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2009年10月

2009年10月31日 (土曜日)

練習@中目黒。
前日あれだけ素晴らしいトロンボーンの演奏を目の当たりにしたというのに、それがなかなかモチベーションにつながってこない----要は自分の吹けなさ加減にげんなりするということだが----もどかしさ。
フィンランディアの研究。

夜半、ケースが届く。まだ開封していない。

2009年10月30日 (金曜日)

業務終了後、神保町経由でカザルスへ。
神保町では、現在古本まつりが開催中だった。
つられて歩道の露店の書棚を覗きながらふらふらと通りを歩いていたら、「直進方向=新宿」の道路案内標識。
あれっ、逆だったと回れ右して、文庫川村で現在品切重版未定の岩波新書黄版176を見つけて買う。
そののちカザルスへ。
生黒金さんを初めて目の当たりにする。噂通りの巧さだった。

2009年10月29日 (木曜日)

だるい。

下痢の状態なのは変わらないのだが、その程度が今週はじめころから悪化し、久々に便意スイッチの周りが荒れたようだ。

回数も増え、ちょっとUC再燃期の気分を思い出した。
決定的に違うのは、「お腹が痛い」というのは今ではもうなく、便意はお尻に感じ、痛いのはお尻ということである。

こんな感じの時期がときどきやってくるのである。

便意(お尻)→ぐっと我慢→ぐるぐるとお腹が鳴る(たぶんJパウチが動く)→すうっと便意が引く

なお、UCが酷くなるとこの第2段階が我慢できなくなる。

ちなみに現在発熱はない。

2009年10月28日 (水曜日)

叙位・叙勲が官報に載っていた。定期的に載るものであるが、つらつら眺めているうちずいぶんと違和感が強くなる。

男ばっかりだ。

○美という名前もあるが、男性の可能性が高い。
○子という名は見当たらなかった。
今叙位・叙勲の対象となる人が、世代的に、まだ○子というのは流行っていなかったころの方々かどうかは知らないが。

制度として変では?

2009年10月27日 (火曜日)

個人情報保護法の対象となる「個人」は、うろ覚えの知識では「生存する個人」とされているはずだから、殺人事件の被害者に関する情報に関しては、この個人情報保護法については考えなくてよいのだろうな。

…と、警察からの情報提供の要請があったのを横で見ていて思った。

2009年10月26日 (月曜日)

UCは(まだ)特定疾患であり、特定疾患医療受給者票をもらうと、医療費の免除(正確には所得に応じた限度額以上の医療費の自己負担の免除)を受けることができる。
受給者票の期限は1年で、毎年10月1日から翌年9月30日となっている。
例年、8月末までに医療機関の証明書や所得に関する書類を集めて、これを提出すると、9月の終わりころ新しい受給者票が送られてくるのが常であった。

今年は様相が変わり、いつもの書類を集めて送ったら、数日して手紙がやってきた。

特定疾患の継続の書類をおあずかりしました。今回の更新より、制度改正に伴い、保険者への適用区分の確認が必要となった為、大変申し訳ございませんが、現在お持ちの受給者票の有効期限(平成20年9月30日)までに、新しい受給者票をお届けする事が出来なくなってしまいました。10月1日以降、受給者票が届くまでの間に、受診あるいは調剤されてお支払いいただいた、対象疾患に関する保険診療分の医療費につきましては、差額を保健所へご請求いただけますので、必ず領収証(レシート)を保管しておいて下さい。療養費の申請書等は、受給者票と一緒にお送りいたします。

なんだか分からないが、受給者票の発行が遅くなるらしい。

たしかに10月にはいっても受給者票は送られて来ず、その間1回UCの受診があり、いつもよりはその時点での出費がかさみ、数日して新しい受給者票とともに、手紙が送られてきた。

日ごろより、特定疾患治療研究事業につきましては、御理解・御協力をいただき感謝申し上げます。
別添のとおり受給者票を送付致します。
受給者票の送付が大変遅れましたことをお詫び申し上げます。

そして、10月1日以降受給者票が届く前に受診した分の費用がある場合には、同封の書類で申請することを要請していた。

問題はその申請に必要な書類である。20091022_tokutei_3  

領収書(レシート)、送金依頼書は仕方ないだろう。振込口座の通帳のコピーも、癪ではあるが、このご時勢だから確認のために許そう。健康の保険証のコピーの誤植と思しきも許そう。

釈然としないのは、特定疾患療養費申請書である。
これには、医療機関に書いてもらう部分がある。
医療機関によって異なるが、発行する証明書に1通数千円の費用がかかることが多い。
UCの受給者票の更新のための書類についても、この費用をかけて取得しているのである。
指定されたとおりの期限までに提出しているのにかかわらず、一方的に発行が遅れるといってきて、おまけにその間に立て替た分を返してもらうためには、さらに1枚の書類を書いてもらわなければならないのである。この書類、費用だけでなく手間もかかる。

医療機関の証明を得なくてはならないのは理解はできるのよね、でないと立て替えたのが本当にその病気のための医療費なのかチェックができないから。

で、訊いてみた。

発行が遅れた期間の受診費用のための書類にかかる費用はどうすればいいのかを。

答えは、それについては規定がないのでそれは自己負担になる、とのことだった。

てめえの不手際で遅れたんだろうが! それでいてその間のフォローをする手間をこちとらにかけさせるばかりか、金までかけさせるってのか!

っていうのが素直な利用者感情ではなかろうか。

もっとも、予想された答えではある。
公平性に重きを置く観点からあまり知恵を絞らず考えるなら、普通に達する結論である。

しかし、そもそもはそちらの都合で生じた不利益である。こちらに落ち度はない(はずだ)。その費用負担をこちらに負っつけてそれでいいのか。それは公平性を欠くだろう。

行政として、というかサービス機関としてのあるべき対応は、次のようなものはなかろうか。

(1)「お手紙」にはもっと丁重に謝罪の姿勢を示す。
(2)書類の費用については、特別に予算を計上して、領収証とともに請求してくる場合には全額負担する。

前例がないからといって、(2)を怠るのは許せない。財源がないから(2)をあきらめるというのならまだ理解できる。

まあ、文句をいいたい気分ではあるのだが、電話をした先でお答えくださった担当の方の対応が本当に申し訳なさそうな様子(演技であっても可)だったので、何もいわずに引き下がってみた。

見方を変えれば、特定疾患というエコヒイキを受けている身であるから、お前なにわがままいってんだ、そのくらいいいだろ、という方々もたくさんいらっしゃるはずである。

いずれにせよ、私の感情を収めてくれたのは、電話でお答えくださった担当の方だった。最後は人である(などと、エラそうに言えた義理ではないのだが、最近なにかとそう思う)。

2009年10月25日 (日曜日)

奥さんは朝から病院。午後一度帰ってきたが、昼食をとっている最中に電話あり、結局夕方再び行くことになり送る。

朝、車屋(リコールみたいなものの修理)。午後、子供とサイクリング。奥さん送って選挙。

合間を縫って、ドリル機関車をアップしてみる。
描いた順とアップした順は合っていないので、そのうち整理しよう。

2009年10月24日 (土曜日)

眼鏡を買いに行く。
Y田くんのようなを買うつもりで向かったのだが、買い物の苦手な私は、いろいろ勧められ試しているうちに、所期の目的を達せられずに終わった。

実は本日ひそかに某演奏会を訪れることを画策していたのだが、時間・費用的側面から諦めた。

2009年10月23日 (金曜日)

石が出た。
今度のは、5mm径ほどの大きさ。
何だか分からないが、わが腎臓(?)は順調に結石を作り続けているらしい。

2009年10月22日 (木曜日)

地球の大きさは、周囲が40,000km、よって直径が約12,700kmの球体である。

この地球に物足らず、人類はさらに宇宙を目指そうとしている…

だが、人類は本当に地球をモノにしたといえるのだろうか?
前人未踏の地はまだ残されているとは思うが、そういうことだけでなく、3D的に考えた場合、人類がモノにしているのは、実は地球という球体の表面のわずかな範囲であろう。いうなれば、しゃぼん玉のような極々薄い膜のような範囲だけが人類の活動範囲である。
「これからは宇宙だ!」などといって目指しているその外側だけでなく、足元にも広大な未知の領域が拡がっている。

人類が掘った一番深い穴は、せいぜいが12km程度のものらしい。
地球の中心までのわずか0.2%。絶対的距離にして、東京-浦安間くらいの長さ。
それが、下のほうへ向かう人類の限界。

上のほうが伸びやすいとはいえ、ジェット機が飛んでいるのは反対側に同じくらいの高さ。地上10~13kmくらい。

穴と合わせても、地球の中心までの0.4%。絶対的距離にして、東京-津田沼くらい。

国際宇宙ステーションの高度は、地上330~480km。ここまで合わせると8%に近づく。

でも、月まで入れて実寸ペースで並べると、こんな感じである。
20091009_earthmoon_31_2   

人類は、船や潜水艦や飛行機や宇宙船や人工衛星やボーリングドリルなどさまざまな道具を開発駆使しながらも、しゃぼん玉の 膜の部分だけを左右上下に泳いでるだけなのだ。

昔「少年SF百科」のような由緒正しくない本で読んだ記憶があるのだが、地中弾丸列車というアイディアがあって、地球の反対側まで穴をトンネルを掘ったところを列車走らせる(というより「落とす」)と、中心までは引力で加速し、そこを通り過ぎると今度は減速し、何のエネルギーも使わずに地球の反対側までいけるというものだった。日本だったら、ブラジルまで一直線。簡単にオリンピックが観にいける。

そのアイディアの空想科学読本的考証はともかく、現在の力ではとてもそんなトンネルは掘れそうもないわけである。

2009年10月21日 (水曜日)

焼き肉の歌。

という一芸がある。
同期のトランペット(ということはABさんと一緒ですな)のN和氏の芸である。

ふと思い出して、娘に教えようと思ったのだが、1番は鮮明に覚えているものの、2番以降が定かでない。
適当に3番まで作って教えてあげた。

その娘、先日のピストンの演奏会でお客様でご来場くださったN和氏にお会いした。
娘と私のやり取りを踏まえていた奥さんは「これが焼き肉の歌のN和さんだよ」と教えたらしい。

娘は、失礼を顧みず「ねえ、焼肉のうた教えて」などと頼んだようだ。
こうして娘はN和氏から「焼き肉の歌」の紛うことなき正しき姿を教えてもらった。

ありがとうN和さん。実はとっても由緒正しき学者さん

2009年10月20日 (火曜日)


新型インフルエンザのワクチンを接種された医療関係者の奥さん。
噂どおり赤く腫れている。

2009年10月19日 (月曜日)

オフィスのすぐ近くに日比谷公園がある。日比谷公会堂に行くとき端をかすめる以外には、公取から歩いて帰ってくるときに中を突っ切ったことがあるくらいで、ぶらぶらと中を歩いたことはなかった。
好い天気だったので、体力作りを兼ねて----これでも一応病後モードなのである----昼休みに散策してみた。

いろいろな人がいるものである。
ベンチに腰掛け昼食をとる人(普通の姿)、パイプをくゆらす人(日比谷公園内は禁煙じゃないんだ)、アカペラで合唱をするおじいさんとおばあさん(カルテットだった)、テニスをする人(テニスコートが園内にあるんだ)、芝生の上にあぐらをかいて讃岐うどんをすする金髪のお姉さん(日本人にあらず)等々。
面白いものだ。天気が好い日にはしばらく通ってみるか。

2009年10月18日 (日曜日)

禍福は糾える縄の如し。

これがこのところのマイ格言だなあ。昔なら、このあとに、だから

果報は寝て待て。

などとつなげたのだろうけど、最近はそういう元気がなく、禍福は糾える縄の如し。まさしく、などと素直に感じ入ってしまう。

2009年10月17日 (土曜日)

楽器回収@宝。

トロンボーンの練習@ティアラ。スタミナ保たず。

今日保育園の運動会だったのを忘れていたのを思い出してぎりぎりセーフだったり、前回以来1年半ぶりの再会で音出ししたりと、いろいろ出来事があったにかかわらず、ぜんぜんモード切り替えできず。なんか、ずいぶんと深いよ。

2009年10月16日 (金曜日)

娘は遠足だった。
前日、学童保育に迎えに行ったら、「おとうさん、明日のおやつどうしよう?」というので、「おやつって何?」と聞いたら、本日遠足だったことが判明した。予定表や手紙は来ているのだが、明日だという認識に欠けていた。

「ってことはさ、お弁当要るの?」

もちろん、ということで、今朝も弁当作り。冷凍庫の中に何某かのあり合わせがあってよかった。
また、たまたま通院の日なので休みだったのでよかった。

このところT邦S倉は3ヶ月に1回通うくらいのペースで、一時期に比べたらほんの珠にいく感じなのだが、前回行ったら外科の外来の場所が変わっていて、今回は売店がam.pmに変わっていた。前の売店の方が味があってよかったのに。

2009年10月15日 (木曜日)

C'est l'automne. 秋だねえ……

2009年10月14日 (水曜日)

さっそくにKくんよりメールをいただいてしまった。
出演者も含めてあの場に居合わせた約100名のなかに、SSB関係者が3人もいたとは。
もっともC葉高オケ関係者はもっと多かったような気もするが。

ところでTTCではリハで手に汗をかいて楽器を支える左手がずいぶんと滑って吹きにくかったので、ぶっつけ本番で、10年ほど昔に買ってあったYAMAHAのハンドストラップを初めて使ってみた。
使い方が分かってよかった。便利だった。ただし、私の楽器のマウスパイプにははまらない(ので放ってあった)ので、マウスピースにつけて使った。S田さんは「野口のマウスピースについてる黒い物はなんだ?」と思いながら吹いておられたらしい。

2009年10月13日 (火曜日)

呆けた。

ピストンの本番終わる。
3桁には遠く及ばなかったが、いつも聞いていただいているお客様や、初めてのお客様にお越しいただいて感謝。アンケートのなかに、予想もしなかった意外な懐かしいお名前を発見してびっくりもした。
(私信:Kくん、本当にお久しぶりです。ご来場ありがとうございました。お元気でしょうか。もしよろしかったら、こっそりメールをください)

個人的には、今回は相当にミスが多い演奏をしてしまったのが悔やまれる。
いわゆる息があがった状態がずっと続いてしまったような感じ。
それが私の限界である。我ながら、そんな諦め感があっていいのかと思われるが。
ピストンとしての演奏についても、どうなのだろう、人によって感じ方が違うのはいつものことだが、私には必ずしも会心というわけではないもどかしい思いは残る回であった。

演奏中にずっと思っていたのは、「ああ、W気くんいないのかなあ」ということだった。
本番の舞台上で、あらためて今回の演奏会にはW気くんがいないことを認識させられたのである。W気くんがいないと、キッツイなあ、と思いながら吹いていた。

私はBass TrumpetなのでW気くんがいようがいまいが関係ないはずなのだが、ホントきついのであった。

終わったあとつらつら考えて思い出したが、今回2年ぶりとなる今回のキックオフは、昨年6月の浅草での飲み会であった。そういえば当時私はオストメイトだった。そこで、W気くんは出ないということで、どうしようと話をし始めたのがその時。私はこう考えたのだった。

「1回ボロボロの時期があっても、それはそれでいいじゃないか。今回のコンセプトは、ボロボロでもやる、でいこう。素を晒してでも、やり続けることのほうがいいのではないか。そういう時期を越えて、また次の山が来る」

それからすると、今回それなりに仕上げてきたと思われるが、それなりに仕上がっているという慢心から、初心を忘れてしまったのかも知れない。初心、すなわち、ボロボロでもやる、を。本当はW気くんを欠いてボロボロだったという事実が、本番上の舞台で顔をもたげたのかも知れない。

それは私一人が勝手に心のなかで思っていただけで、W気くんがいないからボロボロというのは、それを文字通り捉えられてはほかのフツーのトランペットの人に失礼な話だ。あくまで私の勝手な心象風景であって、それぞれの演奏者には別の思いがそれぞれにあったはずである。今回は私の譜面書きしたものを多数とりあげてもらった。毎度ながらほかの演奏者には感謝である。『夜空のトランペット』なんて、M岸以外に人前で実演できないと思うし、個人的にはキース・ジャレットをやってもらえたのがとっても嬉しかった。

プログラム作成は私の任務だったので、いつもお世話になっている方々への謝辞を記載させていただいた。S沼さんのしゃべりは、その仕込み時間の短さが信じられない快調さとフレキシビリティ----伸び縮み自由というのがたいへん重宝----だし、受付のY野さんは開場から開演までたった15分といういつもながら変則的な様態にかかわらずそつなくこなしてくれるし、たいへんに多忙で連絡もなかなかつけることのできないI林さんがリリア練習室に現れたときは一同安堵のため息をもらした。録音のM岸さんは、今や数名のスタッフを抱える一大観客群となっている。

ビデオ機材の供出も私の担当だったので、ビデオをまわしてくださったT中さんにもたいへんにお世話になった。終演後速攻で楽器をしまって着替えてビデオ機材の回収に向かったのだが、お願いしてもいないのにコード周りとかすでにきれいにリセッティングしてもらっていた。なんとも非の打ち所のない好青年である。

しかし、でも、あの、最初に言ってよ、O日向さん、彼がそうなんだって。
いや、なんか、そうなのかなあという雰囲気は感じたけどさあ。

ということで、正直に申し上げると、私が呆けることになった一番の要因は、それにある。なんかフクザツなハートブレイク感を覚えつつ、ご健勝と末永い幸せを祈らせていただきたいと思う。本当におめでとうございます。

2009年10月12日 (月曜日)


ピストンクラブ第16回定期演奏会

日 時:2009年10月12日(月・祝)18:45開場 19:00開演
場 所:川口リリア音楽ホール(JR京浜東北線川口駅徒歩1分)
入場料:無料
演 目:
 1) コレッリ『合奏協奏曲第9番』
 2) ペルゴレージ『悲しみの聖母』
 3) ネリベル『3つの小品』
 4) ピアソラ『私の隠れ家』『バルダリートに捧ぐ』
 5) キース・ジャレット「ケルン・コンサート」IIc
 6) ニニ・ロッソ『夜空のトランペット』
 7) カーペンターズ『イエスタデイ・ワンスモア』
 8) ピストンクラブ編 オリジナル・メドレー・シリーズ 第16弾

 アンコール 『翼をください』


2009年10月11日 (日曜日)

TTC本番。TTC市場最多の350人を超える多人数にご入場いただく。多謝。

といいつつ、私も安田講堂にはいるのは初めて。
ほとんどおのぼりさん状態で、「ほほう、こうなっているのかあ」。
091011_092901_2 

今回は第30回という記念の回で、実行委員長を務めてくれたH氏(10)のおかげで、かくも盛大で記憶に残る演奏会が実現し、私もその場に居合わせとてもいい思いをすることができて、感謝と敬服の念を抑えることができない。

T野さんはじめ伝説の諸先輩方や久しぶりの後輩諸氏も集まり、大同窓会。
よく考えたら、Y山さんと吹いたのも10年ぶりくらいだった。
K澤さん(会長)にも久しぶりにお会いし、拙譜について過分のお言葉をいただいた。というか、ちょっとしか聞いておられないと思ったのに、鋭い突っ込みに畏れ入ってしまった。

翌日も本番であるのだが、演奏会が終わった後に飲みに参加しないことは、とっても後悔することが過去の経験で判明しているので、酒が飲めるようになった昨今、一次会で痛飲できるだけ痛飲した。

2009年10月10日 (土曜日)

先週と同じコース。午前TTC@駒場→午後夜PISTON@つくば。

2009年10月 9日 (金曜日)

「ほかに属せざる事項」は総務の仕事である。たぶん普通の会社ではそうなっている。

何ヶ月も前の新聞になるが、童門冬二氏が新聞に「新しい総務」という題で書いていて、そこで「ほう、そうか、なるほどなあ」と思ったことがある。

童門氏のコラムの大意はこうであった。

かつての総務は権威セクションで、そこにいる社員は肩で風を切って歩いた。総務には「ほかに属せざる事項」という仕事があり、このなかに裏金作り、総会屋対策なども含まれていた。けれども商法改正により、不透明な業務はなくなり、業務も情報管理や苦情処理が中心となり、意識改革を迫られ、昔いい思いをした人のなかには受難の気分を味わった者もいる。これからの総務は、社の経営理念と目的を周知徹底し、社の全体業務の進行管理をするのが任務である。単なる権威主義ではなく全社的に「信頼される」総務としてそれを担わなければならない。

私が「ほう、そうか、なるほどなあ」と思ったのは、結論の部分ではなく(別に結論に反対なわけではない)、「かつての総務は肩で風を切って歩いており、総務の仕事の『ほかに属せざる事項』には裏金作り、総会屋対策なども含まれていた」というくだりである。

ふーん、昔は肩で風を切って歩いてたのか、今じゃそんなのあり得ないなあ、というのがひとつ。
そして、その権威の源泉は総会屋対策のために裏金を扱うという治外法権的な役割を事実上公然と認められていたことにあり、また経済的なおこぼれにも与りやすかったのだろうと思ったことが、もうひとつである。

総務の業務分担にはたしかに「ほかに属せざる事項」というのがあって、ほかにどこもやるところがないのだけど、やらな仕方ないわな、という仕事は総務に回ってくるのである。「ほかにどこもやるところがない」は「ほかに誰もやる人がいない」に容易に変容し、なんだか分からないけど総務がやるという状況もいろいろと見たり経験してきた。そうして、私としては、ずっと「つまりは何でも屋だな」というように捉えていたのだが、歴史的文脈は少々違ったのかも知れないと思ったのが「ほう、そうか、なるほどなあ」なのである。

つまり、総会屋対策として裏金を用意するのが当たり前だった時代には、「ほかに属せざる事項」は実質的には裏金管理(を中心としたダークな領域の仕事)を指していたのではなかろうか、と推測したのである。

私が会社にはいったのは昭和56年改正のずっとあとの話であるから、「ほかに属せざる事項」といえば文字通り素直にバスケット条項として捉えていたのだが、うえに述べたようなバイアスがあった可能性に気づくと、そういえばある年代からうえの人たちは、「ほかに属せざる事項」という言葉を聞くと、ニヤリと隠微な笑いを口元に浮かべていたような気がしてくるのであった(考えすぎ)。

2009年10月 8日 (木曜日)

思いやられたとおり、本日は会社にたどり着くまでに5時間を要した。

結果論からいえば、もうちょっと早く出ていれば普通に着いたように思うのだが、昨日の学校からの手紙で「台風のため、児童の登校については各家庭で判断してください」という扱いになっているため、登校時間ころまでは一緒に様子を見ていたので、出るのはいつもと同じくらいであった。

駅についても、5分遅れながらいつもと同じ感じで列車はやってきて、走り始めた。次の駅までは順調に着いた。なんだ、余裕じゃん。しかしそこまで。江戸川上の風速が規定値を超えているということで、千葉県から東京にはいるJRはすべてパタリと止まってしまった。

いつも後悔するのだが、止まった瞬間にすぐ思い出して動けばいいのである。
「JRよりも京成のほうがずっと根性がある」ということを。
だが、振替輸送の案内はされず、京成運行状況サイトは混雑でつながらず、結果ずるずると待ち続けているうち京成も入場制限がされたらしかった。

結局、京成の駅まで歩き(新京成は厳しそうだった)、ヨタヨタながらも動き続けている京成電車に乗り込んだ。電車は何度も止まりながらも着実に歩みを進め、問題の江戸川も風の弱まったタイミングを見計らって渡り(ここまでくればこっちのものよ)、町屋で千代田線に乗り換えて、5時間以上かかってたどり着いたのであった。

最初から止まっていたなら、京成の駅へ家から直行したのに…

しかし思ったが、あのような状態になると、合理的に考えればそんなに無理してまで行く急ぎの必要は実はないのに(まあ、戻る手段も断たれていたのだけど)、意地でも会社に着いてやる!という気分になってくるものだな。手段の自己目的化だ。

2009年10月 7日 (水曜日)

家族でつながり、親子でふれあう機会の充実を目指し、さらには家族に対する感謝の気持ちを育てていくため

何をするかというと、弁当作りなのである、という話は前にも書いた。
なんかなぁというのが正直なところではあるが、まあ、そう考える人もいるのだろうねということで、朝は弁当作り。なにしろ子供も参加させないといけないので、余計時間がかかる。
はっきりいってずっと前に学校から手紙が来ていただけだから、すっかり前日まで忘れていた。奥さんに言われなければ、今日子供は昼飯抜きだったやも知れぬ。
どうでもいいけど、今年度はこの「弁当の日」がもう一日増えて12月にもある。忘れそうだなあ。

ちなみに子供はそろそろ秋休みなので、そうしたら学童保育用弁当作り週間になる。ああしんど。

電車は東京駅の手前で20分くらい止まったまま動かないし。
明日が思いやられる。

2009年10月 6日 (火曜日)

を使って数えるもの。

すぐに思いつくのは、鉛筆とか木とか大根とか、棒状の物である。

前に書いたことがあったような気がするのだが、管楽器も本で数える。

D○Cへ行って、「トロンボーンを1つください」という人はあまりいないだろう。
「ひとつ、トロンボーンを見せていただけますか。還暦すぎて会社もリタイアして、昔吹いていたトロンボーンをまた始めてみようと思いまして」という人ならいらっしゃる気がする。

トランペットも間違いなく本で数える。
「けっきょく5本使うことにしました。B、C、ピッコロ、フリューゲルと、最初のリヒャルトは横で」(←何の演奏会だ?)

ホルンも本? 最近ホルン奏者と話していないので、自身がない。台や基でも通用しそうな気がする。

電車、法律、武道の勝負、映画、スピーカー、ノックなんかも本で数える。

「終電1本前」
「今度公布される関連法は3本」
「時間無制限3本勝負!」
「毎週1本は映画を見ることを自分のノルマにしている」
「タンノイが2本余ってるんだけど、いる?」
「1000本ノック」

けれども、本は本ではなく冊と数える日本語の覚えづらさよ。

2009年10月 5日 (月曜日)

洗濯をしない予定の日だったが、急遽予定変更を余儀なくされる。しかも1日2回。
詳細説明は、子供の名誉のために、避ける。

2009年10月 4日 (日曜日)

法要@長野。
十三回忌+三回忌。

2009年10月 3日 (土曜日)

朝10時から夜10時まで練習。途中1時間半移動。

2009年10月 2日 (金曜日)

会議での話は、駅までの間と電車のなかでシミュレーションをぶつぶつと行い、なんとか切り抜ける。

病前より口のなかが渇きやすくなっていることに気づく。ちょっとしゃべっただけでカラカラである。あんまりしゃべらないで済んでいたからなあ、と思う。

となると危ぶまれるのが今度の本番である。
ペットボトルは必須だな。
動物の舞踏会の途中でも失礼させていただく可能性がある。

2009年10月 1日 (木曜日)

押し入れをひっくり返して過去の書類(紙屑ともいう)を探すも、やはりない。だが、画像(の元)は見つかった。
明日某会議でけっこうまっとうな発表をしなければならないのだけれど、どうでもいい気分になってきた。明日電車の中でシミュレーションするか、もしくはぶっつけ(そんなことではいかん)。

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