全価値観をかけておすすめされたからには、特に予定もないし、チケットは余裕で手にはいったので、上野の森まで出かけてみた。
武満感性と並んで、メシアン感性も持ち合わせていないと自覚する私であるが、確かにメシアンは圧巻だった。詳細別途。書けるかなあ?
ちゃかすような、まったく関係ない話だが、手許の変換ソフトは、全価値観の第一候補を、前科痴漢と変換してくれた。
全価値観をかけておすすめされたからには、特に予定もないし、チケットは余裕で手にはいったので、上野の森まで出かけてみた。
武満感性と並んで、メシアン感性も持ち合わせていないと自覚する私であるが、確かにメシアンは圧巻だった。詳細別途。書けるかなあ?
ちゃかすような、まったく関係ない話だが、手許の変換ソフトは、全価値観の第一候補を、前科痴漢と変換してくれた。
他人に対して賛嘆の意を表すときに、「さすが」という言葉を使うときがある。
卑近な例では、難しいパッセージを見事に吹きこなすAくんを見て、「さっすがー!」と使うわけだ。
この、さすが、英訳ではどうすればよいのであろうか?
手元の和英辞典ではジャストフィットする言葉はないようで、「さすが期待どおりだ」という意を込めた訳が挙げられていた。
前記卑近例では、You play the trumpet very well, as may be expected.というような感じになると思われる。
そうかぁ、「さすが」には「期待したとおり」というニュアンスがあったのかと改めて思う。
でも、辞書を引かなければ、国語および英語力に乏しい私なら、次のように言うかな。
You're great!
英語的に正しいかどうかは知らない。
「さすが」は漢字では「流石」と書く。
当て字らしいが、これは夏目漱石の筆名のもととなった漱石枕流(本当は枕石漱流の言い間違いという故事)から来ているという説もあるらしい。よく分からん。
「流石」だけを見る限り、意を汲んで英訳すれば The Rolling Stones。
「さっすがー!」は、"You're the Rolling Stones!" あるシチュエーションなら意味が通じるような気がしないか? ……しないか。
「年をとると、もの覚えが悪くて」という台詞があるが、自分もそうなっていると感じることもある今日この頃。
例えば、人の名前が出てこない。
演奏会場で知人を久方ぶりに見かけたとき、「あれ、確か知っている人だけど、なんていう人だっけ?」と密かに思い悩むこともある。しかしこの場合でも、楽器関係の人だと、名前は思い出せなくてもその人がなんの楽器なのかはパッと分かるというに気がついた。
つまり、「えーっと、確か見たことある人だよなあ。何ていったっけかなあ? えーと、ファゴットの…………、○何とかさんだよな、確か…………、うーんと、あっ、○×さんだったはず!!」というような思考経路をたどるのである。
どうやら、楽器関係の知り合いはどの楽器かというカテゴライズをしているらしい。
(続き)
現在の世界を覆っている「テロ」の概念は、2001年の9.11事件に帰することが大きいだろうが、テロリズムという言葉自体はもっと古くからある。
昨今のこの言葉を使用は、私にはかなり場当たり的に思える。そこで、戦後の日本の事件について、新聞報道がどうなされたのか調べてみた。
当の9.11であるが、それを伝える朝日の一面には「同時テロ」の言葉が早くも掲げられている。これは当然ともいえよう。
要人を狙ったという意味において取りあげられる警察庁長官狙撃事件(1995年)を見てみよう。
今般の事件において、「過去のテロ事件」として取り上げるこの事件に対して、当時の報道では必ずしもテロという言葉を使っていないことに注意を要する。
この狙撃事件は、オウム真理教の事件と深く関わっているとされる。オウム真理教が起こした地下鉄サリン事件(1995年)についてはどうであろうか。
読売こそ号外で「劇物テロ」という言葉を見出しに振っているが、朝日も毎日も「テロ」という言葉を前面に押し出していはいない。
政治的目的のため集団的に暴力を用いる、という点からは、連合赤軍のあさま山荘事件(1972年)などは、そのまま当てはまると思うのだが、これを報じる新聞にもテロの文字は見当たらない。
要人を狙った事件では、1971年の師走に起きた刑務部長宅の爆破事件が挙げられる。
実は、私はこの事件およびその関係者のことを長じるまで知らなかったのだが(リアルタイムでは4歳……、ちょっと分からないわな)、当時の新聞を見返してみると、いろいろと感じるところがある。探しだした新聞の縮刷版では、一面に関係者の談話が載っていた。
この痛ましい事件であるが、その新聞報道にもテロの文字が躍っているわけではない。
当時の後藤田正晴長官のコメントでも「無差別な凶悪行為」という表現がなされている。
うーん、この時代の日本語表現は、かなり好ましく感じられる。
時はさらに遡って1960年。
社会党の浅沼委員長が、演説の壇上刺殺されるという事件が起きた。この事件に対して、当時大宅壮一は「ナンセンス暴力」「わけのわからぬ暴力」という言葉を当てていて、テロとは書いていない。ただ、当時の警察庁長官は「テロ」とコメントしており、それを受けてか朝日も「テロ」の文言を使っている。
浅沼委員長の事件は10月だが、それに先立つこと数ヶ月、同じ年の7月には、なんと現役の総理大臣が凶刃に狙われるという事件が起きている。ただし、首相は一命を取りとめた。彼はその後も長命を保ち、亡くなったのは事件後27年も経ってからである。そのせいか、この事件は記憶から薄れている感があるが、現役首相の暗殺未遂事件は軽いものではあるまい。
その現役首相とは、岸信介。
ただし、現役首相とはいえ、すでに辞意表明をした身であり、刺されたのは次期総裁の祝賀の席であった。つまり、今年9月の福田首相、去年9月の安部首相(岸首相の孫だ)と同じ境遇だったのである。大物さ加減はだいぶ違うが。
とはいえ、現役首相である。未遂とはいえ、凶刃は岸の身体に達しているのである。
これに対しても、当時の新聞はテロの言葉をあまり使ってはいない。
なお、岸のこの事件の報道を読んでいて興味深かったのは、犯人は「居合わせた代議士らにその場で捕まった」と書かれていることであった。当時の代議士の剛直さが窺われよう。
(続く?)
テロという言葉の用法が気になったので、ちょっと調べてみた。
岩波国語辞典[第4版](1991)
テロリズム…反対者(特に政府の要人)を暗殺するとか、国民を強権でおどすとか、暴力や恐怖によって政治上の主張を押し通そうとする態度。
ロングマン現代英英辞典(オリジナル1978)
terrorism…the practice of using (threats of)violence to obtain political demands
概念に一定の方向性が感じられる。
私が気になったひとつは、今般の厚労省OB殺人事件に関する閣僚やコメンテイターと言われる人たちの発言なので、法律的にどのような定義になっているか調べてみる。
有斐閣法律用語辞典[第3版](2006)
テロリズム…政治団体により政治目的のため組織的・集団的に行使される暴力。
三省堂コンサイス法律用語辞典(2003)
政治目的を達成するために、暴力を用いたり威嚇を組織的・集団的に行う行為。
なお、多分テロ特措法には、テロの定義は書いてなさそうである。
以上のように辞典的定義を並べてみると、政治(poritical)と暴力(violence)という概念がポイントであることが窺われる。
上記のなかでは、ロングマン英英辞典の定義が最も広い範囲をカバーするであろう。
法律用語辞典では、それに加えて組織的(集団的)という概念が加わってくる。
それからすると、伊達邦彦等の大藪春彦作品のヒーローは、すべからく一匹狼であって、独りで巨大組織に立ち向かう。確かに、大藪作品にはテロ(リズム)という言葉がそう出てきていないと思われる。
(続く)
本郷の東大構内には池がある。
漱石の『三四郎』に登場するのにちなんで、三四郎池と呼ばれるようになった有名な池である(本名は育徳園心字池)。
これに対し、駒場の東大教養学部にも池がある。その名を一二郎池という。
私は長いこと、これは戯れに言われている俗称だと思っていた。
この池には、これを見ると浪人するとか、留年するとかの学校伝説の尾ひれがついている。奥さんに訊いてもそう言っていたし、Wikipediaにもそう出ているので、有名な話のようだ。
だいたい一二郎池なんて、ふざけた名前ではないか。
と思っていたら、公式にもこういう名前らしい。
東大教養学部(駒場のこと)の案内板にも、一二郎池と記載されているようだ。
さて、私たちの世代の感覚では、一二郎池というと、「寮の裏の未開の湿地帯の窪地の下の方にある池」である。
説明が難しいが、一二郎池は、駒場のキャンパスでも一番外れの奥地にあり、駒場生でも足を踏み入れることは滅多になく、なかには一二郎池の存在を知らない者もいるというくらいである。
三四郎池が、キャンパスの真ん中にあって、文学作品の舞台にもなり、散策する一般市民の憩う場所にもなっているのに比べて、一二郎池は、キャンパス的に何の機能も果たしていない、足を踏み入れるにも藪漕ぎが必要な、放っぽらかしの巨大な水たまりである。
私は密かに都心のミステリーゾーンではないか、と思っていた。
ここなら、死体を人知れず隠しておけそうだと、推理小説を書こうかと思ったくらいだ。
東大にはそのような場所がある。
数年前に、本郷の医学部の建物の脇で白骨死体が見つかったという報道がされたとき、さもありなむと感じたものである。
けれども、寮が廃止され撤去され、昔の学生会館も壊されようという今日、一二郎池にもついに再開発の手がはいるらしい。
まあ、それが当然なのであろう。
寮が廃止されたときには、かなりの反対があったようだが、今ではすっかりと昔の面影はなくなり、そこだけ八王子とかつくばの学園都市の新設キャンパスか(私のイメージ)と思うような、ガラス張りの瀟洒な建物が並び、手なずけられた緑の庭が小ぎれいなスペースと化している。
それが世の流れであろう。
1986年当時、私が入学した時も、入寮を奨める声もあったのだが(祖父など)、正直気が進まずお断りしたものだし。
とはいえ、往時の放っぽらかしのミステリーゾーンを知る身としては、ちょいとばかり惜しくも感じる。
邦題については興味深いことがいろいろあるのだが、存外に奥が深い世界で、なかなか調べようにも分からないことだらけである。
前に「オリーブの首飾り」について調べようと思った。
「オリーブの首飾り」についての課題は2点あり、1つは"EL BIMBO"(「イケてるネエちゃん」くらいの意味だろうか?)が、何をどうしたら「オリーブの首飾り」になったのかという点と、この曲が手品のBGMの代名詞のようになったのにはどのような経緯があったのかという点であった。
今までのところの調べでは、次のようになっている。
(1)「オリーブの首飾り」という邦題はどのように生まれたか?
結論から述べると、当時の音楽ディレクターの思いつきである。
思いつきと言って悪ければ、販売戦略である。(*)
どこから思いついたかは、今となっては当のディレクター(K氏とおっしゃるとのこと)に訊いてみなければ判らないが、一説には輸入盤のジャケット写真を見て思いついたというのもあるらしい。
原題をカタカナにするだけでは、「エル・ビンボー」でなんとも貧乏臭かったから何か邦題をつけなくてはならなかったという説もあるが、権利関係がそううるさくなかったと思われる当時は、日本で受けるような邦題をつけるのが普通の文化だったのであろう。
ともかく、担当者が曲のイメージからつけた邦題であると考えられる。
(2)「オリーブの首飾り」が手品のBGMの代名詞のようになったのはどのような経緯によるか?
こちらの方が、調べは進んでいないのだが、Wikipedia情報では、マジシャンの松旭斎すみえさんが使い始めて広まったようである。
(*)この件に関しては、ユニバーサルミュージック(株)から親切なご教示をいただいた。代表あてに書状で質問状を送ったら、カスタマー・サービスセンターから丁寧な返書をいただいた。感謝申し上げる。もちろん、当の返書には「思いつき」などという乱暴な文言は使われていない。文責はすべて私に帰する。それにしても、一銭にもならない質問に、このように手間をかけて答えてくれると、その企業体に対する信頼感というのは高まるものである。
とあるラーメン屋。
派手なシャツを着て、パンチパーマにサングラスをかけた男が入ってくる。
男は椅子にどっかと腰を下ろすと、横柄な調子でラーメンを注文する。やがてラーメンが出てくる。
突然、男が立ち上がり、激しくまくしたてる。
「なんだぁ、おい! この店ではこんなもん客に喰わせるのかっ!」
男が指すドンブリのなかには、ゴキブリの死骸が浮いていた……
以上は、因縁をつける、という典型的な場面ではなかろうか。
ところで私は不思議に思うのだ。
あのゴキちゃんは、いったいどこから出てくるのであろう?
やはり、パンチパーマの男が持ち歩いているのだろうか。だとしたら、パンチパーマも因果な商売だ。
何故なら、持ち歩くためには、ゴキちゃんを採取しなくてはならないわけだ。
ゴキちゃんは、望みもしないのに出現するわけだが、いざ捕まえようと思っても、そう捕まるものではないのではなかろうか。ゴキブリホイホイを仕掛けておけば、ホイホイ捕まるかなあ?
しかも、それをポケットか何かに忍ばせてラーメン屋まで出向かなくてはならないのである。けっこう大変ではなかろうか。
「トランペット100曲集」(全音…新版ではないやつ)をつぶさに見ていると、なんとも無理やりなタイトルが散見され、楽しい。
それを「二二・ロッソ・オリジナルヒット集」と見比べると、その無理やりなタイトルの多くが、二二・ロッソ物であることに気づく。
無理やりとは、邦題のつけ方について。
具体的には、どんな曲にも「××のトランペット」というような邦題をつけていることである。おそらくはニニ・ロッソのレコードをプロデュースする会社の戦略だったのであろうが。
話は外れるが、私は原題とはかけ離れた邦題が必ずしも嫌いではない。というか、原題を単にカタカナにしたようなタイトルがあまり好きではないので、無理やり捻ったような邦題でも、それを考えた人の心理などを想像してニヤニヤできるのである。
さて、ニニ・ロッソ物の邦題であるが、一番有名なのはこれだと思う。
(1)夜空のトランペット(*)
原題は、"IL SILENZIO"。英語にすれば、"THE SILENCE"。
これを「夜空のトランペット」としたセンスには、私は素直に脱帽したいと思う。
しかし、そのあとこのパターンが続くのである。つまり「××のトランペット」である。
「トランペット100曲集」に載せられたものも合わせて、並べてみよう。
(2)夕焼けのトランペット:BALLATA DELLA TROMBA
(3)夜明けのトランペット:AL MIO AMORE
(4)青空のトランペット:BLUE SKY
(5)愛のトランペット:TU CHE M'HAI PRESO IL CUOR
(6)青春のトランペット:I VERDI ANNNI
(7)平和のトランペット:SONG OF PEACE
(8)さすらいのトランペット:QUEL VAGABONDO
(9)追憶のトランペット:NOSTALGIA
(10)バラ色のトランペット:ROSES FOR YOU
(2)~(4)などは、邦題だけ見ていると「夜空のトランペット」シリーズと見間違えるが、原題と見比べれば解かるとおり、まったく別個のものである。
「××のトランペット」を捻りだすのに、曲を聞いたイメージから案出していると思われるもの(夜空etc.)もあれば、原題の字義を借りて、語呂だけ合わせてトランペットを引っつけている安直なものも見受けられる((5)~(10))。
念のため申し上げておくと、(4)「青空のトランペット」に関しては、こちらが原題で、"BLUE SKY"がそれにつけた英題のようである。作曲者がJUN ITOHという人になっているので。どんな曲か聞いたことがなく知らないのだが、譜面(コード+メロディー)を見ると、何か「夜空のトランペット」の影響を多分に受けた形跡が見受けられる。なにやら謎の曲である。私が生まれた年に作曲されたようで、「夜空~」の2年後。
正確性を期すために記しておくが、( )内の数字の順が曲が生まれた順ではないので、必ずしも「夜空~」の二匹目のドジョウを狙ったわけでもないと考えられる。
クラシックの曲をトランペットで演奏して、「××のトランペット」にしているのもある。
(10)夢のトランペット:シューマン「トロイメライ」
(11)追憶のトランペット:モーツァルトの子守歌
(12)郷愁のトランペット:ドリゴのセレナーデ
「××のトランペット」ではないが、クラシックをトランペット物にしている例はほかにもある。
(13)トランペット・セレナータ:シューベルトのセレナーデ
いやはや、なんとも。
極めつけはこれであろう。
(14)別れのトランペット
この曲の原題として流布している邦題自体が意訳の感があるのだが、ようするに「蛍の光」である。
いやはや、これにて了。
(*)初めて吹いているところを見たが、すごい角度である。普通のトランペットが、ガレスピー・モデルと見間違うほどだ。
資料用CDと、そうでないCDの区別は、おそらく自分にしか判らない基準によっている。
手許には、トランペット物のCDも多い。このうち、例えば、「トキノコダマ」は資料用CDではないが、「ニニ・ロッソ・オリジナルヒット集」は資料用CDである。
ところでこの二二・ロッソのCDなのだが、ジャケット写真をよく見ると、大変興味深いことが窺える。
なんと、二二・ロッソは左手でピストンを操っており、彼の吹いているトランペットもそれに合わせて左手用に作った特殊仕様なのであった!!
なんちゃって。典型的な裏焼きの例で、私はこの一点だけでこのCDを気に入っているのだ。
デジカメ全盛の現在では、まあ、ないであろうエラーだろう。
これに関連した資料用楽譜集ということで、全音の出した「トランペット100曲集」というのがある。
これは裏焼きをしているわけではないのだが、タイトルのところに印刷されたトランペットが、これまた特殊な形をしており、ピストンを下から上へ押すようになっているらしい。ウォーターキーも上向きだし、不思議だ。
って、何でまた逆さに? 仮にも全音だろ、まったく知らない人が校正したわけでもあるまいに。
祝8連敗脱出。
統計結果。
8月 11.6回/日(2時間04分おき)
9月 8.4回/日(2時間51分おき)
10月 6.0回/日(4時間00分おき)
11月 5.5回/日(4時間22分おき)*ただし、17日現在。
そろそろ底を打ったのではなかろうか。他人の体験を聞いても、こんなもんらしい。このくらいなら、実用には耐えられると思う。
フェスタの昨日の演奏会で、いくつも感銘を受けた。
真面目な感想は別に記すことにして、ここでは番外編的なことを書きたい。
感銘を受けたことの一つに、W松さんの軽妙な司会がある。正確に言えば、曲間で、ステージから降りずに、すぐさまマイクを手にして、しゃべり終わると楽器を持って吹き始めるそのスタイルに、である。
同じことを何度も書いているが、これをやる管楽器奏者にはいつも感心する、口は渇かないのか、と。プロだと、森金の杉山さんとか、ジパングの吉川さん。NABEO関係だと、S根さんとかが思い浮かぶ。
ところで、「W松さん」と私は記すのだが、プログラムやウェブサイトで探しても、フェスタのメンバーにW松に相当する名前は発見できない。何故なら、W松さんは、普通に記せば「M田」さんだからだ。フェスタのなかでも、M田(さん)と呼ばれておられると思う。
では何故W松さんと記すかというと、私が初めて会ったとき「この人はW松さん」と教えられたからである。
初めて会ったのは、大学でオケに入った年である。W松さんは2つ上の先輩であった。
新歓合宿というのが5月の連休のときにある。はいって直ぐに山の上まで連れられていく。オケの合宿だから、総勢100名以上になる。金管だけでも、新入生を合わせると30人近い人数だった。夜は当然宴会(コンパと呼んでいたが)。セクションごと分かれる。
その場で、新入生に対しては、先輩の名前をちゃんと覚えているか、ということが試されたりするわけだ。
ここでT大の特殊事情を書いておくと、教養課程とその後でキャンパスが別になっている(駒場と本郷)ため、新入部員が3・4年生の先輩と顔を合わせる機会が少ないということがある。
駒場にいる2年生の先輩とは、ほぼ毎日顔を合わせているわけだが、入部して1~2週間ほどの身では、本郷生の先輩とは距離が遠い。
コンパの席で突然この人の名は?と訊かれても、「えっと…」と詰ることもある。
もちろん、そういうのを打ち解けていくために合宿をしているのだが。
で、そういう席でのことだと思うのだが、W松さん(本当はM田さん)の名の由来についての説明があった。
それは、W松さんより上の楽年に同じM田さんという苗字の方がいらっしゃって、W松さんはその方と区別するために、「若いM田」という意味でW松と呼ばれるようになった、ということであった。
W松といえば、連想するのは会津若松という地名である。W松さんは仙台の出身である。東京からすれば、同じようなイメージがあって(ぜんぜん違う!!)、W松さんという通称が定着したように思われる(^^)。
ともかく、昔からしゃべるのが上手な方であったが、相変わらず聞き手の気を逸らさない司会ぶりであった。
話す内容も興味深かった。
そのひとつに、(トリでやった)『アフリカン・シンフォニー』は、今では甲子園の人気曲で今年は出場55校のうち実に50校が演奏したという話があった。
いったいどこでそんなこと調べるのかい、まさか、甲子園の試合を全部観たのか?と思ったが、元ネタ発見。
そもそも『アフリカン・シンフォニー』を演奏会のトリに据えるとは、何とも大胆なプログラムでは、と聞く前は思ったのである。
ところで、『アフリカン・シンフォニー』の作曲をしたヴァン・マッコイは『ハッスル』の作曲者である。一説には『ハッスル』はスタジオの待ち時間に30分くらいでチャチャッと作ったものらしいが。
で、ヴァン・マッコイには『ディスコ・キッド』という曲もあるらしい(ただし作曲は別の人で、マッコイがアレンジをして録音・リリースした)。もっとも、手元のCDのライナーでは「ヒットした」と書いてあるのだが、私は巷で耳にしたことはない。ただ、そちらは1975年で、課題曲のそれ(1977年)より前。いずれにしろ、世の中ディスコ・ブームだったのね(サタデーナイトフィーバーは1977年。ただし、日本公開は1978年。それを考えると、ディスコ・キッド(東海林版)の先進性がうかがえるでのはなかろうか)。
練文へ。
『ディスコ・キッド』を1回の演奏会で2回(それも違うバージョンで!)も聴かせてくれる団体は、他にはないだろう、フェスタ。
W松さんバージョンの方、冒頭のオーケストレーションが最高。噴き出してしまった(詳細別途後報予定)。
録画したSONGSを観る。
矢野顕子と大貫妙子のデュエットのとこだけは正座して観る。あとは日和って、せいぜいストレッチ。
自分が大変な誤解をしていたことに気づく。
まあ、そういう人も世の中にはたくさんいるようなのだが、ずーーーーっとの間、春の神戸に遊びに行こうよ、という歌だと、ネタでなく、思っていた、春咲小紅。
録画した七瀬ふたたびを観る。
しかし、もう第6回らしい。途中からなので、飛ばし観。原作よりだいぶ膨らませてありそうだが、まあもう観なくてもいいかという感じ。
ところで、『七瀬ふたたび』のドラマ化は2度目なのだが、このタイトルについて。
七瀬というのはヒロインの名前だが、これが「ふたたび」なのは、これに先立つ第一作があるからである。
その作品を、『家族八景』という。
これは私にとって大傑作小説であって、今まで読んだすべての本から10冊挙げろと言われたら、間違いなくランクインする。
今まで読んだ一番「怖い」話は? という問いがあっても、これが真っ先に思い浮かぶ(ほど、怖い場面があったのだ)。
また、たいへんにエロティックな場面もあって、青少年読者の想像をいたくかきたてるのであった。
そういう前作があるから、『七瀬ふたたび』なのである。
つまりは、『帰ってきたウルトラマン』と一緒と言えよう。
ちなみに、筒井さんの七瀬は三部作で、このあと『エディプスの恋人』へと続く。
でも、とにかく『家族八景』の衝撃が私には強烈であった。
彩の国さいたま芸術劇場というホールがある。
演劇を盛んに催している箱だが、アンサンブルでは手頃な大きさの、使いでのいい音楽ホールもあるところだ。
SLBEの演奏会で2度ばかり使ったことがある。
場所は、JR埼京線の与野本町から徒歩10分といったところで、都心からするとアクセスは必ずしもよくはないのが玉に瑕かも知れないが、横浜みなとみらいに行くと思えば同じ程度であろう。
このホールは、1994年に出来たらしい。
私が初めて行ったのは、おそらくその数年後、今の奥さんとガムランのコンサートを聴きに行ったときと思われる。
そのときの印象は「なんだか何もないところにポツンと建っているなあ」というものだった。
演奏会が夜だったので、与野本町の駅から歩いていくときには辺りはすでに暗く、余計そう思ったのかも知れない。
田んぼの真ん中にポンと建っているイメージだった。実際は違うと思うが。
そのあと、何年かして自分の乗る演奏会で久しぶりに行ったときに受けた印象が、「ずいぶんといろいろ出来たではないか」というものである。
最初に行ったときは、たしか駅からホールまでの間にコンビニや店などはなかった。
さて、最初に抱いた「何にもないところ」という感想であるが、このような感想はしばしば抱くものであろう。
見知らぬ土地に初めて行って降りた駅などで、こう思うこともあろう。
例えば、新幹線に乗って、いったいなんでここに駅ができたのか?やはり××議員の力か?などと思うようなところに降り立った場合。東北新幹線のくりこま高原(降りたことない)とか、長野新幹線の安中榛名(降りたことない)とか、そのように感じると予想される。
けれども、「何もない」というのは甚だ不遜というか、一方的な価値観の問題なのであって、日本で鉄道の駅があるようなところ----国有山林の真ん中とかでないような場所という意味になろうか----では、たいてい田んぼか畑かがあるものだ。
そういう風景、田んぼと畑が広がっているような風景を見て、「何にもないなあ」と感じるのは、やはり価値観が偏っているせいであろう。
大分県の教員採用試験に関する不正を聞いて思ったことはいくつかあったのだが、その一つに、「何が不正だったのか?」という根本的な疑問がある。
教育委員会の権限とか、教員採用試験および教員資格については無知なのだが、思うにあれは「公務員だから罪に問われている」のだ。
つまり、公立の小中学校の教員採用に関してだから、問題となっているのである。
逆に言えば、私立学校の教員に自分の子女の採用を望んで、理事長に100万円の商品券を贈ったとしても、犯罪にはならないはずだし、社会的に批判される筋合いもないはずである(そんな学校が嫌なら、とっとと通うのをやめればよい)。
つまり、私立学校の教員の採用は、民間企業の採用と一緒であり、基本的には双方の勝手な恣意で決めればよいことなのだと思われる。
一般の企業で、採用試験などはしても、必ずしもその結果だけでなく、取引先からの依頼等の事情を考慮して誰を採用するか決めるというのは、ままある話であろうし、原則として法的問題はない。
ところで、贈賄・収賄の罪の構成要件として、金品の授受がなければならない。刑法上は「賄賂」と書かれているので、必ずしも金銭や品物ではなく、便宜の斡旋でもよいが、何らかの「見返り」が受け渡されることを想定している。
今回の教員採用に関しては、商品券であったようだ。
だから、今回の事件についても、自分の子女を教員にしたかった親で校長をしていた者などは、ただ「うちの娘を、どうかどうかお願いします」と言うだけにすればよかったのである。
外科医の世界のゴッドハンドについて、実際にゴッドハンドを持つ医師の手術を受けた者の数よりも、自分の手術をしてくれた医師がゴッドハンドであると思っている者の数の方が多いのではないか、と私は推測している。
逆に言えば、手術を受けた(る)側は、自分を手術する外科医がゴッドハンドであると思いたがる、ということである。
この心理は、実際に手術を受ける患者になってみると、分からないではない感覚である。
その手術を受ける場合、症例の多い病院を選ぶのは普通のことだろうし、自分の執刀医が過去に何例もやっている人の方が安心するであろう。それが、ゴッドハンドと呼ばれている人だとしたら、患者としてはこんなに安心なことはない。
えてして自分の執刀医をゴッドハンドだと思いたがる心理は、このようなところから来る。
同じような心理はほかにもあるらしい。
今読んでいる司馬遼太郎作品では、次のようなくだりがあった。
「軍隊では、自分の軍の将が、神秘的なまでの名将であることを望む気持ちが常にある」
死地に赴かなければならないこともある兵隊の立場としては、その長が神性を帯びるほどの傑物だと思いたいのだろう。
オーケストラにも、そういう面がありそうだ。
私たちを振っている指揮者は、もうこれはとてつもなく素晴らしい巨匠だ、と思いたいという心理である(若い指揮者の場合には、飛びっきりの俊英だと思いたい心理)。
つまりは、自分らを統べる者が至高であると思いたがる習性が、人にはあるということだ。
これは多分、そういう至高の者に統べられている自分らは、他よりも一段と上にあると思いたいという、優越感とつながる心理だろう。
新興宗教(別に、新興でなくたっていいのだが)の教祖についても、信者としては、自分のところの教祖さまはスゴいんだと思いたがり、現にそう思っているから信仰しているのだと想像される。
ぜんぜん知らないので無責任な発言になるが、北朝鮮のような国においても、そこにいる国民は、自分たちの指導者は素晴らしいと思っている可能性はある。何故なら、上に述べてきたように、人には、自分らを統べる者が至高であると思いたがる(そのことによって、自分らも他より秀でていると思いたがる)という心理がありそうだからである。
カリスマとは、その周りの者たちが作り出していく心理状況でもある、ということかな。
数ヶ月来、目覚めたとき手指が強張って動かなくなるのは、やはりリウマチなのだろうか。
あれもまた自己免疫系の治らない病気なので嫌だなあ。
と思い、いろいろ調べてもらったのだが、とりあえず、明瞭なリウマチ因子は見つからず、少なくとも治療を要する段階ではないようだ。
よくは分からないが、ステロイド離脱の影響か何かかも知れないね、ということになった。
昨日記した広告の会社は、いわゆるチューニング屋さんのようだ。
広告を見る限り、おもに行っているのは、「コンピュータをいじる」というやつらしい。
車に関する知識など皆無だが、現代の自動車は、高度の電子制御を施されており、エンジンももちろんコンピュータの制御を受けている。逆に言えば、コンピュータをいじることで、車、特にエンジン特性の「印象」を変えることができる。
ただ、普通はコンピュータはブラックボックスとして捉えられている。
この会社は、このコンピュータをいじって、エンジン特性を変化させることを得意の業務内容としているようだ。広告の文言にはこうある。
エンジン内部に手を加える事なくパワー・トルク・レスポンス・ピックアップ・エンジン性能を大幅に改善!!安全でリーズナブルで尚かつ、短時間で完成
マイナスイオンなどよりは、こちらの方が断然科学的であろう。
ただ、個人的には、「改善」かどうかは評価の難しいところで、安易な変更は果たして「安全」なのかという疑問は残る。
メーカーがいろいろと考えて決めた設定を、そう簡単にいじって大丈夫かという気もする。まあ、この会社は、クライアントの意を汲んで、その要望に合わせた変更を行い、改善した気にさせるのが商売の胆なのだと想像される。加えて、(スピード)リミッター解除も請け負っているようだ。そうかあ、リミッターはコンピュータで制御しているんだ。
価格表を見ていくと、「リーズナブル」なのかどうかにも首をかしげてしまう。
(ここで言う「リーズナブル」は、おそらく「低価格」の意味で使っているであろうという忖度をしておく)
価格表はこんな感じである(一部略 1995年以前のモデル分等を除く)。
ベンツ ¥199,500-~¥283,500-
マセラティ ¥320,000-
フェラーリ 360モデナ ¥480,000-
F355/F430 ¥380,000-
ベントレー ¥480,000-
BMW ¥178,500-~¥392,700-
ポルシェ ¥273,000-~¥380,000-
一見して思うのは、けっこういい値段だということである。
もっとも、このような高額の車を買う人にとっては、そうたいした負担ではないのかも知れない。
ちょっと面白いと思ったのは、上の価格が車の価格との相関しているうように見えることである。
試みに、上記のチューニング価格と車の価格を並べてみる。分かりやすいように、安い順にする。なお、車種はいろいろあるので価格の幅は広く、これよりもっと高いハイエンドの車種もカタログ上あるので、私の独断による「だいたいこんなもんだろう」という価格を入れてあることをお断りしておく。
BMW ¥178,500-~¥392,700- 400万~1700万
ベンツ ¥199,500-~¥283,500- 450万~2960万
ポルシェ ¥273,000-~¥380,000- 600万~2600万
マセラティ ¥320,000- 1500万~1700万
フェラーリ ¥380,000-~¥480,000- 1700万~2400万
ベントレー ¥480,000- 2300万~4000万
理論的には、値段の高い車のほうが、エンジンの気筒数も多く、コンピュータの制御もより複雑であることは予想されるので、それなりにコストを反映した値づけなのかも知れない。
けれども、なんとなく、クライアントの財力に応じた大雑把な値づけという気がしないでもない。
車の雑誌で、読んでいて一番面白いのは、何といっても怪しげな広告である。
最近のお気に入りは、チューニング系グッズの広告。
実名を出すのは控えるが、その製品にはこういう効果があるらしい。
どうしても気になる方がおられるかも知れないが、WEB上にもサイトがあるので、下のコピーをコピペして検索すると、そう苦労なく辿りつけることをお知らせしておこう。余禄として、同様の別製品もいろいろとヒットしたりする。
奇跡か? 魔法か? 取り付けるだけで驚きの効果が!!
シャーシー:剛性アップ
バッテリー:剛性アップ、パワーアップ、オーディオ音質アップ
イグニッションコイル:パワーアップ、燃費アップ
ラジエターパイプ:パワーアップ、レスポンスアップ
エアーインテーク:パワーアップ、燃費アップ
燃料パイプ:燃費アップ
マフラー:レスポンスアップ
サスペンション:剛性アップ
ス■■■■はシャーシーやバッテリー等に取り付けるだけで上記の改善が行われ、よりよい走りへと変化します。(中略)取り付け個数や場所等をいろいろ工夫して、貴方の愛車のベストフィーリングポイントを探るのも楽しみのひとつです。
突っ込みどころ満載で、楽し過ぎる。一つだけ取り上げると、バッテリーに取り付けると、バッテリーの剛性がアップするというのが素晴らしい。バッテリーが硬くなるのか。バッテリーが硬くなると何かいいことあるのか。
この製品の写真はあるのだが、中味がなんなのかはよくわからない。マイナスイオンがいっぱい出るのだそうだ。
値段はベーシックというやつで1個7,500円。
「取り付け個数」を工夫するためには、何個も買わなければならないのだ。
使用者の感想らしき囲みもある。5ポイントくらいのものすごく小さい字。
●AMG E55
ス■■■■バッテリー・ス■■■■ベーシックをシャーシーに4枚取り付け
取り付け後の走行では、スタートと同時に「好きかもしれない!これはいいですよ!!」
●マセラティー
ス■■■■バッテリー・ス■■■■ベーシックをシャーシーに4枚取り付け
「僕はこの手のものは信じないですよ」と笑っておられましたが…
取り付け後の走行では、「ちがう!いいかもしれない…サスや足廻りにも付けたいね」
AMG E55とかマセラティーというのが車の名前であろう。
素晴らしいのは、どちらの人も「…かもしれない」と評価を断定的にしていない点であり、中立的である。
AMG 55Eの人は、あんなに押し出しの利いた車に乗っているのにかかわらず、「好き」という自分自身の気持ちさえ「しれない」とはっきりと言わない奥ゆかしさがある。
出費の点だが、どちらの人もス■■■■バッテリーとス■■■■ベーシックを4枚取り付けている。金額は合計で11万円である。
マセラティーの人などは、サスや足廻りにもつけたいといっているので、一つのタイヤに一つずつ付けても、さらに3万円の出費をいとわない模様だ。
もっとも、AMGもマセラティーも、新車は数千万円という高額車なので、そんなことにはかまわないと推測される。
これは、お守りと一緒である。
いわゆる科学的根拠を超越して、買った人がその気になって満足できればそれでかまわないのである。
ブラインドテストしたって、おそらく当たらないのは、マウスピースに金メッキするのと変わらない。
けれども、ユーザーにとっては、気分が大切なのである。
ジェット機の燃費は、1リットル50mくらいらしい。0.05km/lですな。
ジェット燃料は、いわば灯油と同じような物であるそうだ。ガソリンよりも低価格。日本ではガソリンにいろいろと税金がかけられているため直感しにくいが、ガソリン税(50円強)を抜いたとして、だいたい100円/lくらいだろうか。
東京からだと、ヨーロッパやアメリカまで、大雑把にいって約1万km。
リッター50mとすると、燃料(灯油)が20万l必要という計算になる。ボーイング747には、燃料がドラム缶で1000本ほど容れられるらしい。ドラム缶1本は約200lなので、だいたい20万lとなり、先の数字に一致しそうだ。
それで、ボーイング747に何人くらい乗れるかというと、定員は約600人。
ここから、東京からニューヨークに飛んだとして、一人当たりに使われる燃料を算出すると、20万l÷600人で、333lとなる。
仮に太平洋横断道路のようなものがあって、車で1万kmを行ったとする。リッター15kmくらい走るとして、666l。
家族4人が乗ってたとしたら、一人当たり166lとなる。妻と2人なら航空機と同じ。
ちなみに333lの灯油は、100円/lとして、33300円か。なるほどねえ。燃料サーチャージ。
航空機も機種によって燃料が大きく異なるようだが、船もまたそうみたいで、一概に言えないみたい。
ある客船は、25.5ノットの航海速力で1日で250トンの重油を消費するらしい。そこから計算すると、だいたい5m/lになる。0.005km/lですな。その船の定員は2400人らしい(ただし、この船は豪華客船なので、2400人の客に対して、乗組員は950人!もいるとのこと)。
うむむ、思ったほど燃料効率がよろしくない。たぶん、これは一番燃費が悪い類の船だと思うのだが。
いずれにしろ、航空機も船舶も、車のような感じでは燃費というものを表すものではないようだ。上の計算は、大雑把に概算してみたものである。
航空機が、思っていたより燃費が良いのが驚きだった。
ときにピストンのバカ話を妙に憶えていることがある。
10年ほどになるだろうか、「小室哲哉は何人いるのか?」というような話をした。
あの仕事量(曲作り)が、とても一人の仕業とは思えないことを表したものであった。
結局、ユーロビートをどのように取り入れるか試みる前に終わってしまったな(終わってないって)。
最寄りの大学の大学祭が先日開催されており、奥さんは休日当直でいなかったので、子供を連れて訪れた。
模擬店的屋台の単価は、プロのテキヤ稼業に比べて単価が安いので、子供は百円玉を握りしめて、豪遊。
子供の保育園のときの同級生に会う。
生物の標本を並べたコーナーがあって、アオダイショウの骨格などが展示されていたのだが、そのなかに虫の標本の展示があり、数年来の謎が解けた。
その謎とは、我が家に飛来するカメムシの正確な種別はなにか、ということである。
天気のよい日などに外干ししておいた洗濯物を取り込むと、そこに着いてくる直径5mmくらいの小さな、限りなく黒に近い灰色のような色をした甲虫。
うちでは、カメちゃんと呼んでいる。
標本のなかに、その姿を探したら、いた。マルカメムシというものらしい。ふむ。
(続き)
私の野口という苗字で回文調の名前を作ろうとしても、できない。
せいぜいが、大まけにまけて延ばす音を入れていいことにしても、野口グノーというようにわけの解らない名前になってしまう。
ピストンの人たちでやってみると、S井さんでは、野口と同じように桜井ラクサさんというようなギリシア人との混血か(イメージ)というような名前ができあがる。
桜井さんについては、むしろ「桜井落差」という情報処理かなにかの新理論の名前にでもつけるのがよいのではなかろうか。
S川さんも、「十川画素」という画像処理かなにかの新技術の名前にでもつきそうなものが出来上がる。
箸にも棒にもかからない(失礼)のがAB原さんとかM岸さん、T玉さんなどである。
T木くんだと、「高木脱ぎ方」のような芸の名前にしかならないし、T内くんだと、「竹内うけた」のような芸の結果にしかならない。
C子さんだと、高橋博多さんになる。高橋さん(3位!)は全国に140万人ほどいらっしゃるそうなので、このような名前の熱血九州男児がいても不思議ではないのではなかろうか(と思って検索したら、プロレス選手でいらっしゃるみたい)。
Wさんだと、和気貴和。和気姓は意外に多く1772位9000人弱いらっしゃるらしい。もっともワケと読ませる方もおられるから、それだとちょっと名前になりにくい。
O日向さんだと、小日向ナビオというマンガ家のペンネームっぽくなる。
いい感じに近いのがSzさんである。
濁点をまけてもらえば、坂詰司というカッコいい名前が使える。
(了)
(続き)
2118丹さんの一族に、ゴン太くんがいたら面白い。
タン・ゴンタの出来上がりである。
のっぽさんの苗字は、587高見さんである。
高見さんは、回文にしても名前にはなりにくい。
「高見の味方」「高見の飲み方」
近衛のバストロの方とは何の関係もない。
ところで、忘れていたが、苗字1位の佐藤さんが高知県人だったら、佐藤土佐というような名前がつけられるかも。
(続く)
(続き)
苗字の最初の文字を逆さから読んでも何か意味を持つ読み方ができ、さらに苗字の二文字目が一音であるもの(池田etc)を、人口の多いほうから100位までの苗字で見てみると、意外と少ない(ただし、最初の文字が一音のものは除いている)。
そのなかで、ひっくり返して人の名前になるような最初の文字を持っている例を挙げると、次のようなものになる。数字は順位である。
12吉田、23池田、29前田、32岡田、50中野、77今井、84増田。
池田さんのように見事に決まる例は少ない。
上の苗字に、上から読んでも下から読んでも同じ名前になる例をつけてみると、こうなる。
12 吉田志代△
23 池田圭
29 前田絵麻
32 岡田夏央△
50 中野香奈
77 今井麻衣
84 増田須磨△
△印をつけたものは、名前としてちょっと不自然かも知れないと、私が勝手に感じたものである。同じ名前の方がいらっしゃったら、申し訳ない。
上の例を見てみても、女性の名前のほうが、回文調にするのが容易いようだ。
100位以下を見ていっても、女性の名前が続く(苗字の最初の一字が上述と同じものは除く)。
107 小松真子
162 星野志穂
184 成田里奈
200 南奈美
もっとも、男性の名前にしかならない苗字ももちろんあって、例えば1932位の丹下さん。丹下玄太さんは、やはり男であろう。
ちなみに、前日例として勝手に挙げさせていただいた池田さんや池野さん、池井さんについてであるが、池田さんは多い。23位で46万人くらいいるらしい。だから、池田恵さんもきっといらっしゃると思う。
池野さんはぐっと下って1376位で、12,300人。
池野敬さんはいらっしゃるだろうか?
けれども、池井さんはさらにくだって6824位。
ちなみにこの順位であるが、その前後を見てみると、6823厚見さん、6825中久保さん。決してない苗字ではないくらいの順位。
で、6824池井さんは、1300人ほどいらっしゃるとのこと。
果たして、池井慶さんはいらっしゃるのだろうか。
(続く)