じる。

トランペットと一緒かと思うと、日本にも合法に登録されているだけで、けっこうな数の銃があると感じられてくる。
まして非合法の拳銃など含めたら……

個人的にはトランペットをやる知人は数多いが、銃を所持している知人は1人しか知らなかったので、もっとレアかと思っていたが、700〜800人に1人所持者がいる計算だから、やはりけっこうな数だ。「総戸数192戸」とかいうマンションなら、そのなかの1軒には銃所持者がいて1〜2丁の銃が置いてあるという比率なわけだから。

2007年12月24日 (月曜日)

クリスマス・ソングは世にあふれていて、ぜんぜん基督教徒でない私の耳にもはいってくる。
教会で歌われるようなクリスマス・キャロルはよく知らないけど、ジングルベルなど、小さい頃から親しんだ曲を耳にすると、やはり季節感を覚えてしまう。さすがに最近はそれほどかからなくなったようだが、一時はこの時期になると街にはクリスマス・イブが流れまくっていた。一時といっても、この曲は1983年製だそうだから、実に20年以上も幅を利かせていたことになる。
そりすべりなどはもともとクリスマス用の曲ではないのではないか、と思うのだが、初めのうちからそういう扱いを受けているらしい。

クリスマスの音楽は金管楽器の響きによく馴染む。金管楽器だけではなかろうが、クリスマス・アルバムというものがよく作られている。今年もまたカナディアン・ブラスのCDを探し出したわけだが、トロンボーンでもペダーソンのアルバムが素敵である。
実は、私が一番初めに譜面にして音を出して好評を得た(と思われる)のは、クリスマスの曲であった。その譜面を書いたのは、当然アンサンブル熱が増しているコンテストのシーズンなので、クリスマスの季節である。
「クリスマスの曲は使える!」 私はこのときこの事実に気づいたのであった。季節さえ外さなければ、ヒット間違いなし、これがクリスマスの曲である。そのため、クリスマスの曲を何曲も譜面にしたのであった。

さて、日本人がやったのではない洋物のクリスマス・アルバムによく取り上げられているのだけれど、「何か知らない曲だなあ」というのがあって、それが由緒正しきクリスマス・キャロルならいざ知らず、商業ベースの曲(ホワイト・クリスマスのようなものですな)で戦後にヒットした曲であるとなると、何故これを耳にしたことがないのだろうと、一種盲点を突かれた気がする。少なくとも、クリスマスの曲を漁った時代には耳にしたこともない曲なのである。

その曲が何かと言うと、Little Drummer Boyという曲である。
いや、そんなの知っているよ、という人も多いかも知れないけど。
この曲は、引用したビング・クロスビーとデビット・ボウイのデュオが1977年にヒットしたらしいが(私は知らない)、もともとはコーラスでの演奏が大流行りしたようである。いい加減な想像だが、欧米ではこんな感じとかこんな感じで親しまれていると思われる。

でも、学生時代ぜんぜん認識がなかった不思議な曲。日本では、あまりかかることがないのでは、と思っているのは私だけか?
ラスト・クリスマスなどは、普通にこの時期の曲と認識されていると思うけど。

2007年12月20日 (木曜日)

ダイナミクス記号をつける、という行為に関して、前述のような考え方をするようになったのには、とある本がヒントになった。

森博嗣 著 『ミステリィ工作室』

この本には雑多な文章が収められているが、森博嗣が心に残るミステリィを100作挙げる企画がある。そして、編集部の意向で各作品に点数評価が付されている。それぞれ5項目について5段階評価としている。
ここで森は、5段階をフルに使うことを奨めている。レンジを目一杯使うことが合理的であると言う。
だから、心に残るとして挙げて作品について、点数評価が1しかついていない項目もままあるわけで、編集部からは「けっこう厳しいですね」という感想があったらしい。だが、森は上の考えから、レンジをフルに使う評価をしているわけである。

まったくその通り、と思った私は、以後そのように考えるようになった。

例えば、アンケートなどで段階評価するものについては、良いから悪いまで、極端とも見えるような○をつける(チェックをするetc.)よう心がけるようになった。
しかし、しかしである、中庸を重んじるアジア的日本人の私は、出来上がった解答を見直すと、「まあまあ良い--普通」に印が集中していることがままあるのであった。

このように放っておくと真ん中に寄りたがる習性があるので、表現をするときにはなるべく極端にやるようにした方がよいのではないか、と考えるようになっているわけである。

ん? それなら、ダイナミクス記号も、ppppffffの4段階くらいにしておけばいいのか!

2007年12月19日 (水曜日)

ダイナミクスを4段階に絞って使うという発想、あまり多く区切っても使い切れないのではないかという発想は、乗用車のギアの話に喩えられる。

pmpmff の4段階を使うのは、車でいう4速。今までのATでは標準的な段数。私が密かに推奨する「大中小」は3速。廉価な軽自動車では今でも多かろう。
これに対して、高性能の車には6MTがおごられていたりする。だが、腕がないときっちりと全部のギアを使えない(らしい)。高級車ではATの多段化が進み、8ATまで出ていたりするが、よほどの高速巡航でもなければ上の方のギアは使わない(らしい…本当か?)。それに多段化されているような高級車は、エンジンもそれなりにトルクフルと思われ、下の方のギアなど実はなくてもいいのではなかろうか。シビアな急加減速、法定速度を遥かに超える高速域、このような条件のもとで初めてギアの多段化が十分意味を持ってくる。そんな運転をするわけでない普通の人たちは、まあ4速くらいで下から上まで十分にエンジンをぶん回した方が楽しいのではないだろうか(燃費重視の私はそんなことしないけど)。軽自動車など3速でもけっこういける。1速=発進、2速=加速、3速=巡航。とても判りやすい。メリハリがつく。

ダイナミクスの記号も、pppppがきめ細かくつけられていたり、クライマックスでfffがふられたりしていると、一見して表現力に富んだ音楽のように思われるかも知れない。しかし、実はそれを音として表現するのには、かなりの技量を必要とする。ならば、全体のなかでのバランスや前後関係をよく考えて、4種類に絞った記号を注意深くつけてやった譜面の方が、出てくる音はメリハリが利いたものになるのではなかろうか。

などと、妄想しているわけである。

2007年12月18日 (火曜日)

譜面書きをするとき、使うダイナミクス記号はなるべく、pmpmff の4種類だけにしようと思っている。

その理由は、自分たちの演奏を鑑みるに、ダイナミクスの変化をつけることは案外難しく、4段階以上に細かく区切っても、演奏表現としてその差を表すことはできないのではないかと思っていることにある。それならばダイナミクスの段階を4つに限り、使えるレンジをフルに当てはめた方が、表現力が増すと考えている。ダイナミクス記号に関しては、単に音量のみの話ではなく、タッチその他で総合的に表わすニュアンスであるわけだが------見た目で表現することにも、私は積極的でありたい------それでも差をつけるのは難しい。自分では変化をつけたと思っていても、録音を聞くとそうでもない。ダイナミクスを何段階にも区切って表現するのは、たいへん難しい。プロ、特に一流プロの演奏を聞いて感心するのは、ダイナミクスのレンジの広さである。自らの演奏をふり返ると、ずっとmf と平板な感じになってしまう。これは、ただでさえ狭いレンジをつい区切りすぎてしまうため、その真ん中の部分を多用してしまうためでないか、それなら区切るのは4段階に絞り、上から下まで使いまくるのがよいのでは。これがダイナミクスを4段階に限る理由である。

実は、もっと絞って、大中小の3段階だけの方がよりメリハリが利くのではとも思っているのだが、普通のダイナミクス記号を使うとpmfだけではバランスが悪いので、mp も含めて4段階使ってしまう。

元は、p の二項対立なのであろう。弁証法的西洋思考が背後にあるものか。だから本当はp f の2つだけ使うのが原点かつ突き詰めた形なのだろう。
しかし、アジア的・日本的思考の私としては、中庸を重んじるわけで、真ん中の「中」という段階がないと落ち着かない。と言うか、p とかf とかは非日常領域、ハレとケで言えばハレの世界であって、普段のケの世界には「中」という概念を当てはめたい。だから、どうしても「m」のついた記号を多用したくなる。現に、私の譜面は放っておくと大部分がmp mf になってしまう。こんなことではいけないので、意識的にp f にする。そうすると、どうしてもただのp f では物足りないと思う箇所が出てきて、ppff をつけたりする。

こうして当初目論んだダイナミクスを4段階に絞って表現力をアップするという作戦が、もろくも崩れるのであった。

なお、西語や伊語を勉強するまで知らなかったのだが、ppff 、つまり-issimo(伊)という形は「絶対最上級」と言う。えらく格好イイ文法用語なのだ。
だから、その先、ppp とか fff とかは、絶対最上級よりさらに上、それはいったい何じゃらほい?ということで、この記号はさすがに使わない。

2007年12月13日 (木曜日)

承前

今回、とある譜面を書くにあたって、ついに今までなかった手段を取り入れた。
それは、YouTube等の動画ファイルを利用するということである。
最初は今まで通りにオリジナルの音源を入手しようと思ったのだけれど、近所のスーパーでやってたワゴンセールで、ピンクレディーがあったのにキャンディーズがなかったことでくじけた。
やってみるまでは、はっきり言ってバカにしていた。というか、音だけあればいいのであって、別に画像は要らない。
しかし、譜面を書いた曲の多くは歌謡曲であったこともあり、どんな曲か確かめるためにYouTubeに上げられた動画を見ると、これがかなり使えるのである。オリジナルを見ると、ああ、こんな曲だったんだ。この歌手はこんなに若かったんだ。とか、いろいろインスピレーションが湧くのである。
それにしても、YouTubeはあっという間に市民権を獲得したと言えよう。この前、某全国紙に牛丼屋で具をてんこ盛りした画像が撮られネット上で非難を浴びた事件で、くだんの丼の写真の出所として、YouTubeがクレジットされていた。
今回の譜面書きは、歌謡曲だけでなく、まったく知らない曲もひとつ、譜面を手に入れるのがおっくうでYouTubeの動画その他からコピーしてしまった。この曲はプロフェッショナルな音源があるわけでないので、YouTubeの動画もいわゆる素人芸ばかりで、果たしてコピーがどこまで正しいか怪しいところもあるのだが、それはここだけの話としておこう。

って言うか、著作権…

2007年12月12日 (水曜日)

参考音源の媒体は、私が音楽的物心ついたころの最初のものはカセットテープおよびレコードであった。
レコードは高いし、擦り減るので(今のデジタル機器に慣れた人たちには伝わるのだろうか?  ダイヤの針で音が刻まれた溝をなぞるわけだから、何度も聴いているとそれが削られてしまう・・・・と思っていた)繰り返し聴く必要のあるものはカセットテープにコピーしてからそれを聴いた。放送から録音するのはもちろんカセットだし、仲間内で「音」を回しあうのはもっぱらカセットによった。
コピーすべき、もとい参考にすべきプロフェッショナルな音源は、放送音源を除いてはレコードだった。

大学のころ、レコードはCDに変わり始めた。参考音源はCDに求めるようになった。
しかし、それをコピーする媒体は相変わらずカセットテープであった。オリジナルの「音」をまわす場合はCDを渡し、しかしだいたい当時のCDはまだとても高価だったので、カセットに録音してまわしたりした。

デジタル録音が身近になるのは、大学を卒業したころからくらいだと思う。DATやMDが簡単に使えるようになった。けれども、この時代も私はもっぱらカセットテープを使っていた。プロフェッショナルな音源はCDで集めている。数年のうちにレコードはあっという間に姿を消していた。まあ、中古レコードとかに放出されているのを買ったりしたけど。

世紀が変わるころになると、パソコンとネットが大いに幅を利かせるようになった。
私は今でも主にCDで音源を入手しているが、ネットが主だという人も多くなっているのだろう。「音」はファイルにして利用するようになった。

私のもとには、参考音源、資料用として買った類のCDが何枚もある。盆踊りの音楽、アニメソング集、ピンクレディー・ベスト等々は、譜面書きの資料のためだけに買ったものである。
もちろん、そのようなCDの音源によるだけでなく、ネット上にある音源やMIDIも昔から利用してきた。もちろん市販の楽譜も利用している。

さて、これが今はどうなったのだろうか?

続く

2007年12月 5日 (水曜日)

その昔こういう芸を考え、「音のない音楽会」としてやったのだが、今なら「エアオケ」と言えばよいのだろう。元のタイトルは、題名のない音楽会と引っかけたのだが、当時から語呂が合わないなあと思っていた。

エアオケ(新名称)とは、何人かが楽器を持たずにオーケストラの弾き真似をするという芸なのだけれど、このエア物はいくつか応用が効くかも知れない。

舞台にはデスクトップ型PC(98ならなお可)を置き、幾人かが両腕を前に出して右手の指をパコパコしたら、エア・ピストンクラブ、略してエアピス。

4人が並んでいっせいに右腕を伸び縮みさせ、特にこちらから見て右端の人の腰つきが日本人離れしていたら、エアスラ。

10人がぐるりと並んで、真ん中の人(左手を顔の前に置き、右手を腰の横で何か持っているようにしている)が特に強烈な存在感を示していたら・・・・・・
おっ、これに当てはまるのは、あそことあそこと・・・あそこもそうか。こう考えると金管10重奏はみんな似てくるのかも。私の偏見ではピッコロを吹く人も、ずいぶん形が似ていそうだし。

2007年11月17日 (土曜日)

金管楽器のベルは、どうして「朝顔」と言うのであろうか?
いや、形状が朝顔というのは、中学生のときから言いえて妙だとは思っていた。
しかし、楽器の各部位の名称については西洋の言葉を訳したのでないのだろうか。
今手元には伊語の辞書しかないのだが、伊語ではcampanaというらしい。英語ではbell、つまり「鐘」である。
なるほど、末広がりのあの形状は鐘である。

そう考えてみると、日本では「鐘」というとお寺の鐘を思い浮かべる。あの鐘ではラッパのベルとちょっと違う。bellとcampanaと言う場合、これは教会のあのガランガラン鳴る鐘である。たぶん『あの鐘を鳴らすのはあなた』の鐘もこの鐘と思われる。お寺のゴーンと鳴る鐘ではない。ましてや神社の鐘(と言うのかあれは?)ではあるまい。あれはでっかい鈴のようなものではあるまいか。

とすると、ベルを朝顔と訳したのは「鐘」ではあまりにイメージと違うため意訳したものなのであろうか。はたまた、もともと日本にあった言い回しなのだろうか。法螺貝の口の部分を朝顔と呼んだとか?

マウスピースは伊語では、bocchino a tazza と言うらしい。なにやら精力絶倫の男性を髣髴とさせる発音になると思われるが、関係はあるまい。
もともとの意味は、bocchinoは「くちをすぼめること」、tazzaは「カップ」ということらしいので、「口の当たるところのカップ」というようなことになると思われる。
マウスピースも「口の部分」の意であろう。

こちらは「歌口」という訳もあながち外れてはいないのかも、と思える。

2007年11月 9日 (金曜日)

メドレーを作るとき、次のようにするのはよくある手だ。

(前略)ソロ(1)-前奏(2)-ソロ(2)(後略)

つまり、前の曲の終わりに、次の曲のイントロをかぶせてつなげるという手法である。
これは、メドレーがスムーズにつながっていく反面、次のようなデメリットがある。
それは、ソロ(1)が終わって送られる拍手が、次の曲の前奏によってふっと止まってしまうということである。
書く方としては、拍手を受けるに十分な時間を設定してあるのだけれど、お客様は新しい音楽が始まったということで、拍手を遠慮されてしまうのである。

これが、(前略)ソロ(1)-後奏(1)-前奏(2)-ソロ(2)(後略)というパターンだと、後奏の間に十分拍手をいただけるのであるが、流れがくどくなるという欠点を持つ。
まして、後奏(1)と前奏(2)の間にフェルマータなどはさんだ日にゃ・・・・もちろんそれがもっとも普通のパターンなのだが。
このパターンで、前奏(2)を省いてみたりとか、まったく新たに間奏を考えてみたりとか、いろいろやってはみる。

譜面を書く方としては、次の曲のイントロの間に前のソロへの拍手をもらって、一息置いて次のソロが始まるというのが美しいと思っているのだけれど、なかなかうまいこと伝わらない。
まあ、「新しい曲が始まった」と認識して反応してくれることは、十分うれしいことなのであるが。

2007年10月25日 (木曜日)

荷造りをする。
納期11月と言われていたものを、PDF化し送る。終了。

微笑がえし、6個あるのは見知っていたのだけど、何か最初の「春一番」が一番盲点かも知れない。
「木を隠すのは森に、手紙を隠すなら手紙入れに、死体を隠すなら戦場に」
もっとも見えやすいところが、かえって気がつかないという、人間の心理をついた推理小説的な隠し方である。
キャンディーズは実は詳しくないので、ベスト版CDを買おうと思った。今週その手のボックスセールが近所のスーパーでやっていて、演歌のテープとか沢山置いてあるので、それを覗いてみたのだが、北原みれいはあってもキャンディーズは置いてなかった。ピンクレディーはあったのに。

2007年10月23日 (火曜日)

幼少のころ、貧しい学校時代を送っていたシューベルトは、五線紙を買うお金もなかった。

というような話が、小学校だかの国語の教科書にあった記憶がある。
そして、そのとき思ったことは、こうであった。

五線紙がなければ、作ればいいじゃん。

その後、銀座のヤマハなどの存在を知り、マルマンやコクヨだけでない高くてかっこいい五線紙が売られているのを知ったのは、ずいぶんと年を食ってからである。

1〜2回買ってもったいながりながらも使ってみたこともあったが、やはり使いやすいのはマルマンのB5である。気安く使えるのが何よりよかった。

そうこうしているうちに、譜面作成はコンピュータで行う時代に突入した。

で、今手元にはマルマンも含めて五線紙はない。
仕方ないので、手書きのための五線が必要なときには、紙に線を引っぱって五線を作っている。
小学生のころ、私はシューベルトもこうすればいいではないか、と思っていたのである。
20071023_gosen_2

(ちなみに、うちでメモ用紙に使っているピストンのちらしの裏)

2007年10月19日 (金曜日)

心臓の方の通院で、奥さんの研修先へ行く。大過なし。

譜面書き、いよいよラス前の曲に取りかかる。
唯一、知らないかった曲。最近これが流行っているということで、薄々その存在は知っていて、1~2度は聴いたことがあるのだけど、覚えられない曲だった。
これを機に覚えよう。とりあえずコピー。めんどい。

って、意外と長いじゃないか、この曲。

2007年10月17日 (水曜日)

『いい日旅立ち』をリコーダーで吹いたことはない。が、トロンボーンで吹いたことはある。何と、バスラッパ(初號機)で吹いたこともある。

同期の結婚式の披露宴で吹いたのは普通であろうが、寒風吹きすさぶ八戸駅で吹いたのは思い出深い。
前にもどこかに書いたと思うのだが、八戸駅のホームでの一人吹き。伴奏など、何もない。

当時、東北新幹線は盛岡止まり。八戸駅は今のように大きくはなく、北の地では灰色の雲が重く立ち込めるのであった(イメージ)。
転勤で旅立つ人を、八戸駅までみんなで見送りに行くという風習があった。会社にはいって最初の席の隣の先輩(つまり、私の指導役ですな)が転勤ということになったとき、初めてその「行事」を経験した。そのとき、駅まで車で連れて行ってくれた別の先輩が、私に楽器を持っていって何か吹けと命じた。そして、駅に行く前に寮に寄ったのである。私は楽器(トロンボーン(Bach))を取っていった。
駅には20~30人ばかり、職場の人が集まっていた。みんなホームまではいる。転勤する先輩は、見送りに来た人たちと挨拶を交わしている。
ホームに列車が来た。特急白鳥。
「フレーフレー」とエールを送り、万歳三唱。
先輩が列車に乗り込むその裏で、私はトロンボーンを吹いた。ほとんどBGM。

何吹いたっけなぁ?

たぶん、蛍の光である。その行事のことは、その日初めて聞いたので、何の準備もしていなかったし、いきなりやって吹けるのは、そのくらいだった。

駅にはもちろんほかのお客さんもいる。
そういうところで、万歳三唱をしたり、トロンボーンを吹いたりしても、別に怒られなかった。当時は。・・・・今はどうだか知らない。

以後、身近で転勤者が出るたびに、私は楽器を持って八戸駅へ行くようになった。
トロンボーンは長いので、荷物をコンパクトにまとめたいときは、バスラッパを使った。

「いい日旅立ち」を吹いたのは、リクエストがあったからである。
それにしても、今思えば、駅と「いい日旅立ち」は格好の組み合わせだ。

忘れられないのは、同じように見送りで八戸駅で吹いていたときのこと。
たしか「いい日旅立ち」を吹いた。
そのころには、列車が来る前に何か1曲やって、エール、列車に乗り込んで発車する最後の別れ場面のBGMとして蛍の光を吹くというスタイルが確立していた。
吹き終わったとき、同じホームのベンチに腰掛けていた女子高生が拍手をしてくれた。ストリート・ミュージシャンの喜びが分かった気がする。

しかし、今気がついた。
わざわざトロンボーンとかバスラッパのような大きな楽器を持っていく必要はなかったのではないか。
縦笛で十分用は果たせたのではなかろうか。

2007年10月15日 (月曜日)

トロンボーン・アンサンブルの譜面は、たくさん市販されているが、トランペット・アンサンブルの譜面は数が少ない。

このような状況下、トランペット・アンサンブルをやっている人たちが、次のように考えるのは間違っているだろうか?

●トロンボーン・アンサンブルの曲をトランペットでやってみる。

私の知る限り、トランペットの人たちにこのような発想は微塵もない

逆はどうであろう?
トランペット・アンサンブルの譜面が近くにあったら、トロンボーンの人が人数を集めて音を出してみたくなるのは不思議なことではない。
その証拠に、トランペット4本でやる『カンツォーン・コルネット』をトロンボーンでやったことがある人も多いはずだ。CDやコンサートのレパートリーに入れているプロだっている。譜面も出ているんだっけ?
数少ないトランペット・アンサンブルの譜面ですら、トロンボーンの人は音にしたがるのに対して、トランペットの人は、オクターブ上げて吹けばいいだけなのに(そして、ハ音のテナー記号で書いてある譜面は、ドとファにデフォルトでシャープをつければ、B♭管でそのまま読める)、膨大な数のトロンボーン・アンサンブルの譜面を使おうとはせず、「市販の譜面がない」とぼやいているのである。
(もっとも、カンツォーン・コルネットのオリジナルはどこにあるかきちんと調べていないので、いい加減なことを言っている可能性は大である)
それでも、機能性、音域、持久力に関して金管楽器より秀でている弦楽器や木管楽器、鍵盤楽器などの譜面をやろうとするよりは、その点かなり考慮されているトロンボーンの譜面をやる方が合理的ではないかと思うのだが、トランペットの人はそういうことは考えない。
トランペットで、チャップマンの「3つの都市」だとか、テレマンのコンチェルトを書き換えたやつだとか、やっているのを聞いたことはない。

いろいろ理由があると思う。ひとつ、もし、トロンボーンの譜面をトランペットでやったことがあって、何か上手くいかないと思ったことがある人に対して、私が考えていることを述べる。
それは、トロンボーン・アンサンブルの譜面をトランペットでやる場合、次のようにするのが適当ではなかろうか、ということだ。

●トロンボーンとトランペットの音程の差は、オクターブにあらず。5度だと思え。

トロンボーンの譜面をそのままオクターブ上げると、トランペットには高すぎる。
私の考えでは、5度上げて演奏したとき、「高さの感じ」が元のトロンボーンの譜面で狙ったのと同様になり、もっとも響きが安定する。
ここで言う「高さの感じ」とは、楽器で音を出したときに、聞こえる音がどのくらい聴衆に高そうに聞こえるかということを指している。実際の音程とは異なる。例えば、トロンボーンのHiB♭はある程度高そうに聞こえるが、同じ高さの音をトランペットで出しても(真ん中のB♭)、そう高そうに聞こえないという意味である。
上で5度と言ったということは、トロンボーンのHiB♭とトランペットの上のFとが「高さの感じ」がだいたい同じということである。

ところで、ここで問題がひとつ。
上の方はいいとして、下はどうなる? ただでさえ、トロンボーンの下はバストロが担当しており、ロータリーが2つもついていたりして、かなり下の方の音まで出るのであり、譜面でも下の音をたくさん使われている。これを5度上げるだけでは、トランペットでは下が追いつかないのではないか。

その通り。
しかし、絶妙の解決策が一つある。

それがバストランペットである。これさえあれば、問題は一挙解決。元バストロの譜面だって、5度上げればだいたい吹ける。

しかし、その条件を満たしたあとでも、トランペットの人たちがトロンボーンの譜面をやろうとすることはない。
私は以前、トロンボーンの譜面をトランペット用に書き換え、音を出してもらったことがあった。
しかし、トランペットの人たちは興味を示さず、ボツとなったのであった。

…たぶん、あまり興味がないのだと思う。

〜 〜 〜 〜

おっ、このネタは、主語を「筆者」にして、理由の考察を膨らませれば「エッセイ」になるではないか。

2007年10月14日 (日曜日)

譜面書きをしていると、その間および終了後しばらく、頭のなかでその曲が鳴り続ける。
W氏などもそう言っているので、そういう人も少なくないと思われる。
書いている間だけでなく、歩いていたり、食器を洗っていたり、風呂に入っていたりという、生活の全般にわたって鳴り続ける。
それが高尚な曲ならカッコよいのだろうが、このところ気づくと頭のなかで鳴っているフレーズは、これである。

「おかしくて、涙が出そう」

卒業ソングを調べていて、いろいろ分かったことがある。自分の勘違いにも気づく。

まず、赤いスイートピー。何故かこの曲を卒業ソングと思っていたのだが、たぶん違う。
以前、『帰れソレントへ』を書くべきところ、『オー・ソレ・ミオ』を書きかけたという前歴があるので、着手前に熟考してみた。
歌詞を調べる。確かに春の曲であることは間違いない。しかし、別れの歌ではないのではなかろうか。アイテム的には、「春色の汽車に乗って」とか、「線路の脇のつぼみ」など、何となく、別れて旅立つ歌かと勘違いしていた。それはなごり雪だ。赤いスイートピーは、I will follow you. である。別れないのだった。
ところが、私だけでなく、これを卒業ソングに挙げている人もいるようだ。どうやら、松田聖子には制服(あぁこの曲か、知ってるわ)という卒業ソングがあり、コアな聖子ファンには隠れた名曲として知られているらしいが、これが「赤いスイートピー」のB面にはいっていた結果、「赤いスイートピー」が卒業ソングとして捉えられているのかも知れない。
でも、歌詞等を検討するに、やはり無理があろう。よって、泣く泣く不採用。「制服」は音的に面白いけど、あらためて考えると名義は違えどもユーミンが重なるので、パス。

そして先ほどの微笑がえし。歌詞を見ていくと、これは、春になって引っ越してお別れ、という曲である。キャンディーズはリアルタイムで知っているのだが、それは知っているというだけである。このたび調べると、微笑がえしは最後のシングルで、解散を決めた後に出されヒットしたものであるらしい。
これまた後日の知識であるが、キャンディーズはデビュー当初はそれほど振るわなかったが、途中から人気が沸騰しトップアイドルとなったという経緯がある。そして、最後は「普通の女の子に戻りたい」という例の有名なセリフをもって、絶頂期に解散した。
で、微笑がえし。最初書くときは「アップテンポの歌謡曲で、ベースラインと伴奏パターンを考えれば、コピー&ペーストを駆使してさらっと一丁上がり」と軽く考えていたのだが、甘かった。意外と手間がかかった。
それに、書き終わった今、よく見ると、けっこう仕掛けが施されているではないか。歌詞の2番(だけ?)などは、それまでのキャンディーズの軌跡を振り返るようになっている(ファンには常識なのかも知れないが、私は今初めて気づいた)。
また、サビのところで「1、2、3」と英語日本語仏語で言う歌詞があるが、これはキャンディーズの3人のことを暗示しているのではないか。
やるなあ、阿木耀子。
ついでに知ったのだけど、ランちゃんは水谷豊の奥さんになっていたのか。知らんかった。
そして「微笑がえし」、何故か最後の和音(コーダの一番終わり)がVIm。本当は悲しい曲だから、最後をマイナーにしたということなのか?
(あっ、なごり雪も最後(サビのメロディーの終わり)VImじゃん)

2007年10月12日 (金曜日)

何故に音楽教室では全ステージ違う曲をやらねばならぬと思ったのか?

お客さんは毎回違うのだから、そのために曲を変える必要はないのである。
何を狙ったかと言えば、これは身内の「ウケ」を狙ったということなのだろう。

ツアーでは、毎日同じプログラムをやるわけだが、毎回会場もお客さんも違うし、さすがにやっている方に飽きがくることはない。
楽器紹介は、ヴァイオリンからはじめて、弦楽器・木管楽器・金管楽器・打楽器の順でやっていたが、その間、担当しない人は、待っているだけである。そんなときにも、「トロンボーンは今日は何をやるのだろう?」という期待感を持たせることができれば、ダレた雰囲気はなくなり、緊張感が持続する。

なんちゃって。

そんなエラそうなこと考えなくても、ほかのパートの楽器紹介はずいぶんと面白いものばかりだった。

2007年10月11日 (木曜日)

「同じようなことをしているなあ」

2週間くらい前に、手記を読んで思ったことである。

大学のオケが、夏休みの間に音楽教室をして回るというのは、当方でもやっていた。
だいたい、ひと夏に5~6ステージはやっていたのであるまいか。
そして、音楽教室には楽器紹介が付き物である。
別に一人で吹けばいいものを、トロンボーンは何故か当然のようにアンサンブルでやっていた。自分たちが担当するようになったとき、これまた何故か全ステージで違う曲をやらなければ、と思い立ってしまった。
ということで、カルテットやトリオの譜面をみんなででっち上げた。譜面はマルマンのルーズリーフなどに書きつけていた。楽器紹介なので1曲は短い。パート譜しか作らないのが基本(?)で、短いためパート譜はB5のルーズリーフをさらに半分に切って使っていたりした。よって、当然ながら現存しえない。
オケがツアーに出る前には、ホールを借りてGPを行っていたが(ホール全奏と言った)、そこで楽器紹介の披露もしていた。それも我々は1ステージと数えた。GPでの披露の後、音楽教室の指揮者の先生に言われた。

「もっとゆっくりなグリッサンドを入れた方が、トロンボーンの特徴がより分かりやすい」

「あの・・・・もうこの曲やらないんですけど・・・・」

理想は、「音楽教室をやる学校へ行き、そこでの校内放送などで流れていた曲を即座に楽器紹介に取り入れる」というものであったが、1回できたかどうか、である。
ただ、今思い出すと、ツアーの間って、移動の電車のなかでずっと譜面を書いていたような気がする。アホウと言えよう。

しかし、それにしても、同じ時期に同じようなことをしているなあ、と感慨深かった。

2007年10月 9日 (火曜日)

10/4のつづき

と、書いていてmollの卒業ソングを1つ思い出してしまった。さて、私としてはここで悩むのである。
『春なのに』は「人口に膾炙しているのだろうか? 
作詞作曲=中島みゆきだからOKか?(←謎の判断基準)。
(ちなみに洋楽は封印されているので、The Sound of Silence は使えない)

そうこうしているうちに、ある調査ではこの曲が卒業ソングとして、けっこう幅広い世代に認識されているらしいことが判明した。迷う。こっちを入れるべきか。しかし、上に述べたとおり、卒業ソングは Dur et slow (←独仏英チャンポン)が基本となっており、この曲もまさにそれを踏襲しているからなあ・・・・。

このように、いろいろな条件を考慮して曲をピックアップするわけだが、どのような場合であっても、自分が好いと思っている曲であることが大原則となる。
そのため、時事ネタであっても取り上げないこともある。時事ネタは、出すタイミングさえ逸しなければ、ある程度のウケを期待できるのだが、やはり素人芸としては、好いと思わないものをわざわざ取り上げることはしない。

「自分が好いと思う」という基準についても、「とっても気に入っていて、心底から素晴らしい思う」というレベルから、「まあ、悪くはない」というレベルまであるわけだが、自分が「これはちょっと」というものを譜面にすることはしない。何故なら、素人の道楽だからである。

もちろん、やりたくても出来ない曲というのは多く存在する。
選ぶ場合に、「これなら出来そう」と判断することは、よくある。でも、「出来そう」というだけで、自分が好いと思わない曲を譜面にすることはない。

悩ましいのは、歌詞がある曲を取り上げる場合である。
ラッパでやる場合には、歌詞を再現することはできない。しかるに、原曲のことを鑑みると、その魅力が歌詞に多くを負っているという場合も多いわけである。そのような曲の取り上げ方は難しい。まあ、人口に膾炙している曲というのは、歌詞だけでなくメロディーも秀逸であることが多いので、メロディーを流すだけで聴いている者の脳内に歌詞を思い起こさせることができるとは言える。

今、時事ネタで取り上げるとしたら、何曲か候補が上がるのかも知れないが、例えばクラシック部門でミリオンセラーになった某曲とか、『おしりかじり虫』とかが挙げられよう。
しかし、前者はあまりやる気が起きないのである(私の個人的感想)。やる気が起きるのは後者。しかし、今のところ私にとって、『おしりかじり虫』を歌詞なしで面白く聴かせる方策は思いつかないので、譜面にはできないのであった。

2007年10月 4日 (木曜日)

私ごときが譜面を書くことに関して何か言うのは大変おこがましいのであるが、言ってしまうという、この自己顕示欲。

何を題材に選ぶかということに関して、自分のなかでは基本的に2パターンある。
1つは、とにかく自分がやりたい曲を取り上げるというものであり、もう1つは、ウケを狙って人口に膾炙していると思われる曲を取り上げるというものである。いずれの場合にも自分にとっての大原則があり、それは自分が「好い」と思っている曲を取り上げるということである。

上で挙げた2パターンの前者については、とにかく自分が好きだというだけで、あとはそれが出来そうかどうかという問題を考えればいいだけなのだが、後者については、時節に合うかという問題とか、ジェネレーションの問題とかを考慮しちゃったりなんかするのである。
ジェネレーションの問題については、確信犯的にピンポイントにしか分からないだろうなあ、という路線を突っ走ることもある。

しかし、「人口に膾炙している」かどうか、というのは、実は最近甚だ迷うところであるし、難しいところである。そもそも、人口に膾炙しているかどうかを判断するなんていうのは、ずいぶんと尊大な考え方ではなかろうか。
データ的に判断することもできない。例えば、オリコン1位だったら人口に膾炙しているだろう、というような判断はできまい。
ジェネレーションの問題とも関わるのだけれど、譜面を作って音を出してから、「この曲、知ってる?」と確かめることも、最近はざらである。

このところ探しているのだけど、見つからないのは次の条件を満たす曲。

卒業を彷彿とさせる、演歌ないしジャズ」

これが「別れ」というテーマだと、いくらでもありそうなのだけど、「卒業」だとかなり限られる。

こんな条件の曲も意外とない。

「卒業を彷彿とさせる、短調の曲」

卒業というのは、別れと同時に旅立ちであり、晴れがましいものだからか。
存外にDurの曲ばかりで、しかし、しみじみするシチュエーションなのでテンポは遅いものが主流のようだ。

つづく

2007年10月 2日 (火曜日)

今週から伊語に取りかかっているわけだが、今期の放送は去年4月期のものの再放送である。そのときの放送も、何度か耳にしたことはあったので、内容はともかく、講師の声は聞き覚えがあった。
このたびテキストを購入し、講師のプロフィールを見て驚いた。

この人、私より5才年上なだけではないか。

放送を聞くと、その声から推察される年齢はもっと上なのである。何と言うか、しわがれた声で、FMのクラシック番組の司会や解説でお馴染みの黒田恭一氏、あの声に似ている。
ちなみに黒田氏は1938年生まれらしいから、そろそろ古稀。昔から声の質はそんなに変わらないように思うが、少なくも現在耳にする氏の声は、失礼ながら、いかにも昔ながらの(落語に登場するような)「近所の物識りの御隠居」という雰囲気を醸し出している。
その声で、伊語を講じているのだ。ずいぶん大御所の人が担当しているんだなあ、と思っていたのだが、そういうわけでもなかったらしい。
声質だけでなく、しゃべり方も何となく年輪を感じさせるのよね。
声質がしわがれていても、しゃべり方が今風なら「ハスキーな声」というだけである。

おっ、これは楽器にも通じるか?
つまり、私は自分の吹く音の音質に、かなり前から幻滅というか限界を感じており、ある意味開き直っているのだが、奏し方によっては聴く人に与える印象は異なったものになる、ということ。

そんなの当たり前だって? そうだよなあ。今さらエラそうに何言っているんだろうね。

2007年10月 1日 (月曜日)

デュリュフレのレクイエムは、私も一度はやってみたい曲である。

学習院のオケが演奏会をした。棒は三石先生で、トロンボーンのトップは私と同期のJ女史だった(はず)。ラッパのトップはAッキーさん。
恥ずかしながら、そのとき聴くまでこの曲を知らなかったのだけれども、一気にこれに魅せられたのであった。

しかし、この曲を(アマオケ)でやるには、ハードルが高いだろう。何よりコーラスが必要だし、スコアは高そうだし、知名度はフォーレよりは低いと思われ賛同者を得る運動が大変そうではある。

2007年9月 5日 (水曜日)

(続き)

アンサンブル団体では不要な監査が、オケではあってもよいというこの違いは、次のようなケースを想定しても分かるかも知れない。(*1)

あるバンドがあった。ボーカルのリュウヘイ、ギターのヤスオ、ベースのテッチン、ドラムのタイチの4人組である。
リーダーはもちろんボーカルのリュウヘイ。会計というのは特に決めていなかったが、スタジオ代の支払いやらの取りまとめは、いつもベースのテッチンが行っていた。
あるときバンドはCDを自主制作することになって、その費用を4人が出し合うことになった。みんなバイト代をつぎ込んだ。取りまとめはテッチンが行った。レコーディングもした。しかしCDは出来なかった。みんながテッチンに訊くと、制作を依頼した先が潰れて夜逃げしたという。みんなは一旦あきらめた。
ところが後日、実はテッチンがみんなから集めた制作費を横領していたことが分かった。

このケースでは、この後バンドがたどる途は、次の3パターンが予想される。
(1)みんなでテッチンに金を返せと迫り、一緒にセッションなど続けられるはずもなく、解散。
(2)テッチンを首にして、新しいベーシストを探す。その場合、他のバンド仲間にも当然話は伝わる。「あそこのベースはテッチンってヤツだったろ。どうしたんだ?」「何か、金でもめたらしいよ」
(3)テッチンがみんなに土下座して謝る。ヤスオとタイチはとても許せないと憤るが、リュウヘイがもういちどやり直そうと言って、バンド活動はその後も続けられる。

同じような話がオケで起きたらどうなるだろうか?
あるアマオケがあった。ある大学のOBを中心に出来たオケだったが、発足後そろそろ10年になろうとする現在、いろいろな出自の人間が集まり、演奏レベルもかなり高いとの評判を得ていた。
団長は発足当初から大石(Fg:IT企業勤務)が務めており、会計は大石の大学の1年後輩の斉藤(Vl:公務員)がこれも最初から務めていた。
オケの団費は毎月5,000円で、そのほかに演奏会や合宿ごとの徴収があり、けっこうな金額が集められていた。団員の間では、大石の顔の広さでそこそこ有名な指揮者Yが指導に当たってくれていると思われており、特に問題視されることはなかった。
ところが、最近入団した仁科(Hr:電気メーカー勤務)は、オケの体制変革を図り新たに指揮者Zを呼ぼうと目論んでいた。費用的な面からも理論付けをしようと現執行部に会計報告を求めたところ、大雑把で曖昧な費目があったので、領収証や細目の提出を求めたが、満足のいく説明はなかった。厳しく追求したところ、指揮者Yの遊興費(愛人との旅行代等)に当てられているらしいことが分かった。大石はYの頼みを断りきれず、またおこぼれにも与っていたらしい。斉藤も然り。

このケースで、この後オケがたどる途として予想されるのは、次の3パターンである。
(1)仁科がオケ改革の先頭に立って不正を正し、大石や斉藤を辞めさせ、もちろんYも辞めさせ、新たにZを呼び、ついでに自分が新しい団長に収まる。
(2)仁科が大石を追及するが、なにぶん大石シンパが多く、また指揮者Yと袂を分けようとする者は少なかった。仁科はいづらくなって退団。オケは会計問題は特に不問に伏せたまま、これからちゃんとやるということで、従来どおりの体制で運営される。
(3)オケが仁科派と大石派に分かれて大論戦する。結局これで2つに分裂する。分裂当初はどちらのオケも力と金を注ぎ込み、優秀なトラを集めまくってそれなりのレベルの演奏会を開いて覇を競っていたが、やがてどちらのオケもしょぼくなっていった。

バンドの3パターンとオケの3パターンとでは、どこが違うのであろうか?

注目すべきは、バンドの場合のパターン(1)である。
金のことでメンバーがもめてバンドが解散する。いかにもありそうな話ではないか。(*2)

一方で10年近くのキャリアを積んできたオケは、金銭問題が発生しても、解散するという発想は浮かんでこない。組織の存続が前提として考えられている。オケの場合のパターン(3)で、オケが2つに分裂するというのも、組織の存続が当然視されているからであろう。

つまり、組織がある程度大きくなると、それ自体として存続を求める力が働くということなのである。
そうなると、会計的な面においても、監査という自浄のための作用が必要となってくる。
ただ数人がワイワイやっているだけの段階の集まりでは、そんなことはいちいち気にしない。

上の例では、オケとの対比としてあえてバンドを出してみたが、アンサンブル団体としても当てはまってくるのではあるまいか。

問題は、その境目がどこにあるかということである。
10人くらいになると、十分に組織存続本能が生まれてくるような気はするのである。


(*1) 本稿に登場する人物は、もちろんすべて仮名である。団体等について、具体的なモデルがあるわけでもない。

(*2) 金でもめてバンドが解散するとは、いかにもありそうなことだ、と書いてはみたが、実際には少ないかも知れない。ここで想定しているのはアマチュアとしてのバンドであり、金銭が大きく動くプロ等の場合は話が別である。実際に解散(冬眠を含む)の要因となるのは、メンバーの時間が合わなくなるとか、目指す音楽が違ってくるとか、メンバーの力量が合わなくなるとか、メンバーが別のバンドのやつと一緒にやりたくなるとか、そんなことが多いような気もする。

2007年9月 4日 (火曜日)

PISTONの会計は、ずっとS川さんがやっている。
まあ、S川さんがいなかったらPISTONは成り立っていないであろうというのは、共通認識である。

ところで、S川さんは毎回の演奏会のたび会計を取りまとめ報告をしてくれるのであるが、PISTONではこれを特に監査するということはしていない。
厳密に言えば、していないということはなく、みんなで会計報告を見て確認をしているわけであるが、領収証のチェックとか、預金残高(そんなものがあるのかどうか知らないが)の確認などは、S川さんをすっかり信じて任せきりである。
S川さんが間違えたり、万に一つもないだろうが、S川さんにだまされたりしたとしても、それなら仕方ないだろうとみんな思っていると思う。
きわめて率直な信頼の上に成り立っている関係である。

私はこの状態を批判しているわけでなく、むしろこれを理想的と捉えている。
趣味で好きでやっていることであり、面倒なことは避けたいし、なにより素朴に頼り合う関係が心地よい。

しかし、これがオーケストラ(アマオケ)くらいの規模になると、監査なしというのは厳しいかもしれない。
オケの運営への関わりを疎んできたずくなしなので、発言する資格はないのだが、意外と監査を形式的にきちんとやっているところは少ないのかも知れない。
別にやらなければならぬと言っているわけでなく、そんなものなくてもいいと団員が思っているのなら、それで構わない。私も理想形としては、100人のオケでも素朴な信頼関係でいけるのなら、その方が心地よいと思われる。
とは言え、オケくらいの規模になると、動く金額もけっこうな額になると思われ、また人間関係も複雑になってくるので、会計的にも不正が働く可能性が上がってくることは否めない。
アマオケで年2回も演奏会をして、合宿をしたりなんかしていると、年間に動くお金は1000万円を超えても不思議ではない。またここに、指揮者やトレーナー等のギャラを支払う相手も絡んでくる。何もアマオケがお金を支払う先は彼らだけでなく、練習会場費からホール代から、楽譜代からいろいろあるわけだが、得てしてギャラというのは秘密裡になりやすい性質を持つ。つまり、知らない人にはいくら払っているのか分からないということである。
こうなると、会計で不正を働こうと思うウマミも出てくるし、そのようなバイアスが働く可能性も強くなる。
オケでは監査をした方が安全であろうし、監査をするという労力も無駄ではないと認識されると考えられる。

(つづく)

2007年9月 2日 (日曜日)


リリアの音楽ホールのキャパはだいたい600だというのは知っていたのだが、本当にジャスト600なのね。初めて認識した。横24席×縦25席。

2007年8月20日 (月曜日)

人の記憶というのは、本当にまちまちである。

父が訊いてきた。
「(私が)高校生のころ、長野にシカゴ交響楽団が来たのを聴きに行ったのを覚えているか?」
「曲は何やったかなあ。新世界か何かじゃなかったかな(長野公演的にはありがち)」
「終ったあと、飯を食うところを探したんだけど、なかなか見つからなくて」

こう言われた私、まったく覚えていなかったんである。
いくらなんでも、シカゴを聴きに行ったらこれは覚えているんじゃないかと思うのだが、そんな記憶はない。終わったあと飯屋を探した・・・・そんなことあったのかいな?という感じである。
そこでまず私が下した結論は、父は、私でなく誰か別の人と行った記憶を私と取り違えているのではなかろうか、というものであった。

しかし、似たような記憶が私にもある。
それは、誰と行ったかは定かではないのだが、多分中学生のころ、フィラデルフィア管弦楽団が長野に来たのを聴きに行った、という記憶である。指揮はムーティ。プログラム全部は覚えていないが、メンデルスゾーンの『イタリア』はやっていた。第1楽章の冒頭で、ムーティは右手をグルグルと振り回していた。このような記憶である。

そして、この記憶と父の話との摺りあわせを図ったのであるが、父はシカゴと主張して譲らない。私としては、シカゴが来ているのなら、クレヴェンジャーやハーセスがいたと思われ、まずはその音のでかさにたまげたと推測されるのだが、そういうことはない(<偏見か?)。しかし、父は、シカゴ響はヒナ段を使わず平面に配置するのが特徴的で、それをよく覚えているので間違いなかろうと主張する。
しかも、終演後飯屋が開いてなかったとか、そのほかも行く途中で○○さんと会ったとか、周縁的なことをやたら細かく覚えている。

うーん、どうだったんだろうか?

さて、現代のようなインターネット全盛期、そんなこと簡単に調べられようと思いきや、私の感覚では、ちょっと前のことを調べるのはけっこう穴があることが多い。
例えば、インターネットが出来る(普及する)以前、具体的には1990年代前半以前の政治家をインターネットで調べるのは、意外と難しい。他のメディアでも調べるのが容易な有名人のデータはネットにもあるのだが(恐らく、ネットのデータはそれら他メディアを、良く言えばソースに、悪い言い方をすればコピーしているのであろう)、そうではないレヴェルの人は、2007年現在現役なら簡単にヒットするが、1980年代の人だとなかなか情報がない。
上のような「公演物」を調べる場合、現在行われている公演、これから行われる公演については、宣伝のこともあって、簡単にヒットする。しかし、過去、しかもインターネット以前の時代のものについては、なかなか情報がなかったりする。
とっても有名で、出版メディアにまとめられているようなものは、(著作権上の問題は大きいと思うのだが)ウェブ上にデータ化されている場合もあるのだけれど、それほどに至らないものは、篤志家の手によるものに頼るしかないのである。篤志家が多いのは、インターネットさまさまではあるが。
体系的に漏れなく調べようと思ったら、今回の場合は、過去の信濃毎日新聞の縮刷版を図書館で漁ることであろう。

しかし、今回は篤志家を発見することができた。
1981年6月6日、やっぱり私の記憶は間違っていなかったと思うんだけどなあ...
(ちなみにこの日は、土曜日らしい。ふ~ん).

2007年8月 8日 (水曜日)

ボリショイ・サーカスの効果音。

サーカスが行われるのは、直径20mほどの円形のアリーナ上である。
一番奥にゲートが設けてあって、出演者はそこから登場する。
そのゲートの上に音響部隊が乗っていた。
人数は4人。ドラムセット、エレキベース、(多分)キーボード、(多分)サックスのカルテットである。
ただし、このカルテットがのべつまくなし演奏しているわけではない。
むしろ、あらかじめ録音された曲をかけている場合が多く、生演奏をするのは限られた演目である。
しかし、ドラムセットの人だけは、ほとんど出ずっぱりである。ほかの3人と労働時間がえらい違う。
休憩を挟んで約2時間のステージの間の9割くらいはドラムを叩いているのではなかろうか。

ドラムセットの人の役割は、ずばり効果音である。

舞台上で演技がなされる。
何か技を決める瞬間がある。空中ブランコで見事に飛び移ったりとか、そういう類の決めである。
ドラムの人は、その時すかさず「ドン!」とか「バシャ!」とか、タムタムやシンバルを打ち鳴らす。
しかも、それはビートのあるBGMに乗せてである。
(たぶん)ドラムの音だけがマイナスワンしてある録音曲が流されており、ドラムの人はそれに合わせながらドラムをリアルタイムで叩いている。そしてステージを見ながら、決めの瞬間に「ドン!」「バシャ!」とやっているのである。
ドラムだけ抜いてあるカラオケというのは、もしかしたら、ドラム練習用には存在するのかも知れないが、何やらCDに合わせて指揮の振り真似をするような本末転倒感があることは否めまい。しかし、ボリショイ・サーカスの場合には、とても理に適ったものであると感じた。

2007年7月21日 (土曜日)

奥さんは病院。

子供を久しぶりに音楽教室に連れていき、帰りにいつものように近所のスーパーのうどん屋に寄ろうとすると、フロアで催し物が行われていた。
スペシャルゲスト=嘉門達夫。 ♪チャラリー、鼻から牛乳〜と、ギター1本で歌っている。
おお、本物ではないか。
私は、連れていた子供に「あの人はすごい人なんだよ」(←あら、すごいって言っちゃった)と教えてあげた。
子供は「普通のおじさんじゃん」と言っていた。髪は金髪だし、サングラスで目線は隠れているし、そんなに普通ではないような気もするが・・・

うどんを食べながらライブの音が耳にはいってきていたのだが、子供は嘉門氏がパロディにしている元ネタを知らないので、さすがにその面白さが分からないようだった。
しかし、踊るポンポコリンのところをしばらく聞いて、一言。

「この人ねえ、ちがう歌(詞)にしてうたってるんだよ〜」

替え歌の人ということは理解したらしい。

アコースティック・ギターを手に歌う嘉門氏の前には、譜面台が1本立っていた。
譜面台には、クリアフォルダに何やら紙が収めてある。一緒じゃんと思った。
紙には、歌詞だけが書いてあるようだ。ワープロ打ちであった。
手書きの赤ペンで何やら書き加えている曲もある。
何とか近寄って、何が書いてあるのか見た。コードネームだった。
エスカレーターに乗ると後ろから覗き込めるというような、スーパーでの催し物ならではのチェックができたのであった。

なるほど、カンペはああなっているのか。

2007年7月14日 (土曜日)

日本が世界に誇る文化と言えば、クラシック音楽の分野ではあのお方がいるのだと思う。

西洋人の間でも他にはないオリジナルな存在として捉えられているのだと思うし、日本での評価ももちろん高く彼の名を冠したホールもある。内外かかわらず、錚々たる顔ぶれの要人があのお方への賛辞を惜しまない。
私の身の回りにも、年上年下かかわらずあのお方をリスペクトする音楽家や音楽愛好家が多いと思われる。

だがしかし、嗚呼またこんな仮眠具合人してしまったらもうダメなのではなかろうかという恐れに眼をつむって言ってしまおう。

あのお方の音楽は、私にはぴんときたことがないのであった。

そんな偉そうなことが言えるほど聴いているわけではないと言えばそれまでだが、どうもぴんとこないので、いろいろと聴いてみようという気になっていかないのである。
あのお方は文章も発表している。少なくともひとつは読んだはずだと思うのだが、記憶にない。
もしかしたら自分は、日本人として、はたまた現在に生きる音楽愛好家として、何か大事な感性が決定的に欠けているのではないかと疑うべきなのだろうか。

だが、シベリウスも二十歳のころはあまり好いとは思わなかったけど、数年したあるとき突然分かった気になって以後好きになった作曲家だし、今後あのお方も分かるときが来るかも知れないと気長に待つことにしようと思う。

ちなみに最近では、Y松Tなどが流れていると好んでしまうのであった。

2007年7月 5日 (木曜日)

演奏は見た目も大切だと思う。
この前、ある演奏を生で見て思ったことである。自分がぜんぜんなのは分かってて言うのだけど。
木管楽器だったのだが、上手さ(と言っても、音程やリズムの正確さという次元のものだが)と見た目は比例するのであった。
余談を付け加えれば、チューニングを舞台上で行うと、1秒で技量が透けて見えてしまうので、あまりやらない方がいいと思った。

見た目を少しでもよくするため、鏡を見て練習するのは有益である。姿勢もさることながら、フィンガリングやハンドリングがどのように見えるのか確かめられる。エクササイズを重ねると、無駄のない動きになってくるのが目でも分かるようになる(気がする)。
リハーサルを録音して返すのは今は一般的にやっていることだと思うが、本番の前に録画して映像をチェックしてみるというのもかなり効果があるかも知れない。やったことないけど。

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アンテルネット復活。サポートに電話しないとダメだった。ただ原因は訊いてもよく分からんと言われた。電話する前に、まじめにマニュアルを見直して、設定を再度確かめてください/LANケーブルを確認ください/接続ソフトをインストールし直してくださいetc.をやってみたわけである。LANケーブルなんて1本新しいのを買ってしまった。設定やケーブルのせいではなかった。ちぇ。最初からサポートに電話すればよかった。

2007年6月29日 (金曜日)

メールをひとつ一昨日いただいて以降、斉藤由貴の『卒業』が頭のなかで鳴り続けて離れなくなってしまった。何年も耳にしていないはずなのだが。
しかし何でこんなによく憶えているのだろうかと考えるに、オリジナルの音源を持っていたからと思われる。EP盤。いわゆるドーナツ盤。どこに行ったんだろうか?
時代的には、すでにCDは販売されていたが、まだまだレコードが主流だった(ただし、この後数年で急速にCDへの移行が進む)。CDプレーヤーはまだうちにはなかった。

あまり意識したことはなかったのだけど、この人とは同学年だったのだな。

ほかにも何曲かリサーチしなければならなくなったのだけど、こればかりが頭のなかで鳴り続ける。ネットで探したら前述のリンク先の通り映像つき音源まであるではないか。思わず見てしまい、歳月を感じたのであった。ますます耳から離れなくなる。まずい。

2007年6月25日 (月曜日)

ずいぶんと細かいところにまで反応をいただいて恐縮だった。
太平燕、作ってみるか。ハルサメがあればいいのか。

昨日のNHKはマイルスの日だったか、見逃してしまった。
N響アワーはホルンのM崎さんだった。奥さんは「ずっと台本見てしゃべっている」と指摘していた。
M崎さんと言えば、高校生のとき一緒に吹かせてもらったことがある。思えばプロの奏者と演奏した初めての機会ではなかったろうか。
高校のブラスの定期演奏会にちょろっと出てくださり、私はM崎さんの隣に座ってクラーケンを吹いたのであった。

そのときの感想。

音がでかかった。日本人離れした風貌だった。

少なくとも、PのM岸氏よりロシア人に近いと思う。

2007年6月23日 (土曜日)

Pの名曲に、W気氏の書いた通称『水戸黄門』というのがある。正規の題名は知らない。

結婚式営業用ピースで、今後のネタバレを防止するため詳細は明かさないが、SWのボレロにちょっと似ているとも言える。
ともかく、このピースには通称に顕れているように、水戸黄門の例の「♪人生楽ありゃ苦もあるさ」の歌が使われている。そしてこのアレンジでは、この歌の最後のところ、歌詞で言うと、「泣くのが嫌なら、さあ歩け」というのところで、ビブラスラップが使われるのである。
ちなみに私の記憶では、P史上最初にビブラスラップを使ったのは『月の砂漠』だと思ったが、定かではない。

Pの通称『水戸黄門』でビブラスラップ(VS)は次のように使われる。

泣くのが嫌なら、(VS:カァー)さーあ|(|は小節線)

このアレンジでビブラスラップが鳴るのはここ一発だけだが、きわめて効果的である。
まさにここしかないという感じだ。

ところがである。
日本人なら誰もが当たり前に感じているこの部分のビブラスラップ、元の水戸黄門の主題歌にははいっているのだろうか?

少なくとも、現在放映されている第37部で流されている主題歌には、ビブラスラップはない。W氏のアレンジに慣らされた耳で聞いていると、この一拍目で思わずずっこけたりする。
もちろん全部のバージョンを聞いたわけでないのだが。

昔のバージョンにはいっていたということか?

2007年6月 7日 (木曜日)

FMの番組で鈴木大介さんだかが言っていたのだが、演奏行為自体はスポーツであると。同感だと思った次第である。

もちろんそれは頭を使わないという意味ではなかろう。
野球だってサッカーだって陸上競技だって、まさに動きながらもポジショニングとかコース取りとか考えてやるし、そして動く前にもイメージトレーニングとかシミュレーションに頭を使うはずだ。とは言え、いざボールを取ったり投げたり足を繰り出したりするのにいちいち細かく意識したりしまい。
スキーなどでも、初めはボーゲンで曲がりたい方と反対の足に体重をかけて、と都度考えないとならないが、練習しているうちに自然に出来るようになってくる。

音楽でも、演奏行為はスポーツだというのは同じことで、音を出したり変えたりというのは身体の動きの問題で、そういう運動の部分はいちいち考えてやるようなものではなく、自然に動くべきものであるということなのだと思う。
場合によってはトレーニングをして意識せずとも出来るようにする。
私なんぞは考えないと分からないコード進行なども、鍵盤の訓練を積んだ人なら「手クセ」で出来てしまう(多分)というような領域まで含まれてくるかも知れない。

やっているうちに、実は自分の動きはまずいのではないかと無意識の基本的動作を見直すこともあろうが、それを使えるようになるには一定の習練が要るだろう。
習練(エクササイズ)とはそういう回路を自分のなかに作ることである。

だから、音楽はじっと考えているばかりでは出来ないのではなかろうか。相当部分は訓練を積んだ身体の優雅な動きに負うものであり、その点でスポーツなのである。

そして、常人には及びもつかない速弾きなども、多分にスポーツ的なものとして感心し憧れる。恐るべきスピードで100メートルを駆け抜ける姿やファインプレーを見て興奮するのと、速回しの目眩く効果を堪能するのは、軌を一にするのではあるまいか。

だから演奏を行うことには爽快感がある。少なくとも私はそうだ。モレントで終わるような深刻な内容の曲であっても、演奏行為後には身体を動かした後の爽快感があるのが正直なところだ。

しかし、現在それはけっこう適わないことになってはいるが…

スポーツという概念は西洋のものっぽいし、演奏=スポーツ説も西洋の音楽演奏に馴染むというものなのかも知れぬ。

ジョン・ケージの4'33"などは、それに対するアンチテーゼなのかな。

2007年5月31日 (木曜日)

分かってないのに分かった振りをしていたオケ言葉が、実はまだある。20年目の告白。

それは、センプレ

今思えば、ただの音楽用語、というか、イタリア語なのであろうが。
ただ、これが訊けずに分かった振りをしてしまった理由としては、この言葉の使われ方にあったと思われる。普通に楽譜にsempreと書いてあったら、「何これ?」と気軽に訊けたかも知れない。
しかし、この言葉が使われた文脈はこうであった。最初は音の響きだけではいってきたのでこう聞こえた。

センプレショクジトーバン

確か、文章的にはこうである。「遅刻した人はセンプレショクジトーバン」

この文意では、センプレショクジトーバンは何かのペナルティと思われるわけだ。数秒後には、この言葉がセンプレ+食事当番というところまでは解読できた。
しかし私はこの時点でセンプレの意味するところを分かっていなかった。

「何か、特別な食事当番なのだろうか? 例えば夜の宴会のつまみを作る係とか・・・・。ああ、いずれにしろ嫌だわ。遅刻はするまい」

と、思ったのであった。
若かった。

今から思えば、食事当番という言葉にセンプレという音楽用語をつけるという、オケっぽいスノッブな使い方をしていたわけである。
しかし、私はセンプレを知らなかったのである。知らなかったのであるが、その場の雰囲気から、この言葉を知らないのはオケ人間としてマズいのではないかということが直感されたのである。そのため、瞬時に知ったか振りをしたのである。

若かった。
というか、単にセンプレを知らなかっただけである。無知だった。

2007年5月30日 (水曜日)

相撲は幼いころTVでお茶の間に流されていたときから馴染んでいたのだが、その用語には疎い。野球の用語ならだいたい分かるのとは大違いである。

番付横綱大関くらいは分かっていた。ただ最初は横綱と大関とどちらが強いかは分かっていなかった。

白星黒星の意味しているのを理解したのは、かなり大きくなってからだと思われる。大学生になってからかも知れない。この語が出てくる文脈から、勝ち負けを表していることは分かったのだが、肝心のどちらがどちらかを示すかは分かっていなかった。

初日の表す意味もずいぶんと長い間分かっていなかった。
この語は、T大オケのトランペッターにとって避けて通れない言葉だった。
「なかなか初日が出ませんねー」
サマコンのツアーでは、この言葉が語られていたものである。
ドビュッシー『海』、チャイコフスキー『悲愴』、そしてブラームス『大学祝典序曲』、これらの曲で初日云々が問題となったのである。

ここで20年の月日を経て告白する。

私は、当時この「初日が出ない」という言葉を分かってなかった。分かってなかったが、分かった振りをしていた。
いや、おぼろげながら意味は分かったのである。
重要なフレーズの肝心の音が当たらないという状況を示しているということを。

しかし、この言い方に得心がいったのは、ずいぶんと後のことである。
黒星白星の理解とも関連があろう。
ツアーでは何回か演奏をするわけである。さあ、ラッパが当たるか当たらないか、その戦績を並べるわけだ。●●●●・・・ おお、初日が出ない!

こういう感覚なんだろう。なるほど体育会系。

2007年5月16日 (水曜日)

ラッパのウォームアップミュート(by ベストブラス)は穴が空いているのか。そして、装着のためのクッション部分(ウレタン)はくるりと隙間なく一回りしている。

トロンボーンのウォームアップミュートは、よく見ても穴などは空いていない。吹き込んだ空気をどこから逃がすかと言えば、装着のためのクッション部分が3パートに分かれていて、それぞれの間にわずかな隙間を作るようになっているのであった。ちなみにサイレントブラス(by ヤマハ)はラッパと同じ形式で、空気はミュート部の内部を通って、胴の周りに設けられたスリットから抜けるようになっている。

空気が抜けると言えば、尾篭な話で恐縮だが、UCの症状について、オナラの具合というのがある。
状態が悪いときには、オナラができないのである。正確に言えば、オナラだけ出すことができないという状態である(身も蓋もない言い方をさせていただけば、実も出てしまうということですな)。
反対に言うと、オナラが出るようになると、かなり症状が改善したということになる。
おしっこも一緒である。症状が酷いときはおしっこだけをするのが難しい。
そして、このところオナラが上手く出せなくなってきているのであった。そのほかの指標も照らし合わせると、状態はまた悪化の方向へ転じようとしているらしい。

2007年5月11日 (金曜日)

ひょんなことから吹奏楽連盟のHPを見ていた。

ほほう、過去の課題曲のCDを売っているのか。

どれどれ、私が出たのは何時だっけか? えーと、ずいぶん最初の方ではないか。

よし、一番古いやつ。これを見てみよう
うーんと、知っている曲あるかな。あんまり知らないなあ。
あっ、でもあった。ディスコキッド(1977年C)。あれ、傑作だよなあ(多分)。収録されていない若人の心(1977年D)という曲は、演奏したことがある気がする。
えーと、でもこのページのは記憶にないなあ。

よし、次のやつ見てみよう
おっ、これこれ。ここのはずいぶんと分かるぞ。どれをやろうか、と選んだときのことまで思い出せる年もある。
吹奏楽のための序曲「南の島から」~沖縄旋律による~(1980年B)
これの演奏が、青森県立弘前南高校がしているというのも、感慨深いのう。
まあ、この年に私がやったのは北海の大漁歌(C)だけど。
やはりこの中では
序奏とアレグロ(1982年A)が傑作だよなあ。

最後にやったのはっと・・・・、吹奏楽のための土俗的舞曲(1984年B)だったよな、確か。懐かしいのう。

と、ここまで見ててハタと気づいた。
あれ? 一番最初にやった課題曲って何だっけ?

私が吹奏楽コンクールに出たのは中学1年から高校3年までの6回のはずだ。
しかるに、演奏したことを思い出せるのは5曲しかない。

最初に出たのは、中1のときだから、1979年のはずだ。
この年の4つの課題曲の題名を眺める。うーーん、思い出せない。

自由曲は覚えている。バンドのための民話。古典である。当時からすでに古典だった(当時はそんなこと分からずに闇雲に吹いていたのだが)。これを吹いた記憶はある。ダブりで1番を吹いたのだが、スタミナがつらかった。当時は、Dの音が高いと思っていたことを憶えている。
しかし、このときにやった課題曲が思い出せない。うーん。

と、言うことは、この年は課題曲なしのカテゴリーに出場したんだっけか? そういうのってあったっけ? 小編成?
と、言うことは、当時は「課題曲」という概念もなかったってことだろうか?
初めてだったわけだし、何も知らなくて当然であるが、今の今まで気づかなかったのである。課題曲を5曲しかやっていなかったことに。

2007年5月10日 (木曜日)

子供が言った。私と二人で夕食をとっていたときのことである。

「お母さんは小さいころじいじとお風呂にはいったとき、♪いーい湯だなー♪って歌ってたんだって」

そこで、私はCD入れの中から原曲音源を探し出し、かけたのであった。
子供は面白がって聴いていた。

そこで考えたことがあるのだが、長くなるのでエッセイのネタにしてみた。

そうしたところ、埋もれていた原稿を発見。そういえばこんなことも考えたっけ。でも、時期的に外れているなあ。もしPがまた従来と同じスタイルで演奏会を出来ることがあったら、そのころに。

2007年4月29日 (日曜日)

大河ドラマ『秀吉』のテーマのピッコロトランペットは、いったい津堅さんか関山さんか?と思っていた。聴いた感じは津堅さんかなあと思っていたのだが、果たしてそうであった。N響アワー。

2007年4月25日 (水曜日)

「外国語に堪能な人の特徴として耳が良いことが挙げられる」という説がある。
ここから敷衍される説として、音楽家は外国語をすぐに覚えるというものがあるそうだ。

しかし音楽家の耳の良さというのは、音の高低とか音質などの方に特化している気がする。
音に対する感度、すなわち小さい音まで聞こえるという能力なら、狩人(マタギ)などの方が能力が上なのではなかろうか。だから外国語云々で言うところの耳の良さは、情報処理能力のことを指していると考えられる。
その意味で、音楽家は耳が良く(音程・音質の情報処理能力に長けている)、その能力が外国語の習得に役立つという面はあるのかも知れない。

耳が良くない私の自己弁護であった。

2007年3月25日 (日曜日)

(ベスト版に関する続き)

拙宅にあるベスト版の中にはTV番組の音楽を集めたものもある。

「太陽に吠えろ」では、番組のテーマの各バージョン(メロディーをラッパが取るか、ギターが取るかなど)のほか、各刑事のテーマが収録されている。Gパンのテーマ、ボンのテーマ、テキサスのテーマ…云々。

ある年の山形でやったNABEOのとき、C女史とともに車で行ったのだが、車中の友としてこのCDを持参した。
各刑事のテーマをかけるときにはテーマの当てっことなるのだった。
ちょっとマイナーなテーマが、ああこの人のテーマだったのかと判明するのが面白かった。
「これ、誰ですか?」
「ゴリさんのテーマだって」
「おお、ゴリさん!」

しかし、太陽に吠えろの各刑事のテーマ曲であるが、すべてテンポが一緒なのである。当然かけ続けていると飽きるのであった。

それにしてもこのCDも資料として活用されていない。そうこうしているうちに、もう時代的にこの番組も共有性を失ってきているし、ミクロ的なパロディでは使えなさそう。

この旅で持っていったベスト版はまだあった。

「懐かしのアニメヒーロー主題歌集」

ガンダム、マクロス、etc.etc. 何故かど根性カエルまではいっている。

これをかけていたら、ハンドルを握るC女史が言った。

「何か、違います。これっ!」

次の曲に移ってもまた言う。

「えー、これも違います。変です、これっ!」

つまり、オリジナルのテイクではないのであった、このCD。
歌も伴奏も元のをコピーしているのだが、微妙に違う部分があるのだ。
言われてみれば、私も何か違和感を感じることもあったのだが、そもそもまったく耳が良くないので、自分の記憶違いかと思っていたのである。
しかし耳の鋭いC女史は、そのCDのインチキ性を一発で見やぶった、否、聴きやぶったのであった。
さすが。

あれ、この話、前にも書いた気がするなあ。同じ話を繰り返す。ますます老人症。

2007年3月24日 (土曜日)

オフコースのベストアルバム「i」を買っちまった。

いや、今日ではなく、今月初めに。
約2ヶ月の入院中、欲しいと思ったCDはこれだけだった。何ちゅうこった。
確か年末に発売だったのだが、買おうと思っているうちに入院となっていまい、妙に気になってしまったのである。

別にオフコースのファンだったわけでもない。コピーもしたことはない。何故なら、オフコースはテンションコードが多用されコードを押さえるのが難しかったからだ(笑)。
ライナーに載せられた初期(1970年頃か?)の小田・鈴木両氏が新宿辺りの壁一面に落書きがしてあるような薄暗いバーに並んで腰かけている写真がカッコいい。

さて、ベスト版というもの、拙宅には何枚かある。
すべて資料用CDというカテゴリーになる。聴いているうちに、いや、買うときにすでにノスタルジーに浸っているものも多いけど。何の資料かって、もちろん譜面書き用である。近年はネットで落とせばいいのだろうけど、何となく形あるメディアに愛着があり、手に入れてしまうことも多い。

オフコースを探したとき、その売り場ではベスト版をひとつのコーナーに集めてあったのだけど、あるわあるわ私の手元にあるベスト版が。
10年以上前にコンビニに買ったのとかまであったりした。ちなみにこのCD、H戸からピストンの練習に行くとき、車の中で聴くためにコンビニで飲料とともに入手したものである。「私がおばさんになーあてもー」と東北道を南下し、「渡良瀬橋で見る夕日はー」と聞きながら渡良瀬川を渡ったものである。しかし、まだ現役なのか、このCD。
その売り場にはこんなのもあった。S山さんがトークで1回は触れるやつ。まだ日の目は見ていないのだが、資料として手元にある。

ベスト版って、場当たり的なものだと思っていたが、けっこう息が長いのね。

と思ったら、思い出した。ベスト版に関すること。
資料用なので、演歌のCDや盆踊り曲集というものもある。そんな中の1枚に関することである。長くなるので後日に続く。

2007年2月26日 (月曜日)

喉が痛くなる。ピンチ。うがいをして寝る。治る。セーフ。
ちょっと外を長く歩いてみる。道の様子がずいぶんと変っている。

チャイコフスキーの小伝を舊字體の岩波靑版で読む。
某バストロの名手には及びもつかない私だが、私もT大オケにいたくせに(?)チャイコフスキーの交響曲はその後も含めて一つも吹いたことがない。ブラームスは20代とはいかなかったが33歳の時に制覇(というのはおこがましい言い様だが)させていただいた。ベートーヴェンはその10年くらい前に制覇してたかも。3曲しかないけど。

それは措いておいて、チャイコフスキーって何となくもっと昔の人かと思っていたことに気づく。生まれは1840年というから日本だと江戸時代ではあるのだが、例えばW大学の祖である大隈重信(1838年生)より若いのだ。
我ながら驚いたのだが、《悲愴》の初演と《春の祭典》の初演との間がわずかに20年しか離れていないことに気づいたのである。イメージ的に悲愴も含めてチャイコフスキーの曲はもっと「前」の時代と思い込んでいた。今さら何を莫迦なこと言ってるのかと思われようが、チャイコフスキーのシンフォニーをやったことないもんで。許して。

2007年2月10日 (土曜日)

ブラスアンサンブルはある陥穽に落ち込んでいるのではなかろうか。

それは、「金管楽器だけなのにいろいろな音楽が出来るんですねぇ」という評価を目指してしまうというものである。
今週2つのブラスアンサンブルを取り上げた番組を見聞きしてふと思ったのである。
番組中でも司会者が「金管楽器だけなのに……」とコメントしていた。

これって、十年一日どころか二十年一日、三十年一日のごとく言われていることではあるまいか。
バロック音楽から現代音楽まで、厳かな教会音楽からジャズィーな軽音楽まで、一つの演奏会に詰め込むことも珍しくない。あるいは、標準的なスタイルと言っていいかも知れない。
多様なスタイルを持つのが「スタイル」というのは、何かずれている気がしなくもない。
そういう行き方があってもいいけど、もっと絞り込んで固執した個性的な行き方があってもいいのではなかろうか。
ありがちなのはエンターテインメント系に注力するというもので、現代のブラスには合っているのかも知れないし、私自身の嗜好はどちらかと言うとその方を向いているとも思うが、そればかりでなく何かもっと他にもあると予感するわけだ。

まぁ、こう思うのも英米系のブラスを頭に描いているからだろうか。欧州大陸系(特にドイツ圏なんだろうけど)を考えるとまた違う可能性はある。

しかし具体的に考えると、貧困な私の発想ではなかなか思いつかない。
例えば、ガブリエリの時代の音楽を徹底的に追及するとか、やってくうちにピリオド楽器に目覚めて…とか、金管楽器の一つのルーツである軍楽を研究し現代のコンサートとして再現してみるとか…。
ううん、いずれも1〜2回ならいいけど、何度もやると飽きそうだな。
演奏会で1曲やる分にはウケるだろうが、そればかりだと引くだろうな、ここはやはりデーハーな曲を一発、などというプログラム構成につい陥ってしまう。陥穽と言う所以である。

上の文の「金管楽器だけなのに……」の金管楽器をトランペットに換えると、ピストンクラブにそのまま当てはまる。
「ラッパだけでようやるよ」こう言われたいがためにやっている心理は少なくとも初期には濃厚だった。
演奏会のアンケートで、好意的な感想を述べてくれる中には「トランペットだけなのに、いろいろな音楽が出来るのに驚きました」とお書かきくださる方が常におられる。
不遜なことを言わせていただけば、アンケートに書かれて一番嬉しいのは、単刀直入に「○○さんがカッコよかった」「××の曲が面白かった」という子供の感想みたいなものである。
ピストンでは確かに多様性・多彩さを無理やりに追っているところがあるかも知れない。飽きっぽい私にはそれでいいのだけど。

だからピストン楽器に見切りをつけたW氏は(^_^)クレンツェなのか。

やってみたいのは、『フーガの技法』の全曲演奏会である。プログラムはそれだけ。長さ的にはちょうどよいだろう。
最後、バッハ絶筆の部分で曲は中断し、長き沈黙の後おもむろに拍手。アンコールにコラール。
ピストンでは… うーん、やらないだろうなぁ。でも実は断片は考えているのだ。

2007年2月 6日 (火曜日)

(昨日の記述より続く)

とは言え、今の私に圧倒的に影響を及ぼしているのは、'80何年だかに企画され放送された昔のプロによる演奏の方なのであった。

こればかりは聴いた時期によるもの、何才の時に聴いたかによることなので仕方ない。
一般に、音楽に限らず、若い時の方が感受性が鋭く印象に残りやすくて影響を受けやすい。もちろん歳を取って初めて分かるものも少なくないが。
人が何にどれだけ感動するかということは、その人個人の状況に大きく左右されるものだし、年齢というのはかなり重要なファクターであろう。

それにしてもこういう言い方で若い人の知りようのない昔の話を持ち出すのはズルいねぇ。

ところで、20数年前のこの番組、昔のプロと言っても、現在でも一線で活躍している方も多い。最後に述べるが、記憶違いでなければ、先日のトーキョーBSにも参加しているプレイヤーのお一人は'80年代のこの番組に出演していたのである。

当時私は高校生だったと思う。アンサンブルに目覚めた頃なので、この番組も待ち構えて聴いたことだろう。当然カセットテープに録音して繰り返し聴いた。どのメーカーのテープだったかさえ憶えている。探せばどこかにあると思うのだが、どこだったかなぁ?

演奏は今考えればやっつけ的な面もあったと思われ、左右のバルコニーに別れて演奏されたガブリエリはズレまくったりしていた。
しかし、高校生でアンサンブル少年への道に足を踏み入れかけていた私には道標となるべきものであった。
同種楽器によるアンサンブルも披露され、トロンボーンは『メキシカン・マンデー』だった。橋幸男にあらず、トミー・ペダーソンである。ペダーソンの名はこのとき覚えた。

当時の日本のトッププレイヤーの顔合わせによるアンサンブルは、絢爛として華やかで、私は大変にワクワクしたのである。

それにしても、この各オケのトッププレイヤーが集まって、という図式はどこかでよく目にする図式ではないか。

ともかく、その詳細はあまり憶えていないにかかわらず、今でも私には煌びやかで楽しげな憧れの対象としてその舞台は位置づけられ輝きを保っているのである。

さて、20余年の時を跨いで両番組に登場していたのは、バストロンボーンの門脇さんである。トーキョーBSの演奏を聴き、門脇さんのバストロの快調なる音を耳にするとき、それはちょっと感無量であった。

――――
心エコー久しぶり。
まだ少し心臓の周りに水が溜っている状態らしい。

足の裏がひび割れてきた。長く入院しているとなる。売店でハンドクリームを買い足の裏に擦り込む。

2007年2月 5日 (月曜日)

トーキョー・ブラス・シンフォニーの演奏について、子供みたいな感想で恥ずかしいのだが、一聴して思ったのは「ああ、プロって巧い」ということだった。
やはり発音とか音程とかムラのなさとかリズムの正確さとか語法の統一とか、違うわ。
だから音楽がすっきりと華やかなものになる。さすが。

かと言って、これに無条件に感動して、「うん、かっこいい!ようし、オレもああいうのやるぞ」となるには、少々歳を取りすぎてしまったようだ。
505スタジオでのライブで定番の音楽ホールでの余韻がないことなどもあるのかも知れないが、(たぶん)生で聴くのとは違って、放送をイヤホンで聞くという状況ではアラも目立つのであった。
何より、まったく一般リスナー向けの懇切丁寧な進行をしていた司会者と解説者が意識せずとも言い当ててしまったのだが、コンセプトも演奏もPJBEの枠から出ていないのであった。月並みで身の程をわきまえない言い方をするなら、この団体の個性が感じられない。恐れを知らない言い方をさせてもらえば、PJBEのコピーでしかないのである。
1980年頃ならコピーも意味があったろう。
今は世界に冠たる日本自動車産業も、真似どころかノックダウン生産で真似の仕方を学ぶところから始まった(←ホントか?)。T社はあくまで自社開発にこだわってきたそうだが。
ブラスアンサンブルというものを日本人がまだよく識らなかった時分、それがどんなものなのか鮮烈に啓示した人たちをコピーしてみるというのは、当面の行動として自然だし、最初のステップとして必要だろう。
しかし世紀も代わったこの時期、洒落や純粋なオマージュとしてのコピーならともかく、何となくやってるとその原型があからさまに透けてくるというのは、プロのエンターテインメントとしてはどうなのだろうと思ってしまったのであった。(もちろん素人の道楽は単なるコピーでもいいのである。だってコピーすること自体も楽しいんだもの。逃げ道多々あり(^_^))。

昨日のFM番組を聞いて思い出したというのは、確か80年代の前半に催された企画だと思う。当時のN響メンバーを中心に在京オケの金管奏者が集まってアンサンブルの曲をやるというものであった。たぶんNHKホールでやっていたと思うので、TVでも放映されたのかも知れないが、私はFMで聞いた。

これについては明日(以降)に書こうと思うが、トーキョー・ブラス・シンフォニーの演奏は、その昔の在京プロによる演奏よりはずっと切れがありおそらくレベルが高いものであったと思う。だから、エラそうに否定的なことを書いたが、始めに一聴して「プロって巧い」と感心したのである。

2007年1月29日 (月曜日)

10日ほど前までは息苦しさや筋力のあまりの衰えに今年度の演奏活動は無理だろうと諦めていたのだが、ちょっと回復すると少しは行けるかもという気になってきた。しかし、ただやればいいというものでなく、ある程度のレヴェル(多分に自己満足の範囲内であろうが)でやらないと意味がない(つまり自分で満足できない━やっぱり自己満足の領域なのだが…)わけである。その状況を確保できるかだわな。
取りあえずリハビリで3度進行込みのスケールの指の練習、左右。
ちなみに気のせいだが、左手でも指の練習をすると同様の右の動きもよくなる気がする。
脳の関係か? でも左と右で司っている脳は違うか。

おっと、FMで今聴いているスクロバチェフスキ指揮のザールブリュッケン放送響のベートーヴェンの5番(運命)、トロンボーンのハイFがよーく聞こえるぞ。しかも繰り返しありだ。一人だけ(だったかな?)Aに移るところは暴発気味だぁ。最後のハイEはきれいなバランスだ。日本でのライブ録音のようなので別にいいけど。
しかし我ながらアホだねえ、この曲は1st トロンボーン耳でないと聞けなくなってる。ホントのパート名はAlto Posauneなんだろうけどさ。

2006年12月19日 (火曜日)

今年のクリスマスのBGMは、The Manhattan Transferのクリスマス・アルバム(1992)にしようと思っているのだが、奥さんに不評である。このアルバムには、Dick Nashが録音に参加しているのだった。どれがその音がよく分からないんだけど。

2006年12月14日 (木曜日)

オペラにはどうも触手が湧かない。
自分の西洋音楽に対する感性の貧困さの表れと諦めている。

部分的には面白いとは思うこともあるのだが、いろいろ観なくてはというような強い動機付けは発生しない。身の周りのいわゆるオペラ・フリークの人を見ていると、いやあ本当に好きで、楽しんでいるんだなあ、と思うわけである。それに対して自分はと言うと、恐れを知らずに言えば、TVで指輪をやるとかあっても、ちょっと観ただけで飽きちゃうんである。

指輪と言えば、学生のとき東京文花に舞台を組むバイトにいったなあ。ああいう大道具を裏から見るのは面白かったが。
また、音楽としては「神々の黄昏」なんてカッコよさの極みだとは思うわけである。特にバスラッパ−としては。

オペラの作品名だけは、○○序曲とかで知っているわけである。中には好きな曲もある。
また、原作を読んで楽しんだものもある。
しかし、オペラ総体について、どうも愛着が湧かないんだよなあ。プッチーニの音楽とかなんて、オペラ好きにならないと味わえないだろうし、そういうのはもったいないとは思っているんだが。(あ、ワーグナーもそうか)

しかし、そんな私でも、これは面白そうだ観てみたい、と思うオペラがある。そんな特殊な作品ではない。いずれもモーツァルトだ。今さら、という気もするが。

『フィガロの結婚』『魔笛』『ドン・ジョバンニ』である。観たい順もこの通り。

2006年12月 6日 (水曜日)

ココログ不調。つながらず。

『フーガの技法』某金管クインテットのCDを久々に聞く。グールドのオルガンによるぶちぶち奏法も良いのだが、ここはひとつブロウ感を求めて。正体を知らずに入手した演奏家たちだったのだが、その後茂木さんの本で語られていたのが団体を主催するトランペットの2人のLaubin兄弟であった。(ドイツ時代の茂木さんが「これは上手く吹けた」と思うと足を左右に振ってダメ出しをするので何だこいつと思っていたら、実はそれがgut! の意味だったと後で分かって仲良くなったというエピソードの相手) とは言え、やはり4声で厳密に作られたこの作品は、5管でやるのをそう思って聴くと引っ掛かるものはあるなあ。

2006年12月 2日 (土曜日)

カルテットの演奏会。
予定に反して一家での鑑賞とあいなり、当日券2枚をキャッシュで買う優良(有料)顧客となる。
熊本からの客人にお会いする。

2006年11月11日 (土曜日)

あれ、本当だ。ショスタコーヴィチのピアノソナタ第2番はいい曲ではないか。

というのは、何かひたすらピアノをゴンゴン叩いているだけの、二十代の頃のプロコフィエフみたい(何だそりゃ?)な曲という記憶があったので、それが実は違う曲だったということに気がついたのであった。
あれ何の曲だったのかなあ、確かこのCDだと思ったのに。

もしや第1番の方か、と思って聴いたが、こちらでもないらしい。こちらもいい曲ではないか。

確かあの曲、ひたすらうるさいという印象しかないあの曲、音がやたら多くてピアニストは物凄い運動量と指先への衝撃をこなしているのだろうなあと思わされるあの曲、もしや夢だったのか?

2006年11月 9日 (木曜日)

会社に行ってみる。インターセプト2回。

『オリーブの首飾り』に関する考察の続き。

私が学生のとき、すなわち1980年代の後半(今から15~20年くらい前)、合宿の大コンパでは必ずインチキ・マジック・ショーをやっていたのだが、その頃は「手品⇔オリーブの首飾り」という図式はまだなかったように思う。登場のテーマ音楽をつけようとしたこともあったが、それは『つボイノリオのテーマ』がいいんじゃないか、とか考えていた。BGMを流す装置はコンパ会場にはあり得なかったので、生バンドでやってもよかったのだが、いかんせん耳コピーをする力もなかったのであった。

その後、5年くらいして1994年のNABEOのBEF。この年私は参加していないのだが、愛媛ウィンドがあの衝撃のオリーブの首飾りを演奏演技しているのであった。
私はそれを翌年の鹿島でのBEF時にロビーで放映されていたビデオで初めて観たのであるが、ということはこの時点では「オリーブの首飾り⇔手品」の図式は、少なくとも四国の地にまで拡がっていたということになるのであろうか。ちなみの当時私は青森県民だったので、日本の中央の情勢には疎かったかも知れない。
しかし、記憶をたどってみると、私にとってはオリーブの首飾りで手品をするというのは、この愛媛ウィンドのビデオが初めてであったかも知れない。うーむ。

2006年11月 8日 (水曜日)

遅ればせながらだが、ポール・モーリアさんが亡くなった。

私は、中学生のとき、ポール・モーリア・グランド・オーケストラの2枚組のLPを買ったことがある。実家のどこかにあるはずだ。
もちろん1曲目は『オリーブの首飾り』だった。

それにしても、『オリーブの首飾り』が手品の音楽になったのは、何時からなのだろうか?

今や、チャラララララーと2拍半のアウフタクトから始まるメロディーが流れただけで、誰もが手品を連想する。そしてそれがあまりに陳腐になりすぎて、笑いすら誘う。
何時から『オリーブの首飾り』はこのようなギャグ音楽に成り果ててしまったのか?

これがなかなか調べが進まない。
とっくに誰か調べているかと思ったのだが、このような例が見つかったくらいで、説得力のある論がまだ見つかっていない。
松旭斉すみえさんが使い始めたとか、マギー司郎さんが使っているとかという説があるが、定かではない。
今後も調べを進めていこうかと思う。

2006年10月21日 (土曜日)

実家へ行きがてらこれこれを見てみたかったのだが、この体調では無理である。

某高校の先輩がゲスト出演するというからだけではない。
実は、この方々は私にとってのブラスアンサンブルの原点的存在であるのだ。ディスク(LP)や放送(FM)ではいくつかあったわけだが、ブラスアンサンブルの生音で圧倒されたというのは、この方々が私にとって最初であった。そう、某SVBEより早いのであった。

HPを見て改めて知ったが、第1回演奏会をやった時には、既に私は東京に出て来ていたようだ。しかし、その以前、彼らの演奏はいろいろなところで耳にしていた。第1回の演奏会を開く前にも、随所で活躍していたのである。1980年代前半のこと。
探せば出てくると思うのだが、私の手許には彼らの録音もある。
生ピッコロトランペットを初めて見聞したのも彼らの演奏によると思った。たしかK井先生(高校の教諭なのである)。

地元ブラスアンサンブル小僧の憧れの団体、それがアンサンブル・シュムックであった。

2006年10月19日 (木曜日)

あまりのショックに茫然自失。
単に私が阿呆というか、感性ないというか、頭ワル過ぎなだけなのだが。

あの曲とあの曲が同じ曲だったなんて・・・・・・・・初めて気づいた。

それぞれここ数年来知っていた(はずの)曲である。
歌え、と言われれば、(音痴ながら)それぞれ鼻歌で歌えたと思われる。
しかし、同じ曲だという認識がなかったのであった。

恥ずかしい。恥ずかしすぎる。恥ずかしすぎて、とても具体名を露わにできない。
と、ここでどのくらい恥ずかしいかを引用しようと思ってピストンのHPにある昔のエッセイをリンクしようとしたらファイルがなくなっていたのでベタ打ち。確かこう。恥ずかしくて露わに出来ないピストンクラブ向け最初の譜面。曲は※※※※※の○○○○。)

今まで何度か会話のなかで口の端に登っていたかも知れない。もしかしたら、とっても頓珍漢なことを言ってしまっていたかも。 いや、それはないな。この曲についてそこまで突っ込んだ会話をした記憶はない。でも、何となく変だ、もしかしてこの人は分かってないんじゃないかと見切られていた可能性はある。
ああ恥ずかしい。

言うなれば、"ダニー・ボーイ"と"ロンドンデリーの歌"が違う曲だと思っていたという状態である。ハハハ。

2006年10月16日 (月曜日)

わずか25歳で夭逝した天才ジャズ・トランペッター、クリフォード・ブラウン。

彼が当初トランペッターとして活動していたクインシー・ジョーンズに、「君はアレンジでいった方がいい」と言い、以後のクインシー・ジョーンズの道があるという話は、この前の打ち上げでH毛ちゃんに聞いた。

ただ、クリフォード・ブラウンが自動車事故で死んだのは知っていたが、何となく自分で運転していて無謀運転をして逝ってしまったものと思い込んでいた。
ぜんぜん違う。ピアノのリッチー・パウエル(バド・パウエルの弟)とその奥さんと同乗していて、奥さんが雨中の運転をしていたそうだ。向かっていた先は、エルクハート。聞き覚えのある地名ではないか。新しい楽器を取りに向かうところであったそうだ。Blessingとの説もある。ふ〜ん、そうなのかあ。

クインシー・ジョーンズといえば、私にとっては久石譲大先輩である。どちらも面識はないが(←当たり前)。

おっと、クインシー・ジョーンズの誕生日は私と一緒らしい。

2006年10月11日 (水曜日)

NABEO感想(続き)。

出番。トラをお願いしたI林氏とは本日初めて合わせただけで本番に臨んだわけだが、ぜんぜん違和感がないのであった。
もともと座りでやるつもりであり、朝のリハのときも椅子を使ってやったのだが、午前中の本番を見聞きして、これはチータでやった方がよかろうということになり、急遽本番立奏する。
また、最近黒黒という格好の団体が多いので、これは変えようということになり、某嬢は通常の荷物と楽器に加えて8着のカラーシャツを大阪まで持ってきてくれたのであった。
出番終わって戻る。同じような格好の(ただし元祖は先方)SWとすれ違う。楽器持ったまま聴いていてくれたらしい。後でT本さんから、私の最初の音ハズしたように聞こえたとの指摘。そうかあ、そうかも。音の立ちが悪いのか。あと、ビート感じてから吹かなきゃ>自分。ダメね。裏拍裏拍。
楽器をしまって会場に戻る。O都留さんのお子さんが眠っていた。さすが会場では「夢」という曲をやっていただけのことはある。

次の団体から会場に戻った。プログラムによると大編成4連発。なるべく後ろの席に座るのであった。

□フェスタ。今でこそフリューゲルホーンは当たり前のようにみんな使っているが、昔は私にとっては珍しい楽器だった。そしてフリューゲルというと、私にとってはC古さんなのである。なんとABさんではないのである。

□テル金。2週間前の本番で同じ曲を聴いたわけだが、そのときより印象が良かった。何でだろ。

□ファインアーツ。本日随一の大編成。打楽器群も多数参加。すごいわ。アマチュアって、どんなに上手いところでも時には「あれ?」と思うような演奏をすることがあると思うのだが(つまり波があるということですな。プロにも波はあるんだろうけど、大崩れすることはあまりないと思われる)、ファインアーツってそういう波がないような気がする。

□ガンマ。謎は多ければ多いほどよいというわけではなかろう。あまりに謎なものは、理解不能としてやはり忘れ去られる。適度というのがショスタコービチのミソかな(意味不明)。とっても久々にN藤氏を見たのがしみじみした。

以前は、NABEOに参加した後、沸々とアイディアが浮かんできたものだ。各団体やゲストの演奏などに刺激を受け、よし、こういうのをやってみようと思うのであった。具体的なことが思い浮かばないときでも、気分が昂揚しており「何か面白いのないかな?」と考え考え帰路についていた。
残念ながら、歳を取ったせいか、近ごろはそこまで即効性はないかも。とは言え、ヒントを受けることは多い。最近では、前回演奏会でやった某ポップスが某ホルンアンサンブルのパクリなのであった(パクリとは判らないかも知れないが、自分のなかではパクリなのである)。
何か面白いことないかな?

2006年10月10日 (火曜日)

保育園に子供の布団を持っていくのを忘れて取りにいった。
草野水路の謎が解ける。

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NABEO感想。

□大阪んブラス。これはもう、初めにおまけでやった『ミスター・ジャムズ』がやっぱり面白かった。特に真ん中よりやや下手側の付近が。
幹事団体の運営は、さすがに手慣れてそつがない。多謝。

□ファイアワークス。あれはああいうバランスという解釈なのではあるまいか(誰に向かって言っている?)。音楽だけによるドラマティックな進行という点において、私には学ぶものがある演奏だった。

□近衛。曲目がかぶるのは、聴いている方には面白い。特にNABEOでかぶるのは面白い。しかしピストンだと十中八九というか99.99%かぶりようがない。最近何かで読んだのだが、作品が後世に残る条件のひとつに謎が含まれているというのがあるとのこと。さまざまな解釈を惹起するのが作品の生命を長引かせる。分かり切った作品は、その時点で終わってしまう。ショスタコーヴィチの作品には、そういう謎の要素が適度にあるのかも知れない。

□バレンタイン。何人かに話したけど、ぜひハープパートをN岡さんに吹いて欲しかった。よくよく見るとラッパだけで6人もいたりして、ちょっとずるい(笑)。

□K.Klang。このホールにはぴったりの編成だ。6重奏ながらちゃちい感じはまったくなく、すっきりしたサウンドで素敵。清楚なピッコロというのは、NABEO関係では私はほかに1人くらいしか知らない。

□NABEOブラス。T本さんの去り方は上手すぎ。金管楽器による音楽の在り方を考えさせられる(意味不明)。

□サイレント・ブラス。あれこの曲テューバがミュート使うんだっけ?と思ったら、ユーフォニアムのミュートだった。そんなの初めて見た。ついでにHPも見ました。

□AHE。やった!今回はAHEを聴けたぞ。嬉しい。相変わらず面白く素晴らしい演奏だった。並び方が普通だったのがもの足りなかったが、あの譜面ならああ並ぶのが最も効果的だものねえ。あっ、訊くの忘れた。ミュートは叩くためだけに使ったんだか。

サムライからスライドワークまでは、出番の都合で聴けず。グッドアップの途中からとスライドワークは、舞台裏にいたのだが、モニターがいまいちでよく聴けなかった。残念。

(続く・予定)

2006年10月 8日 (日曜日)

NABEO新大阪。

5時20分、寝静まっている家人を尻目に家を抜け出す。
9時過ぎ、新大阪駅に到着。ホールへの経路に若干迷うも、リハ開始前には到着。
9時半、リハ。
10時、総会。
11時、各団体演奏開始。感想は後日(?)。
12時半、弁当。さすがに一般の弁当は危険物いっぱいである。1年以上ぶりにエビフライを口にする。
14時半、出番。
17時頃、全団体演奏終了。ホテルにチェックインしに行き、茶。
19時、上野の森演奏。
21時前、0次会。近衛のT見氏が学生時代の私の悪行を語る。って、覚えていないのであった。そんなことしたっけか? まあ、してても不思議じゃないな。ごめんなさい。許してください。
22時、1次会。S井さんがS我部賞。というところまで聞いて、トロンボーンのK籐さんと話始めたので、後の賞は誰が何か、亀山賞とケイマル賞発表の時まで知らないのであった。
SWの宴会カルテット(ただし2番はSVBEのKさん)の演奏曲目。「ガッチャマン」「キューティーハニー」「宇宙戦艦ヤマト」「マイムマイム」(でしたっけ?)
24時、2次会に移動。O田さんからは逃れるもS我部さんの楽器ケース運搬に捕まる。重い。歩道橋通過はたしかに難物だ。
27時、終了間際、帰って寝る。
この間当然ノンアルコール。ずいぶんと保つようになったものだ。

2006年10月 6日 (金曜日)

そうだよね。今、ラハティ来ているんだよね。今回は行けないぁ。C'est dommage.

それにしても、Lahti市の人口なんて10万人くらいだと思うんだけど、あんなに素晴らしいオケがあるってすごいわ。ホールも素晴らしいのが湖畔に建っている。
とは言え、街にあったのはスキーのジャンプ台くらいだったしなあ。ビール工場(カールスバーグ)もあったかな。

2006年10月 3日 (火曜日)

音符が細かくなる(旗がいっぱいつく)と、速く吹かなきゃと思って走り、ますます吹けなくなる悪循環。

2006年9月30日 (土曜日)

ピストン、NABEO向け練習1/1。

一人欠け。って、肝心の一人なのだが。認識なかった者多数。
約1名が渡大できないため、トラをお願いしているのだが、そのトラの方はこの時間本番とバッティングしていたようだ。ご本人も含め数名は認識していたのだが、私も含め本日練習を始めるときに「えっ、そうなの」となった者も多数。

ということで、ぶっつけです。大阪で当日若干の調整をするのかな。

2006年9月23日 (土曜日)

テル金の演奏会に行く。記念すべき10回目とのこと。
それにしてもテル金ってたくさんいるのであった。

20060923_snesan_2 お客さんのなかにS根さんがいらっしゃる。感動的遭遇。

A積氏のお子さん拝見。

2006年9月22日 (金曜日)

ピストンを支えてくれている方で、I林氏は毎回の演奏会のパンフレットにクレジットがあるが、クレジットがない方のなかにも、例えば受付をお願いしている方々がいる。
年に1回、演奏会のときだけお会いする方々である。

今回残念ながら、チーフ受付のY野さんは来られなかったが、もう1名K島さんは○岡在住にもかかわらずこちらに来ていたので受付をしてくれた。
そして恒例なのだが、打ち上げの席で入場者数を発表してくれる。ちなみに今回は130人くらいだったらしい。なかなか第5回のときを超えられない。

しかもモニター越しながら、毎年演奏を聴いてくれているので、そのご意見ご感想はたいへん貴重なものになるのだった。まさに定点観測である。

ようやく熱が下がったか。

2006年9月21日 (木曜日)

今回のピストンの演奏に関して、自らのなかでは「今までの演奏会のなかで、今回の演奏は一番出来が良かったのではないか」という意見がある。複数の然るべき人がそう言っているので、捨てがたい意見である。
しかし、私の感覚ではピストンの演奏会としては、2001年の第10回の演奏会がもっとも出来が良かったのでなかろうか、と思っている。今回はあれに比べると、団体としては演奏の熟成が足らないような気がする。

説【1】 人によって感覚はそれぞれなので、自分の出来が団体全体の出来の評価に影響している。すなわち、自分が良く出来たと思ったときは、団体としても良かったという評価がなされる。今回良いと思った人は、今回良い出来だったのに比べ、私はブランク開けということもあり、今一歩過去の自分の評価を高くしている。

説【2】 我々も四十路を前にして成長しつつある。つまり、毎回の演奏会ごとに成長しつつある。今回の演奏会はその成果が現れた。[願望モード]

説【3】 トランペットの人たちなので、昔のことは覚えていられない。常に今が一番である。したがって、毎回その回の演奏会の評価が最も高くなる。

説【4】 って、そんなバカでもない。前回の演奏会の感触くらいは覚えている。で、それと今回の感触を比べて、今回の方が良いとその傾きから「今回が一番良かった」という評価になる。逆だと「今回は一番悪かった」と落ち込む。

2006年9月17日 (日曜日)

ということで、ご興味のおありの方。明日、よろしくお願い申し上げます。

ピストンクラブ第14回定期演奏会
場所:川口りりあ音楽ホール(京浜東北線川口駅徒歩1分)
日にち:2006年9月18日(月・祝)

開場:18:45 開演:19:00
入場料:当日券900円(私に事前に
メールいただければ要相談)
曲目: (ここだけ本プロ完全公開)
    
モーツァルト/アヴェ・ヴェルム・コルプス
    
ショスタコーヴィチ/三重奏曲第一番 作品8
    
モーツァルト/ディヴェルティメント ニ長調 K.136
    ピアソラ/ブエノスアイレス午前零時
     ポルナレフ/シェリーに口づけ
    ジョビン&モライス/想いあふれて

    ピストンクラブ・オリジナルメドレーシリーズ第14弾

2006年9月16日 (土曜日)

つくばに行くときは、いつも天気が良いのは気のせいか。
久しぶり。TXが通ってからは初めて(乗ってないけど)。それどころか、数年ぶりである。

ピストンの最後の練習。疲れるではないか。やっぱりFの辺りがカスる。
喉が痛い。完全に子供に風邪をうつされた。

数えてみた。今回の演奏会の譜面の枚数。

・・・・39枚。嘘だろ、これでも1曲降りているのに。

2006年9月12日 (火曜日)

ピストンの譜面用ファイルがうちにある。メドレーの譜面を入れるためのものだ。
前回NABEOで使ったときに車で行ったため、私が預かることになったものである。
今度の本番で使うので、中身を取り出してみた。前回のNABEOの曲と、去年の演奏会のメドレー(第13弾)の譜面がはいっている。

実に整理が悪い団体なので、今までのメドレーの譜面はどこにあるのか分からない。ここはひとつ整理をしてみるかと思い、端から順に取り出し始めたのだが、あまりの数の多さに厭になり挫折(1回分なのに)。取りあえず全部取り出して封筒に詰めてタイトルだけ書いておく。
しかし、二度と使うことはあるまい。

20060912_fumen ただ、取り出しているときに、譜面にされている各人の書き込みを眺めるのが面白かった。
練習で譜面が開かれているとは言え、意外と他人がどんな書き込みをしているかは知らないものである。

いろいろあったのだが、一例。
mute を確認するのは、ほかの曲でもやるだろう。でも、一点、「Flu or Bb管」、単語の略し方は措いておくとして、「or」が分からなかった。その場の気分で楽器を変えるということか?
ちなみに「上2」は、上手から2番目の席の意。

2006年9月11日 (月曜日)

20060911_waterkey バスラッパをさらっていたら(ミュート付き)、下のHの音あたりでビリビリと共鳴するような音がする。ミュートが共鳴しているのかと思ったが、どうやら違うらしい。
調べていくと、メイン・ウォーターキーがビリビリいうようだ。
どうやらネジが緩んで外れかけていて、コルクが微妙にずれ、そこから息が微妙に漏れていたみたいだ。適当なレンチのようなものはなかったので、ラジオペンチでネジを締める。
全部締めると、隣りのウォーターキーと干渉するんだな、これが。
でも、本番前に気づいてよかったわ。

ちなみに、私のバスラッパは、ウォーターキーが3つついている。

2006年9月10日 (日曜日)

ピストン練習。楽譜そろう。あ、いや、あと1曲あるんだった。
何となく、本番間際のぴろぴろした雰囲気、もとい、ピリピリした雰囲気になってきた。
って、練習はあと1回を残すのみなのであるが。

前回は、こういう雰囲気になる前に戦線離脱してしまったので、久しぶりに味わう感じがする。

2006年9月 9日 (土曜日)

軽自動車、あの小ささはかなりイイ。

某大学、朝は門は開いていないのか?(正門は開いているのかな?)
はいるところがなくて、思わず周りを一周してしまった。

思い立って、アンコールを書いてみる。
あれっ? Fdurで始まったのに、Cdurで終わっちゃった。
まあ、アレンジ物がある意味詰まらないというのには、実は自分も同感するところではあるのだが、いかんせん、作曲する能力というのはないのである。作曲をするS氏も昔「動機(motif)が思いつかない」と言っていた。

奥さん当直。私は夜、理事会に出なければならないので、奥さんの実家に子供をあずかってもらう。子供は一週間前からたいへん楽しみにしていた。でも、調子悪くゲーをした模様。

理事会、23時までかかる。その後、シャワーを浴びて速攻で奥さん実家へ。あいちゃん、まだ起きていた。父親か母親がいないと、まだ一人でお泊まりできないと言い張っているのだが、本当に。

2006年9月 2日 (土曜日)

20060903_liliaステリハ。

携帯の辞書の変換が「捨てリハ」だったのは措いておいて、久しぶりにリリアで吹く。昨年の本番を棒に振った私は、その前4月の元の本番予定日にやったホール練習以来だから、1年半振りだ。
ピストン的にはリリアは相性のよい素敵なホールということになっているが、個人的には近年秘かに、響き過ぎてワンワンしてしまうホールではなかろうかという疑念も抱いていた。
しかし久々に吹いてみて、やっぱり良いホールではないか、ハード面でもソフト面でもちょっと「ゆるい」感じがピストンにはぴったりだ、と再認識した。何かと吹きやすい。

リハでは、位置決めでけっこう並びを変えてみる。ステージ上での感じと、客席で聴いたときの感じがエラい違う。ピアノ使う曲が多いせいかな。
ともかく、もともと並びがミソの譜面もあるのだが、それに加えて並びをいじったことにより、普通とはちょっと違う感じの並びの曲が多くなったかも。

2006年8月31日 (木曜日)

ドッペルが出る音域は、私にとっては第3倍音のF、E、Es、D辺りなのだが、バストランペットを吹いていて、最近変なところで音が引っかかる。それはその1オクターブ上の第6倍音のF辺り。音がカスッと出なくなるのだ。その上のA辺りまで行くと戻る。ミュートを使ってさらっているので、抵抗感が変なせいかと思っていたが、ミュートを外しても症状が出るときがある。

対策として、トロンボーンでリップスラーを中心にやった。理屈は判らないが、大きいマウスピースで筋トレっぽいことをやると、バストランペットに戻ったときに楽に吹けるのだった。私にとって、トロンボーンのマウスピースは大き目という意識なのである。

2006年8月26日 (土曜日)

ピストン練習。
来週はもうステリハである。
しかし、例によって例のごとく、メドレーの譜面は半分くらいしか出来ていない。
ちなみに出来ている半分は私制作だ 素晴らしい(自画自賛)。

スタミナはだいぶ改善されてきたと思うが、体重が80kgほどあった全盛期から比べると、まだまだ安定度に欠ける。しかもこの一ヶ月はドーピングで体力増進してきたわけなので、薬を減らしていったあとの反動でどう出るかが課題だ。

2006年8月 7日 (月曜日)

反応系その2。

いわゆる「ズザート組曲」から「モリス・ダンス」と「バス・ダンス」と言えば、私が高校生のときのアンサンブル・コンテストで思い出すものがある。
今言われてみると、確かに似たような曲の組み合わせで、組曲の中からわざわざこの2曲を取り上げる意味が不明瞭かも知れないが、時間的な問題だろうか、聴き映えを狙ったものだろうか、私は当たり前のようにズザートというとこの2曲と捉えていた。それには訳がある。当時、東海地区で全国へ行く強豪の一つにA工大M電高校があって、ここもこの2曲の組み合わせでやっており、我々の目の前で全国への切符を手にしたことが強烈に印象に記されたからあった。ちなみにかの高校は野球も強く、現巨人の工藤投手やシアトル・マリナーズのイチロー選手などの出身校でもある。
M電高校は、十重奏版を八重奏に改めたアンコン仕様でやっていた。ラッパの1番はロータリーの楽器で吹いていて、山奥の田舎者で横ラッパなど見たこともない我々は「おおおおぅ」と思ったものである。結果の差を楽器の差に帰して納得したという説もある。若い、若すぎる!!
確か違う年のアンコンだか吹奏楽コンクールだかで、練習のためM電高校を訪ねたことがあり、感動した憶えがある。しかしまぁ、感動してどうする。若い、若すぎる!!
そのような若い思い出のある「ズザート組曲」だが、後年、ピストンでW氏の譜面により、かなりそれまでのブラスアンサンブルの慣習とは異なったズザート舞曲集の演奏に参加させてもらえたのは面白かった。W氏は「慣習」に強い疑問を抱いており、我々はそのような惰性を打破するべく研究を重ねたのであった(本当か?)。一種のピリオド狙いと言えよう。NABEOでは猪苗代で演奏した。
私の中では、M電高校の演奏するズザートと、本来の、つまり金管楽器で演奏するわけではないズザートの舞曲とは、何かもう違う曲として存在している。実は、どちらも嫌いではない。 

2006年8月 6日 (日曜日)

反応系その1。

それにしても取っ散らかった私のウェブの意味不明であろう断片から、よくお分かりになられるものである。
確かにあの原題と原詩から、どのようなチカラワザを用いて「口づけ」を捻り出したのか見当もつかない。実は元の詩なんて関係なくて、最初に曲を聴いた第一印象思いつきなのではないかという気もするが、インパクトが強く大成功の邦題であることは否めない。
最近は著作権の関係から、タイトルの邦訳やセリフの吹き替えなど、翔んだ意訳はなかなか許されないという噂もあるが、昔のような日本語の挑戦は楽しいものである。
常套手段としては、「愛の」や「恋の」を引っつけるというのがある。しかし、あの例は安易に「愛しのシェリー」などとせずに、「口づけ」という具体的所作を意味する言葉を無から捻り出したところが一大特長である。
例えば、原題"Can't Take My Eyes Off You"という曲があるが、『君の瞳に恋してる』という邦題だ。Eyesを瞳と訳しているものの、君の瞳じゃなくて僕の瞳ではないか。テニヲハをわざとずらしているところに技を感じる。
おっと、次なるネタがバレてしまったか(嘘)。

2006年7月30日 (日曜日)

ベタなのだが、正直言ってよく分からなかったショスタコーヴィチの音楽について、なるほどこれは愛すべき音楽ではないか、と思わせたのは、アマオケながらアグレッシブにショスタコ作品を攻め続けているオーケストラ・ダスビダーニャの演奏を聴いてからであった。
それまでショスタコって、自分にとってはそんなに想いのある作曲家というわけではなかったのだが、ダスビの演奏で目覚めたと言えよう。しかも、今調べたら1997年にやった第4回演奏会の11番のシンフォニーのときだ。かなり奥手である。

後に奥さんになる人が当時ダスビのタイコ部隊で出演していたので、チケットをもらって聴きに行ったのである。「とにかくショスタコの曲をやる!」というコンセプトのアマオケが成立するのも、東京ならではと言えよう。
アマチュアリズムという言葉は、必ずしも好きなものではないのだが、やりたいからやる、という気持ちを前面に打ち出した演奏は、私にとってはかなり衝撃的だった。

そうこうしているうちに、時代は小編成(^^)。
オーケストラ作品もいいのだが、小さな編成の作品の魅力に惹かれる今日この頃。

ということで、さらわなくては、と思いつつ、何故か久々にアルト・トロンボーンを取り出して吹いてみる。やっぱり曲がっているところが少ない楽器は、高い音が出しにくいかも。

2006年7月29日 (土曜日)

夜、ピストン練習。
最近の練習はもっぱら都内S田区で行っているのだが、本日はウン万人の人出があったと思われるS田川花火大会。練習場所の周囲は交通規制がかかるとの事前情報を得て、私も含めて普段クルマで練習に来る人もみな電車で来場。
練習の合間の休憩時間に花火が見えるかしらと外を見る。ドンドンという音は聞こえる。しかし、夜空に見えるのはヘリコプターだけであった。
私について言えば、音は少し出るようになってきたかも。
しかし、ショスタコーヴィチは危ない。危なすぎる。
Et ほかの曲でも自分で書いてて自分で吹けないのがいっぱい。さらわなくては。

2006年7月28日 (金曜日)

しかし正直に言うと、学生のときにショスタコーヴィチの10番をやったのだが、よく分かっていたとは言えなかった。今でも分かっているわけではないが、少なくともショスタコーヴィチの諸作品に対して自分が現在抱いているシンパシーのようなものは、当時はなかったのが本当のところである。

ある意味「トロンボーンは音が多くて面白いなあ。裸のコラールも出てくるし、さらいがいがあるなあ」という幼稚なレベルでの接し方であったと思われる。この後、自分が成長しているかどうかが著しく疑問ではあるが。

思い出したら、当時ショスタコーヴィチは「ポスト・マーラー」などと言われていたが、それはかなりマニアックなレベルでの言われ方であり、嘘か本当か知らないが、一部の弦楽器の人は「ショスタコをやると弦が荒れるから嫌だ」とのたもうていたものだ。
そんな中で、完全に多数決をとるT大のオケの選曲でよくこの曲が決まったものである。5番ならいざ知らず。

そのとき対抗の曲に何があったかまったく憶えていないが、私は責任学年の1つ上の先輩の指示を忠実に守り、ショスタコーヴィチに手を挙げたものだ。でも、告白すると、心からやりたいと思ったわけではなかった。曲をよく識らなかったし、ショスタコーヴィチに関する知識もぜんぜんなかった、『革命』や『祝典序曲』の作曲者というくらいしか。この2曲、高校のとき吹奏楽でやったことがある。すごいね。たぶん、調は1つ下げていたはず。

2006年7月27日 (木曜日)

昨日、「ソ連が崩壊してから、ショスタコーヴィチの演奏もずいぶんと自由になってきた」と書いたが、これではKGBだかソヴィエト文化庁だかが、社会主義体制に合わないショスタコーヴィチの演奏がないかどうか、世界中を見張っていたかのようにも読めるかも。さすがに私もそんなSFチックなことは考えていない。
十数年前には、ショスタコーヴィチの作品についてはスターリン体制の抑圧との葛藤の文脈で捉えなければならず、例えば、表面的には大音量の万々歳をしているように見せつつ心の裏では痛烈な皮肉を込めるとか、一見軽妙な諧謔を演じながら実は深刻な心理状態であるとか、大雑把に言ってそういう演奏をしなければならないという風潮であったように思う(根拠なし)。

学生のときに定演でショスタコーヴィチの10番のシンフォニーに乗った。1990年のことである。指揮者のH川先生は、例の『証言』を読むように指示をされた。夏の合宿で最初の全奏があったとき、H川先生はオケを前にして訊いた。
「『証言』を読んだ人?」
私は当然読まねばならぬと思っていたので、夏休み中にとりあえず読んではいた。ばかりか、そもそも10番という曲をほとんど識らなかったし、一度聴いただけでは何が何だかよく分からなかったので、何度も繰り返し聴いて強制インプットを図っていた。
そもそもみんな東大生だし、マエストロの指示だし、私は全員『証言』を読んでいるものと思っていた。しかし、おそらく手を挙げたのは半分くらいにとどまったと思われる。私は意外に感じたものだった。

ともかく、ショスタコーヴィチというと、何と云うか「シリアスな感触」の演奏が正とされている気がする。それもこれも、やはり「強圧的な体制の下で、いかに自身の芸術を作ろうとしたか」という図式においてこの作曲家を捉えるからだろうと思う。そのような厳しい状況に生きた作曲家の作品を、あだやパッパラパーに演奏することはできない、という意識だ。
そして、ソ連が現としてあった時代には、鉄のカーテンは現実的な存在感をもって引かれていたわけで、その向こう側の作曲家については、その社会的環境を無視して捉えるわけにはいかなかった。

しかし、余計な雑念を捨てて純粋にその音楽だけに注目するというのも、ショスタコーヴィチを一音楽家として捉えればアリではないか、というアプローチも最近出てきている(らしい。私にはよく分からないが)。
ソ連も崩壊し、強圧的な共産主義体制を採る国もわずかに残されるばかりになった。ソ連時代には、公式には建前に則った情報しか西側には流れなかったものが、だんだんと本音の部分もあからさまに見えるようになってきた。ショスタコーヴィチだって、苦渋を噛みしめるような音楽ばかり書いていたわけではあるまい。こんな感じではなかろうか。

永年ショスタコーヴィチ演奏のバイブルとして、ムラヴィンスキーの演奏があったと思うが、非常に筋肉質の演奏である。私は同じオケ(名前はSt.Petersburg に変わっているが)がテルミカーノフの指揮で1996年に録音したショスタコーヴィチのCDを聴いて耳を疑った。
「何だ、この軽さは!?」
(最近の言葉で言えば、「何てゆるいんだ!?」かな)

私のたいへん狭い範囲での鑑賞経験と鈍い感性での記述なので、今の世の流れがこういう風になっているのかどうかは甚だ確証がない。

でも、やっぱり私はショスタコーヴィチはコンドラシンとかのシャープな演奏が好きだな。

2006年7月26日 (水曜日)

今度のピストンの演奏会に出られるかどうかは予断を許さないのだが、今のところトラのお願いはしていない。いずれにしろ、昨日の観察では相変わらずT邦S倉は病床がいっぱいみたいなので、状態が悪化してもすぐに入院するのは困難が予想される。

ところで、今度のピストンではショスタコーヴィチをやってみる。
時代は小編成らしい(^^)が、トランペット3本とピアノという編成。これでも原曲では2人のところ3管でこなすのだが。
いつもはW氏やS氏やC氏の譜面に明らかに私の技量では出来ないパッセージが含まれており、そこを重点的に何度もさらうのだが(おかげで出来るようになったことも数多く、感謝しているが)、今回はW氏の譜面もS氏の譜面も、譜ヅラは簡単で(音楽的に簡単とは口が裂けても言えない)、取りあえず指が回らないことはないという状況であり、C氏の譜面にいたってはtacetという何ともありがたい思し召しなのである。
このような状況下、譜ヅラのレベルで最も難しいのは、自分で書いたショスタコーヴィチなのであった。ピコピコピコピコさらっているのだが、なかなか馴染まない。どこまで精進できるであろう。

果たしてトランペット・アンサンブルなんぞでショスタコーヴィチを取り上げていいのかしら、という懸念もあるのだが、ウィーンのトロンボーン・カルテットもやっているし(それが譜面書きのヒントのひとつになったのだけど)、ソ連がなくなって久しい現在、ショスタコーヴィチの演奏もずいぶんと自由になってきたようだし、ここはひとつ挑戦してみようと思っている次第。

2006年7月23日 (日曜日)

トリトン・トロンボーン四重奏団の演奏会へ行く。
三鷹芸術文化センター 風のホール。
トップのオラフ・オットはもちろん、噂には聞いていたがベースのヘルマン・ボイマーが素晴らしかった。演奏もそうだが、キャラクタがsehr gut。

2006年7月21日 (金曜日)

トランペットってやっぱりポピュラーな楽器なのだと思う。

このような本を発見。監修が何とK村G三先生だ!

自由現代社という出版社のこのシリーズは、ギターやキーボードやDTMの教則本がメインのようである。でも同列にトランペットは並べられるのである。ポピュラーだ。

しかも、同じような作りの音友の「うまくなろう」シリーズのトロンボーンの巻の著者がO田桐H之氏なのに対し、それ以上のビッグネームのK村G三氏だ!(って言ったら、O田桐さんに怒られるか? 歳の差から大丈夫であろう)

でも、監修って何をしたんだろう。パラパラと見た限りでは、少なくとも文章はライターの人が書いているとしか思えないし。
音友とかの本とは違う若者口調での書き下し文だった。

最後に譜例がいくつか載っているのだけど、「編曲:K村G三」のクレジットが。しかし、メロディーを記しているだけだし、編曲って言うのか何て言うのか。ヴォランタリーはBdurだし(たぶん in Bb 譜だと思う)。

まあ、気にしないでおこう。自分が買ったわけではない。

と、改めてサイト上の目次を見返してみると、意外とまともかも知れないと思いだした。

2006年7月15日 (土曜日)

ピストン練習。
メドレーの私担当部分の音出しをしてもらったのだが、みんなから「知らない曲が1つはいっている」との指摘を受ける。
何だか知らないカントリー・ウェスタン調の曲がはいっているとのことだ。
発見。「フォスターの曲は、遅い曲もテンポを上げるだけでカントリー調になる」

いや、分かってはいたのである、自分でも。
やっぱり書き直さなくてはなあ・・・・

20060716_1sお祭りは今日まで。夕方帰宅後、今度は一家で出かける。
子供の浴衣の帯は今日はちゃんとフリフリ(奥さん作成)。
でも、やっぱり雨がちょっと降ってきて、急ぎ足。
いくつかの屋台を見て回ったあと、あいちゃんが選んだのは何故かスーパーボール。
スーパーボールがたくさん回転寿司のように水槽の中を回遊しているのをお玉杓子で一回すくい取るというもの。たぶんなるべくたくさんのスーパーボールをすくうというコンセプトなのだと思うが、欲のないあいちゃんは妙に大きなのを1つすくってお終いであった。テキ屋のお兄さんはとろい子だと同情してくれたのだろう、ほかのボールをいくつかおまけしてくれた。

2006年7月 8日 (土曜日)

SLBE本番。
危なかった、トイレとの戦いが。やはりUC再燃直下では、なかなか厳しいものがあった。
長期的にみても、お腹に力がはいらないのに楽器を吹くというか、お腹をかばいながら楽器を吹くというのは、これは無理があるのではなかろうか。今後の展望が・・・・・

SLBEは今回3回目の演奏会である。1年半に1回やっているので、もう4~5年になるのかな。同じ面子でずっとやっていると、それなりにまとまってくるものである。
しかも、本番直前の盛り上がりとキメには素晴らしいものがあった。私が譜面書きをした曲もやっていただいたのだが、期待以上のパフォーマンスをしてもらって嬉しかった。
今回私はほとんど参加できていないのだけど、久しぶりにトロンボーンを吹けて(って、ちゃんと吹けてないんだけど)楽しかった。でも、乗ったのは大編成3曲とアンコールだけだったのだが、曲数を多く感じてしまった。体力に問題ありまくり。
みなさんに気を遣わせてしまい申し訳なかった。

20060708_slbe_1_1   
写真はリハの様子。ドラム入り。幸いなことに降り番。

2006年6月24日 (土曜日)

今日は発熱しなかったようだ。

奥さんお疲れ状態。内房の海岸では魅力的な合宿をしているのだが、さまざまな事情により都内でちょろりと練習。

メドレーの譜面書き、そろそろ形にしないとまずいだろうため、やっているところ。現在のところ頭の中がオリビア。

確か世紀末を前にした年だったと思うが、メドレーのテーマに数字を取り上げた。1から順に9まで数字にちなんだ曲をメドレーにした。私の担当は冒頭部分で、1と2だった。ちなみに2は『あずさ2号』をやったが、1は『アタックNo.1』にした。その頃はピストン的に、ある曲の中に違う曲を紛れ込ませるというのが流行っていたので、アタックNo.1の中に、『いちご白書をもう一度』とか『夢一夜』などを混ぜてみたのだが、内輪で一番受けたのは、アタックNo.1のサビの部分、♪アタック〜、アタック〜、ナーンバーワ〜ン のところに、♪セクシャル・バーイオレット、セクシャル・バーイオレット、セクシャル・バイオレット ナンバーワ〜ン を倍テンポで重ねて最後の「ワ〜ン」がシンクロするという技であった。(って、文字で書いても分からないだろうなぁ)
もちろん楽器で吹いても分からないので、本番でも気付いた人はいないと思われる。
練習のとき、解説で歌詞をつけて歌ってみて、そのときだけ受けたのであった。

しかし、同じことを今やっても受けは少ないだろうと思われる。ある意味、歌謡曲世代でないと分からないギャグであろう。

それにしても、どうでもいいことよく覚えているねえ。何の調で書いたかもあまり覚えていないのに。

2006年6月22日 (木曜日)

トリトンのチケット入手。

2006年6月13日 (火曜日)

イムラン、昨夜は遂に1/8にしてみたのだが、まだピーク時の痛みは変わらない。持続時間は少し短いのかな?今日は忘れたふりして飲むの止めてみよう。

録音聴く。案の定めげる。

岩城さん訃報。
振っていただいたことなどないし、実は生の演奏も聴いたことがないのであるが、私にとっては著述家として強い印象を受けた方である。あれだけの指揮活動をしながら、いったいいつ書いているのだ?と思うほど多作であり、世に出されている岩城さんの文章の半分も読み切っていないと思うのだが、相当文章が上手な方であり、あれほど読みやすい文章を書く人もなかなかいない。
先月読んだ岩城さんの文庫本の中に、頸の手術をしたあとにギプスをつけながら指揮を再開したときの話と、そこから考察した指揮者の舞台の去り方についての記述があった。要は「指揮者は病気をしてはいけないし、あるときパッとこの世から消えてなくなるのがよい。逆に言えば、死ぬまで元気でやっていなければいけない」というのである。
岩城さんの文章は、諧謔に富んでいるし、この部分はほかと合わせ読むといろいろと単純ではない思いが窺えるとも思うが、ともかく「病気の克服」というテーマを正面から扱っているとも言えるのである。これが現在の私にとっていたく身につまされたのであった。

もちろん音楽家として多大な功績のあった方であります。

2006年6月11日 (日曜日)

FWBEの演奏会@かつしかへ行く。

素晴らしいものであった。

2006年6月 3日 (土曜日)

ピストン練習。

20世紀ポップスシリーズ(^_^)を軽く音出ししてもらう。
まあどうでもいいんだが、20世紀はポピュラー音楽の時代なんである。
「何か、聞いたことあるんだけど、曲名とか知らないけど・・・・、そうそう、こういう曲あったよね~」というのを取り上げるというのが、自分なりのコンセプトなんである。それがどうした?と言われると、何ということもない。単なる懐メロ嗜好という後ろ向きの姿勢が透けて見えよう。
で、ネタを漁っていると、(世界的に)ヒットしたポップス音楽というのは、たいていが実に単純な作りであることに驚かされる。ほとんどワン・アイディアというか、ワン・メロディーで作られている。余計なBメロなど使わないという感じすらする。とても魅力的なフレーズをひとつ作って、それが世界的ヒットというわけだ。

こういう曲を金管アンサンブルの譜面にするのは、厄介な面がある。
「恥ずかしい」というのは措いておいても、元曲の魅力が実は歌詞に依存しているような場合、ラッパで音をなぞるだけでは詰まらん音しかしない場合があるし、元曲のリズムセクションの処理や楽器(シンセやギターetc.)の問題で、ラッパに置き換えると平板になってしまう場合もある。
何より、前述したようにキャッチーなワン・フレーズだけで曲が成り立っているという面があるので、1回やる分(元曲の1番)はいいのだけど、繰り返し以降(元曲の2番以降)の処理が、そのままでは飽きてしまうという問題がある。対策としては、例えばPJBEスタイルの金管10重奏なら、1番をトランペットで、2番はトロンボーンでやるという方法があるが、ありがちな手である。

では今回私はどう処理したのか? 
それは..... 原曲の魅力を信じてそのまま繰り返し(コピー&ペースト)だー !
(本日ここまで書いたことはいい加減の極みであった。忘れてください)

夜、理事会。通常時間。他の理事の方々は、皆さん私より年長なのだが、痛風の話で盛り上がっていた。痛そう。

2006年5月30日 (火曜日)

夜半からやはり頭痛。明け方たまらず薬を飲む。昼間は落ち着く。
譜面書き、20世紀ポップスシリーズ、β版完成。あとは中身の微調整+アイディア盛り込み。

2006年5月13日 (土曜日)

奥さんは朝から病院(一応勤務場所)へ。ちょっとだけという予定だったが、やはり帰れず。
子供の音楽教室へ私が連れて行くことに。下から2番目のクラスは今日で終わり。ほかの子はずいぶんと真面目に先生の言うことを聞くのだが、うちの子は率先して「あひゃひゃひゃひゃ」とか「ぎひひひひ」とか言って、教室を混乱に陥れている。こんなことでネクスト・ステップ=幼児コースをこなせるのだろうか?
終わって子供をばあばにお願いし、ピストンの練習へ。

1時間遅刻。音出しなしでモーツァルト。テンポ感についていけない。音程合わず。
ピストンの面白いところは、金管楽器アンサンブルのくせに、取り上げる曲の調性がけっこう自由自在なことである。もちろんB♭を中心とした調がベースになるのだけど、取り上げる曲の原調やアレンジャーの趣味や使う楽器の問題から、シャープ系の調も3つ(in C)くらいまでなら普通にある(私はB管のときはB♭読みなので、譜面でシャープ3つのときの脳内シャープ数は5つである)。フラット方面だって記号を5つや6つ付けるのに、あまり躊躇はないみたいだ。
って偉そうなことを書いたが、音程合わずのモーツァルトはただのD-Durであった。あはは。G-Durでやる某曲もなかなか音程は大変ね。
ピアソラの再演を音出し。何とそのときの演奏会のとき使ったそのものの譜面がある。書き込み付き。指遣いの書き込みが大変参考になる。しかし、こんなにキツかったっけ。妙に高い音がある。
かなり難しい曲(arr. by S井氏)なので通すだけでも時間がかかるか? と思われたが、意外と覚えていて一発で通ることは通った。でもメンツが変わっている人は大変だったろうなぁ。演奏会のときの録音を「30回くらい聴きました」と言っていて、みんなで「すごーい」と驚いていた。素晴らしい0Bさん。

終わって子供をピックアップし帰って夕食の支度。所要時間20分。そうこうしているうちに奥さん帰って来る。20時より恒例の理事会。
雑談等もあったのだが、まあそれなりに真面目な話をして、何だかんだで長くなる。終了23時半。3時間半。長過ぎ。

2006年5月12日 (金曜日)

発熱続く。それほど体感する調子は悪くはないのだけど。薬(ステロイド)等で、何だがぐちゃぐちゃになっている感じ。アンチバイオ攻撃実施。

閑話休題。
『4本のトロンボーンのための4つの小品』という題名に特に違和感を感じたことはなかったのだが、言われてみると、楽器屋さんに行って「トロンボーン 1本ください」と言うことはあまりないような気がする。
トロンボーンやトランペットを1本2本と数えること自体は、ありゃまあ管(クダ)だし、私はいいと思う。
でも、「トロンボーン1本ください」とは言わないかな。「譜面台 1本ください」は言うね。とすると、やはり数え方を変えた方がいいのかしらん。
最近そんなの見たなと思って、独語テキストを見返す。あったあった。オーケストラのマネージャーがたくさん楽器を買いに来るという設定で、Acht Geigen, bitte. とか、 Fünf Flöten, bitte. とか、Und zwei Klaviere, bitte. とか言わせるのである。何とも豪儀である。対応するテキストの日本語は賢明にも、バイオリン 8つ、フルート 5つ、ピアノ 2つ、と「つ」になっていた。果たしてオケのマネージャーなる者が楽器の買い付けに行くのかどうか、そしてフルートは5本要るのかどうかという問題はあるが、「つ」と数えるのは案外適切かも知れない。
例えば、私などは楽器屋さんに行って、「トロンボーン 1つ欲しいんですけど」と言うわけだ。確かにこれは自然な物言いであるな。ただ、この言い方では数はあまり意味を持たないのかも知れない。つまり、実際問題としてトロンボーンを一度に5本も6本も買うことはあまりないわけで、上の言い方は「トロンボーン 欲しいんですけど」と同じ意味を有するわけだ。不定冠詞を要する言語ではこのような言い方はできないのだろうが。上の「1つ」は、「ひとつよろしくお願いします」における「ひとつ」と意味がかなり近付いてきていると言えよう。
とは言え、一度にトロンボーンを何本か買うことがないことはない。典型的な例は学校教育用の楽器を購入する場面と思われるが、私の経験では、大学オケにはいってI先生に入門したとき同期の3人が同時に楽器を買いに行ったというのがある。当時の話であるから、行った先は渋谷某店である。結果として、この日我々合わせてBachのテナーバス 2本とバス 1本のお買い上げとなった。
このとき、I先生が楽器屋さんに何て言って行ったのか知らないが、「明日トロンボーン 3本買いに行くから」と電話で言ったとは思えないわけだ。せいぜい「3人連れて行くから」くらいの物言いであろう。

思えばあれから20年、くだんのBachにはこの数年触っていないのだが、ちゃんとみてやらなくてはいけないね。それにしても20年前の五月祭というのは、私が最初に経験した五月祭だと思われるのだが、ほとんど覚えていないなあ。「五月祭の後はこれが恒例なんだ」ということで、二食での本番(1年生は乗っていないけど)が終わった後、学士会館別館に行ってひたすらビールを飲んだと思われる。こんなところ(赤門の横)に学士会館別館があるんだと思った記憶がある。たぶんあれが最初の五月祭。ニアミスしていたとは。

2006年5月 6日 (土曜日)

久々にトロンボーンの練習に行けた。
たぶん、うちでサイレントブラスを使ってやるのではなく、外でほかの人と一緒にトロンボーンをオープンで吹くのは、前回のSLBEの本番の日以来と思われる。実に1年半振りなのではないか。
譜面の音出しをしてもらう。採用してもらえるのか?
そして私は本番に出ることが出来るのか?

品川で練習ということで、奥さんと子供は品川水族館へ。奥さんはこの土日久しぶりの休日なのであった。研修医というのは大変である。

練習場所は、品管に乗っていたときにはよく行ったところだったが、久々に行ったら周囲の道や様子が変わっていて感慨深かった。

2006年4月30日 (日曜日)

ピストンのチケットとチラシ。
毎度のことながら、大量に配られる。どうしよう?

しかしこの画像では何が書いてあるか読めんな。ということで、演目のところだけを特別にピックアップ(=テキスト化)。

モーツァルト/ディヴェルティメント ニ長調 K.136
ショスタコーヴィチ/三重奏曲第一番 作品8
ピストンクラブオリジナルメドレーシリーズ第14弾 ほか

だそうだ。
今のところ決まっているのは、あと1曲。これはこの前譜面が出来た。
ショスタコーヴィチは私が譜面を書いたのだが、演奏可能かどうか怪しい。
メドレーは、何ともう設計図が出来ている。音符は一つも出来てないと思うのだが。
あと、昔の曲を1つサルベージ中。少し足りない。この前のNABEOネタはやる場所がないということでやらない。
以上、ひみつのネタバラし。

2006年4月29日 (土曜日)

ピストン練習。軽く(いいのか?)。
思ったタイミングで音を出すことの難しさよ。

2006年4月23日 (日曜日)

ピストン練習。行けた。
前半プログラムあっさり決定。さすがS井さん。メモリアル縛りになった。

2006年4月14日 (金曜日)

譜面は上がったのだが、夕方から熱も上がってきた。やばし。
譜面はダイナミクス等まだ。音を並べただけのもの。
しかも、終わり方、あまりに安直か。致し方なしとしよう。

2006年4月12日 (水曜日)

譜面書き進める。 結構書いたつもりなのだが、数えてみると未だ半分くらいだ。意外と長いのか? つまりは冗長ということだ。

2006年4月10日 (月曜日)

前々、そう、UCと判明するより前の健康体のときから懸案の譜面を作らなければならないということで、本格的に着手。本当は先週やろうと思っていたのだが、先週は倒れて機能せず、今週に繰り越し。

しかし、間に合わない・・・・20060411_s_1

ちなみに写真は設計図。今回はぜんぜん構想を練っていないので、面白くない。って、 構想を練っても面白いとは限らないけど。

2006年3月28日 (火曜日)

【NABEO自分の反省点編】

結局2005年は一度も人前で楽器を吹くことが出来なかった私の、今年2006年の目標は、1回でもいいから人前で楽器を吹くことであった。状況としては前の月まで入院していたにかかわらず、今回のNABEOでその目標を達成でき、個人的には満足している。よく考えるとNABEO向けの練習を始める頃いきなり再入院してしまったわけで、これでは昨年の本番ぶっちのときと事態は一緒と思われたかも知れぬ。ピストンの人たちにはいつもながら心配と迷惑をかけたと反省している。しかし今回の再入院では前回の経験からして、何時くらいには退院でき、最悪こことここの練習に行ければ出られるのではないか、と計算をしていたのであった。自分勝手なものである。

とは言え、久々の本番で、果たして吹けるかどうか心配なところもあった。
録音を聴いてみたが、自分の音は思っているよりヘナヘナであった。やはり病み上がりだからか。はたまた元々か。でも、一応吹けたからよしとする。志の低い私。

あと、当面の目標としてプレドニン離脱というのもあったわけだが、こちらの方は長期病欠にしてもらっているおかげでこの前の通院日から実行されている。これで脂肪肝状態が改善され、UC再燃の兆しもなく、ペンタサに代わる免疫抑制剤に移行して安定できれば、社会復帰の目処も立つというものだ。
ということで、次の目標は、9月の演奏会への出場(←何でやねん?)。

書いた譜面は、もちろんピストンの面々なので、何も言わなくてもだいたい意図したところを汲んでくれるのであった。そして、練習しているうちに各人がいろいろアイディアを出してくれ、よりブラッシュアップされていった。「電車ごっこの縄跳びの綱」などは私の想定していなかったものである。また、ピッコロとは言え、歩きながら、はたまた足を上げながらHi Cを出すというのはS井氏の考えである。リスク管理が面倒なため当初照明操作は考えておらず、本番2日前に上げられたAB氏の照明操作案を一瞥して実は不安にもかられたのだが、本番の照明キュー出しをI林氏にお願いしているというのを知り、一同安堵して本番に臨めた。一度も曲を聴かずにぶっつけだったと思われるのだが、不安はなかった。いつもお世話になりっぱなしである。

ある意味あからさまな受け狙いではあるが、それなりに受けてもらえたようでありがたい。しかし録音を聴くと結構キズだらけの演奏である。危なすぎ。ただ、当日会場で聴いておられた一般のお客さん(非NABEO関係者)にも受けてもらったようで嬉しい。それにしても、ヒゲは目立つのか、終わった後ボールを持ってロビーにいたら、母親と一緒に来ていた小学生くらいの子に「サインください」と言われたのにはびっくりした。そんなこと言われたのは生まれて初めてである。その後、駐車場でも一般のおじさんに「面白かった」と感想をいただいた。ぜひ演奏会にも足をお運びくださいませ。

宴会はミネラルウォーターで過ごす。ああああ、飲みたいものだのう。
それでもいろいろな方々が私の身体を心配をしてくださっていたようでありがたかった。

2006年3月27日 (月曜日)

【NABEO各団体感想編2】

Klangのバッハは昨年のコンサートでも聴いたが、そのときよりグレードアップしているのが素晴らしい。
バレンタインには、奥さんのタイコの先輩のF彦さんが乗っていたので、奥さんが場内で鑑賞。私は子供に付き添いホワイエでモニター鑑賞。それでもK村さんのピッコロをはじめ輪郭のはっきりした音楽が伝わってきた。すごい。
ファイアワークスはY堕氏の思い入れが強く感じられた。最初の方の緊密度の高さはなかなかのものであった。トロンボーン陣では、K谷さんがバストランペットに、F澤さんがユーフォニウムに持ち替えあり。
大阪んブラスの演奏はいつも楽しげである。それにしても「関西弁のブラスアンサンブル」って、どんなの?
AHEが順番の都合で聴けなかったのが残念。とても愉しみにしていたのに。

自分の出番を終えて戻り、ファインアーツのズザートを途中から聴く。みなさん太鼓も上手だ。
TXカルテット。テューバだけのアンサンブルを聴くと、普段は気付かない各奏者の個性が現れて面白い。しかしテューバの音って方向性が稀薄なので誰が吹いているのかよく見ないと分からないものだ。
近衛の真価はこのような大きなホールで発揮されるのではあるまいか。あまり小さいところだと、その音圧に圧倒されるだけで終わるときがあったりして。あと、ちょうどピストンが演奏しているときに近衛の人たちがリハ室に向かう途中で、客席で吹き終わった私が急ぎ戻る途中の舞台袖入口で彼らとバッティングしたのだが、すぐに気付いてくれたどなたかが「どいてどいて道を開けて」と素早い反応をしてくれたのは嬉しかった。いえ、物理的には十分間に合うものだったのだが、瞬間的に状況を把握して対応をしてくれるということが何か同類であるという意識を感じて嬉しかったのである。

2006年3月26日 (日曜日)

NABEOの出番の日。一家で向かう。

ABさんのお子さんとSさんのお子さんに初めてお会いする。あいちゃんはとても嬉しかったようで、いろいろとかまっていた。親御さんにはご迷惑をおかけしたようで申し訳ない。

【NABEO各団体感想編1】

自分たちの演奏のことについては後で書こうと思う。以下、私が聴いた中でいくつかの団体の感想。もちろん自分勝手な感想。

最初のテル金、朝一の演奏はいろいろと損なポジションであると思うが、ハイレベル。曲が面白かった。A積氏の編曲。それのピッコロをT井氏が吹くところがまた味わい深い。人生を感じさせる(意味不明か)。
次のFェスタは、前回私はトラで乗せていただいていろいろ迷惑をかけたのだが、今回はちゃんとFジオさんが登場。やっぱり上手い。音楽的に破綻がない。
ガンマのバッハは、昨年7月まだ1楽章しか出来ていないときにやった某所での演奏で司会をした後、入院を余儀なくされたという因縁、もとい、いわくつきの曲。12月のコンサートでの演奏は録音で聴かせてもらったが、今回の演奏へとだんだんレベルアップしているところが素晴らしい。ただ、隣で聴いていた奥さんは演奏が始まった瞬間のけぞっていた。金管アンサンブルでバッハを聴くのは初めてだったと思われる。自分の中のこの曲のイメージとのギャップが大きかったのであろう。
期待のサムライは期待通り素晴らしい。何と言うか、最初からまとまりがあるというのが画期的である。私の矮小な経験では、ある種のアンサンブル団体というものは、飛び抜けて上手な人を核に、そこそこ上手な人が集まって始まるわけで、最初のうちは「パワーはあるんだけどまとまりが…」とか「上手いんだけどまとまりが…」とか極端な話「縦の線や音程は揃っているんだけどまとまりが…」という状態であることが多いような気がする。熟成するまでには時間がかかるということであろうか。ピストンの活動をしていてもそう思う。ところがサムライは結構こなれていたと感じた。真面目に取り組んでいる成果か。個人的にはTrbのS氏に期待している。それにしても「Ensemble Samurai」が正式名称のようだが、略称はどうすればいいのだ? とりあえずカタカナにしておいたけど。漢字だとカッコ好すぎるし。それとも「たけきん」でいいのだろうか?

スライドワークの演奏には背筋がゾクゾク来た。脊髄直撃状態である。固定パートを頑に守る彼らであるが、今回聴いてあらためて思った。スライドの凄さは、リードのT本さんの凄さだけではなく、2、3、4番のそれぞれの人たちが「いい仕事」をしていることから来るのだ(当たり前のことを何をエラそうに言っているのであろうか、我ながら)。とにかくトロンボーン吹きには憧れの団体である。
この時間、子供が客席にいるのに飽きてしまったため外に出ていて奥さんが付き添っていたのだが、奥さんもスライドの演奏は聴きたいと言っていたので、途中で交代した。よって私はクロルはモニターで聴いた。奥さんはスライドの演奏を聴けて満足したのではあるまいか。
ところで、T本さんから病気見舞いということでDVDをいただいた。18禁らしいが「トロンボーンの音楽会VII」と銘打ってある。とても楽しみ。ありがとうございます。

2006年3月25日 (土曜日)

NABEO開始。
イプシロンって、やっぱり凄い。
"I Remember Clifford"にシビれる。
テューバのThierryが司会だけど、仏語、やっぱり1/20くらいしか聞き取れんわ。

2006年3月24日 (金曜日)

ステリハ。ステージも会場も広い。筋肉痛の予感。

2006年3月21日 (火曜日)

ピストンの練習。惜しい、全員集合できず。NABEO曲を中心に。
それにしても、私の書いた拙い譜面をみんな真面目に取り上げてくれて幸せである。いや、ホントに。

さて、ピストンの面々にも言っていないのだが、今回のNABEO曲、前の日にイプシロンとジョイント・コンサートをやる森金とネタがかぶっている恐れが発覚した。かぶるのも当然で、ある時の森金のステージを見て今回のネタを考えついた面があるからだ。つまり有り体に言えば、パクったのである(笑)。まあ、それだけじゃないつもりではあるけど…

と思っているのだが、昔のことなので、私の記憶違いの可能性もある。ちなみに私がパクったと思っているのは、サティ作曲/曽我部先生編曲だと記憶している。

2006年3月12日 (日曜日)

ピストンの練習。NABEOの出し物とMozart。

2006年2月25日 (土曜日)

ピストン練習。
NABEOの曲、意外とまとまって来たかも。
新曲の音出しもしていただく。本当に出来るのだろうか、という懸念もあったのだが、今のところボツではないようだ。

ちなみにボツは「これはどうにも出来ない」という評価が下される。新曲は、もちろん初見ではどんな曲だか分からないのだが、「やれば出来るような感じ」らしい。悪いようでいて、もっと悪いのがさらにあるという状況。
もっと悪いのがさらにある、というので言うと、最初の頃UCの診断を受けたとき、「これは重症です」と言われ、自覚症状的にはそんなに酷いとは思っていなかったので、重症と聞いて「えー!」と思ったのだが、後で何かの紙に、重症の上にさらに「激症」という段階が記されているのを見て、ちょっと安心したのであった。
ただ、その頃は刻々と状態は悪くなっており、まさに激症の段階であったのだが。

2006年2月24日 (金曜日)

明日練習なので、取りあえず音だけ並べた譜面を脱稿(ダイナミクスとアーティキレーションが未だという意味だな)。
W氏のは16歳の作品のアレンジだが、私のは17歳のときの作品。
しかし、やはりこれは吹けんかも。

2006年2月17日 (金曜日)

入院当初は状態が悪いので、鎖骨の下の静脈にIVHを入れられて、トイレとの戦い以外は何も出来ずに過ごすのだが、数日してステロイドが効いて落ち着いてくると、とっても暇になる。食事が出来ればまだ生活にリズムが出てくるのだが、最初のうちは腸に刺激を与えないよう高カロリー輸液の点滴だけで生きながらえているわけだ。昨年の入院では3週間、今回の入院でも2週間の絶食期間があった。

それはさておき、手術をするわけでもないので、入院生活は基本的に暇である。そのための暇つぶしをいろいろ考えることは別項に記したが、読書も進むものである。

読み終えた本のひとつに、アンソニー・ベインズ著(福井一訳)『金管楽器とその歴史』がある。いろいろと面白い記述があり、詳しくは別に書いているが、ひとつ挙げてみる。

「ヴァルヴトロンボーンの存在意義は、狭いオケピットで便利というところにある」

音楽的機動性ではないらしい。
別の何かの本では、軍楽で騎乗での演奏に便利だからというのを見たような記憶もあるのだが、定かではない。

しかし、狭いところでスライドは不便なのでヴァルヴトロンボーンが使われるとというのは、なるほどと思う。何故ヴェルディなどのオペラのトロンボーンはヴァルヴだったのか、よく判る。

あくまで音楽的要求(低い金管楽器の音による素早いパッセージが欲しい、というような)ではないところが笑う。しかし本当なのか?

2006年2月15日 (水曜日)

ということで、今日からこちらに引っ越し。
一応、今年の初めからは同じ内容のものを載せている。

バスラッパを吹いてみる。あまりの酷さに頭を抱える。プロなら廃業しているところか。
果たして吹けるようになるのだろうか。不安が募る。
ヒゲが当たるのが結構邪魔ということが分かった。トランペットくらいマウスピースが小さいといいかも知れないが。今後研究および検討。

2006年1月27日 (金曜日)

棒(メモリオーディオ)に某演奏会の録音がはいっているのに気付く。ドッペルコンチェルトはやはり対向配置が面白いのではあるまいか。
なんちゃって。無思慮な私。

2006年1月 9日 (月曜日)

静養日。 Kuchar

確か以前に買ったよなあ、と思い、いろいろ探して発掘したCDを聴きながら、PCをいじったりなんぞしてみる。おっ、なかなかいいじゃん、このショスタコ。キッチュ好きの私は、安いから買ったのであり、演奏の質というよりは資料的意味を求めて入手したのだが、思わぬ拾いものをした気分だ。指揮者もオケも知らかったのだが、これは好いかも。

また、先週録画した古畑任三郎(もちろんイチロー編)なんぞを一家で観て過ごす。

最後まで見て、子供は「イチローはどうなっちゃうの?」と本気で心配していた。今どきの子供は、どうせあれは絵空事だから、という冷めた目でヴァーチャルとリアルの区別をつけていると思っていたが、我が子の素朴な感性に触れ、ちょっと安心した。

改めて思ったが、古畑任三郎は「刑事コロンボ」へのオマージュなのだな。

2006年1月 6日 (金曜日)

今年はショスタコーヴィチ生誕100年らしい。
実は、ウィーンTQのショスタコーヴィチのレパートリーに触発されて、秘かに画策、資料集めなんぞをしているのがあり、譜面書きを始めようかなぁなどと去年から考え続けている。でも、さすがにそう簡単に出来そうもないのである。1曲「やりたい!」と思った曲があり、アレンジを考えているのであるが、自分のパートになりそうな部分をチラと吹いてみて、「こりゃ吹けんばい」(何故かエセ博多弁)となり中断。別の曲を物色するも、イマイチ乗れず。
仕方ないので、ショスタコーヴィチは諦めて、Bにしようかと考え直してもいる。

と、その前に納期モノがあった。
今のところほとんどノーアイディア。どうしよう!?