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2009年1月

2009年1月31日 (土曜日)

N口先生(*1)より電話をいただく。

本日は、N口先生が御歳80になられたお祝いの会が催される日である。
先生は元Y響のティンパニストで、T大オケのトレーナーであられた。つまり、奥さんの師匠であられる。
なんでも今日の会には50人近くの人が集まる予定になっているそうで、これも先生のお人柄であろう。

肝心かなめの奥さんは、昨日から当直で、本日の会は行けたら行きたいという希望を持っていたのだが、残念ながら失礼させていただいてしまった。

電話をいただいたのは、奥さん(の実家)からお贈りしたのに対して、ご丁寧に返礼を寄こしてくださったもので、たいへんに恐縮した。

とは言え、なんだかんだで数十分お話を聞かせていただいた。ありがたいことに、今日の会でも奥さんにいたく会いたいおっしゃっておられた(*2)のだが、申し訳ないことに欠礼させていただいたのは前述のとおりである。

でも、N口先生も80かぁ、と思うと感慨深いものがある。

電話でお話させてもらった限りでは、二十数年前、つまり先生がまだ50代のころと声とか話し方とか、まったく変わらない。

私は直接の弟子ではないので、実はそれほどお話したことがあるわけではないのだが、学生のときに聞いた先生の長い音楽生活の経験談(*3)は、いかにも「楽隊」の話で、とても興味深いのであった。

お声の調子はぜんぜんお若いのだが、なんでも聞くところによると、最近ではお酒もほとんど飲まれなくなったとおっしゃていた。
それはなかなか信じられない光景ではある。

(*1)さすがにこの年代の方になると、N口先生というような伏字表記をするのはかえって失礼という感じで申し訳なく感じる。恐れ多くも私と同じ苗字でいらっしゃる。

(*2)先生は「奥方」とおっしゃる。そうおっしゃる方も近ごろでは少なくなったかも。

(*3)いつぞやのT大桶の演奏会のあとの打ち上げの居酒屋で聞いたツアーの話をよく憶えている。
それは、演奏旅行の朝飯では生物(ナマモノ)を食べてはならぬ、という教訓談であった。
すなわち、あるときの演奏旅行で、旅館の朝食にイカ刺しを食ったそうなのだが、その日の演奏会では大変なことになったと。そのイカ刺しを食べた管楽器奏者たちは、長い休みのところで入れ替わり舞台から降りてトイレに行く羽目になったという話であった。
そして、この話にはさらに教訓談が続く。
イカ刺しを食べたのに、大丈夫な人たちがいた。彼らはどうしたのか?
彼らは、イカ刺しが出たので、朝から酒も一緒に飲んでいたのである。
つまりこの教訓は、ツアーでは、朝から生物を食べるときは、酒も一緒に飲まなければならぬ、という教えなのであった。

2009年1月30日 (金曜日)


娘は卵アレルギーのくせに、というか、ゆえにというか、卵にはいたく興味がある。

2009年1月29日 (木曜日)

Googleなどのウェブ上の検索エンジンは、技術進歩著しく、多少間違えて入力しても、それっぽいページを示すのには感心する。

一方、EDINETは私なんぞでもかなり使えて重宝しているのだが、会社名の検索においては曖昧さを許さず、一字たりとも打ち間違えるとヒットしないことがある。

おかげで、正式な会社名を実は把握していなかったことに気づかされることがある。

「あれえ、なんでこの会社、出てこないんだろう?」

社内で有名なのは、キヤノンである。この社名が出てくる書類などに、キャノンなどとあったら、すぐに指摘される。
最近気づいたのは、富士フイルムである(いつの間にホールディングカンパニーになっていたのか)。富士写と呼び習わしていたものだが、富士写真フィルムではなかったらしい。

買収防衛策絡みでは、ブルドックがよく出てくる。
買収防衛策なんて最近の話だが、ソースといえばうちは昔からブルドックだ。
しかし、ロゴを見ると、あの怪異ともいえる容貌の犬の顔の下にBull-Dogと記されているのだが、ブルドッグではないところが、奥ゆかしさを感じる。

2009年1月28日 (水曜日)

書店の料理本の並べ方は鬼門である。

文庫のように著者名順に並んでいるわけではなく、かと言って必ずしも内容順(和食、おかず、お弁当、イタリアンetc.etc)に並んでいるわけでもない。
強いていえば、人気著者の場合は著者名順に、そうでない著者の場合には内容順にという感じで並んでいる。

これは料理本にはムック形式の物が多いため、仕方のないことかも知れない。

しかし、ちょっとマイナーだけどこの人の本を探している、という私のような偏屈者にとっては、書店の料理本コーナーは雑然とした無整理状態以外の何ものでもない。古本屋の1冊50円均一平台だって、もう少し規則性があると感じられるほどだ。

2009年1月27日 (火曜日)

小幡績著『ネット株の心理学』を読んでみる。
行動ファイナンス論の立場から証券市場について論じたもので、著者は自ら実践的に投資活動もする行動派経済学者として知られている。らしい。

さて、この本では、デイトレーディングが推奨されている。
デイトレは、実はとてもリスクコントロールがしやすいという。
リスクを抑えることの出来る一番のメリットは、場が開いている間にほんの短時間しか株式を保有せず、「宵越しの株」は持たないため、そのことによるリスクを負わずに済むところにあるという。ある意味、今まであまり考えてこなかった、一理ある指摘である。

ただ、この本が上梓されたのが2006年6月。
ネットを通じたデイトレが一般的に普及したのは2003年ころといわれている。

この間の株価の推移を見てみよう(日経平均終値月ベース)。
20090126_

そりゃ、市場がこういう動きなら、多くの人がデイトレで利益を出せるわけである。

2009年1月26日 (月曜日)

『旬刊商事法務』を自分で買うほど勉強熱心ではないので、しばらくぶりで読んでいる今日この頃。
商事法務が主催するセミナーの案内、つまり自社広告のページがある。その時どきのリーガルなニーズに応じるセミナーがある一方で、年次の恒例となっているセミナーも多い。

このたび、とある題名のセミナーに目がとまる。

法務・総務・審査・経理・営業など 女性社員のためのビジネス法務の基礎知識<東京>

「女性社員」以降の語句のフォントが大きく記されている。

男女雇用機会均等法は1986年に改正・改名・施行された。それから二十数年。

いや、別に、いいんだけれど、このセミナーのアイキャッチの部分は、素直に読めば「女性のための」という部分にあるわけだ。
受講料は、同主催者が行うほかのセミナー同様、1人3万円ほどかかる(6時間・昼食付き)。
ただし、募集の条件に性別の記載はないので、女性でなくとも申し込めるのかも知れないが、そういう人がいるかどうかは知らない。

それにしても、女性特有のビジネス法務の知識とは、いったいどんなものなのか、気になるではないか。

どうやら内容は以下のようなものらしい。

第1 文書に関する法律知識
1 ビジネスにおける文書の必要性
2 文書の作成にかかる基礎知識
(1)作成者
(2)日付、確定日付
(3)作成方法
3 文書の管理・保存にかかる法律知識
(1)文書の管理・保存に対する法律の規定
(2)文書を紛失した場合にとるべき対応
4 印鑑の押し方にかかる法律知識
5 印紙に関する法律知識
6 電磁的記録と文書の違いと、e-文書法の基礎知識
7 契約書に関する法律知識
第2 ビジネス業務と法律のかかわり
1 コンプライアンスとは
2 契約内容と法律の関係(任意規定と強行規定)
3 法律違反をした場合には?
(1)法律に違反した場合の効果
(2)従業員(社員)に対する制裁
(3)会社のために従業員(社員)が行った行為について
4 反社会的勢力が接触してきた場合の対応
5 取締役の善管注意義務違反の効果――代表訴訟とは
(1)時効
(2)強制執行
第3 会社組織に関する法律知識
1 株式会社とは
2 取締役と、従業員(社員)の違い
3 株主と、従業員(社員)の違い
4 株主総会に関する法律知識
5 取締役会、取締役に関する法律知識
6 監査役(会)に関する法律知識
7 内部統制システムに関する法律知識
弟4 近時の法律制定・法律改正のトピックについて

あらためてこれらの基本的な点について体系的な話を聞くのは意義のあることと考えられる。正直、聞いてみたいぞ。
でも、「女性社員のための」と銘打ったセミナーに潜りこむ勇気は出ないのであった。

そもそも、上に羅列された事項に関して、女性特有というポイントがあるのだろうか。

例えば、弟2の4反社会的勢力が接触してきた場合の対応について、男性ならば体を張って戦いなさい、女性ならば迷わず警察に連絡しなさいとか、そんな区別があるとも思えないわけである。

このセミナーはもちろん商売なので、女性社員に対して網羅的なビジネス法務の知識を説いてもらいたいというニーズがあるというマーケティングの結果として、このようなタイトルのセミナーがあっても構いやしないのだけれど。

「リーガルなことについてリーガルな講義をする」というものとしては、いささか違和感を覚える次第。俺だけか?

2009年1月25日 (日曜日)

奥さん日直。
掃除ののち、子供とバドミントン。昼食チャーハン。
買い物に子供と行き、帰宅後月曜からの食料用にハヤシライスを作りためる。
夕食前に奥さん無事帰宅。
今日の夕食は、明日からのハヤシライス・シリーズに備えるため、和風に金目鯛の煮付けで攻めてみたのだが、子供いわく。

どこがハヤシライスなの?

福神漬買わなきゃ。

2009年1月24日 (土曜日)

大根サラダ等のドレッシング。
酢、醤油、味醂、砂糖、胡麻油。
味がまとまらないときの小技=プロに頼る=味ポンbyミツカンをちょっと垂らす。
洗い物を楽にする小技。胡麻油だけは直接大根に振りかけて、ほかの調味料をかき混ぜる計量カップなどには入れない。

2009年1月23日 (金曜日)

めちゃ久しぶりに、業務的飲み会。飲んでみる。

2009年1月22日 (木曜日)

この大不況をどう生き抜くべきかという命題に対しては、弱っちい私なんぞは、消費レベルをひたすら抑えて、ともかくローカロリーに過ごそうなどとしか考えられないわけである。
(そういう傾向の人たちには、最近は「草食系」というネーミングがなされるらしい)

個人的には昭和50年代くらいの生活レベルで十分満足すべきと感じていて、当時なかった携帯電話もパソコンがなくても、実はそれほど大したことはないと考えている。
ただし、昭和42年日本生まれの私としては、冷蔵庫は必需品だし、洗濯機もないと辛いと考える。だが、TVやラジオ、オーディオ装置ですら、実はなくても構わない。

そんな私でも、昭和55年に発売されたが当時ほとんど普及していなかったので一般的にはなかったと同じである点では携帯電話やパソコンと同様であるのだが、こればかりはないと困るという物がある。この点だけは昭和50年代に戻りがたいという物である。

それは、ウォシュレット(R)。

やはり人間の習性は、生活レベルを落とせないものなのか。

2009年1月21日 (水曜日)

東証の時価総額基準緩和に関してちょっと調べていたら、とあるサイトに見覚えのある顔が出てきた。

えっ、この人、今、ここにいるんだ。

会社でシステム部門にいた方で、以前に転職されていった方である。

なんと、現在、一部上場企業の専務取締役という肩書きである。

もちろん一概にはいえないわけだが、「一部上場企業の取締役」という肩書きは、経済人としては最も成功した部類の肩書きということも出来よう。

株式市場を手玉に取り、縦横無尽に暴れまわったあの堀江貴文氏ですら、経歴は東証マザーズ代表取締役にとどまるわけだし。

2009年1月20日 (火曜日)

オバマ新大統領が、リンカーンに倣って列車でワシントン入りすることが報道されている。
これって、どのようなプロモーション効果を狙っているのか想像するに、新大統領の清新なイメージにつなげようとしているのではなかろうか。
数ヶ月前に、公的補助を求める米自動車業界のトップが、専用ジェット機を使ったことに批判を受けたことの裏返しで、列車という手段に質実で庶民的なイメージを重ねることをオバマ陣営は狙ったものか。

さて、リンカーンは第16代大統領である。大統領になったのは1861年。同時期の日本のトップは14代将軍徳川家茂である。西郷や坂本など、維新の立役者が表立った活動を始める直前くらい。新撰組もまだない。
そんな時代であるからして、鉄道というのは最先端のトランスポーテーションだったのではなかろうか。
内燃機関による自動車も、まだ生まれていない。
鉄道でなく、陸路を行く乗り物といったら、もっぱら馬車だったと思われる。

だから、リンカーンが鉄道でDC入りしたというのは、現代でいえばスペースシャトルに乗ってホワイトハウスに入ったというような意味合いだったのではなかろうか。←極端。

2009年1月19日 (月曜日)

青少年と家庭・学校・地域がつながりを持つことで、青少年のコミュニケーション力を高め、さらには子どもたちの居場所作りが一層図られることを目指し(中略)、この取り組みの一環として、家族でつながり、親子でふれあう機会の充実を目指し、さらには家族に対する感謝の気持ちを育てていくため…

このような趣旨・目的のために、なにをするか、お判りになるだろうか?

答えは、「お弁当の日」である。

なんだかよく分からないが、今日は給食も出ないようで、朝から子供に一緒にあたふたと弁当作り。

その後、通院。

2009年1月18日 (日曜日)

ホームページのほうへのアップロードが、最近よく失敗するなあと思っていた。
Windowsが勝手にバージョンアップされていくので、何やら不都合が発生しているのかいな、などと考えていた。一旦削除して、もう一度アップロードし直すなどの方法で対処していた。
しかし、先日原因が分かった。甚だ単純な理由だった。

容量オーバー。

追加料金なしで使えるサーバーの容量に、いつの間にやらギリギリ近づいていたようだ。

私が使っているFTPでは、すくなくとも単純なエラー・メッセージとして、「容量を超えています」というようには出て来ないので(そういうのがあるのかどうかも知らないけど)、しばらく分かっていなかった。

それにしても、ホームページ用のサービスよりも、blogサービスのほうへの容量が40倍ほども大きいというのは、どうなのか。

ちなみに、容量がいっぱいになったのは、ストレージ代わりにどこにもリンクを張っていないファイルをいくつか上げていたのが主因で、ホームページの内容が大変に充実したということは、まったく意味していない。
単に、削除するのを忘れていただけ、ともいう。

2009年1月17日 (土曜日)

20090119_enmanji
我らが円満字氏の最新作ちくま新書を買う。
おっと、いつの間にフリーとして独立していたのか。

2009年1月16日 (金曜日)

みすずかる信濃の空は広くして

これは私が出た小学校の校歌のサビの部分の歌詞である。
学制によってできた小学校で、私が入学した年に百周年の記念式典が催されたくらい古く、その校歌も文語調で小学生の分際にはよく分からない言葉が羅列されているのだった。

さて、冒頭の「みすずかる」であるが、これは古文で習うところの枕詞である。
枕詞とは、要するに、この言葉はこの言葉の修飾語として使うものだぞよ、という決まり事であろう。だから「たらちねの」とくれば「母」と続くし、「ちはやぶる」とくれば「神」と自動的に続く。
「みすずかる」は「信濃」にかかる。もちろん現役小学生でこの校歌を歌っていたときにはそんなことは露知らず、枕詞だと気づいたのはだいぶ後になってからのことである(百人一首にこの枕詞を使った和歌があったら、分かったかも知れないが、ない)。

2009年1月15日 (木曜日)

発熱。喉が痛いので、典型的な風邪だろう。がんばれ、免疫くん。もう大腸はないから、存分に働いてくれ給え。

2009年1月14日 (水曜日)

事業会社である発行会社の本音は、投資家(investor)だけいればよくて、投機家(speculator)は要らない、というものらしい。

もちろん、公開市場で資金を調達しようという以上、それは勝手な言い分であることは分かっているのだが、それでも、短期で売買をする投機家を必要悪くらいにしか捉えてはいないと言っても、あながち違ってはいないのではなかろうか。

市場に資金が入ってこなくてはならないのは分かる。そのためのインセンティヴとして、投機的欲望をもった者が市場に入ってくるのは仕方がない。しかし、願わくは、自分たちの事業計画に賛同してお金を出して長い目で見守ってくれる「筋の良い」投資家が望ましい。

これが事業会社の本音ではなかろうか。
自分にお金があったら、公開しない方が、好きなように出来るし、よく使う常套句「機動的な」経営がしやすいのは間違いあるまい。

などとあらためて考えていたら、今日のNK新聞には岩崎小弥太の言葉として、ある囲み記事に冒頭こうあった。
「我々の仕事には原則としてどこまでもスペキュレーションは排斥したいのであります(1920)」

ふ~ん。

2009年1月13日 (火曜日)

20世紀ポップス・シリーズ(*1)第五弾くらいを書いてみようかと思い立ち、音源を掘り出してきて聴いてみた。

かなり久々に聴いたせいか、思っていたのといろいろと感じが違う。何となく高い(*2)。

そこで登場する歌詞の一節(*3)。

針がおりる瞬間の胸の鼓動焼きつけろ

ここで登場する「針」であるが、初めて聴いたときからずっと「レコードの針」(*4)であると解釈していた。

そもそもこの曲を取り上げようと思ったのは、この曲が今からちょうど20年前の曲だということに気づいたからである。
昨日成人式を迎えた方々が生まれた年であるから、習俗もずいぶんと変化してきているわけだ。
われわれには自明の「針」であるが、今の若い人たちには分からないのかも知れないなあ、と感慨を深めていたのだが・・・・

聴いていた音源は、当時入手したオリジナルな物のはずなのだが、CDなのだった、既に。

なお、アイディアが上手いことまとまるか分からないので、譜面になるかどうかは不明。

(*1) 20世紀ポップス・シリーズとは、私のなかだけで勝手にシリーズ化されている譜面群である。直近の作品は、"Tout Tout Pour Ma Chérie"
(*2) 何となく高く感じたことが、私に絶対音感があることを意味するわけでない。
(*3) この歌詞は、1番のいわゆるBメロの部分。
(*4) 今気づいたが、レコードの針といえばダイアモンドではないか。

2009年1月12日 (月曜日)


娘が何やら書いていた。
「見ちゃダメ」というので、見ないでいた。書くのに熱中して、昼ご飯も食べようとしない。
「ラーメンのびちゃうよ。ラーメンは素早く食べないとダメよ」

夜、出来たらしい。
新作絵本といっていた。
全28ページ。

2009年1月11日 (日曜日)

アルコール摂取の練習道具。

20090112_bier1

ん?

縮尺的には、次のようになる。バザーで奥さんが私用に買ってくれた。10円だかそのくらいの値段。
クリックで拡大。隣にあるのは500ml缶。

20090112_bier2

2009年1月10日 (土曜日)

アルコールを摂取する練習。

2009年1月 9日 (金曜日)

以前(2002年頃)唱えられるようになったときから、私はワークシェアリング論者である。

その時はしばらくして日本の景気が回復し(たとされ)、ワークシェアリング論はいつの間にやら立ち消えになったかの感があったが、昨今の金融危機に端を発する(とされる)不況期において、またぞろワークシェアリング論が唱えられるようになっている。

人事労務担当の目からは、ワークシェアリングというのはあり得ない考え方というのが一般的なのではなかろうか。
つまり、ボーナスでない基本賃金を下げることは最後の聖域であって、それを行うにはとてつもない困難がある。労組(つまり従業員)が納得するわけがない。
このような感覚である。

ワークシェアリングとは、雇用を確保するために、今ある仕事を分け合うという考え方である。
従来は100あった仕事を100人でしていたのに、不況で仕事が80になってしまったという状況に対して、人を20人解雇してコスト削減するのではなく、100人で80の仕事を分かち合うというアイディアである。80の仕事からは80の収益しか得られないので、働く人の給料は今までの80%に減るが、ともかくも雇用は確保される。20人を解雇(日本ではこれをリストラと呼ぶことが多いが)する方法だと、80人は今までの生活水準を保てるが、20人は失業者となってしまう。それよりは、給料を減らしてでも仕事を分け合って、100人みんなの雇用を確保するほうが、社会的安定に資するだろうという考え方である。

一番抵抗があるのは、給料が減るという点であろう。
今までの8割だけ仕事をすればよくて、勤務時間も9-5時だったのが、9-3:30となるとは言え、給料まで8掛けになるのは困るという声が高いであろうことは予想できる。

しかし、私個人はそれでぜんぜん構わなかったりするのだ。

世の中には、3:30に会社が終わったって、することないし、困る、という人も多いかも知れないが、そんな人には言い方を変えよう。

勤務時間は、10:30-17:00になる。

これだとちょっと魅力的に思う人もいるのではなかろうか。

いや、そんな所定労働時間だけ減らしたって、どうせオレの仕事はそんな減りはしないんだから、結局残業が増えるだけで、残業代なんて出るわけないんだから、結局給料は減ってサービス残業が増えるだけさ。

おそらく、これがワークシェアリング論に対する反対論の大勢なのではなかろうか。

いやあ、働く日本人。頭が下がります。

私は、個人的に恵まれているだけなのかも知れないが、給料半分・労働時間半分だったら、そちらを取る。

ちょいとばかり偉そうなことを言ってしまうと、今後の日本社会においてこの問題を考えるポイントは、アンペイドワークをどう捉えなおすか、ということだと思う。

片仮名を使ってそれっぽく表してみたが、要は「家事」をどう捉えなおすかということである。

従来は家事労働が数値として表面化していないため(アンペイドなので、感覚としては無償奉仕のように捉える向きもあり)、家計上「外貨」(すなわち給料)を稼ぐ人(多くは成人男性)の給料がその家計のスケール全体を決めているかのように捉えられてきた。というか、現にそう思っているのが大勢であろう。

いわゆる専業主婦が家事や育児をこなし地域活動に勤しみ、あまつさえ夫の親の介護に身を捧げても、それはアンペイドで金銭的な評価をされないのが普通とされる。
それらの「仕事」は、その家の家計のスケールを計る際には考慮に入れられず、物差しとなるのは夫の給料だけとなっている。

私は別に、それらのアンペイドワークをすべて金銭評価し、金銭を支払うようにせよ、と主張するつもりではない。
そういう家があってもよいが、それはギスギスしすぎると感じる向きがあるのも理解できなくはない。

だがしかし、世の中はこれらのものに対しても、昔よりは金銭評価するようになってきているということは言える。
それは、専業主婦に対して給料を払う夫が増えているという意味ではない。

育児、介護など、昔だったら家庭のなかで行われてきた事項が、確実に「アウトソーシング」され、そのためにペイドワークになっているということを言いたいのである。外食が多い家庭だったら、食事の用意という家事もアウトソーシングしていると捉えることができる。

アウトソーシングすれば、それには金銭が必要となる。
だから、ますます「外貨」が必要となる。
ワークシェアリングなんかして、給料を減らされるわけにはいかない!

ワークシェアリングに対する反対論は、こういう思考経路をたどるのではなかろうか。

けれども、そんな何でもかんでもアウトソーシングして、果たしてそれでいいのだろうかと、このところ漠然と感じているのである。

育児も介護も食事も外に出して、いったい家庭にはなにが残るかという問題だけではない。

会社の仕事といった点でも、何でもかんでもアウトソーシングしていいのだろうかと思うのである。それは外に出したほうが体裁の良いものが出来るけれど、それでいったい中に何が残るのだろうと疑問を感じることがないではない。多少格好が悪くたって、自らの手でやったほうがいい場合もあるのではなかろうか。

喩えは変だが、アンサンブル団体が編曲をすべて外の専門家に頼み、足りないパートは上手いトラを頼みまくって、ハイレベルの演奏を実現したとして、それで面白いと思えればよいが、果たして面白いと思えるだろうかということである。

必要なのは、価値観のシフトなのだと思っている。
果たして、今アンペイドとされているワークを、そんなにないがしろにしてよいのだろうか。
外貨を稼ぐためだけに精魂を費やしすぎるのは、ポートフォリオとして偏り過ぎていて、実はリスキーなのではなかろうか。
(古典的な例として、定年退職後熟年離婚される夫など)

ワークシェアリングによって、我々は金銭的収入の一部を失うかも知れないが、フリーの時間を手に入れることができる。これを契機に、今までアンペイドであったワークに光を当てなおすべきではなかろうか。

これからの日本に求められるのは、金銭的な目盛りだけでは計れない価値観を認めていくことだと思う。アンペイドワークを挙げたのは、その一例である。
別にアンペイドなことをしなくても、フリーな時間に副業をしたってよいだろう。そのほうが雇用リスクヘッジには寄与するのではあるまいか。

こう書いてくると、どうも教科書的になって、上手く伝わらない気がする。

などと偉そうなことを書いてしまったが、単に拝金主義が性に合わないというか、金銭を稼ぐ能力に長けていないので僻んでるだけともいえる。
加えて、単に働くのが嫌いな怠け者なだけともいえよう。消防団に入ろうと思うわけでもないし。

2009年1月 8日 (木曜日)

ごく一部にしか分からないであろうための記録。

奥のほうから、エベレスト、樹氷の家、みはらや、ベルガヒュッテ、白樺ヒュッテ、中倉ヒュッテ、ふじか荘。

下から見上げて、右手に第2、左手に第1と後に第3。第2が一番上まで行って、そこから林のなかを右手に突っ切っると比較的なだらかなファミリーゲレンデの上部に出る。第2からそのまま下ると最も急な「林間コース?」

記憶では、1975か76年当時、「ロープ」が稼動していた。

2009年1月現在、リフトは一部支柱を除いて完全に撤去されていた。
天然のハープパイプのごとき「林間コース」には細いながらも新しい木立が育ち始めていて、そのままではゲレンデとしての使用は不可能っぽかった。
特徴的な「トロイカ」のみが運行している(記憶では定かでないのだが、これは一番昔からあったそうだ)。

冒頭記したなかでも、営業しているのは半分ほどであろう。一番よく行ったエベレストももう閉められているようだ。

最後に検索キーワードのためのテキストを置いておく。山田温泉スキー場。

2009年1月 7日 (水曜日)

「とん八」という名前の店は、きっと全国に何軒もあるのだろう。

私の知るとん八は、八戸にある(正確にいうと、あった、ということになるらしい)。
八戸のとんかつ屋なので、とん八。という理由で名づけたかどうかは定かではないが。

めちゃくちゃ分厚いとんかつを揚げるのが名物だった。

ヤマカズさんの訃報を知ったのは、休みの日の晩にはいったとん八で読んだ夕刊によってだった(いや、もしかしたら「ぜい六」だったかな)。
初ピストンに向かう際に礼服を忘れる原因となったのは、間違いなくとん八での飲み会だった。エッセイでは店の名を明示していないが、記録によると「とん八」と書いてある。

2009年1月 6日 (火曜日)

岩波基本六法にしてみる。決してマジョリティでないところが不安だ。
しかし、編者のうち神田先生、芝原先生は私に単位を下さった方なので、ご信頼申し上げる次第なわけである。

ポケット六法も昔の小六法くらいの厚みがあるが、商標法が載っていなかったのが、岩波にした理由である。

2009年1月 5日 (月曜日)

前述したバザーのときに雑巾を買い損ねた----買うつもりもなかった----ので、2枚をせっせと縫った。

2009年1月 4日 (日曜日)

お通夜。

子供の保育園のときの同級生のお父さんが、大晦日に突然亡くなられた。

Aっ君よ、何かあったらオジサンたちを頼るのだぞよ。

2009年1月 3日 (土曜日)

学校のシステム。

うちの子が通う小学校では、秋にバザーという催し物がなされる。
1年生(のPTA)は「雑巾」と決まっているので、1人4枚出すようにとの指令が夏休み前に流れてきた。指令に従って、私が2枚、奥さんが2枚雑巾を縫ったのであった。
(今思ったが、うちの子の学年には双子のところもある。そこは8枚縫うのか。大変だ)

うちにはミシンがない。

雑巾縫うごときだけのためにミシンを買う気はないので、手で縫うわけだ。
その雑巾は、1枚10円だか50円だかで、バザー会場で売られるのである。
奥さんなどは、自分の時給と照らし合わせ、作った雑巾の値段を量っていた。たぶん数千円になる。日本で物が安く手に入るのは、ほかの労賃が安い国のおかげであることを身に染みて感じる。このような豊潤さをいつまでも享受できるはずがないと思う。

話が外れた。

私はこの雑巾製作指令が来たときに、「果たしてそんなに雑巾の需要があるのであろうか?」と思ったのである。

けれども、バザー当日、雑巾は早々と売り切れていた。

えっ、本当に売れるんだ。みんな、そんなに一生懸命掃除するのか?

私には驚きであった。

子供が冬休みに突入して、謎が解けた。

「先生がね、雑巾が汚くなったから、新しいの持ってきてくださいって」

子供が差し出した雑巾は、確かに薄汚れているが、石鹸でばーっと洗えば、まだまだ使える状態である。

しかし、冬休み明けには新しい雑巾を持っていかなければならない。

そうかあ、みんなだから雑巾を買っていたのかあ。

またひとつ、学校のシステムの謎が解けたのであった。

まあ、別にスーパーで雑巾買ってくればいいんだけど(何しろ、学校用品売り場に売っているからなあ)。うちにも余っているタオルがたくさんあるので、それを雑巾に仕立てないと、もったいない気がするのだ。

2009年1月 2日 (金曜日)

うちの子は都会っ子だなぁ…と思うことがあった。

首都圏においてC葉市が都会かどうかは議論のあるところだろうが、私の実家の辺りからすると、C葉市に住んでいるのは都会っ子なのである。

年末年始に、病院で当直をしながら年を越す奥さんを独り残して、子供と帰省した。
翌朝うっすらと雪が積もっていた。積雪1cmほど、日が射せばあっという間に溶けてしまうくらい。

それでも子供はきゃっきゃと大喜びをする。

(これが都会っ子だと改めて思った点では、まだない)

朝ごはんも早々に、子供は一人庭に飛び出していった。
手袋も帽子もせずに行ったので、中から渡してやる。子供は一人雪で遊んでいた。

気がつくと、子供は雪玉をまるめて地面をコロコロ転がしている。
うっすらとしか積もっていないので、雪玉はなかなか大きくならない。
子供は庭の雪を一片も残さないかの勢いで、根気よく雪玉を転がし、積もった雪を貼り付けていく。

そして、確かに、小ぶりながら、雪だるまは完成した。
20071231_yukidaruma

弟も雪だるまを見て驚いていた。
「あれ? どうやって作ったんだ?」

私(たち)が驚いたのは、根性入れて雪だるまを作り上げたことではなく、そもそもあれくらいしか雪が降っていないときに、雪だるまを作ろうなどと発想したことに対してなのである。
たぶん、この辺の人たちなら雪だるまを作ることを頭に浮かべもしない積雪1cm。

何cm積もれば雪だるまを作ろうと思うかというと難しいが、10cmくらいからではなかろうか。
カマクラを作ろうと思うには、50cmは必要であろう。

うちの子は都会っ子だなあ、と思った所以である。

2009年1月 1日 (木曜日)

あけましておめでとうございます。

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年賀状の代り。

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