失敗。珈琲がキーボードに。
長岡くんのクラスには、銀座くんとか竹橋くんのように、いいところの子がたくさんいました。大尾くんや三方くんのように、威勢のいい豪族や落ちぶれた公家の子、ダンボのような異人の子まで、多彩なクラスメイトが揃っていました。
そのクラスにいる色上さんは、前はお洒落で鳴らしたけれど最近は冴えないという評判の娘でした。
ある日突然、長岡くんは色上さんと付き合ってると宣言しました。
今まで銀座くんや竹橋くん、大尾くんや三方くんなどは色上さんのことを、見向きもしないとは言いませんが、真剣にお付き合いしようとは思わなかったのですが、長岡くんが色上さんと付き合いはじめたのをみると、急にに色上さんがきれいに見えてくるのでした。
総会の現場を久しぶりに見る機会を得た。
確かに変化していることが窺がわれる。
当局(って誰だか不明だが)が、やっきになって個人資産を株式市場に導こうとしているが、それが政策的に正しいかどうかは別問題として、その効果は着実に表れてきているということとなのだろう。
印象として、至極真っ当な状態になってきたというのが実感である。
真っ当というのは不遜な言い方だが、総会屋が跋扈し、それに対する防衛から、どんどんいびつにゆがんでいき、「一般」と言われる方々も、それに引きずられてか、なにやら特別な感じの人が多かった昔と比べると、重ねて不遜な言い方になってしまうが、とっても普通な感じになっている、と思うのである。
なにしろ私は非国民なので、日本が2連覇したことより、自分の予言が外れたことのほうが1万倍ほど悔しいのであった。
(さて、この文、論理がなにか変)
2位はともかく、1位はもう少しで当たるところだったのに。惜しい!!
OHPという言葉はさすがに死滅しつつあるが、スライドという言葉はまだまだ生き残っている。
壇上のスピーカーが、パワーポイントをプロジェクターでスクリーンに映し出した画像を示す言葉として、「スライドを見てください」と口にするのを聞くのは、いたって普通のことである。
当のパワーポイントや、デジタル画像を扱うソフトなどにもスライドショーという言葉を使っているので、この言葉は後も生き残っていくのかも知れない。
おそらくスライドというのは、フィルムを1枚ずつ枠に入れて何枚も重ねるように並べたものを、映し出すフィルムを光源の前に1枚ずつガチャガチャと横滑りさせて投影するという、映写機の仕組みから来た言葉だと思われる。
スライドの含む概念は広く、そのフィルムを指すこともあれば、スクリーンに写し出された画を指していることもある。
ところで、あのフィルムは、リバーサル・フィルムというらしい。ポジ・フィルムと呼ぶのは、ネガの反対だから分かるのだが、なんでリバーサル・フィルムと呼ぶのだろうか?
reversalを辞書で引くと「反転」である。
ネガ・フィルムがリバーサル・フィルムならすっきりするのだが、なしてそうなる?
まさか、ネガに対してリバーサルということか。写真の方式としては、ネガポジ法というのが先にあったようではあるが。
ウェブ上で調べても、どうもよく分からない。
信憑性がありそうな説明としては、次のものがあった。
リバーサルの語源は現像処理の過程で反転処理を行うため付いたものと思われる。
しかし、写真の現像など、大昔に白黒のをやったことしかなく、今後はどう考えてもデジタル画像をソフトを使っていじるくらいがせいぜいだろうということで、永久に謎かも知れぬ。
最初に話を戻すと、スライドという言葉は、現実が大元から離れたあとでも生き残る可能性があると思われる。ただし、今後パワーポイントという言葉に置き換わっていく可能性といい勝負であろう。
現実が大元から離れたあとでも生き残っている言葉も多いが、例えば「財布のひもを締める」。
いかに昨今の不況が未曾有とは云え、今どき巾着袋のような財布を使っている人も少なかろう。
なお、スライドと言ったら、私の第一義的にはトロンボーンの前後に動かして音程を変える部分であることは論を俟たない。
錦糸町において、40分ばかり足止めを食う。
強風で電車が遅れるのはいたし方なく諦めていたのだが、乗っていた電車が、錦糸町でドアに異常が発生したとのことでいつまで経っても発車せず、挙句の果てに、ようやく「点検が終わって出発します」とドアが閉まった次の瞬間に、「今度は3号車のドアが故障しました」とアナウンスがあり、結局のところ乗っていた電車からはみな下ろされて、その電車は回送電車になってしまった。
仕方ない各停に乗り換えるか、と階段を降昇して隣のホームに移る。
こちらもなかなか電車は来ず、冒頭記したとおりの状況となった。
夢によく見る、着きたいところへなかなか届かず、あがいているという状況のようだった。
思えば、今日は最初からJRを見捨ててK成で行くのが、もしかしたら正解だったかも知れない。7時20分に家を出て、9時40分に着いた。
外食をあまり気にせずどこででも出来るようになったのが、手術後の大きな成果である。
子供が生まれる前に、生まれたら外食が出来なくなるから今のうちに連れてってあげなさい、という同期のJ様の忠告を受けて行って以来のもんじゃ焼き屋を、一家で訪なう。ということは、7年半振り。
似ている曲というのは世の中にたくさんあるわけだが、本日発見したもの。
銀河鉄道999(銀河鉄道999のオープニング)
真赤なスカーフ(宇宙戦艦ヤマトのエンディング)
歌い出しのアウフタクトからして一緒であるし、2小節目から3小節目にかけてオクターブの跳躍がポイントであるところも同じだ。
世に松本零士の名を知らしめたこの2つのアニメの曲だから、私の頭のなかでも同じ方面のカテゴリーに格納されていると思われる。
必要があって銀河鉄道999のTVアニメーションのほうのテーマを思い出すことがあって、思い出していたら、999のイントロから真赤なスカーフのメロディーにつながってしまったのであった。
ちなみに、この2曲の作曲者であるが、真赤なスカーフのほうはヤマトだから宮川泰であり、999のほうは売れっ子平尾昌晃である。
もし同じ人が書いたのだったら、同じような時期に同じような仕事で書いた譜面であるから、似ていることに気づいて、後から書かれた方がボツになった可能性があるのではなかろうか。
懸案事項が片付いたとき、思わず出してしまう口癖。
「よし、これで解決黒頭巾っと!」
我ながらなかなかのオヤジぶりを発揮しているぜ。
かなりリキを入れて譜面書きをしたのにかかわらず、音出しもされずに放っぽかれている楽譜がいくつかある。その一つに「金管十重奏のための『怪傑黒頭巾』」というのがある。
編成は一般的なPJBEスタイル。
縁なくて私はブラスアンサンブルには常駐していないので、今の今まで音を出してもらう機会を逸している。マルマンのルーズリーフに書いてあるから、譜面にしたのはだいぶ前に違いない。
1950年に書かれたアメリカの小説を読んでいたら、「スコッチテープ」が登場したので、ふと気になって調べてみた。
●スコッチテープは、何故スコッチなのか?
ここで、はたと思い直すのだが、スコッチテープとはいったいどれを指すのであろうか?
結論から述べると、一般にスコッチテープと言っている物は、スコッチ・メンディングテープというのが正式な名称らしい。スコッチという名称は商標として3Mが持っている(日本でも)。
スコッチはScotchであるが、「スコットランドの」という意味である。
これには、俗語的な使い方があって、「けちな」という使い方をされることがあるらしい。手元の英和辞典にすら掲載されている。
スコットランドの人がケチかどうかは知らないが、スコッチテープに戻ると、なんでも3Mでの開発途上でよく剥がれるテープを「このスコッチが!」とののしられたのが起源で、それが社内でのコードネームのように使われるようになって、登録商標になるまでに至ったのだそうだ。
蛇の目ミシンの取締役の責任を追及した代表訴訟に関して、「会社法の論考にはあまり書いてないと思うのだが、これには見せしめの効果しかないと思う。」などとエラそうなことを書いてしまったが、不勉強極まりなかった。
E頭先生の教科書には、こう書いてあった。
取締役の責任制度は、会社の損害の回復自体を目的とするものか(損害填補機能)、取締役が任務懈怠することを防止するいわば手段的役割のものか(抑止機能)という問題があるが、
そうかあ、問題として議論されていたのね。
E頭説では、次のように続く。
わが国の学説は、責任を負う取締役が複数ある場合に不真正連帯債務性を強調する等、前者を重視する傾向を捨てていない。しかし、前者の色彩を強く認めることは、取締役の人材の確保を困難にしかねないので、後者を重視する立場から解釈等を再検討する必要がある。
E頭説では、抑止機能(私の品のない理解では、見せしめ効果といったもの)を重んじていこうとするようだ。現実問題として、巨額の会社損失を取締役が賠償し切れるのかという事態があるわけだから、この制度に何らかの意味を求めるとしたら、それは抑止効果であろうという考え方だと拝察する。
経済的には…、その取締役が会社から受けた報酬が、預金なり株式なり不動産なりの換金しやすい資産で残っていたら、それを取り上げることはできそうだ。
誤字や脱字には寛容なほうなので、他人の書いた文章に誤字・脱字を見つけて鬼の首を取ったようにしている人を見るとげんなりすることが多い。
それは、見て分かるように、私の文章に、誤字・脱字がかなりあることの言い訳なのだが、一応、気づいたものは1年前に遡って直したりしている。そんなの誰も読みやしないか。
誤字・脱字があったとしても、たいていの場合、意味は通じるわけである。
とは言え、やはりオフィシャルな文書では誤字・脱字はないに越したことはない。
………
先日、どの部署宛か分からないという請求書を持って、私のいる部署へ相談にやってきた人がいた。
私の前の席にいる方は、立場的に山口六平太のような人なので(年齢的には超ベテランだが)、社内で誰に言っていいか分からない困ったことが発生すると、皆この人のところへやってくる。
その請求書の宛先に、確かに当社の名前が記載されているのだが、その下に記されている文言が謎だった。
「○○○○御担当者様」と書いてあるのだが、部署名がないと社内ではかなり取扱いに迷う。
喩えていうなら、「××株式会社 親睦会御担当者様」という宛名で、数千人の従業員がいる会社に「お食事代 ¥32,000-」の請求書を郵送するようなものである。
請求元の会社名から、関係しそうな部署を何箇所か回ったが、いずれも知らないといわれ、山口六平太さんを頼ってやってきたのである。
聞き慣れない、しかし、あっても不思議ではない名前の会社だったので、架空請求も疑われたようだ(ちなみに、IT系の会社名である)。
その請求書を覗いてみた。
上述のとおりの宛名だが、それらしい判子も押してあるし、体裁は整っている。
ふと見ると、末尾には次のように記載されていた。
「3月末迄煮御振込み下さい」
煮 ?
謎の宛名と相俟って、一気に怪しさが増した。
請求書の金額は数万円。年度末の忙しい時期にいろいろバラ撒けば、あるいはチェックの甘い企業なら振込みを起こしてしまうかも知れない。それを狙った詐欺か?
山口六平太さんが「なんだろう?」という感じで私に請求書を差し出すので、暇な私がこの件を買って出ることになった。
聞き慣れない会社名だったが、実在するであろうことはウェブで調べてすぐ分かった。
請求書に記載されていた電話番号に電話してみる。
呼び出し音を聞いている間に、ちょっと後悔した。
しまった! この番号も架空のものだったら、詐欺集団の思う壺ではないか!!
そうこうしているうち相手が出た。女性の声であった。
私は名乗って、請求書の件でお聞きしたいことがある旨話した。
担当者に代わるといって、その担当の方(女性)といくらかやり取りをした後、調べて折り返してもらうことになった。
待っている間、サイトを覗いてみる。確かに、請求書を発行した部署も組織図には載っている。しかし逆にいえば、サイトで見られるからこそ、そこを騙る詐欺集団にも知られているわけである。
請求書に記載の電話番号を検索エンジンでサーチする。
そのものは引っかからないが、架空請求サイト・リストみたいなページが引っかかって、私の疑念をますます刺激する。
もしくは、仮に詐欺集団が、知らずにいる善良なこの会社の名を騙って架空請求をしているのかも知れない。その場合、この会社(の本当のほう)に知らせてやらねばならない。
銀行口座名も見てみる。系列的には違う銀行を使うのが一般的だろうが、いちおう取引銀行として振込先の銀行名が書いてある。さすがに同じ銀行の同じ支店に、別人がその会社名を騙って口座を開くのは難しそうだ。
おっと、詐欺だと疑ったのは先走りすぎだったか。
けれども、煮。
1時間ほどして折り返しの電話がきた。
「契約のお名前は××部長の△△様になっています」
△△部長は実在する。それでも、煮に囚われた私の頭は疑いを捨て切れない。
△△部長は、執行役員でもあり、公開情報である(無料で調べようと思ったら、喩えるならちょっと深いディレクトリまで潜らないと分からないけど)。
今まで1時間ほども待たせたのは、問い合わせに対してそれっぽい答えをするため調べていたからではあるまいか?
煮つまった私の頭はほとんど熱暴走状態である。
とはいえ、そこまで周到な詐欺をするには金額が少ないので、△△部長名で契約をしたという情報を頼りに、再度社内で当たってみる。
今度はなんとか発見された。ちゃんとした請求であった。
○○○○担当者といわれても、とても分からなかったが。
その会社にしてみれば、「○○○○担当」という見方なのであろう。
詐欺だと疑って電話していたので、おそらく私の口調も慇懃無礼の響きがあったと思われる。先方の担当の方が気にしていると悪いので、再度電話して判明したことを報告して手間を取らせたことは詫びておいた(今度から部署名をつけてくれると分かりやすいことも伝えておいた)。
このようなことになったのも、私のなかでは煮のせいなのだけれども、それを言うのも大人気ないようで、けっきょくそれは胸にしまったままである。
だからこんなところに書いてみた。
誤字・脱字というよりは、誤変換なのは分かっているけど。
なんだか煮という字のあとだと、振込みが振掛けに見えてきたりする。
『気球に乗ってどこまでも』には気がつかなかった。
手拍子…、あったね、確か。えっと、|ウン、チャチャンチャチャン|だっけ?
とり急ぎ、手拍子を確かめる。ふむふむ、サビに入ったらアフタービートで打ち始めるのか。なるほどなるほど。
リサーチをしていると、子供が寄ってきて歌いはじめた。知っているらしい。
2009年3月現在小1の、うちの子も知っているとは、かなり人口に膾炙している。
オリジナルは、昭和49(1974)年の課題曲とのこと。
個人的には、M郷中での演奏会でM賀さん編のオケ番で吹いたのが懐かしい。
なお、この曲のイントロ(だけ)は、私がピアノで弾ける数少ない曲の1つなのであった。Cdurだからだけど。
EXCELのファイルを見て、なんだか妙に意欲が湧いてきてしまった。
監査役のインサイダー事件ということで、日本SECもといSESCが金融庁に課徴金処分の勧告をしたらしい。報道もされていた。
上場企業であるから、誰でも無料で(すなわち、登記閲覧手数料や民間調査会社からの情報提供料なしに)、その監査役の実名を知ることができる(もっとも現在のネットの力は大したもので、そんな手間をかけなくてもニュース系掲示板などで名を知ることは容易い)。
私は、パイオニア製品は普通に信頼申し上げているし、個人的には何の罪もないのに対処に当たらなければならない担当者の苦労などが忍ばれてしまうのだが、根が下世話なもので、つい野次馬根性で調べてしまう。
印象的だったのは、当該監査役は、若いときに一度転職をしていて、それでパイオニアに入ったという経歴であった。ただ、そういう人は多いし、だから何だということはない。
この元監査役も、何だかんだでパイオニアには30年以上勤め続けたのだ。
ただ、長らく「財務グループ部長」という職にあったようで、そういう経理畑で銀行筋にも顔が売れていて、という人が監査役に就任するケースも、身近でないわけではない。
身近で同じような財務畑の人の顔を思い浮かべて、監査役になってインサイダー取引をするというのは、ちょっと想像に難があるなあと感じる。
それに、この人が監査役に就いていた間に、パイオニアは検事上がりの弁護士を社外監査役として迎えている。高名な方で、私も某同業者の総会を勉強がてら見学したときに、そこでも社外取締役に迎えられるということで、ご尊顔を拝したこともある。
そのような、おっかない人が身近にいながら、なおかつけっこう単純な手口(実際の売買は部下の名義で行ったようだが)の株の売買をしてしまうというのが、人間のなんとも不思議なところと思った次第である。
なお、これまた下世話なことなのだが、この前、役員退職慰労金について思料したこともあって、この場合どう動く可能性があるだろうと調べてしまう。
パイオニアも現在退職慰労金制度を廃止したようだが、その廃止したタイミングは2007年、まさに当該監査役が退任した時のことであった。
すなわち、当該監査役には退職慰労金が支給されているのであった。
さて、さらに下世話なことなのだが、この退職慰労金がいったいいくら支給されてたのかを調べてみる。…う~ん、さすがに不明である。が、めちゃくちゃ大雑把な当てずっぽうだが、過去の引当金の推移などから勝手に推測するに、監査役在任期間7年分の慰労金としても、堅く見ても5,000万円にはなるのでなかろうか。
今般のインサイダー疑惑で、元監査役が上げたと見られる利益は、わずか(と言っていいか分からないが)144万円である。
パイオニアのニュースリリースによると、「刑事、民事両面での法的措置を検討」とある。仮に、監査役在任中の報酬の返還などを求めた場合、どこまで認めるかなど分からないが、仮に私が退職慰労金について愚考したところで述べたように、退職慰労金は少なくとも返せという話になった場合、まったく割りに合わない。
「近ごろの若者は****」というのはよく聞く台詞である。
「近ごろの若者は****」とは、古今東西ずっと言われ続けてきたことであり、今後も言われ続けていくのだとは思う。
ところで、「近ごろの年寄りは****」という台詞は、あまり聞かない。
「近ごろの若者は****」は年寄りが言う台詞であるのに対し、「近ごろの年寄りは****」は若者の言である。けれども、若者は近ごろの年寄りしか見たことがなく、昔の年寄りのことは知らないので、「近ごろの年寄りは****」とは言い難いのであろう。
けれども、数十年したら、若者からこんな言葉が聞かれるようになるのではあるまいか?
「近ごろの年寄りは、どうも貧乏くさくてケチになったね。昔の年寄りは、もっと豊かでさあ、孫に甘くて何でも買ってくれたものだよ」
ここで言う近ごろの年寄りとは、我々世代のことである。
年金の受給は、今の年配者世代にとって、かなり充実している。世代がチェンジすると、その様相はかなり変わるのではあるまいか。
読書感想文なるものが苦手である。
しかし世の中には、ものの見事な読書感想文を書く人がいて、感嘆することもある。
サリンジャー作品のなかでは、私は『フラニーとゾーイー』が一番好きである。
『フラニーとゾーイー』自体、生涯で読んだ本のベスト10を挙げろといったら、入ってくるかも知れない。翻訳作品で10挙げろといわれたら、間違いなく入るだろう。
このたび、『フラニーとゾーイー』の卓越した読書感想文を目にして、感嘆した。
ここで挙げられているレビューの、「グラース家のフラニー(末っ子)とゾーイ(下から2番目)の話。」で始まる一文は、逸品だ。ウェブ上でさらっと書いただけという雰囲気なのだが、もし本当にこんなのがさらっと書けるなら、その才能が誠にうらやましい。
著作権表示はされていないのだが、どのような人なのであろう。
読書感想文というと、真っ先に思い出すのは、佐藤由美『シューベルトさまこんにちは』に収められた感想文である。
本日詳細を記すことは控えるが、現在絶版のこの新潮文庫は、私にとっては本当にベスト10に入る本の一冊に違いない。
文才というのは、どうあがいても得られない天賦の才の部分があるのではないか。
その感想文(本人が中一のときに書いたそうだ)は、あまりの見事さに、それまで私が抱いていた読書感想文というものの概念を突き崩し、私に文才のなさをまざまざと知らしめたのであった。
個人情報保護意識が高まっている。らしい。
先日見た某模擬株主総会でも、株主が発言の前に名前を言うのに抵抗を示す場面があった。銀行や病院などで待っているときにも、名前を呼ぶのをやめて受付番号などで呼び出すように変わっているところもある。
ところで、ファミレスや回転寿司などでは、込み合う時間帯には紙に名前を書いて、呼ばれるのを待つシステムがある。
あれって、みんな本名を書いているのであろうか?
昨今の状況からすれば、不特定多数の他人のいるところで自分の名前を知られたくはないから、仮名を書くようにしているという人がいてもおかしくはない気がする。
良からぬ輩が、裕福かつ隙のありそうな客を観察していて、その人をターゲットにしようなど狙っているかも知れない。みすみす名前を明かすような不用心をしなくてもいいのではないか。こう考える人もいるだろう。
また、全国の佐藤さんなどは、ああいう場面でバッティングした経験もあると想像される。
名前を書こうとしたら、前の欄にも「サトウ」と書いてあったとか。
人数が違えばまだしも、「えー、うちも4人だよ。お店の人ちゃんと間違えないでくれるかなぁ」と余計な気をもんだり。
あの紙に、例えば「バカボン一家」とか書いたらマズイのだろうか?
「3名でお待ちのバカボン一家さま」とかアナウンスされたら、やはり、どんな奴らだ?と注目を浴びてしまうだろうか。
そう言えば、ピストンでああいう場所にいっても、「ピストンクラブ」とは書かないなぁ。誰かが代表して「えびはら」とか「のぐち」とか書いている。何故そうなのだろう?
あの紙に団体名を書く人たちっていないのだろうか?
蛇の目ミシン事件というのがあって、2008年10月2日に最高裁判決が確定している。
事件の内容は、大雑把にいえば、株を買占めた仕手集団が巧みに当時の経営陣を恐喝して大金をせしめたというもので、そのことにより会社に損害を与えたとして株主代表訴訟が起こされたのが本件である。
最高裁判決では元取締役の責任を認め、結局総額で583億円にも上る賠償責任があるとされることになった。
ちなみに大本の恐喝事件が起きたのは、バブル真っ盛りの1988-98年にかけて。
代表訴訟が提起されたのが、1993年。15年の月日を経て、ようやく決着したということのようだ。
こういう報道があると、まず出てくる反応は「そんなに払えるわけない」ということになる。この金額が払えるとは、誰も思わないわけである。
けれども、そもそも代表訴訟の建前からは、「取締役がミスをしたことによって会社に損害が生じたのだから、その損害を賠償させて、会社の受けたダメージの回復を図る」というのが訴訟を起こす目的なわけである。
しかるに、判決を求める原告や判決を下す裁判官も、事実上払えるわけがないことは分かっていると思われ、そうなると代表訴訟の目的はいったいどこにあるのだろうかという疑問が沸いてくる。
取締役本人に支払い能力がなくても、D&O保険に入っている場合がある。それであれば、保険金として支払われる可能性はあるが、一般的なD&O保険もせいぜい上限は10億とか5億円くらいと思われ、運よく免責事由に引っかからず保険金が下りたとしても、とうてい583億円には足りないと思われる。
それに、現行のD&O保険が認可されたのは1993年で、実際に売り出されたのは翌1994年のことである。だから、現状同社がどのようにしているかは存じないが、この事件に関してはD&O保険による救済もあり得ない。
583億円もの賠償金が確定したとして、会計的にどのように処理しているのであろうか、という疑問が沸き調べてみた。
報道直後には、このような考察がなされたらしいが、結論的には「何もしない」ということのようである。
実際、蛇の目ミシンの報告書を見ても、何もなされた形跡はない。
同社は売上高が500億円、総資産500億円くらいの規模であるから、仮に583億円の賠償金を計上できるなら、ものすごいことになるわけである。
そんなことになったら、株価だって連日ストップ高だっただろうが、そんなことは何もなかった。
このように、法的にはそれなりの話題性とインパクトがあったと思うが、会計的には何の音沙汰もないわけである。今後、何がしかの回収がなされれば、都度特別利益に計上していくのであろうか。
とりあえず、会社財産に莫大な損害を与えたとして訴訟となったわけだが、そこで583億円の責任を認めるという成果が確定したとしても、実経済的には何も変化がないというのであれば、やはりその訴訟はいったい何のために行っているのだろうか、という疑問が残る。
会社法の論考にはあまり書いてないと思うのだが、これには見せしめの効果しかないと思う。
すなわち、「経営者は、ちゃんと経営しないと、えらく大変な責任を負うことになるぞ」という。
そして、見せしめとしての効果は、他の会社の経営者や蛇の目ミシンの現経営者には及び、結果としてその会社の株主の利益に資することになろうが、肝心要の、経営者の責任を質しにいった当時の株主には、実はほとんど何の意味もないのではなかろうか。
意味があるとしたら、いい加減なことをして(株主である)自分たちに損害を与えた経営陣を経済的に破綻に追い込むことによって復習心を満たすということしかないのではなかろうか。
復讐心というのは、ちょっと人を卑小に見すぎるか。「正義を貫くため」に費用対効果は省みずに訴訟を遂行したという気持ちもあるだろう。
だが、復讐心を満たすだとか、見せしめ効果だとか、正義を貫くだとかは、それは多分に刑事法寄りの概念であり、何やら民事事件には馴染まないような気がする。
(続き)
卒業ソング・メドレーの譜面書きをしたとき、選から落とした曲がある。
尾崎豊は、悩んだのだが、やはり長調でゆっくりの曲なので、貴重な短調の曲である「春なのに」を採用した(同じく貴重な短調のS&Gは、洋楽は使わないという縛りのため採用を見送った)。「大地讃頌」や「赤いスイートピー」は、卒業というと思い浮かべる人も多いらしいのだが、内容的にちょっと違うのでやめた。いずれも長調でゆっくりの曲なので、無理して入れる余地がなかった。
このたび、平成生まれにとっての卒業ソングとしては、「旅立ちの日に」とか「手紙~拝啓一五の君へ」とか「3月9日」というのが思い出されるということを知った。前二者は知っていた。「旅立ちの日に」はさすがに採用した。アンジェラ・アキは、この曲が2008年度の合唱コンクール課題曲だったところ、譜面書きをしたのは2007年秋だったため、採用のしようがない。最後のは、アーティスト名からして、このたび初めて知った次第。
Youtubeをざっと見まわして確かめた感触では、合唱曲として使われると、一気に卒業ソングとして浮上してくるようである。
しかし、ここでも私の観察結果が、元号を超え世紀を超えて当てはまることが分かった。
つまり、すべからく長調でゆっくりの曲である。
(了)
【惜しくも選から落とした曲】 |
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| 卒業(尾崎豊) | 長調 | ゆっくり |
| サウンド・オブ・サイレンス(サイモン&ガーファンクル) | 短調 | ゆっくり |
| 思い出がいっぱい(H2O) | 長調 | ゆっくり |
| 大地讃頌(合唱曲) | 長調 | ゆっくり |
| 赤いスイートピー(松田聖子) | 長調 | ゆっくり |
| 【今後作るとしたら選ぶことを考える曲】 | ||
| 手紙~拝啓十五の君へ~(アンジェラ・アキ) | 長調 | ゆっくり |
| さくら(森山直太朗) | 長調 | ゆっくり |
| 思い出のアルバム(幼稚園卒業歌) | 長調 | ゆっくり |
| 【このたび初めて知った曲】 | ||
| 桜(コブクロ) | 長調 | ゆっくり |
| 3月9日 | 長調 | ゆっくり |
コネタマ参加中: 「卒業」と聞いて思い浮かぶ曲は?
卒業ソング・メドレーをやっ(てもらっ)たのは、1年前である。
メドレーで何の曲を取り上げるか考える際に、一番ネックとなったのは、ジェネレーション・ギャップについてであった。要は、最近の卒業ソングを知らないとのだ。もっとも知らないのは卒業ソングだけではなく、最近の歌全般についてそうであるが。
にふちぃのこのブログサービスは、私は相変わらずウェブ日記として使っているのだが、勝手にいろいろなサービスを始めたりやめたりして煩わしい。などと言いつつ、コマネタというのに釣られて、書いてみる。
卒業ソング・メドレーでは、結局開き直って、昭和30~40年代生まれ世代辺りをターゲットにした選曲ということにして、後に挙げる11曲をメドレーにした。 前にも書いたが、候補曲を並べてみて、改めて気がついたことがある。
それは、卒業ソングというのは、すべからく「長調でスローテンポ」ということだった。
メドレーの選曲にあたっては、私はその曲の属性を分類して、あまりに同じような曲ばかりにならないようにしている。
属性といっても、調とテンポの2点から、それぞれ長調or短調/速いor遅いで分類するだけで、つまり4つのカテゴリーに分けるだけなのだが、これでも取捨選択に迷ったときにはかなり手がかりとなるし、曲の並べ方を考えるときにも参考になる。すなわち、同じ属性の曲が並ぶと飽きるので、属性を頼りに並べ方を考えるのである。歌詞があれば言葉の力に頼ることが出来るが、楽器だけの演奏では変化がつけにくいため、属性の異なる曲を隣り合わせにしてメリハリをつけるのである。
出来あがった卒業ソングメドレーは、最終的に次の並びになった。属性も合わせて記す。
1.仰げば尊し(唱歌) |
長調 | ゆっくり |
| 2.卒業写真(松任谷由美) | 長調 | ゆっくり |
| 3.贈る言葉(海援隊) | 長調 | ゆっくり |
| 4.微笑みがえし(キャンディーズ) | 長調 | はやい |
| 5.今日の日はさようなら(森山良子) | 長調 | ゆっくり |
| 6.乾杯(長淵剛) | 長調 | ゆっくり |
| 7.春なのに(柏原芳江/中島みゆき) | 短調 | ゆっくり |
| 8.なごり雪(イルカ) | 長調 | ゆっくり |
| 9.卒業(斉藤由貴) | 長調 | はやい |
| 10.旅立ちの日に(合唱曲) | 長調 | ゆっくり |
| 11.蛍の光(唱歌) | 長調 | ゆっくり |
このように、大半が長調でゆっくりの曲であることが分かるであろう。
(続く)
コネタマ参加中: 「卒業」と聞いて思い浮かぶ曲は?
このたび覚えた言葉。冒認出願。
「冒認出願」とは、発明者でない者で、その発明について特許を受ける権利を承継していない者が出願し、特許を受けることをいう。
発明者は真実に発明した者に限られることは当然であり、「冒認出願」は許されないし(特許法第49条7号)、仮にそのような者に誤って特許が付与された場合はその特許は無効とされる(同第123条1項6号)。
(産学連携キーワード辞典より)
特許法分野では基本的な用語であるようで、例えばこのような解説がなされているのをウェブ上で探すのは容易い。
たいへん恥ずかしながら、一応法学部を卒業して、会社法務の片隅にいることになっているのだが、このたび初めて覚えたのである。冒認出願。
言い訳をするのであるが、まず、当時「無体財産法」と呼んでいたと思うが、今なら「知的財産法」とでもいうであろう講座は取っていなかった(と思う。というくらい、記憶にないので、取らなかったと思われる)。業務上も、特許を初めとする知的財産については、別のセクションがあって、こちらの業務を担当したことは、一部例外を除いてない。
それに、私が座右に置いて頼りにしているレファレンス、有斐閣『法律用語辞典』にも、冒認出願というのは載っていない。
今これを打っているIMEだって、「ぼうにん」の変換候補には冒認は存在しないし、そもそも座右の岩波国語辞典にも、冒認という言葉は収録されてはいない。
けれどもやはり特許法の分野ではこの言葉は古くからあるようで、平凡社『国民法律百科』を調べると、冒認出願は載っている。ただし、本項目では採られておらず、索引巻を引くと「発明権」の項目のなかで冒認出願が出てくるのが分かる。読むと、「~(いわゆる冒認出願)」という使われ方がしていて、その世界では一般的に使われている言葉であることが窺がわれる。
けれども、やはり冒認は謎である。
手元の漢和辞典にも(当然のことながら?)出ていない。
ウェブで改めて「冒認」だけを検索しても、冒認出願しか出てこない。
冒認出願では、直感的に分からないと感じる。
盗用出願くらいにしてくれれば、かなり直感的に通じると思う。
今日来たバイク便の人はインパクトがあった。
膝丈のジーンズの下はスパッツ。
受付電話の前から代表に携帯でコール。意表を衝かれ戸惑う私に(代表に外線でかけてきた相手が、見えるところにいるとは予想しないではないか、)すぐ目の前のガラス越しに手を振る。オレの友達だっけ?と見間違うばかりのフレンドリーさ。
彼は紅毛碧眼(そして前述のように膝丈ジーンズにスパッツ)。
流暢な日本語(だけどネイティブスピーカーではないと思う)。
オフィスの入口で逢うと、国際化に慣れていない私にとっては、けっこう強烈な印象があった。配達、おつかれさまです。日本語上手です。
スポーツの世界では、当然のように男女別に競うが、音楽コンクールでは普通はそんなことはない。昔はショパン・コンクールなどは男女別だったそうであるが、現在の普通のコンクールって、エントリーするのに(声楽は措いておいても)男女別の条件が課されることはないと思われる。
音楽コンクールだって、多分に身体のコントロール技術を競うものなのに、男女別にするというと現代では違和感を覚えるのではなかろうか。声の分野で、男女の声の高低は通常まるっきり違うが、NHK学校音楽コンクール(合唱コンクール)でも、課題曲は同じ曲を女声用、男声用、混声用などとアレンジを分けているのではなかったっけ。
スポーツの世界では、単純に力の強さや何かをする速さを競うような競技ではなく、例えばフィギア・スケートのようにアーティスティック・インプレッションが大きな比重を占めるような競技でも、男女別になっている。
スポーツの世界の住人のほうが、ジェンダー差別に寛容的なのではなかろうか?
海外渡航者の数は年間に約1,700万人。これは世界で13位の多さとのことである。
反対に、海外から訪れる渡航者の数は年間約700万人。世界で30位。
だから、日本はもっと観光先として魅力ある国にしようというのは観光庁の掛け声。個人的にはなんの興味もない。
日本の人口は世界で10番目であり、世界第2位の経済大国といわれているのからすると、海外渡航者数が13位と少ないのは、ひとえに「海外」渡航というように、地続きで外国へいけないことがあろう。
ただし、ヨーロッパの端で同じような地理的条件にある英国は、年間渡航者7000万人弱。人口は日本の半分くらいだから、徳川時代に本邦が鎖国をしていた間に、あちらは七つの海の覇者となるべく世界中に乗り出していってたという歴史の差が現れているのだろうか。
ちなみに、第1位はドイツであり、これは地続きでフランスやらイタリアやらオーストリアやらスイスやらへ行けるからであろうか。
さて、世界の人口は現在約67億人。
それに対して、世界全体で外国へ渡航する人数の統計がありそうなのだが、データベースは有料っぽいので、観光庁のグラフから簡易的に読み取ると、年間約7億人と思われる。
世界の人口からすると、10人に1人が年に1回外国旅行をしている勘定になり、逆に云えば、世界平均では、人は10年に1回外国旅行をしている勘定になる。
これからすると、現在の日本の海外渡航者1,700万人というのは、まんざら世界平均とかけ離れてはいないのか。