2009年7月10日 (金曜日)

夕方の買い出しで混雑するレジで、会計を待つため並んでいた。
私の前のオバさんが、なんともマイペースな人で、金額が全部出てから、ようやく財布を取り出し、ポイントカードを取り出し、お金を取り出し、としていた。
オバさんの会計金額は894円。オバさんは千円札を取り出したあと、小銭入れのなかを覗きこんでかき回していた。
レジの、おそらくはアルバイトの高校生(男子)は、辛抱強く待っていた。
次の順番の私もじっと待つ。
オバさんは、50円玉1枚と、10円玉4枚をようやく取り出し、さらに小銭入れをかき回している。
じっと待つ高校生バイト。
オバさんもさすがにレジの行列が延びてきているのに気がついたらしく、ちょっとあせりを感じたようだった。小銭入れを慌ただしくかき回すが、どうにも1円玉が出てこない。
困惑した感じで、10円玉をもう一枚取り出して、「ええとこれでいいのかしら?」

ここでバイトくんは、このように答えてしまったのだ。

「10円だと、意味ないです」

高校生バイト(男子)は、頭は悪くなさそうだった。たぶん、回転は速いほうに違いない。
894円の買い物に対して、オバさんがここまでに取りだしたのは1090円。ここで10円を足されたら1100円となってしまい、釣銭をまとめる意味がなくなってしまう。

オバさんは困惑して、さらにあせってしまったようだった。
小銭入れを穴のあくほど覗きこむが、たぶん1円玉はなかったのではなかろうか。

「ええと、どうすればいいのかしら…」

おろおろするオバさん。「これじゃだめなの?」といって10円を出すが、高校性は「10円だと意味ないです」と繰り返す。

傍から見ている我々には、もうこの高校生バイトの誤りは手に取るように分かるわけである。
彼は、まったく正しいのであるが、それでも二重の誤りを犯しているのである。

マイペース・オバさんのおかげで列が延びてしまったレジ待ちの客をこれ以上待たせないためには、最初に894円の会計に対して1100円出されたときに、「はい、1100円お預かりします。はい、206円のお返しです。毎度ありがとうございます!」と捌いてしまうべきだったのである。

さらに、もう一つの誤りとは、「意味ないです」という言葉の使い方である。
バイトくんには悪気はなかったと思う(多少イライラ感は覚えていただろうが、それを露骨に出すほど幼稚ではなかった)。
だがおそらく、あの場での「意味ない」は、オバさんには通じていない。それはオバさんの年代ではあの場面で使うことが予想される言葉ではないからだ。
若い年代の人が、拒絶のニュアンスを表す言葉(だと思うのだが)として、「意味わかんない」といういい方をするときがあるが、彼の「意味ないです」はそういうニュアンスを込めるつもりもなかったと思う。だが、バイトくんには自分たちの年代が、オバさんの世代よりも「意味ない」という言葉を広く使っているということを認識していなかったと思われる。あの場面での「意味ないです」は、同年代なら通じると思うが、オバさん年代には通じにくい気が、私にはした。

では、何といえばよかったのか、というのはビジネスマナー教室のようになって、私が書けるような話ではないのだが、次のようなものではなかろうか。

「お客様、5円玉はお持ちでないですか?」

こうして、1095円(1105円でもいいが)受けとって、101円(もしくは111円)お釣りを渡せばよかったのではなかろうか。

結局高校生バイト(男子)がどうしたかというと、3回目には悟った(というか諦めた)らしく、1100円受けとって(1000円札+50円玉+10円玉×5枚!)、206円を返していた。

傍で見ているとこのように誤りなどが分かるのだが、いざ当時者になるとなかなかできないこともあるので、決して彼を非難する趣旨の記述ではない。お疲れさまであった。

いわゆる「一般投資家」の方に意外(と言ったら失礼だが)と影響力があるものに、例えば夕刊○ジの「株○にっぽん・今日の1番勝負」のような、サブカルチャーも満載の大衆向けタブロイド紙の株式コラム記事がある。

最近お問合せいただいたなかで、「おたくは太陽電池をやってるそうだけど」とか「ナノテクはどうなの?」という方がいらっしゃたのだけれど、これも後から知ったところでは、7月2日の夕刊○ジに会社が取り上げられていたのを見ての問い合せのようだ。
会社の広報に確かめたが、この記事は別段取材を受けたものでもないらしい。
コラムを要約すれば、「今は底値ゾーンっぽいので仕込んでおく旨味がありそう」というもので、それが的を射た判断かどうかは私のコメントするところではないが、いわゆる「材料」というような形で書かれていたのが、くだんの太陽電池とナノテクである。
そもそもこれらの言葉は独り歩きをしている感があって、その記事も、こういってはなんだが、これらのキーワードをとりあえず扇情的に並べてくれただけであった。実際には、それらにつながる(かも知れない)研究をしてますよ、くらいのものなのであると思う。

それで思い出したのが、昔同じような記事で謎の問合せが相次いだことがあった「事件」で、詳細はすっかり忘れていたのだが、このにっきを引っくり返したら、記述が見つかった。
それは、同じようなコラム記事に当社が取り上げられたのだが、その記事の後半で別の会社のことを述べ、そこに大増配と株式分割(懐かしの!という形容詞をつけたいくらいだ)をするという記述があったのを、早合点した多数の読者投資家様が、当社が株式分割すると思って問合せしてきたという事件であった。

真実はサブカルチャーには宿らない。のか。

2009年7月 9日 (木曜日)

中国語の四声のようなものが、日本語についても、思っているよりあるのではなかろうか、と考えた。

「橋」と「箸」の例のように音が複数あるのではない場合、例えば「き」一音についても、意味により発声が違ってきているのが実のところではなかろうか。

次の例文を見てみよう。

これをキにする。

通常このは同音異義語として、文脈で判断するしかないとされる。

ケースA.インテリア・デザイナーが、内装の材質をあれこれ考えている。
ケースB.株のトレードで、損切りのタイミングを取り損ねている。
ケースC.洗濯をしても、袖の内側の小さな染みが取れない。

漢字を用いれば、一発で分かる。
A.は木だし、B.は期だし、C.は気と書けば、意味はすぐ通ると思う。

で、この場合、発音が一緒かというと、明確ではないものの、A.>B.>C.の順でキを強く発音するのではなかろうか。

別の例を挙げれば、酢と素。酢のほうが高く強く発音すると思う。

こういうのが、四声に似ている気がするのである。

2009年7月 8日 (水曜日)

誤解する人はいないと思うが、昨日の記述を見て私が中国語を学習していると思ったら、それは間違いである。
飽くまで『テレビで中国語』を視聴しただけの話である。
その効用として、中国語は「発音がおっそろしく難しそうで、とても手が出ない」ということが判明し、なまじっかやろうと思ってはいけないと意を堅くしたのである。

発音がおっそろしく難しいことの大きな要因に、例の四声があった。
そのときの説明は、日本語で書けば「マ」(ピンインはma?)なのだが、その間にもマーとかマァとかマァとかマとか、四つの音がある、というものであった。そして、それですべて意味が違ってくると。

私が理解したところでは、日本語でも「はし」など、イントネーションによって、橋にも箸にもなるというのがあり、これと類似していると思ったことである。

そう考えると、日本語はずいぶんと中国語の影響を受けているようで、あまり自覚的ではないけれども、イントネーションで意味がぜんぜん違うのを使い分けているのがあるのであった。子供の発音を聞いていると、ときどき気がつく。

2009年7月 7日 (火曜日)

初めて仕事で役に立った『テレビで中国語』。

といっても、もちろん中国の方と中国語でお話をしたとかいうことではない。
某会議(社外・・・・けっこう専門的・・・・私は素人なのだけど)において、四声の話になり、それはいったりなんじゃらほい?というときに、理解できたのであった。

だからどうしたといわれても困るが、私の語学は家では道楽として認定されているのである。それはそうなのだけれども。

2009年7月 6日 (月曜日)

番町小学校→麹町中学校→日比谷高校というのが、ある時代の最もエリートなコースだと聞いたことがある。

この前(といっても数年前だが)、日比谷高校がどこにあるか初めて知った。私の感想では、それは日比谷というよりは国会議事堂の裏であった。

本日、麹町中学校の位置を初めて認識する。

工事中だった。

2009年7月 5日 (日曜日)

呼び出されずに済んだのだが、もともとの当番で奥さん当直。

2009年7月 4日 (土曜日)

夕飯のサンドイッチ(*)とポテトサラダを作った後、Pの練習に行く。

(*) 普段私は夕食にはもっぱら米のご飯を食べないと落ち着かない。夕食がうどんだとかパスタだとかパンだとかは、基本的に例外的状況である。
だがこの日は、奥さんが呼出応対日だったため、もし呼び出されたら病院に行かねばならず、それが食事中であったらそれを急遽中断して行かなければならないという状態であり、そのとき子供に私の帰宅まで一人で留守番をさせるなり、一緒に連れていくなりするにせよ、手軽につまめるという形態の食事が望ましいのであった。となると、私の発想はおにぎりを用意しておくというものだったのだが、子供が「サンドイッチがいい」というので、このような食事になった。
帰宅後、缶ビールを飲みながらつまむのにも絶好であった。結局この日奥さんは呼び出されずにすんだ。

2009年7月 3日 (金曜日)

(承前)

パワーポイントの操作者をどこに配置すればよいのか。

そんなのはケーブルさえあればどうにでもなると思われようが、ともかくコストは一銭たりともかけるつもりはなく、手持ちの機材だけでやるべき状況であり----なにしろ、前期は会社史上最大の損失を出していた----、また、株主総会という特殊性から万一のミスがあってはならないとされ、モニターの映像だけでなくスクリーンに投影される映像もリアルに確認しながらの操作ができる場所という条件があった。

ちなみにパワーポイントの操作者とは、私のことである。
自分で用意した手前、少なくとも初回の操作は自分が行うこととした(タイミングとか、人に説明するのは面倒だったし)。

結論として操作者(私だけど)の席を図ので記した場所とした。
20090701_2
これは当社の会場の都合上、苦肉の策であった。電源やらスクリーンの置き場やら、その他諸々の条件があった。

「果たしてこれで許されるのか?」という一番の恐れは、私の座る場所とその向きである。

昨日掲載の図で示されるとおり、株主総会の基本フォーメーションは、株主と役員の対峙である。黒子である事務局は奥に目立たぬよう引っ込んでいる。

そうであるところ、私がなるべく端に引っ込むとは言え、株主と役員の間に位置してしまっていいのだろうか。

密かに、その場所はマズいんじゃないか、という指摘が出ることを恐れながらも実施した。
何も言われなかった。
その後、ずっと同じ場所でやり続け、今年で6回目らしい。誰からもまだ場所の不都合をいわれたことはなく、すでにその場所は所与のものとして扱われつつあるようだ。

その後少しは業績も回復し、新たな機材も導入されたりしたので、必ずしもその場所で操作をする必要はないのである。

しかし、今回この席に久しぶりについてみて、この席の利点を強く認識したのである。

では、この席の利点とは何か?

それは、この席だと、役員席および株主席双方の様子がとってもよく分かる、ということである。手に取るように分かる、といっても過言ではない。

これが事務局席だと、役員の様子は後姿から察するしかなく、株主席の様子も見通せはするものの、奥まっている分見にくいというのがある。

その点この操作席は、双方の様子がよく分かるのである。

おかげで、どのような株主様にご来場いただいたのかを逸早く知ることができ、また、役員席の役員の表情もよく見える。
今回、監査報告のところで、監査役が「本番において」ナイスプレイをされていたのだが、おそらく事務局席の人間やほかの取締役のなかには気づかなかった人もいるのではなかろうか。
それは、監査報告をするという部分の科白を、暗譜で行っていたというプレイであった。
(この辺、用語が演奏活動とパラレルの言葉遣いになっていて申し訳ないが、それが最も私の実感に即した表現である)
つまり、「これこれこのように監査を行いましたので、その監査結果をご報告します」という地の部分の科白は暗譜で行い、それからおもむろに書類挟みを拡げて、そこにある監査報告書の本文をよみあげたのである。
いったいそれのどこがナイスなのか?と訝しく思う向きもあろうが、当社では伝統的にすべて原稿どおりに読み上げるというスタイルでやっている人が多いので、たとえ一部でも暗譜でするプレイは、私にとっては新鮮であり、読み上げる書類をわざわざ書類挟みに挟んでおくという演出がなんともそれっぽく、感じ入ったのである。

さらにこの操作席の効能としては、そもそもこれが本来的な効能なのだが、株主席に潜んだ、もとい、株主席側にいる運営側の人間と、音響の調子などの確認をアイコンタクトでできることが挙げられる。事務局席でそれをやろうとすると、かなり見通しは悪く、また不自然に株主の視線を集めてしまうだろう。

そういえば、久しぶりに見にいった3708でも、ここは当社のような安直なパワーポイントではなく、詳細な説明画面や手作り動画を駆使してIRをするのでもっと強力な機材を使ってはいたが、操作者は左右の違いこそあれ、同じように位置していた。真似?(そんなわけない)

(了)

2009年7月 2日 (木曜日)

株主総会の会場の配置というのはだいたい決まっていて、普通は次の図のようになる。
20090701_1

すなわち、前のほうに役員席が設けられていて、取締役・監査役の役員(監査役設置会社を想定)は株主のほうに向かって座る。
対して、株主は役員のほうを向かって座る。
つまり、役員と株主が対面する形で位置するのである。
(図の矢印の向きが、座る方向を表わしている)

役員席の奥のほうにある事務局というのが株主総会には特徴的かと思うが、ここには会社の事務方の人間や顧問弁護士などが座ることになっている。座る向きは、ほとんどの場合図のように、株主に対しては横向きとなっている。
なお、事務局は飽くまで裏方であり、役員席の奥まったところ、場合によっては一段低いところに位置し、黒子に徹する。

さて、これが伝統的かつ標準的な株主総会の配置である。
ポイントは、株主の出入口と役員の出入口が別であること、その昔総会屋が跋扈していたころには、図の点線部に机を隙間なく並べたり、株主席の最前列を社員株主で埋めたりという対策も行われていた(総会屋が役員と直接接触しようとするのを防ぐ趣旨である)。現在の株主総会の配置においても、その名残が感じられることがないではない。

時代は移り変わり、株主総会をシャンシャンと終わらせるのでなく、もっと株主に丁寧に説明しようという方向へ変わってきた。
プレゼンテーションにはパワーポイントを使うのが普通となり、それを株主総会でも使わない手はないだろうというところも増え、株主総会の場でそのような投影機材を使う動きが広まってきた。
これを、株式実務業界では「ヴィジュアル化」と呼んでいる。
営業報告(当時:現在では事業報告)を「ヴィジュアル化」して行う、という意味なのであろう。

けっして、役員の選任基準としてヴィジュアル系かどうかを重視するようになった、というわけではない。

みんな気づいているかどうか分からないが、業界では「ヴィジュアル化」といえば、すぐに通じてしまうのだが、一般的にはおかしな言葉遣いに違いあるまい。

ともかく、このようにヴィジュアル化に取り組む風潮が強まってきた時代の話である。当社にとっては今から5年前のことだった。世間と比べて決して早いという話ではないので念のため。

スクリーンを置くため、役員席を切り詰めたのはいいとして、ハタと困ったのは、パワーポイントの操作者の居場所であった。

(続く)

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